映画的・絵画的・音楽的

映画を見た後にネタバレOKで映画を、展覧会を見たら絵画を、など様々のことについて気楽に話しましょう。

あの日 あの時 愛の記憶

2012年08月30日 | 洋画(12年)
 『あの日 あの時 愛の記憶』を銀座テアトルシネマで見ました。

(1)この映画館が来年の5月で閉館するとの報道があり(銀座シネパレスと合わせて、銀座から2館も消えてしまいます)、とても残念に思ったこともあって映画館に出向きましたが(注1)、この映画自体はなかなか感動的な作品でした(注2)。

 映画の冒頭では、まず、スカーフをした若い女性がノートに何事か書いていますが、その場面はすぐに変わって、今度は中年過ぎの女性が机で何か手紙を書いています。それもすぐに変わって、収容所で金網の塀越しに何事か話す男女。
 そして、時点は1976年とされて、ニューヨークのクリーニング店に入った先の中年過ぎの女性が、TVで放映されているトーク番組に出演している男性に見入ってしまいます。次いで、1944年のポーランドに設けられている収容所(アウシュヴィッツでしょう)の光景となります。
 こんなふうにめまぐるしく場面が入れ替わりますが、どうやら、ニューヨークの中年過ぎの女性は、30年以上も前の若い時分、収容所に入れられていて、TVのトーク番組に出演している男性とそこで知り合ったのだという事情が次第に呑み込めてきます。
 冒頭のノートや手紙を書く女は同一人物であり、その時の最愛の男に対する手紙を書いていたのです。

 この女性は、ベルリン生まれのハンナダグマー・マンツェル:若い時分はアリス・ドワイヤー)で、ユダヤ人のために収容所に入れられていたのでした。
 他方、男性はポーランド人のトマシュマテウス・ダミエッキ)、反ナチスの抵抗運動に従事していたがために、政治犯として捕まって収容所に入っていました。
 トマシュがハンナにパンを与えたことがきっかけになって2人の間に愛が芽生え〔トマシュは政治犯のせいでしょうか、デスクワークに就いており、かなり自由が利くようです(注3)〕、ついにはワルシャワにある抵抗組織の本部に写真のネガを届ける使命を帯びて(収容所の実態を世界に公表するため)、トマシュが収容所を脱走する際に、ハンナも一緒に連れて行くことにします。



 犬を使った看守たちの捜索隊を何とか振り切って、2人はやっとの思いでトマシュの家にたどり着き、ハンナをそこに残して、トマシュは2日で戻ってくると言い残してワルシャワに向かいます。ですが、それで2人は生き別れてしまい(注4)、1976年となります。
 TVのトーク番組を手掛かりにして、はたしてハンナはトマシュと再会できるでしょうか、……?

 戦後、ハンナは、赤十字を通じてトマシュのことを調査したものの、生存が確認できず死んだはずと思っていたのですが(注5)、そのトマシュが生きていることがわかった時のハンナの衝撃、まさに命の恩人であり一番愛していた人ですから会いたい気持ちが高まります。他方で、ハンナは、現在一緒になっている夫や娘のことをも深く愛してもいます。さあどうしたらいいのか、夫の方もこうした妻にどう対応すべきなのか、ここら辺りの葛藤がこの映画ではなかなかうまく描かれていると思いました(注6)。




 本作の出演者は皆初めて見る俳優ばかりながら、なかなか説得力ある演技を披露しているところ、特にトマシュの母親を演じたスザンヌ・ロタールは、出番はそれほど多くはありませんが印象的でした(注7)。

 なお、本作は事実に基づいているとされているので、ハンナとトマシュの収容所脱出劇も実際にあったことなのでしょう。としても、ハンナはドイツ語しかできず、トマシュはポーランド語ですから、2人のコミュニケーションは随分ともどかしいものがあり、それで警戒厳重な収容所からヨク脱出できたと感心してしまいます(特に、トマシュの貧弱なドイツ語で、ドイツ人看守の関門を通過できたのは奇跡的といえるでしょう!)(注8)。

(2)本作は男女の愛を巡る物語と言えるでしょうが、『汚れた心』とか『かぞくのくに』を見たばかりのせいか、ポーランドという「国」のことを考えてしまいます。
 というのも、ポーランドを占領していたドイツ軍が追い払われた後に、今度はソ連軍が入ってきて、ハンナが身を寄せたトマシュの兄夫婦がソ連軍に連行されるのです。
 トマシュの兄が、反ソ的な「国内軍」に所属して反ナチス抵抗運動をしていたからというのでしょう(注9)。
 その結果、ハンナとトマシュの母親(住んでいた家が今度はソ連軍に接収されたために、トマシュの兄チェスワフの家に移り住んでいました)の2人が後に取り残されることになったため、ハンナはその家をいづこともなく立ち去ります(注10)。

 ポーランドは、Wikipediaの記事等によれば、14世紀から17世紀にかけて大王国を形成したものの、18世紀には3度にわたり国土が隣国に分割されて消滅、1918年に独立したところ、第二次世界大戦ではナチス・ドイツとソ連の侵略を受けて再び国土が分割され、戦後の1952年に統一労働者党による一党独裁体制の国となり、1989年に民主化を果たして共和国となる、という実に多難な経緯を辿っています。
 特に戦後は、国の位置が西にかなり移動するなど、「国」の基本をなす領土に大きな変更が加えられたりしていて(注11)、ここでも「国」とは何なのかと考えてしまいます。

(3)映画評論家・土屋好生氏は、「ここで強調されるのは誰にも止められない残酷な時の流れであり、人間の尊厳を踏みにじる戦争の悲惨である。が、それでもなお人は生きていかねばならぬ」と述べています。




(注1)この映画館で昨年見た『蜂蜜』とか『サラの鍵』などが思い出されます。

(注2)原題は、ドイツ語で「Die VerloreneZeit(失われし時)」(英題はRemembrance)。邦題はやや長すぎるかもしれません。

(注3)トマシュは、事務室に誰もいなくなると、ハンナを密かに引き入れて愛しあったりします。さらには、どこから手に入れるのか、アルコールを別棟の看守に送り届けたりしています(事務室のドイツ兵は、トマシュからアルコールを受け取ると、気を利かしてトマシュを独りにする感じです)。

(注4)トマシュの家はドイツ軍によって接収されていましたから、2人は納屋に隠れていました。
 ただその際、トマシュがハンナを母親に引き合わせたところ、母親は、ハンナがユダヤ人であることを知ると、トマシュに別れるよう強く迫ります(その理由として、劇場用パンフレット掲載のエッセイで、久山宏一氏は、カトリック教徒としてユダヤ人を嫌ったことと、ユダヤ人を匿うことの厳しいリスクとを挙げています)。
 さらに母親は、隠れ住むハンナをSS将校に見つけ出させようと姑息な手を打つのですが、事前に察知したハンナが辛くも難を逃れることもありました。
 そんなこんながあって、ハンナは、トマシュの兄の家に隠れ住むことになります。

(注5)トマシュの方も、しばらくして家に戻った際に母親からハンナの死を伝えられ、彼女はこの世にいないものと思っていました。
 ただ、ハンナを深く愛しているにしては、トマシュは、いともあっさりとその死を受け入れてしまった感じです。あるいは、その墓はどこにあるのかなど追求したら、母親の嘘がばれたかも知れません〔ハンナが、映画の冒頭で書いていたトマシュ宛ての手紙(「辛いけど出ていきます。目指すはベルリン」などと書かれています)は、彼には届かなかったようです。おそらく、母親が処分してしまったのでしょう〕。

(注6)ハンナが、トーク番組のトマシュを見て赤十字に調査を依頼したのが、ちょうど研究者の夫の受賞祝賀パーティーの日でした。ハンナは、これは自分だけの問題だとして、夫や娘が心配するのをよそにパーティーが開かれている家を抜け出し、ブルックリン橋の下のベンチでどうしたらいいのか悩みます(その際には、これまで口にしたことがなかったタバコを吸ったりします)。
 夫の方は、ハンナの問題は自分の問題だと言うにもかかわらずハンナが取り合わないために、怒りを覚えたりするものの、ハンナが密かに隠し持っていたトマシュに関する資料を既に読んでいたのでしょう、トマシュの生存が確認されると、「以前から探すべきだと思ってた。彼に会うのが一番いいんだ」とハンナに言ってやります。
 夫の言葉に促されて、ハンナはポーランドに行ってトマシュと会うことになりますが、映画の冒頭でハンナが夫宛てに書いていた手紙には、「最愛の人はあなた、だから行くの、もう過去には囚われない」と書かれていました。

(注7)Wikipediaの「スザンネ・ロター」の項によれば、本年7月に51歳で亡くなったとのこと。

(注8)さらに、収容所でハンナに課せられる労働は、デスクワークのトマシュと違って随分と過酷なものであり、おまけにハンナは妊娠もしていたのです。
 なお、この脱走に際しては、トマシュが使ったドイツ親衛隊将校の制服とか、収容所の入口の検問に際して差し出す偽の書類などを、収容所に収容されているレジスタンス仲間達が周到に準備しています。
 上記「注4」で触れた久山宏一氏は、同じエッセイで、「ナチス・ドイツは、囚人が収容所から逃亡すると、同じ労働班に属する10~20名を射殺するという「共同責任」を適用」していたと述べていますが、トマシュ達の脱走によってさぞかし酷い仕返しがあったことでしょう!

