映画的・絵画的・音楽的

映画を見た後にネタバレOKで映画を、展覧会を見たら絵画を、など様々のことについて気楽に話しましょう。

ベンジャミン・バトン

2009年02月25日 | 洋画(09年)
 「ベンジャミン・バトン」を有楽町の丸の内ピカデリーで見ました。

 残念ながらアカデミー賞は獲得できなかったものの、大層優れた映画ではないか、と思いました。

 話は現実にはあり得ない特異な展開をしますが(まさに「際物のおそれがある」でしょう)、逆にそれを十分活かしながら制作されているな、と思いました。
 特に、ブラッド・ピットとケイト・ブランシェットという今をときめく大物俳優が、チョット見には本人と特定できないほどメイクの限りを尽くながら演技しているのには驚きました。ここまで凝ると、実年齢に近い時の演技が一段と冴えるようで、ブラピがサングラス姿でオートバイにまたがるシーンにはほれぼれしてしまいましたし、ケイト・ブランシェットのバレエのシーンの美しさにも素晴らしいものがあります。

 というところから、この作品は、専らこの2人の美しさを引き出すために制作されたのであって、それ以外の点は二次的のような感じを受けてしまう面もあるように思われました。例えば、2人の子供であるキャロラインには、ベンジャミンの日記を読むという重要な役割が与えられてはいるものの、それ以上の存在には描かれてはおりません。

 そこで、「どうせファンタジーなら、赤ん坊に戻ったところで、もう一度人生を普通にやり直せるということにはならないのか」というご意見も出てくるのではないかと思われるところです。

ロルナの祈り

2009年02月22日 | 洋画(09年)
 「ロルナの祈り」を恵比寿ガーデンシネマで見てきました。

 他に見たい映画がいくつかあったにもかかわらずそちらは時間の都合がうまくつかず、仕方なしにこの映画を見たところ、思いがけずその出来の良さに感動してしまいました。

 この映画は、外国人労働者の問題を取り扱っており、それも、主人公達がアルバニア、ベルギー、ドイツ等という具合に縦横に動き回り、グローバル化しているヨーロッパの現状がヨク窺われます(とはいえ、そういった国々が、国籍ということになるとたちまち閉鎖的になるのも興味深いことです!)。

 話は、アルバニアからベルギーに来た女性ロルナが、同国の国籍を取得するために、ブローカーの手引きで、現地の青年と偽装結婚しているところから始まります。ブローカーは、わざわざ麻薬中毒の青年を捜し出してロルナにあてがうところ、それは、うまくロルナが国籍を取得したあかつきには、ヤク中が原因でこの青年が死んだことにして、未亡人となったロルナを他の国籍取得希望者と偽装結婚させようとたくらんでいるからです。
 ですが、ロルナは、次第にこのブローカーの命令通り動こうとはしなくなって、…。

 初めは偽装結婚ですから、ロルナはこの青年を酷く邪険に扱うものの、この青年が自分を頼りにして麻薬中毒から立ち直ろうと必死に努力する様を見て、次第に惹かれていきます。この辺りがこの映画の見せ場といえるでしょう。
 決してハッピーエンドではありませんが、打算的な姿勢を改め愛に生きようとするく主人公の姿には感動しました。

ディスタービア

2009年02月21日 | DVD
 全米でこの作品が公開されたときは3週連続1位となり、前田有一氏も、「確かにこれ、サイコーに面白い」と80点をつけているので、DVDを借りてきたわけです。

 前田氏は、この映画に関しては随分と乗っていて、「この作品のすばらしい所は、深く論理性を追求していないという点」であり、「むしろ観客が突っ込めるよう、あえてご都合主義要素を多数残しているきらいさえある」ところまで喝破していますから、付け加える点など何も残ってはおりません。

 「見終わって、ちょっと後悔した」とする粉川哲夫氏などは、前田氏からすれば、“だから若者向きのスリラーと言っただろう”と非難されてしまうことでしょう!

 とはいえ、私も、粉川氏の口で、「最初は父親と息子がむつまじく釣りをしている穏やかなシーンから始まり、それが突然悲惨な衝突事故のシーンに進むので、こいつはなかなかかなと思」い、その話がラストまでに何とか解明されるもの期待したのですが、その話は最初のシーンだけでオシマイで、チョット肩透かしを食らった感じでした。

マンマ・ミーア!

