歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

“原節子を何となく” その① 生きています!

2011年06月06日 | 原節子
それにしても、放射能が舞う、とてつもないご時世で、何となく、原節子の時代が懐かしく想えるのです。

懐かしいと云っても、原節子の時代は1940年代から60年初頭までですから、1950年生まれの私がものごころがついた頃には、過去のスターになっていました。

そんな、モノクロームの原節子を懐かしく想いつつ、先日、たまたま本屋の棚の端っこで「原節子 あるがままに生きて」(朝日文庫2010年10月15日第10刷)と云うタイトルの文庫本を見つけたのです。


これは原節子本人が書いたものでもなく、聞き書きでもなく、“貴田庄”と云う方がいろいろ調べて書いたようなのです。貴田さんが何者なのかは判りません。

兎に角、これから読んでいくのです。読みながら、感想めいたことを書き綴ることにします。兎に角、原節子と聞いただけ、見ただけで、何となく、何となく・・・・・・・なのです。

※1949年制作「晩春」

先ずは、本の「はじめに」として、「天は二物をあたえず」とあり、ことわざの例外として、原節子は“美しく賢明な女優であった”と断言しています。貴田さんは、身近で見ていたのでしょうか?

成功した女優は総じて賢明な人が多いようだとも云ってます。高峰秀子、岸恵子も二物だと云ってます。高峰さんは知りませんが、岸さんについては、私も頷けるのです。

ところが、著者は、続けて、女優から政治家になった、山口淑子、扇千景、山東昭子の名をあげて、“三物”を与えた人物と一旦持ち上げて、“政治権力と女優は似合わない代物だァ!”こき下ろしています。

私としては、まぁ、政治家と云うよりも、政権与党の“人寄せパンダ”ですから、“三物”ではなく、二物を政治的に利用しただけだと思います。もしも、野党の政治家として政権与党を向こうに回して、闘いを挑んだとしたら、それは、確かに“三物”だと思います。

それで、「彼女が残した雑誌や新聞におけるけっして多いとは云えない発言から、原節子は大の読書家だと推察しています。彼女の言葉は真剣で気品に満ち、時としてユーモァに溢れている」そうで、それは読書の影響だそうです。

「それらの発言と、出演した映画をつなぎ合わせ、原節子の人生を辿っていくと、彼女がいつも自分を失うことなく、人として生きることに真面目で、品格ある人生を“おくっている”こと痛感します」

※1949年制作「晩春」

「本書は原節子という、日本が生んだ偉大な女優の素顔の人生について語っています。彼女の持つ美しさや品格が、外見だけのものではなく、原節子流の生き方に、深く関係あることを明らかにしていきます」

著者の引用が長くなりましたが、そうとう入れ込んでいるようです。それと、この文章を読んでいて気が付いたのですが、「品格ある人生をおくっている」と現在進行形になっているのです。

そうなんです。原節子は今でも生きているのです。大正9年(1920年)6月17日生まれですから、もうすぐ91歳になります。それと、あまり関係無いのですが、私の母は89歳で元気です。

読みつつ、書き綴る、はじめての方式、本日は初回ですので、このへんで・・・・・・。

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