(注9)トマシュの母親は、チェスワフの家でハンナを見つけると、「トマシュは無駄死をした。あなたが、トマシュを抵抗運動に走らせた。あなたが家族を壊したのだ」と酷く詰ります。
 なお、家を出て吹雪の中で倒れてしまったハンナのところに、ちょうど赤十字の車が通りかかって、彼女は救助されます。

(注10)さらに、ハンナがトマシュに国際電話を入れた頃、トマシュの家では、ジャーナリストの娘が、教科書から「国内軍」の記述が削除されたことに怒って騒いでいました〔1976年では、ポーランドはまだ共産党(統一労働者党)の支配下でした〕。
 なお、トマシュは英語の教師をしているために、今やハンナとスムースな会話ができるようになっています。

(注11)それにより“単一民族”になったとされていますが、その意味合いは何なのかいまいち理解が難しいように思われます。




★★★★☆



象のロケット:あの日 あの時 愛の記憶

かぞくのくに

2012年08月22日 | 邦画(12年)
 『かぞくのくに』をテアトル新宿で見てきました。

(1)このところ『海燕ホテル・ブルー』や『11.25自決の日』で印象深い演技を披露している井浦新が出演する作品だと聞いて映画館に出かけたのですが、期待通りよくできた作品だと思いました。

 物語の舞台は1997年夏の東京(足立区千住)。
 映画の冒頭では、母親(宮崎美子)の経営する喫茶店で兄・ソンホ井浦新)の帰りを待ちくたびれている妹・リエ安藤サクラ)の姿が映し出されます。1970年代に帰国事業(注1)によって北朝鮮へ渡った兄が、25年ぶりに病気治療(注2)のため、3ヵ月間の日本帰国が許されて帰ってくるからです。

 まずまずの元気な姿で現れた兄を、家族は大喜びで迎えます。



 ですが、この帰国にはヤンヤン・イクチュン)という男が同行し、監視役としてたえず付きまといます(注3)。
 また、彼の帰国を喜びながらも、父親(津嘉山正種)はいつも厳しい顔つきをしています。

 そんな中で、リエはソンホから重大なことを告げられます(注4)。
 さらには、兄は検査を受けるために病院に行きますが、確かに脳に悪性の腫瘍があるものの、3ヵ月の滞在期間では手術することはできないと医師から言われてしまいます。
 家族は、そうした事態を何とか改善できないものかと奔走しますが(注5)、なんと本国から、明後日に帰国するようソンホは命じられてしまいます。
 いったい皆はどうするのでしょうか、……。

 登場人物それぞれが、大層厳しい状況に置かれながらも、家族のことをよく考えて生き抜こうとする姿がじっくりと描き出されていて感動的です。

 兄のヨンホはもとより(注6)、父親にも言いたくともいえないことが沢山あるようです。
 というのも、父親は、在日朝鮮人関係の団体の副委員長をしていて、一方で北朝鮮の実態を知っていながらも、他方で監視人ヤンに協力せざるを得ない立場(帰国事業にも積極的にかかわったのでしょう)にもあるからです(注7)。
 一度だけ二人だけで話すシーンがあるところ(注8)、結局は「今回は治療に専念しよう」としか言えない父親に対して、ソンホは「いつもそんなことしか言ってくれない」と叫んでしまいます。それでも父親は黙ってしまうのですが、父親の立場を考えたらそれも仕方がないかも知れません(注9)。

 また、監視役のヤンは、本作では悪役的な立場にありますが、その彼ですら、自分を非難するリエに対して、「あなたが嫌いなあの国で、お兄さんも私も、死ぬまで生きるんです」と言ったり、ソンホの帰国の通告に異議を唱えようとする父親に対して、「私にも子どもがいます。決定は絶対です」と告げたりします(注10)。



 さらに、そんなヤンに対して、ソンホの母親は、日頃ソンホのために貯めている“500円貯金”を使って、背広上下やシャツなどを用意するのです(「ソンホをよろしくお願いします」との手紙を添えて)。

 そうした登場人物を、配役陣はなかなか上手くこなしていると思いました。
 特に、『ケンタとジュンとカヨちゃんの国』とか『SR サイタマノラッパー2』での演技が目覚ましかった主演の安藤サクラは、本作においても、兄のことを心から思っていても自分は自分の道を歩むというしっかりとした面をも持っている妹リエという役柄を感動的に演じています。



 また、共演の井浦新の演技にはしみじみとした味わいがあります。なにしろ、25年も日本を離れていたために、日本語がすぐに出てこないという面もあるものの、基本的には25年間何も喋らないようにしてきたせいなのでしょう、さらには何も話せないのでしょう(絶えず監視役が付いてきますから)、でも何かを訴えなくてはならないという大層難しい役柄を巧みに演じています。

 母親役の宮崎美子は、最近では『アントキノイノチ』に出演していたのを見かけましたが(亡くなった兄に遺品を見に来た妹の役)、本作では、息子が心配でずっとそばに置いておきたいものの、その前では涙を流そうとはせずにぐっと堪えるという役柄を的確に演じています。

(2)本作については、上で申し上げたように、家族のそれぞれが家族のことを実に良く考える姿が印象的ですが、そうしたことの背景に重く置かれているのが「国」の問題でしょう。
 先月末に見た『汚れた心』でも、「国」ということを考えさせられますが、また本作によっても「国」とはいったい何なのかということを考えてしまいます。
 『汚れた心』の場合、領土・国民・主権という意味での「国」(日本)(注11)から切り離されたところに形成された集団(移民先の「国」の中に形成された日本人の共同体)に所属する人たちが、本来的な「国」以上の事をしでかしてしまう姿が描かれていますが、本作の場合も、本来的な「国」(朝鮮)から切り離されている在日朝鮮人たちが、本来的な「国」だと思った場所(北朝鮮)に移住した者と、そうではない「国」(日本)に残った者との間で分断されてしまっている様子が描かれます。
 この場合、ブラジルの日系移民の大部分は、日本の国籍を離れて移住したにもかかわらず、移住先で、日本にいたときと同じ行動を取ろうとするわけですが、ブラジルが移民国家であることから、それでも周囲から酷い差別は受けなかったと思われる一方で(注12)、在日朝鮮人については、国籍はそのままだったにせよ、「希望の国」と信じて北朝鮮に渡った者が大変な苦労をし、日本に残った者も厳しい差別に晒されてしまいました。
 いずれにせよ、背後にある「国」というもので皆が大変な目に遭うわけですが、そんなものでありながら、我々を含めて皆がどうしてもそれから離れられずにモガクこと(注13)になってしまうのも不思議と言えば不思議なことです(注14)。

(3)渡まち子氏は、「映画は声高に政治批判はせず、理不尽な運命に翻弄されながらも精一杯生きる家族を、静かに、だが力強い筆致で描いている。治療のために日本にやってきたのに何の理由も告げず本国への帰国命令が発せられるなど、北朝鮮という国の思惑は理解しがたい。そんな不条理に“思考停止”で生き延びようと決めたソンホがあまりに悲しいが、それでも妹リエに希望を託す姿に胸がつまった」として65点をつけています。




(注1)Wikipediaによれば、この事業によって、1959年から1984年までの間に93,340人の在日朝鮮人が北朝鮮に渡りました(その内の「少なくとも6,839人は日本人妻や子といった日本国籍保持者」)。

(注2)脳に腫瘍ができ、北朝鮮では手術ができないとされたようです。
 ただ、映画で見るソンホの様子からは、なんらかの徴候があるようにはうかがわれません。そうした症状なしに、北朝鮮では国民にMRIなどを受けさせるものなのか、やや疑問のところがあります。あるいは、下記の「注4」で取り上げるような背景があって、ソンホは、意図的にそうした病名とされて帰国したのかもしれません(でも、日本の病院で受診した際にも、検査結果に腫瘍が現れているとのことですから、病気なことは間違いないのでしょう)。

(注3)ヤンは、ソンホの家族に対して、ソンホの帰国は非公式なもので、間違いがないように見張りが付くし、(日本の)公安も監視している、許可なしに東京を出てはいけない、などと言い渡します。
 なお、劇場用パンフレットに掲載されている「ベルリン国際映画祭フォーラム部門公式上映ワールド・プレミア終映後のティーチ・イン採録」のなかで、ヤン・ヨンヒ監督は、映画は実体験に基づくとしながらも、「あの奇妙な監視者の人物、実際にはあんな人はいませんでした。あのように家の真ん前にへばりついている監視人なんて変ですよね」、家族が北朝鮮のシステムの中に置かれているという「状況を判り易くするためにあのような監視人の存在を足しました」と述べています。

(注4)ある夜ソンホは、リエに対して、「指定された誰かに会って、その内容を報告することに興味あるか」と尋ねるのです。リエは、「断ったら迷惑がかかるか」と聞き返し、それにソンホが「そういうことはない」と答えると、リエは「そういう仕事にかかわりたくない」とはっきり断ってしまいます。
 どうやら、ソンホが今回帰国した一番の目的は、リエを北の工作員にすることのように見えます。早く話をリエにするようヤンからソンホは促されますし、リエが拒絶したことが分かると(家族の会話は、ヤンによってすべて盗聴されているのでしょう)、ソンホの病状など一切おかまいなく、その帰国が本国より命令されてしまいます。
 なお、このソンホの早期帰国の理由について、本作では、ソンホが「あの国では理由なんて全く意味を持たないんだ」などと言うに過ぎませんが、佐藤秀氏のブログにおいては、「本作の文脈で考えられることは、リエが工作員になることを拒絶したことで当局が失敗の烙印を押したことだろうか。病気治療は、その見返りのようなのだ」と明快に述べられているところです〕。