2009年02月18日 | 洋画(09年)
 「マンマ・ミーア!」を吉祥寺で見ました。

 実に他愛ないお話ながら、音楽が最初から最後まで本当に素晴らしく、久し振りで楽しい時間を過ごすことができました。
 ABBAについては、ちょうど我々がブラジルにいるころ世界的に流行っていたのでしょう、題名は忘れてしまいましたが、彼らに関する映画を現地で見たことがあります。CDも日本から持って行って聞いていましたから、今回の映画を見てとても懐かしい感じがしました。

 それにしても、メリル・ストリープは大した俳優ですし、ソフィ役のアマンダも素晴らしい歌を披露している一方、男優陣は、お馴染みのブロスナンが渋い感じを出しているものの、映画全体の楽しさに十分乗り切れていないのではと思いました。マア流行りの女性優位の映画でしょうから、それはそれでもかまいませんが!

悲夢

2009年02月15日 | 洋画(09年)
 「悲夢」を新宿の武蔵野館で見てきました。

 これは、オダギリジョーが出演するというので、韓流映画はほとんど見ていないにもかかわらず、映画館に足を運んだわけです。
 とはいえ、やはり余り良い印象は持ちませんでした。

 見る前に関心を持ったのは、オダギリジョーがどんな役柄を演じるのかという点です。韓国語に堪能だとは聞いたことがありませんから、それなら日本人役を演じるのかな、と思っていました。
 そうしたところ、見事にこの予想ははずれ、なんと彼は韓国人の役(印章彫刻師)ながら、吹き替えなしにそのまま日本語を話すのです。ソレに対して、韓国人の俳優は皆韓国語で応じます。その部分は字幕が出ますから、日本で見てもストーリーはよく理解できます。
 ですが、これでは会話を描写したことにならないのではないでしょうか?一方の台詞の細かいニュアンスに対応してもう一方の台詞もあるはずで、互いに言いっ放し状態では十分な演技が出来るのかな、と大いに疑問に思いました。

 それに、この作品は、オダギリジョーの夢の中の出来事を、ファッション・デザイナーの女性(イ・ナヨン)が現実のものにしてしまう(夢遊病的に)、という話なのです。それが他人の死に絡むところから、そんな理不尽な殺人を食い止めるためには両者が眠らなければいいということになり、二人はなんとかして覚醒していようと努めます。
 ですが、人間はいくら努力してもいつまでも眠らないでいることは出来ません。そんなことは誰でも知っていることでしょう。にもかかわらず、映画では、この二人がそのことに向けてむなしい努力を払おうとします。そこらあたりから、見ている方はやや馬鹿馬鹿しくなってきます。結局は両者が死ななければ話が決着しないのではないか、と分かってしまいますから!

 勿論、この作品は様々な解釈が可能なように作られていますから、ソウは簡単に批判できないでしょう。ただ、いずれにしても、韓流映画特有のどぎつい設定だな、あまり肌に合わないなと思いました。

 とはいえ、そういったストーリー展開を別にすれば、オダギリジョーは、青年らしさの中に重厚さも要求される役柄をよくこなしていると思いましたし(このところ剽軽な役柄が多かったように思います)、ズット以前行ったことがある仏教寺院(韓国にある数少ない寺院の1つ)に似ている場所でのシーンに懐かしさを覚えたりしました。

ドンファン

2009年02月14日 | DVD
 フランシス・コッポラが製作した「ドンファン」(1995)のDVDを見ました。

 実は、新潮選書の『恋愛哲学者モーツァルト』(岡田暁生著、2008.3)を読んでいましたら、モーツァルト以降に作られたドン・ジョバンニ物語の一つとして同映画が取り上げられていて、それも「メルヘンのように透明な、心優しいドン・ジョバンニの物語」だと述べられていたので見てみたわけです。

 この映画では、主役のドンファンを演じるのが今をときめくジョニー・デップ(当時32歳)であり、さらにマーロン・ブランドやフェイ・ダナウエイといった錚々たる俳優が出演していますが、あまり日本では評判にならなかったのではと思われます。

