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『光る君へ 』① "ロバートの秋山" と "ユースケ・サンタマリア" で柔らかな平安宮廷ドラマに !

2024年02月08日 | テレビの話し

今回も家康に引き続き、NHK大河ドラマ『光る君へ』見ています。

平安時代と云うのが、ちょっとねぇ~、と、思っていたのですが、これが、ケッコウ面白いでのす。

セリフが、ほぼ現代語会話で解り易く、今から千年ほど前の、貴族社会という壁は、あまり感じず、物語の世界に入り易く、脚本も演出も、それなりに考えられています。

そして、そして、それなりに重要な役回りに、ロバートの秋山とか、ユースケ・サンタマリアとか、平安時代の壁を越え易くするキャスティングになっています。

それ以外にも、たぶん私の知らない、それなりに若者に人気の俳優・タレントを起用しているのでしょう。

今回のドラマについて、NHKのHPでは、

『主人公は紫式部(吉高由里子)。 平安時代に、千年の時を超えるベストセラー『源氏物語』を書き上げた女性。彼女は藤原道長(柄本佑)への思い、そして秘めた情熱とたぐいまれな想像力で、光源氏=光る君のストーリーを紡いでゆく。変わりゆく世を、変わらぬ愛を胸に懸命に生きた女性の物語』

と、書かれていました。

これまで放送された5回分を、3日ほどで観たのですが、"変わらぬ愛"とか、"たぐいまれなる想像力"とか、"秘められた情熱"とか、よりも、時の権力内部で繰り広げられる、激しいと云うか、醜いと云うか、汚いと云うか、そんな争いが、とても、とても、面白いのです。

上級国民である貴族の、地位と名誉と、そして、そのことで、もたらされる富と権力を巡る、騙し、騙され、殺し、殺される、人間ドラマとしては、それなりの究極的設定。

そこに、男と女の、美しく純粋な愛と、醜く打算的な愛と、そして、そして、動物的な、本能に赴くままの、単なる生殖行動も絡まれば? これは絶対に面白い?

それで、今のところ、ドラマの中では、ほとんど語られていないのですが、平安時代は、とても、とても、平安でない時代で、そのことから、たぶん、都の名前を平安としたのてしょう。

この時代、陰陽師が活躍したのは、天変地異とか、干ばつとか、洪水とか、飢餓とか、疫病とか、悪いことが頻発し、世の中は、平安ではなく、不安が時代であった為のようです。

陰陽師"安倍晴明"を演じる"ユースケ・サンタマリア" 、メーキャップも、なかなか怪しくて、いいです。

そして、天皇の側近"藤原 実資"を演じる"吉本興業" 所属の"ロバートの秋山"、それなりに好演です、

がァ、しかし、二人が登場すると、何故か大河ドラマというよりも、"コント" を見ている気分になったりするのです。 

まあ、兎に角、堅苦しい宮廷貴族ドラマより、柔らかめの宮廷貴族ドラマの方が、それは、それで、イイと思います。

そうでした、主役の紫式部は"吉高由里子"で、思いを抱く相手の藤原道長は"柄本佑"です。"ちょっとめんどくさい性格"の紫式部に、"ちょっとめんどくさい性格???"と、その筋で囁かれる"吉高由里子"にピッタリだと思います。

それにしても、平安時代は、自然災害に、飢饉に、疫病にと、末法の世で、無常で、世の中は平安ではなかったようです。特に、都市に人口が集中し始めた平安の世は、飲料水、人の排泄物、遺体等の処理が不適切で、人々の健康に影響し、感染症の温床になるとの認識は皆無で、とても、とても、不衛生だったそうです。

それと、そうでした。前回は、信長、秀吉、家康で、戦国時代で、武士の世の始まりの物語でした。

今回は、その前の時代で、天皇親政時代から、権威と権力が分離し、摂関政治で、外戚で、貴族が権力を握る時代の始まりの物語。いろいろと歴史の勉強になります。

それにしても、天皇制の権威は、貴族の藤原氏も、武士の源氏も、家康も、そして、そして、敗戦後のマッカーサーも、その存続を認めてきました。廃絶するチャンスでしたが、彼らは、しなかった? できなかった?

やはり、やはり、このへんの秘密は如何に? です。

神としての天皇の物語を成立させた巧さと、それなりに民を思う政の巧みさと、やはり、日本が島国であった事で、他民族の侵略で、権威権力が入れ替わることが無かった。そんな、こんなの条件が重なったことにより、天皇制は現在も存続している、のでは、ないかな?

それと、NHK出版新書、『世襲制の日本史』(著者 本郷和人)-の冒頭で、「日本は世襲制の社会で、地位よりも人、人というのは血、いや血よりも家、これが日本の大原則だったのです」と、言い切っています。

まあ、そんな、こんなで、いろいろと、お勉強になる、ボケ防止になる、大河ドラマです。

これからが、それなりに楽しみです。

あっ、それと、おまけの豆知識ですが、何と、何と、紫式部は本名ではなく、式部は貴族の地位で、"式部"のところの、通称、紫という娘、という程度の事だそうです。この時代、女性は本名を明かさなかったようです。本名が世間に知れると、悪いことが起きる、と、思われていたそうです。

ですから、同時代の、清少納言も、少納言のところの、通称清と云う娘ということだそうです。知りませんでした。

と、云う事で、この時代の女性は、本名も、生まれた年も、亡くなった年も、記録には残っていないそうです。 

 

それでは、また。

 

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1 コメント

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Unknown (Unknown)
2024-02-25 06:58:02
2008年頃の下山事件の記事を最近になり読ませて頂きました。

https://www.yomiuri.co.jp/national/20221208-OYT1T50211/

近年このような記事があるのですが、15年も前に近い考察をされている管理人様のブログを偶然読み非常に驚きました。

今現在どのような推理推察をされているのか、もしよろしければまた下山事件についての投稿をお書き頂ければ嬉しく思います。

こちらの投稿とは無関係なコメント失礼致しました。

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