(注5)妹リエは、医師の話を聞いて、「私は絶対に許さない」と言って、ソンホの同窓会で出会ったスニ京野ことみ)―ソンホは、北に渡る前、彼女と親しい関係にあったようです―に電話して、彼女の夫(医師とのこと)の手を借りようとします。

(注6)例えば、ソンホは、上記「注5」で触れたスニと二人だけで会うのですが、彼に対してスニは、「(昔に比べて)無口になった」と言います。

(注7)ソンホの叔父(我が子のようにソンホを愛しています:諏訪太朗)の話によれば、新潟港から出発する際に、ソンホは「僕が行かなかったら、どんな迷惑が家族にかかるのか」と言ったようです。
 全体的な感じからすると、ソンホ自身も、また家族も、北朝鮮へ渡ることについて当時積極的ではなかったようです。
 なお、雑誌『映画芸術』(2012年夏期号)掲載の対談の中で、監督のヤン・ヨンヒ氏は、概要ですが、「朝鮮総連の副議長が、金日成の還暦祝いとして200名の朝鮮大学の生徒を送り出そうとした際に、長男が指名されてしまい、父親は外してくれと要請したにもかかわらず、ダメだったらしい」と述べています(P.57)。

(注8)ソンホがリエに話したこと(上記「注4」)を立ち聞きした父親は、ソンホと二人だけで話そうとします。その際父親は、ソンホに対して、「俺も組織の人間だから、お前がそうした任務を引き受けてきたのはよく分かる」と言いますが、ソンホは「分かるわけがない!」と大声で叫んでしまいます。

(注9)父親役を演じる津嘉山正種について、劇場用パンフレット掲載のProduction Note「ヤン・ヨンヒ監督への16の質問」の「Q5」の回答の中で、同監督は「だまっている時にも圧倒的な存在感があり、表情で語れる俳優を探しました」と述べていますが、まさにピッタリの俳優です!

(注10)監視人のヤンを演じるのは、感動的な韓国映画『息もできない』を一人で製作・監督・脚本・編集したヤン・イクチュンですが、映画の中では、台詞自体は少ないものの大変な存在感を出しています〔なお、雑誌『映画芸術』(2012年夏期号)掲載の井浦新と安藤サクラの対談では、車に乗っているソンホの手をなかなか離さないリエというラストのシーンを巡って、なかなか興味深いエピソード(ヤンが突然「車を出せ」と言ってしまうのです)が語られています(P.47)〕。

(注11)といっても、それ自体がトートロジー的な定義(「国」とされているから「国」だ、という類いの)でしかありませんが。

(注12)ブラジルは移民国家・多民族国家で、公的には人種問題は存在しないとされますが、実際には、政府高官には黒人はいないなど差別問題はあるように思われます。

(注13)昨今の竹島とか尖閣諸島(それに北方4島)を巡る様々な事件で露呈されています。
 それにつけても、一方で、その島が当然に自国の領土だというのであれば、何もわざわざ大統領が出向いて行ってそのことをアピールする必要もないはずですし(なぜ、韓国の領土と主張する石碑をわざわざ建てる必要があるのでしょう)、他方で、自分の領土であるというのなら、その島を実行支配する動きが相手国にある時になぜそれを実力阻止する行動に出なかったのでしょうか(フォークランド紛争におけるサッチャー首相のように)、「領土」を保全できなくて「国」といえるのでしょうか、でも、諸外国とは対等に様々な条約を結んできていますし、これからもそうするでしょうから、まさに「国」なのでしょうし、などなど色々の疑問がわいてきて、自分でも収拾がつかなくなってしまいます。

(注14)クマネズミの考えが足りないために幼稚なことしか言えず、もっともっと考えていかなくてはと思っています(たとえば、「邪馬台国(邪馬壹國)」の「国」と「日本国」の「国」とは同じ文字を使っているところ、果たして同一のレベルで考えられるのだろうか、などなど)。




★★★★☆


象のロケット:かぞくのくに

青山杉雨展

2012年08月17日 | 美術(12年)
 8月の冒頭で取り上げた「フェルメール展」に引き続いて、上野の東京国立博物館で開催されている「青山杉雨の眼と書」展(~9月9日)に行ってきました。
 こちらは、同じ上野でほぼ同時期に開催され大賑わいのフェルメール展とは打って変わって、地味なことこの上なく、鑑賞者もパラパラとしか見当たりません。
 作品を鑑賞する上では絶好といえるものの、むしろ淋しさを感じてしまいます。

 クマネズミは書を嗜む者では全然ありませんから(注1)、見ても分かるのかなという一抹の不安がありましたが、全体としてまずまずの印象を持ちました。

(1)と言っても、面白いなと思ったのは、例えば、次のような書です〔「萬方鮮」(1977年)〕。



 本作については、展覧会カタログにおいて、「古代文字を素材とし、それを現代的な感覚で体現することに成功した、青山杉雨の傑作の一つである」と述べられています(P.240)。

 あるいは、この書〔「黒白相変」(1988年)〕。



 この作品については、公式サイトのブログの説明で「筆順を考えたり、絵のように想像して眺めたり」と述べられている点に興味を持ちました。

 更には、こんな書〔「旭日昇天」(1989年)〕でしょうか。



 拙ブログのこのエントリの「ホ)」で触れた書家・石川九楊氏の『近代書史』においては、「この作品を目にし、「旭日昇天」の句に鼻白みつつも、図版ではうかがい知れない筆勢の存在感(リアリティ)には、なるほどこのあたりに書壇を統率する力があるのかと納得した」と書かれています(P.628)(注2)。

(2)ところで、上記の「萬方鮮」について、展覧会カタログには「古代文字」とあり、さらに「篆書の持つ構築的な強さを主軸としつつ」と書かれており、また「黒白相変」についても、展覧会カタログにおいて、「石鼓文の面白さを発展させた作」と述べられているところ、展覧会の展示では(及びカタログにおいても)それらのことについてまったく何も解説が与えられていません。
 単に、作品が並べて展示してあるに過ぎません。

 そこで、家に戻ってからWikipediaであれこれ調べてみますと、例えば、「萬方鮮」の「」は篆書体のそれによく似ています。



 また、「鮮」の旁の「」は金文のそれに類似しています。



 さらに、例えば、「黒白相変」の「」も、金文のそれのような感じを受けます(注3)。



 中国の古代文字のことなど何も知らないクマネズミは、青山杉雨のこれらの作品を見て、当初は、随分と独創的な大層変わった書をものす書家だなと大変驚いたのですが、こうして調べてみると、基本的なところ(文字の形)は古代文字そのものなのだな、それを十分に踏まえた上でいくつかの面で(文字の構成の仕方、その配置、その大きさ、筆勢など)独創が加えられているようだな、とおぼろげに分かってきます(注4)。

(3)そうなると、いったいこの展覧会はどういう人を対象に開催されているのか、といささか疑問に思ってしまいました。
 古代文字とか篆書などに詳しい人ならば、いうまでもなく、これらのことについて詳しい解説など不要でしょう。
 ですが、公式サイトに添えられているブログの感じからしても(注5)、今回の展覧会が、そんな特別な人ばかりを対象としているとはとうてい思えないところです。

 むろん、素人はそんなところまで知る必要はなく、ぱっと見て何か感じるところがあればそれでいいのだ、というわけなのかも知れません(注6)。あるいは、抽象絵画を見る時だってそうしているではないか、というのでしょう。
 ただ、この展覧会は抽象絵画の展覧会ではなく書の展覧会のはずであり、そうであるならば、いったい何の文字がどのようにして書かれているのかを素人にも分からせるような何かしらの創意工夫が必要なのではないでしょうか?

 展覧会の展示方法を少々改めて、展示作品数をもう少し絞り込み、それぞれについて、素人でもある程度理解できるような解説を与えたり、あるいは特別な解説コーナーを設けたりするなどして、一般人にも親しみの持てるようなことを今ひとつ考えてくれたらなと思ったことでした(注7)。





(注1)このブログで書(あるいは書道)に触れたのは、小野道風筆の「屏風土代」及び聖徳太子筆の「法華義疏」を取り上げたエントリとか、映画『書道ガールズ』及び『書道の道』を取り上げたエントリとかに過ぎません。

(注2)石川九楊氏は、青山杉雨の師である西川寧との違いという点から、さらに次のように述べています(P.629)。
・「青山は一気にではなく、一つの画を何回かに区切るように分節して掻く」。
・「進行するにしたがって力が漸減するという傾向を持っている」。
 こうした観点から「旭日昇天」についても分析を加えていますが、ぐっと作品に近づけるような気がします。

(注3)展覧会カタログで言う「石鼓文」をWikipediaで調べても、青山杉雨の「黒白相変」との直接的・具体的なつながりはよく分かりません。

(注4)本来的には、例えば、「黒白相変」について言えば、唐の時代に発見されたとされる「石鼓文」自体、そしてそれに取り憑かれた呉昌硯の「臨石鼓文軸」や青山杉雨自身の「臨石鼓文」といったもの(両作とも本展覧会で展示されています)を見比べて、青山杉雨の独創性のありかを究明すべきでしょうが、とうてい素人がなし得るところではありません!

(注5)今回の展覧会では、さらにワークショップ「親子書道教室」まで開催されていますが、はたして、子どもたちはこの展覧会を興味を持って見続けることができるでしょうか?

(注6)展覧会カタログにおいては、「萬方鮮」について「書と絵が交錯したような、独自のスタイルをそなえた作品である。方形の紙面に、抑揚を利かせた筆勢と大胆な墨の変化がマッチしており、古代文字の持つデザイン性が遺憾なく発揮され」云々とあり(P.251)、また「黒白相変」についても、「石鼓文の造形の面白さを発展させた作。〈黒〉と〈白〉という相対する文字のフォルムが実に絶妙であり、生涯にわたり停まることなく変貌し続けた青山杉雨ならではの見事な展開である」云々とありますが(P.258)、その程度のことなら、わざわざことごとしく述べていただかなくとも、素人でも見ただけでわかるでしょう〔なお、「旭日昇天」に関しては(P.259)、青山杉雨が本作につき話していることの簡単な引用に過ぎません!〕!

 さらに言えば、このエントリでは取り上げませんでしたが、今回の展覧会では、「千里馬」という作品が展示されています。そして、こ作品の「馬」について、展覧会カタログの解説は、「千里であろうと万里であろうと走りつづけようとという躍動感溢れるこの馬は、まさしく「駿馬」である」云々と述べています(P.265)。しかしながら、この「馬」は、「金文」とか「篆書体」を十分に踏まえて書かれていると思われるにもかかわらず、その点についての指摘が何らなされずに、素人的な単なる印象を書き連ねたものとなっているのはとても不思議です(「馬」の字は、元々その姿を象ったものであり、それにどのような工夫を加えて青山杉雨は「駿馬」に仕立て上げたかについて、専門家なら具体的に分析して欲しいと思います)。

(注7)展覧会の会場には、8分間のVTRが繰り返し上映されているコーナーが設けられていたり、青山杉雨の書斎が再現されたりしていますが、そしてそれらは青山杉雨の人となりを理解する上でなかなか興味深いものの、肝心の作品自体をもっと具体的に理解させるような工夫をもう少ししてもらえたらなと思うところです。



ハーフ・デイズ

2012年08月14日 | 洋画(12年)
 『ハーフ・デイズ』を渋谷のシアターNで見てきました。

(1)物語の舞台は、ニューヨークのマンハッタンとブルックリンとを結ぶブルックリン橋から始まります(注1)。時点は7月4日(アメリカ独立記念日)。
 二人の間にできた子どもを産むか生まないかで迷っていたボビージョゼフ・ゴードン=レヴィット)とケイトリン・コリンズ)は、じゃあコイン投げで決めようとコインを投げ上げて、その結果を見て反対方向に走り出します(注2)。



 ブルックリン側に走ったボビーは、橋のたもとに止っていた車に乗りますが、その車を運転するのはケイトなのです。
 他方、ケイトはマンハッタン側に走り、橋のたもとでタクシーに乗るところ、そのタクシーには既にボビーが乗り込んでいます。
 どうやらこの映画は、同じ時点で同じ人物が、パラレルな世界で動き回る姿を描き出すようなのです。
 ブルックリン側の世界はGreen Versionとされ、専らケイトの両親で開催されるパーティーの模様が描かれます。
 他方、マンハッタン側の世界はYellow Versionとされ、タクシーの中に置き忘れてあった携帯電話を巡るサスペンスが描かれます。
 前者では、ケイトの悩みやその家族のそれぞれの悩みなどが語られ、後者では携帯電話の持ち主から金を奪い取る計画が持ち上がり、いったいラストはどのようにつじつまが合うのだろうと見る者を興奮させていきます。

 『50/50 フィフティ・フィフティ』や『インセプション』、『(500)日のサマー』でおなじみのジョゼフ・ゴードン=レヴィットが主演で、このところの好調ぶりをこの作品でも発揮しています。



 また、相手役のリン・コリンズも、初めて見た女優ながらすこぶる魅力的です。



 さらに、ケイトの家族はラテン系の感じで(注3)、またボビーとケイトは黒澤映画の掛かっている映画館に入り、さらには、ボビーたちが奪い取ろうとする大金を東洋系の銀行の貸金庫に入れようと目論んだりするところなど、随分と多様な要素を取り込もうとしている作品なのも注目されます(注4)。

 ですが、『ミスター・ノーバディ』などで描かれたパラレルワールドが取り扱われているところ、やはり問題があるのではと思えてきます。実のところ、この映画のように、パラレルワールドを並行的に見ることのできる視点などあり得ず、また人が一方から他方へ出入りできることもあり得ないはずだからです(それぞれの世界で活動する者たちにとっては、その世界が唯一のものであるはずです)。

 先々週見た『スープ』では、死ぬ前の過去の記憶を持ったまま新しい人間として生まれ変わるという主人公のお話ですが、それがどうも余り説得的ではないのと同じように、パラレルワールドでの記憶を持ってボビーとケイトが最後に合体するかのように描かれているものの、それはやはり説得的ではありません(注5)。

 まあ、ここでは、ボビーがコインを投げ上げた瞬間に、コインの行方を見ていた二人は睡眠状態に陥って、その際にそれぞれが見た夢が本作ではYellow VersionとGreen Versionという具合に描き出されているにすぎないとみてはどうかな、という気がします。ですから、それぞれが夢から覚めても、当初の問題の解決は何も見い出されてはいないのではないでしょうか?

(2)ところで、これまで「デイ(day)」をタイトルにする映画としては、『5デイズ』『4デイズ』『スリーデイズ』から『ワン・デイ』まで、果ては本作の『ハーフ・デイズ』までも見たところ、残るは『2デイズ』と思ってネットで探しましたら、お誂え向きの作品が見当たりました。
 『2 days トゥー・デイズ』!



 1996年のアメリカのクライムコメディで(原題は、2 Days in the Valley)、日本では1998年に劇場公開されました。
 そのDVDが2008年に発売となりTSUTAYAでレンタルされていましたので、早速見てみました。

 まさに、ロサンゼルス市で起きたある殺人事件に係わる殺し屋とか刑事たちの2日間を描く作品で(注6)、一方で、刑事を二人も撃ち殺すなど凶悪な殺人鬼(ジェームズ・スペイダー)が描かれますが、他方で、本作でデビューしたシャーリーズ・セロンが大胆なベッドシーンを演じているシーンから、突然 犬が大嫌いな元殺し屋(ダニー・アイエロ)がスパゲッティ鍋をかき回しているシーンにチェンジするなど、なかなか洒落た感じの映画でもあります。
 ただ、この作品では、それほど“2日間”であることが強調されておらず、3日間でも4日間でもかまわないような雰囲気です(注7)。

 それで、最初に掲げた『5days』以下についても考え直してみると、『5デイズ』から『スリーデイズ』については、それぞれの映画の取り扱っている期間の長さをタイトルが意味しているのに対し、『ワン・デイ』は、映画の主人公たちが最初に出会った日(7月15日)を意味するタイトルであり、他の作品とはカテゴリーが異なるようです。

 さらに本作についてよく考えてみると、邦題の「ハーフ・デイズ」はかなりおかしな感じがします(注8)。劇場用パンフレットの表紙にも大きな活字で「1/2」とされていて、本作はまるで半日が描かれている映画のように思えますが、同パンフレットの「STORY」にあるように「2つの1日(ハーフ・デイズ)が走り出す」わけで(注9)、そうだとしたらむしろ“ダブル(double)”を使うべきなのかもしれません。

 どうやらいま少し、タイトルに「デイ(day)」が付く映画(そしてそれが取り扱う期間を表している作品)を探索してみる必要がありそうです(注10)。





(注1)映画の冒頭から、イースト川に架かるブルックリン橋とマンハッタン橋の二つが交互に映し出されるものですから、てっきりこの二つの橋を巡って物語が展開されるのでは、と思っていたところ、結局はブルックリン橋だけに話になってしまいます。

(注2)裏表のどちらが出たらどっちに誰が走り出すのかをも決めずに、いきなりコインを放り上げているように見えるのですが。

(注3)劇場用パンフレットに掲載の「スコット・マクギーとデヴィット・シーゲル監督へのQ&A」によれば、「ケイトの家族はアルゼンチン人という設定にしようとしていた」とあります。

(注4)ボビーがインターネットを使える店に入ったところ、「グリーンカード」の提示が要求され、ボビーもすぐにそれを出していましたから、あるいはボビーは外国生まれの設定となっているのかもしれません。

(注5)Green Versionのボビーは、携帯電話の持ち主ディミトリに、すでに住所等を知られていて、いくらその携帯電話をブルックリン橋から下のイースト川を航行する砂利運搬船の中に放り投げようとも、早晩探し出されてしまうでしょう。

(注6)あらすじはこちらで。

(注7)例えば、『4デイズ』の場合、「4日後に、仕掛けた核爆弾が爆発する」という脅迫のVTRが送りつけられます。

(注8)英語のタイトルは“Uncertainty”。ただ、これはこれでまたよく分からないタイトルだなという感じがするところです。

(注9)手元の英和辞典でhalf-dayを引くと half-holidayとあり、後者は「半休日、半ドン」のことですから、この括弧の中にある「ハーフ・デイズ」がいったい何を意味しているのかよく分かりません(いったい何の「1/2」なのでしょうか?なぜ「デイズ」と複数形になっているのでしょうか?)。

(注10)1日だけの出来事を描く映画は沢山あり、タイトルに「ワンデイ(1day)」が付いている作品もかなりあるでしょうが、見た映画の中では思いつきません〔『LIFE IN A DAY』(2011年)などがあるところ、未見です〕。



★★★☆☆




ヘルタースケルター

2012年08月09日 | 邦画(12年)
 『ヘルタースケルター』を渋谷シネマライズで見ました。

(1)本作は、映画以前のところで随分と話題性を持ってしまっていて、だからそんなものに巻き込まれるのは御免だという考えもある一方で、耳にしてしまった以上、拒絶反応を示せばそれだけで騒ぎの一翼を担っていることにもなりかねず、であれば見なきゃ損という考えもあり得るでしょう。
 クマネズミは後者のように考え、先週取り上げた『フェルメール展』に出向いたときと同じノリで、むしろ早目に見ようと思って映画館に繰り出した次第です(ブログにアップするのは、クマネズミの怠慢でかくも遅れてしまいましたが)。
 そして、帰宅時間が余り遅くならないようシネクインズの方が都合がいいかなと思って、平日の夕方の回の1時間くらい前に同館に行ってみたところ、なんと既に満席状態。
 仕方なく、向かいのシネマライズでチケットを購入。少し遅い時間なので前の方は空いているだろうと思っていたところ、定刻10分前の入場と同時に全席が埋まっていました。
 マスコミであれこれと騒がれた沢尻エリカの出演する映画ということでの盛り上がりと思いますが、それにしても驚きました(公開されて既に1ヵ月近くなりますが、映画館の状況はどんなものでしょうか)。

 本作のストーリーは、いたって他愛もないものです。超売れっ子のモデル・りりこ沢尻エリカ)は、実は体のいたるところに整形が施されていて(注1)、メンテに気をつけないと大変な事態となります。
 にもかかわらず、忙しさにかまけて放っておいたら、顔などに痣が現れてくるまでに。
 一応はメイクでごまかせますが、定期的な手入れは必須となります。
 一方で、時間の経過とともに、別の若いモデル・吉川こずえ水原希子)が売れてきて、周囲のりりこに対する扱いも変わってきます。
 対応して、りりこの精神状態も次第に不安定なものに。
 それを紛らすために薬に手を出すと、生出演中のTV番組で大失態を演じてしまいます。
 さてこの先どんなことになるのやら、……?

 本作は、こうしたストーリーを中心に、りりこのマネージャー・羽田寺島しのぶ)とかエージェントの社長(桃井かおり)、検事の麻田大森南朋)などが絡んできますが、監督の蜷川実花が、前作『さくらん』(2007年)同様に、極彩色の極めて独特の映像で全編を描き出しています。
 絶頂期のりりこの映像も素晴らしいですし、またラストの方で、倒れたりりこに赤い羽毛が降り注ぐ映像なども随分と綺麗で見ごたえがあります。
 映画の話題性を離れても、そしてストーリー自体はありきたりでそれほど新味がないとしても(登場人物の誰も彼も、予測を超えた動きを余りしませんから)、映像自体は一見の価値があるのではと思ったところです。

 主演の沢尻エリカは、『バッチギ!』とか『手紙』での印象が強烈でしたが、その際の置物的な感じを脱皮し、本作では女優として力一杯の演技をしています。



 また本作は、沢尻エリカ一人に注目が集まってしまうところ、脇役陣も皆そのところを得て、説得力のある演技を披露しています。
 なかでも、メイクアップ・アーティストの錦ちゃんを演じた新井浩文は、『ヤクザガール』についてのエントリでも触れましたが、本作では初めての「おかま」役にもかかわらず、随分と様になっていて、演技の幅の広さを伺わせます(注2)。



 また、吉川こずえ役の水原希子は、『ノルウェイの森』以来ながら、まさにうってつけの役柄でした。



 ただ、最近では『ポテチ』で見た大森南朋の麻田検事には、やや問題があるのではないでしょうか?
 本作の狂言回し的な役柄であるにもかかわらず、登場しても役柄の説明がなく、TVドラマでよくみかける取調室とは違った事務室でこれも役柄が判然としない女性(鈴木杏)を相手に、ボソボソと酷く抽象的なことを早口で喋るために(ことさら内容のある話ではないため、お経のように聞き流していればいいのでしょうが)、原作を知らないと見る側は戸惑ってしまうのではないかと思いました。

(2)本作については、様々の評論家がいろいろな角度から論評を書いているところ、雑誌『ユリイカ特集=蜷川実花映画『ヘルタースケルター』の世界』(2012年7月号)に掲載された美術評論家・椹木野衣氏のエッセイ「下剋上(ヘルタースケルター)―岡崎京子と蜷川実花をめぐる、二つの「ヘルタースケルター」と五人の女優」が、大変おもしろい指摘をしています(注3)。
 すなわち、沢尻エリカは、「「りりこ」であると同時にシャロン・テートであるのはもちろん、あの若草いずみでもあり、さらには上原さくらでもあ」り、「沢尻エリカそのものが、かってのシャロン・テートであり、未来の若草いずみであり、今日の上原さくらでもあ」って、「概念としての「りりこ」は、これらの五人の女優を時制を解体して整形的に統合することで作られた、メタ的で人造=人形的な存在(シャロン・テート=若草いずみ=上原さくら=りりこ=沢尻エリカ)にほかならない」と(同誌P.88)。

 このうちのシャロン・テートに関しては、彼女の惨殺事件に関与したマンソンがビートルズの「ヘルタースケルター」を崇めていた(注4)、という繋がりで持ち出されており、あまりピンときませんが(注5)、若草いずみと上原さくらは、楳図かずお氏の漫画『洗礼』の登場人物であり、本作との関連性の指摘には興味をひかれます。
 そこで早速、小学館文庫に入っている同漫画を読んでみました(なお、同漫画を原作とする映画が製作されていますが、DVD化されておらず見ることはできませんでした)。
 粗筋はこの記事に任せるとして、なるほど「一世を風靡した往年の大スター」の「若草いずみ」は、「子役時代からの厚化粧や強いスポットを浴び続けた結果、やがて肌に醜い痣や斑点が浮かび上がるようになり、そのことで精神の安定を欠き、ついには芸能界から姿を消してしまう」のですから(P.86)、本作の「りりこ」に瓜二つと言えるでしょう(注6)。

 ただ、そこまで言うとしたら、「女の子を出産していた若草いずみは、子供の頭蓋が成長するのを待って、この子の脳に自分の脳を移植し、若い身体を得てもう一度、女優としての復活を果たすことを狙う」のですから(P.86)、あるいは「若草いずみ」はエージェントの社長に(注7)、そして「りりこ」は「上原さくら」に繋がるといえるかもしれません(注8)。

 そうした関係を探していくと、いうまでもなく本作の「りりこ」と沢尻エリカの繋がりは明らかでしょうが(注9)、さらにまた蜷川監督自身についても関連性を追えるのではないかとも思われます。
 例えば、上記の雑誌『ユリイカ特集=蜷川実花映画『ヘルタースケルター』の世界』に掲載されているアーティスト・村上隆氏との対談「美しき闘争―東京/芸術/批評」の中で、蜷川氏は、「うちには妹がいて、妹がすっごく可愛かったんですよ。/私、自分の容姿に対するコンプレックスがむちゃくちゃあるんですよね」などと語っていますが、そんなところは、「りりこ」の妹・比留駒ちかこ住吉真理子)に繋がってもくるのではないでしょうか(注10)?

 映画を見てその豪華絢爛たる映像に暫し酔いしれた後は、例えばこんなことを考えてみるのもまた一興かもしれません。

(3)渡まち子氏は、「それにしても沢尻エリカの体当たり演技ときたら、あきれるほどすがすがしい」、「良くも悪くもドギついこんな物語は、落としどころが難しい。このオチには少々甘さを感じるが、一瞬の美を切り取って、それをバベルの塔のように積み上げる蜷川実花監督の美学と見た」として65点をつけています。



(注1)「このこはねえ もとのままのもんは骨と目ん玉と爪と髪と耳とアソコぐらいなもんでね、あとは全部つくりもんなのさ」と、エージェントの社長がメイクアップ・アーティストのキンちゃんに言います〔原作漫画(祥伝社)P.33〕。
 なお、「整形」という言葉遣いについては混乱があるようで、Wikipediaによれば、「「整形」という言葉から誤解を受けがちであるが、整形外科は美容外科とまったく異なる診療科」であり、また同分野の施術について、「一般には整形手術、美容形成手術、美容整形手術などと言われることが多いが、これは法律的な根拠のない俗称であり、正しくは美容外科手術と呼ぶべきもの」とあります(上記のエージェント社長の話の中にも、「りりこのアザは整形手術の後遺症なんだよ」とあります!)。

(注2)劇場用パンフレットのインタビュー記事の中で新井浩文が「ほげる」と言っているので、何のことかとWikipediaで調べたら、「オネエ言葉を喋ること。またはオネエ系の言動をすること」とあります。

(注3)同趣旨の考察は、椹木氏の『新版 平坦な戦場でぼくらが生き延びること 岡崎京子論』(イースト・プレス、2012.7)の「新版へのまえがき」にも見い出されます。

(注4)椹木氏のエッセイによれば、マンソンらは、「自分たちの旅路のことを「マジカル・ミステリー・ツアー」と呼び、ビートルズ・ナンバーの歌詞を独自に読み替えて解釈し、そこには秘密の指示が書き込まれていると主張した。なかでも、もっとも重要な託宣の曲とされたのが、ほかでもない「ヘルタースケルター」だった」(同誌P.84)。

(注5)尤も椹木氏は、「当時、ハリウッドの“シンデレラ”であったシャロン・テート」の話と、「田舎から出てきた醜い容貌を持つ「りりこ」が、違法の全身整形によって絶世の美女となる」“シンデレラ”物語、それに沢尻エリカとを繋げているところですが〔この場合、ただの“シンデレラ”ではなく、死の影をも帯びているところから、椹木氏は「ドレラ」(トラキュラとシンデレラとを合わせた造語で、アンディ・ウォーホルについてこう言われたそうです)という言葉を使っています〕。

(注6)さらに椹木氏は、こうした表層的なところもさることながら、シャロン・テートがハリウッドの“シンデレラ”から殺人事件の被害者となる「ヘルター(上がったり)スケルター(下がったり)」(=「下剋上」)が、「りりこ」が超売れっ子モデルから真っ逆さまに落ちる姿と類似している構造的な点を捉えてもいます。

(注7)りりこの顔は、社長の若いころにそっくりだと言われます〔原作漫画(祥伝社)のP.146には、「“そう つまり りりこはママの反復 もしくはレプリカントだったのである”」とあります〕。

(注8)ただし、漫画『洗礼』のラストになると、「上原さくら」は、母親である「若草いずみ」から脳の移植を受けてはおらず、手術を担当した外科医をはじめとしてすべて彼女の想像の産物であるとされ、また脳を取り出されて死んだはずの母親も生き返ることになります。
 これでは、りりこに美容整形手術を施した「麻布プラチナクリニック」院長の和智原田美枝子)が逮捕・起訴される本作とはかなり違っていますが、ラストシーンにおけるりりこの豪奢な姿を見ると、これまでの出来事はすべて夢物語、りりこの想像の産物だったのではないか、とも思えてくるところです。

(注9)例えば、雑誌『ユリイカ特集=蜷川実花映画『ヘルタースケルター』の世界』に掲載されている蜷川監督のインタビュー記事「Blossoming of NinaMika」において、同氏は、「彼女(沢尻エリカ)がりりこを人間にしたんだと思いますね。やっぱりエリカがやるからリアリティがあったし、たぶん彼女しか見えていない景色っていっぱいあると思うんですよ。……それはやっぱり、彼女があの役をやる時に必要なことだった気がするんですよね」などと語っています(P.114)。

(注10)また、週刊誌『AERA』7月23日号掲載のインタビュー記事において、蜷川氏は、「りりこが消費されていくことを象徴するシーンを編集していたとき、気づいたんですね。「私もカメラマンとして、削り取っていく側、消費する側だ」と。……「なんだ、そっち側じゃん」と思った瞬間、グラつきました。自分が一生懸命掘った穴に落ちてしまったような感覚になって」と述べています。
 さらに、『週刊文春』7月19日号掲載の「阿川佐和子のこの人に会いたい」において、蜷川氏が「私が本格的に写真を始めた頃、母もキルトを始めたんですけど、あまりに同じような色味なんで、あっ、血ってあるんだなって、それはほんとにビックリしたんです」と語っているところからすると、蜷川氏の母親がもしかすると「若草いずみ」に繋がってくるのかもしれません。




★★★★☆




象のロケット:ヘルタースケルター

屋根裏部屋のマリアたち

2012年08月07日 | 洋画(12年)
 『屋根裏部屋のマリアたち』を渋谷のル・シネマで見ました。

(1)物語の舞台は、1962年のパリとされます(注1)。
 主人公のジュベールファブリス・ルキーニ)は、証券会社を営む中年男性で、先祖から伝えられているアパルトマンで暮らしています。



 先代の奥方から働いているメイドは、今の奥方シュザンヌサンドリーヌ・キベルラン)の言うことに反発して辞めてしまったため、新しいメイドが雇われることに。
 その際の重要な条件は、ジュベールの朝食に出す茹で卵の茹で時間を3分半とすること(「正い固さでないと我慢ならない」と主張します)。
 そんな条件に、たまたまスペインからやってきたマリアナタリア・ベルベケ)が合格。



 まだ若くて美しく、仕事をてきぱきと片づけるマリアに、ジュベールは次第次第にいい感じを持つようになってきます。
 彼女は、同じアパルトマンの屋根裏部屋(最上階の6階←日本的には7階)に、他の家で働くスペイン人メイド達5人と一緒に暮らします。その中には、共産主義者のメイドも入っていますが(注2)、彼女達は、当時まだスペインを支配していたフランコの独裁政権(~1975年)を嫌ってフランスに移り住んでいた模様です(注3)。



 さて、ジュベールは、誤解がもとで妻に家を追い出され(注4)、メイドらが暮らす屋根裏部屋の一つで暮らすことになります(注5)。
 そんな中でマリアは身の上話をしますが(注6)、彼女を憎からず思っていたジュベールは、ある夜ベッドをともにし、ここを離れてスペインに近いところで一緒に暮らそうと約束を取り交わします。さて、その約束はうまく守られるでしょうか、そして、……。

 夏目漱石の時代ならいざしらず(『坊ちゃん』に登場する下女キヨ!)、今では海外生活でも送らなければ、家にメイドを置くといった経験はおいそれとできませんが(クマネズミは、ブラジルにいたときにブラジル人のメイドを使っていました)、この映画に登場するメイドたちとなら愉快に過ごせそうだなと思わせるものがあり、全体としてまずまずの仕上がりの楽しい作品です。

 本作に出演している俳優については、『しあわせの雨傘』でカトリーヌ・ドヌーブの相手役を演じたファブリス・ルキーニくらいしか知りませんが、マリア役を演じるナタリア・ベルベケをはじめとしてなかなか芸達者な俳優ばかりで映画を盛り上げています。

(2)メイドを使う暮らしといえば、先に見た『ヘルプ』を思い出すところ(注7)、そして、本作でもフランス人の奥様族はスペイン人を田舎者と下に見下している感じながら(注8)、むろん『ヘルプ』ほどの激しい人種差別は見られず(注9)、むしろ彼らの間に入って人間性を取り戻すジュベールの姿には、随分と微笑ましいものを感じます。

 といって、ジュベールは、証券会社という現代資本主義の最先端の一つを突っ走る企業を営んでいるにもかかわらず、それほど人間性が失なわれた仕事をしているようにも見受けません(注10)。
 また、奥方との関係がそれほど冷たくなっているわけでもなさそうにも見えます(注11)。
 なんとなく、奥方が誤解した点を解かなかったら家を追い出された感じで、またなんとなく証券業の経営を投げ出して、マリアと一緒の生活をしようという感じになったようにしか見えません(注12)。

 そんなぼんやりしたところが、この映画の良さでもあり、また欠点でもあるといえるのではないでしょうか?

(3)渡まち子氏は、「恋愛至上主義のフランスならではの大人のラブストーリー」として60点をつけています。



(注1)冒頭で、主人公のジュベールは、朝起きると、ドゴール大統領(1958年~1969年)の動静を伝えるラジオ放送を聴いています。

(注2)彼女(自分の両親はフランコ派に殺されたと言います)は階級意識が強く、資本家階級の所属するジュベールが6階に移り住むことに反対したりします。

(注3)マリアの話では、生まれた村を16歳で出て、1日15時間労働もしたとのこと。当時のスペインはかなり貧しかったようです。

(注4)奥方は、夫ジュベールとその顧客の未亡人との浮気を強く疑い、彼の方も、なぜかその疑いを積極的に解こうとはしないために(面倒くさくなったのでしょうか)。

(注5)屋根裏部屋に住むことになって、ジュベールは、一人暮らしの自由を満喫します。彼の言によれば、寄宿舎→兵役→結婚と、いつも誰かと一緒の生活ばかりだったとのこと。

(注6)マリアは、8歳になる息子がいる未婚の母なのです。そして、その息子は養子に出して、今どこにいるのか分からないとも。

(注7)『ヘルプ』では、子供の養育を黒人メイドに任せっ切りの様子が描かれていたところ、本作においてもそのようで、寄宿舎から戻ったジュベールの2人の息子は、自分たちを育ててくれたメイドが辞めたことを知ると酷く残念がります(『ヘルプ』でも、主人公のスキーターは、自分を育ててくれたメイドのコンスタンティンを解雇したことについて、母親を非難します)。

(注8)『ヘルプ』でも南部の金持階級の奥様族がトランプをする場面が描かれていましたが、本作でも、パリのブルジョワ階級のマダムたちが、トランプをしながら、「メイドに雇うなら、フランス人は駄目で、文句を言わないスペイン人がいい。スペイン教会が紹介所になっている」などといった情報交換をします。

(注9)メイドは、いくら重い荷物を持っていようとも、エレベータを使えず、最上階まで階段を登って行かなくてはなりませんが(『ヘルプ』でも、メイド用のトイレを別に設けることが問題となります)。

(注10)リーマンショックを経た今日からすれば、たとえどんなアコギなことを当時の証券マンがしていたにしても、児戯に等しいようにしか見えないのかもしれません!
 むしろ、本作において、例えばジュベールが、貯めたお金を箱に入れて仕舞っていると言うメイド達に向かって、株式運用の有利なことを説くのは、まさに彼の善意からのアドバイスにしか思えません(マア、彼の会社は、長期運用を専らにしていて、投機的な運用はしていないということですから、比較的安全ではあるのでしょうが)。

(注11)ジュベールと奥方とはセックスレスの関係だったようですが、ジュベールが偶然マリアの裸体を見て発奮してコトに及ぼうとしたところ、奥方の方もまんざらではないように見受けました。
 なお、奥方の方こそ、夫はパリジェンヌが好きで、田舎出の自分のことはあまり好みでないのでは、などと言ったりしています。

(注12)マリアとの約束を鵜呑みにして、ジュベールは、証券会社の社長の地位を番頭に譲り渡してしまします。荷物をトランクに詰めて彼はマリアの部屋に向かいますが、彼女はスペインに帰国していてもぬけの殻。というのも、その直前に、彼女の息子がいる場所が分かり、その息子に会いに彼女は帰国してしまうのです。




★★★☆☆




象のロケット:屋根裏部屋のマリアたち

スープ

2012年08月04日 | 邦画(12年)
 『スープ~生まれ変わりの物語~』をシネマート新宿で見ました。

(1)評判がいいと聞きながら放っておいたら、今週で上映終了とのことで、慌てて見に行った次第です。

 映画の冒頭では、教会の祭壇の前にウエディングドレスを着た女性が後ろ向きで立っている姿が映し出されますが、すぐに場面が切り替わって、主人公の渋谷生瀬勝久)と娘・美加刈谷友衣子)のシーンとなります。
 この父娘はうまくいっておらず(注1)、原因は、妻に逃げられた駄目な人間と娘・美加が父親を見ているからのようです。
 渋谷は、デザイン関係の仕事をしているところ、会社でも、娘のことが気になって仕事が手に付かず、社長から厳しく叱責されています。
 その挙げ句、自分が取ってきた仕事にもかかわらず、社長の命令で、上司の綾瀬小西真奈美)と一緒に出張する破目に。
 出張の際も、綾瀬からさんざん嫌みを言われるのですが、交差点の信号待ちをしていたときに、突然雷のような電光に打たれ、気がついたときは綾瀬共々「あの世」にいる自分に気がつきます。
 この「あの世」は、完全な死後の世界である「来世」と「現世」との中間地点とも言えるところで、ただ、いつ「来世」に行くのかは分かっておらず、逆に再度もとの「現世」に戻る方法もあるようです。
 ですが、「現世」に戻るためには、その瀬戸際の場所で出される「スープ」を飲んで、「現世」の記憶をすべて消し去らなければならないとされています。
 綾瀬は「現世」に忌まわしい思い出があって、「スープ」を飲んで「現世」に戻ってもいいと考えますが、他方の渋谷は、娘のことが忘れられませんから、「現世」に戻りたいものの「スープ」は飲めません。
 ところが、うまくやれば、「スープ」を飲まずとも「現世」に戻れる方法があることが分かります。
 渋谷はその方法を使って「現世」に戻りますが、さあ、うまく娘と再会できるのでしょうか、……?

 映画は、渋谷が「現世」の戻ろうとするところまでの前半と、16年後の「現世」の有様が描かれる後半とに分かれてしまうものの、一貫して流れているのは、父親の渋谷が娘の美加を思う気持ちの強さです。
 前半がややダレ気味ながら、映画の盛り上がりに向かって、まずまずうまく作られているなと思いました。
 問題点もあると思いますが(注2)、クライマックスのシーンを見て、謝りたくても謝ることができない遠くに行ってしまった人が身近にいる場合には特に、そんなつまらないことはどうでもよくなって、感動してしまいます。

 主演の生瀬勝久は、『劇場版TRICK』などで見受ける極度のハチャメチャぶりはすっかり影をひそめ、娘を思う父親の役柄を実に巧みにこなしていて、演技の幅の広いところがうかがえます。
 また、綾瀬役の小西真奈美も、『のんちゃんのり弁』や『行きずりの街』、『東京公園』に出演しているのを見ましたが、部下の渋谷を悪しざまに言う一方で、次第に渋谷に惹かれて行くというなかなか難しい役柄を持ち前の演技力でよく演じていると思いました。




(2)娘を思う父親の気持ちを描き出すという映画全体の意味合いからすれば、16年後の「現世」の有様が描かれる後半に力点があるのでしょう。
 ですが、見ている者としては、やや単調さを感じるものの、やはり「あの世」の様子が描かれる前半に興味が湧いてしまいます。
 なにしろ、谷村美月堀部圭亮が、突然「あの世」に投げ込まれた人たちに対して「あの世」の状況をもっともらしく説明し(ですが何の確たる情報もありません)、次いで渋谷と綾瀬が「あの世」の中に入って行くと、取引先の社長でこの間亡くなったばかりの石田松方弘樹)に遭遇、彼の案内で酒を飲んだりディスコで踊ったりと、随分と楽しい時間を過ごしたりするのですから。

 こんなことから思いだされるのは、最近のものでは(注3)、『大木家のたのしい旅行』。同作では、新婚の2人が「地獄」巡りをするところ、そこはツアーで行っても十分に楽しめる場所として描かれているのです。

 他方で、『ヒアアフター』とか『ツリー・オブ・ライフ』でも死後の世界が描かれてはいるものの、これらの作品とはだいぶ雰囲気が異なる感じです。
 といっても、こんなことから日本人と西洋人の死生観の違いなどを論じても、お門違いも甚だしいでしょう。

(3)渡まち子氏は、「意外なほどの豪華キャストでおくる、ちょっぴり不思議な、でもとびきりハートウォーミングなヒューマン・ドラマからは、今を大切に、とのメッセージが伝わってくる」として65点をつけています。




(注1)美加は、せっかく父親が作ってくれた弁当の中身を、登校途中で捨ててしまいますし、誕生日の朝も、今夜一緒に食事をしようという父親に対して、友達と予定があると冷たく言い放ちます。

(注2)たとえば、
イ)渋谷の娘・美加は、渋谷が死んだあと、別の男と再婚している母親の下に引き取られ、一緒に暮らしていくうちに、父親に問題があるのではなく、不倫をしていた母親に問題があるとわかります。それで、美加は、父親の墓にお参りをする一方で、母親に辛く当たるようになります。



 ですが、夫婦間の対立などというものは、どちらかに一方的な問題があるわけではなく、お互い様というのが一般的ではないでしょうか(母親は、「大人の事情」といって詳しくは話しませんが、言い分は必ずやあるに違いありません)?
 それに、渋谷とその妻との間に離婚が成立していたとしたら、娘の面倒をどちらが見るのか、ということについても話がついているはずではないでしょうか?その際、母親が自分を引き取ってくれないとしたら、娘はまず母親を恨みに思うのではないでしょうか(娘は、自分が嫌っている父親の元に残されたというわけですから)?
 そんなところから、渋谷とその娘との間がうまくいっていないという設定には、なんだか違和感を持ってしまうのですが。

ロ)渋谷は、「あの世」から「現世」に生まれ変わって、16年後に高校生・三上野村周平)になっているわけですが、前回の「現世」で得た記憶はいつ頃から三上に発現していたのでしょうか?
 映画で高校生の三上は、クラスメートの広瀬アリス)が、「あの世」で出会った石田(松方弘樹)であることが突然わかり、また唐突に、自分が昔住んでいた場所を探しまわり、ついには、娘の結婚式場を探し当てるのです(映画の冒頭は、そこにつながります)!



 でも、前回の「現世」の記憶が生まれたときから保持されているのであれば、それまでにも、瞳が石田だと気づく機会はいくらでもあったはずでしょうし、元の家の周辺をすでに何度も探し回っていたはずではないでしょうか〔高校生の三上は、自分の記憶(16年間の)と渋谷の記憶(50年間の)の二つを持っているはずですから(ということは、通常人の2倍の脳の容量?)〕?

(注3)以前のものでは、例えば、是枝監督の『ワンダフルライフ』(1999年)など。



★★★☆☆



象のロケット:スープ

フェルメール展

2012年08月01日 | 美術(12年)
 フェルメールに対する世の関心の高まりは、今や最高潮に達しているといえるかもしれません(注1)。

(1)クマネズミも、そうした流れに乗り遅れまいと、東京都美術館で開催されている「マウリッツハイス美術館展」(~9月17日)に行ってきました。
 勿論、お目当てはフェルメールの「真珠の耳飾りの少女」です。
 出かけたのが土曜日の午後だったものの、チケット売り場や入口で並ぶこともなく、簡単に中に入れましたので、今日はツイテいるな(あるいは、真夏の暑い盛りに美術館に行こうという物好きも少ないのかな)と思ったところ、「真珠の耳飾りの少女」が置いてある部屋の入口から中を覗くと、やっぱり黒山の人だかり。
 これじゃあ何時間も待たなくては絵を見ることが出来ないのではと悲観しましたが、入口で、「最前列で絵を見たい方は、左側の列にお並びください。30分ほどで見ることができます」と案内係の女性が言っています。
 それなら、最前列でなければどうかと目を凝らすと、絵の前に10人ほどの人がいるだけ。
 どうやら、最前列で見たい人に対しては規制がなされている一方で、そうでない人は自由のようなのです。
 クマネズミは、別に2列目、3列目でも、絵を見さえすれば十分と思っているので、喜びいさんで部屋の中に入りました。
 すると、目的の「真珠の耳飾りの少女」の前には1列分空けてロープが張ってあり、ずっと並んで待っていた人がロープの前を次々と足早に通り過ぎていくではありませんか。案内係が、「お待の方が大勢いますので、立ち止まらないでください」と規制していて、なんのことはない、20~30分待った挙句に、チラッと絵を見ただけでその場を通り過ぎなくてはならないのです。
 他方、そのロープの外に立つ我々は、前に人が次々に入るものの、立ち止まらずにどんどん流れて行くので、そんな人たちの間からでも、じっくりとその絵を見ることができるというわけです。
 おまけに、大部分の人は列に並ぶ方を選択し、ロープの外から見ようとする人の数はごく少なく、結果として、自分がいたいだけそこにいて絵を見ることができるのです。
 見たい絵の前で立ち止まってよく鑑賞しようというのは、至極当たり前の行動です。いくら大勢のお客さんがいるからといっても、それができない、またそれができなくてもかまわないというのは、何か非常におかしな感じがします。そのくらいならば、最近の進んだ技術で作られている画集で絵を見る方が、遥にましなのではないでしょうか。

(2)それはともかく、お目当ての絵を見てしまったので、時間が予定よりも余ってしまい(注2)、それならついでに、近くの国立西洋美術館で開催されている「ベルリン国立美術館展」(~9月17日)のフェルメールをも見ようと、そちらの方にも足を延ばしました。
 こちらでは、「真珠の首飾り」を見ることができます。



 驚いたことに、東京都美術館では、話題の絵を見るのに30分ほどかかるとされていたのに対し、こちらでは比較的閑散としているのです。同じフェルメールの絵なのに、どうしてこうも人々の関心が異なってしまうのでしょうか?
 あるいは、前者の主催者として朝日新聞社とかフジテレビジョンが掲げられているのに対して、後者の後援のマスコミとしてTBS一社しか挙げられていないためなのかもしれません。
 クマネズミにしてからが、まずはとりあえず「真珠の耳飾りの少女」を見なくては、と思っていたのですが、よく考えてみると、何故そういう気になったのか、自分自身でよくわからないところでもあります。まあ、新聞やTVでよく目にする方、そのPRの仕方の上手な方に関心が行ってしまった、というしかありません(注3)。

(3)それにしても、本年は、フェルメールの絵を随分と見たものです。
 昨年末から本年3月まで渋谷Bunkamuraのザ・ミュージアムで開催されていた「フェルメールからのラブレター展」では、「青衣の女」、「手紙を書く女」、「手紙を書く女と召使い」の3作品を見ました(注4)。

 それから、フェルメールセンター銀座で開催されている「フェルメール光の王国展」(~8月26日)です。
 同展は、「現存する全フェルメール作品を最新のデジタルマスタリング技術によって、彼が描いた当時の色調とテクスチャーを推測して、原寸大で、所蔵美術館と同じ額装を施して一堂に展示する」というもので(注5)、実際にフェルメールの37点の全作品(注)がずらっと壁に掛けられて並んでいる様は、いくらコピーとはいえ、壮観です。

 同展でとりわけ興味深かったのは、館長の福岡伸一氏が英国王立協会で発見したスケッチ画(レーウェンフックの書簡に挟み込まれていました)を紹介するコーナーです。
 福岡氏は、顕微鏡で著名なレーウェンフックと画家のフェルメールとの関係に関して、次のような事実を挙げます(注6)。
・レーウェンフックは、フェルメールと同じ1632年10月にオランダの小都市デルフトに生まれ、4日違いで同じ教会で洗礼を受けたこと。
・レーウェンフックは、フェルメールの死後、彼の遺産管財人となったこと。
・フェルメールの作品「地理学者」と「天文学者」は、レーウェンフックを描いたのではないかとする研究者がいること。



 そのようなことから、福岡氏は、次のような仮説を立てます。
・狭いデルフトの街で、二人の距離は想像以上に親密だったのではないか。
・二人は光学的な興味を共有していたのではないか。

 そして、さらに福岡氏は、ロンドン王立教会に送られたレーウェンフックの書簡に挟み込まれていた顕微鏡観察のスケッチ画に衝撃を受け(注7)、レーウェンフックの初期の書簡には、“自分で上手に描くことはできないので、熟達の画家に依頼した”と記されていることもあって、それらのスケッチ画の作者がフェルメールである可能性を示唆しているのです(注8)。




(4)福岡伸一氏は分子生物学者ですが、他方、哲学者もフェルメールに着目しています。
 昨年末に翻訳の出た、フランスの哲学者ジャン=クレ・マルタンの『フェルメールとスピノザ 〈永遠〉の公式』(杉村昌昭訳、以文社:原書も2011年刊行)では、フェルメールと哲学者のスピノザが出会った可能性(注9)について言及しています(注10)。
 マルタンが取り上げるのは、上記(3)で触れたフェルメールの作品「天文学者」についてです。



すなわち、
・「われわれの手元に残されているスピノザのクロッキーと、この絵の主人公の姿とのあいだには類似点がある。髪型も同じなら鼻も同じで、額も完全に似通っている」(P.78)。
・他方、「「天文学者」と現存しているレーウェンフックの多数の肖像画とのあいだにはまったく類似性がない」(P.83)。
・さて、「フェルメールが使っていた箱に、不完全ながらすでにレンズが取り付けられていたかもしれない」が、その不完全性は、「「少女」におけるおぞましいほどのデフォルメが証明している」(P.84)。
・ところで、「“カメラ・オブスキュラ”と名付けられた一種の“写真箱”」には、「顕微鏡や望遠鏡のレンズとはちがった機能を持つ大きな磨かれたレンズが必要とされた」が、「この仕事を遂行するのに、オランダでは、その細心綿密さで知られたスピノザ以上の適格者はいなかった」(P.83)。
・そこで、「フェルメールがこのゆがみをもたらすレンズを修正するためにスピノザに助けをもとめ、ことのついでに世間でよく知られた社交人レーウェンフックよりも、むしろあまり目立たない人物であったスピノザに敬意を表して作品化したと考えてもおかしくないだろう」(P.84)。
・「こうした一連の経緯から、この二人の人間が協働関係にあったことを想定することができる。一方はその絵(「天文学者」)によって、スピノザの器用さと同時に彼の光学的知性を表現しようとし、他方は、画布の織地のなかで屈折的に反射する光と色彩についての論文(失われた「虹彩の論文」)を構想する」(P.87)。

 スピノザも、レーウェンフックと同じく1632年の生まれ(生地はアムステルダム)で、この3人の間に親密な関係性があったことになれば、また様々興味深い見解も生み出されてくることでしょう。

 松岡正剛氏は、「フェルメールについては、これまでさまざまな議論が絶えず、いまでもその余波が世界に波を送ってい」ると喝破しているところ、まさにそんな状況といえそうです。



(注1)クマネズミも、フェルメールについて「ミーハー」的な関心に従っているだけながら、「ギターを弾く女」という絵があることも少しは与っているでしょう。



(注2)「真珠の耳飾りの少女」の絵のある部屋に行く途中で、同じフェルメールの「ディアナとニンフたち」に遭遇しました。この絵は、2008年に、同じ東京都美術館で開催された「フェルメール展 光の天才画家とデルフトの巨匠たち」でも見たことがあります(その際には7点の作品が展示されました)。

(注3)あるいは、「真珠の耳飾りの少女」を題材にして作られた映画『真珠の耳飾りの少女』(2003年)のせいでしょうか。何しろ、スカーレット・ヨハンセンが出演しているのですから。

(注4)ただ、同じ美術館で昨年中ごろに開催された「フェルメール≪地理学者≫とオランダ・フランドル絵画展」は、残念ながら見逃してしまいました。
 でも、今年だけで、クマネズミは都合6点ものフェルメール作品を見たことになります。
 なにも、フェルメールの全作品を見てみようなどとは思ってはおりませんが、Wikipediaの該当記事このサイトの記事などを参考にしますと、これまでクマネズミは13点ほどフェルメールの作品を見たことになります。
 なお、フェルメール研究の第一人者小林頼子氏は、フェルメールの作品として32点を挙げています〔『フェルメール論 神話解体の試み』(八坂書房)〕(小林氏によれば、「注2」で触れた「ディアナとニンフたち」は、真作とは認めがたい作品とのこと)。
 さらに、このサイトの記事によれば、確実にフェルメールの作品とされているのは、37点のうちの26点のようです。

(注5)この展覧会の総合監修にあたっている福岡伸一氏によるもの。

(注6)以下の記述は、3月1日付け朝日新聞のこの記事、及び福岡伸一著『フェルメール 光の王国』(木楽舎、2011.8)の第7章「ある仮説」によります。

(注7)特に、福岡氏は、描かれている昆虫の脚には、「なめらかに変化する光のグラデーションをつなげようとする芸術家の目線があ」り、さらには、その「観察スケッチは1676年の半ば以降、急にそのタッチとトーンに変化が生じている」ことに注目しています(フェルメールは、前年末に亡くなっています)。

(注8)福岡氏は、「私はこのスケッチがフェルメールの手によるものではないかと主張したいわけではない。ただ奇妙な事実についてだけ指摘しておきたいのである」と述べているところです(上記「注6」で触れた『フェルメール 光の王国』P.249)。

(注9)夙に、朝日新聞の2005年1月13日の文化欄において、加藤修氏が、「17世紀オランダの画家フェルメールは、カメラ・オブスクラという装置を使つたのだが、そこに取り付けられていたレンズは、哲学史に残る思想書『エチカ』を著した哲学者スピノザが磨いたものだった」とする初夢を描いているところですが。

(注10)むろん、マルタンは美術史家ではなく哲学者ですから、「永遠を要約する」(P.4)という自分の思想的営みを記述する中でフェルメールとスピノザとの関係を取り上げているに過ぎず、とりわけ以下の諸点については、「われわれの立場はむしろベルクソン的なフィクションの自由によるもので、一見あり得なさそうなことが、確かなことよりもずっと創造的な空間を開くという確信に基づく」と述べているところです(P.73)。