 ドンファンが1500人以上の女性と恋仲になったという話が、彼の虚言癖に基づく妄想とされていて、精神病院でマーロン・ブランド扮する精神分析医の治療を受けるといった設定になっているからなのかもしれません。
 尤も、マーロン・ブランドの方は、実際にはジョニー・デップの話を信じて、彼が病院を退院する際に一緒に南のエロス島に奥さんのフェイ・ダナウエイと出かけてしまうというオチになるのですが。

三鷹天命反転住宅

2009年02月11日 | 美術(09年)
ブログ「私が知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる」の本年1月18日の記事は、河本英夫氏の『哲学、脳を揺さぶる─オートポイエーシスの練習問題』(日経BP社)を取り上げています。

 同ブログによれば、その本では、著名な前衛画家の荒川修作氏の手になる住宅「天命反転住宅」が紹介されているとのこと。さらに、当該住宅につき、「「すさまじぃークレイジー」という言葉がピッタリ。色も形も、この世のものとは思えない。赤、青、緑、黄の原色が圧し、本来「四角い」はずのドアが円形だったり、そもそも「直方体」である部屋が球体となっている」とあり、「そこで普通に一泊した翌朝、著者は「いつもと違う」筋肉痛に悩まされ」たとも書かれています。

 この住宅のある場所は三鷹。それなら我が家からそう遠くないところ、そんな面白い住宅が近くにあるなら行ってみるに如くはないと思い立ち、ネットで調べたところ、「三鷹天命反転住宅」は、荒川修作+マドリン・ギンズ(詩人)が設計したもので、2005年10月に完成、その建物見学会が2月11日(水)に開催されるとわかりました。
 見学に要する時間は1時間半で、ただ料金が一人1,500円とかなり高いものの、内部を見ることが出来るのであればソレも仕方がないと思い、早速申込みをしたうえで、当日三鷹市大沢(東京天文台の近くで、東八道路に面しています)にある住宅まで出かけてみました。

 集合時間の11時に集まったのは12人くらい、学生か建築事務所に勤務する人たちが多いようです。
 定刻になるまで若干余裕があったので、建物の外観を眺めてみましたが、上記のブログが言うように、まさに奇妙奇天烈な形と色遣いです(これでは、裁判沙汰になった楳図かずお氏の「まことちゃんハウス」も顔色なしでしょう!)。

 11時になると、早速、3階の展示用の住まいに連れていかれ、係員の説明を聞きました。
 それによれば、全体は9戸の住宅からなるマンションで、各戸は3LDKと2LDKのタイプがあって、前者の賃料は月19万円、後者は17万円。現在、1戸は事務所として使っており、残りのうち6戸で人が実際に住んでいるそうです。

 住宅の内部に入ると、中央が一段低くなってキッチンとされています、その周りに球形の部屋(床まで球形ですが、一応書斎だそうです)とか2つの四角い部屋(畳部屋と寝室)やバスルームが取り囲んでいます。さらに、床は傾斜があるだけでなく、デコボコが無数につけられています(足の土踏まずの形に合わせてあるとのこと)。
 ただ、原色が使われていた外観と異なり、内部は、様々な色が使われてはいるものの、不安定な印象を与えるものではなく、むしろ落ち着いた色使いとなっています。

 この住宅を設計した際のコンセプトは、人はすべて死ぬという“天命”をなんとかして“反転”させたい、それには、これまでの常識に反した行動をとらなければならない、そのための基盤として住まう場所を非常識的なものにする、といったことのようです〔何冊も著書を英語で出していて、その訳本が事務所に置いてありましたが、非常に難解な思想だと説明していました〕。

 好奇心を持って覗いてみるくらいならまだしも、とてもそこで暮らす気にはなれません。特に、各部屋がすべて丸見えで(トイレだけは少し隠れていますが)、一人切りになれる場所が無いというのは問題があるかもしれないと思いました。
 とはいえ、現状の自分を離れて違った自分になるためには、マズこのくらいのことは克服しなくてはならないのかもしれません。

レボリューショナリー・ロード

2009年02月08日 | 洋画(09年)
 「レボリューショナリー・ロード 燃え尽きるまで」を丸の内ピカデリーで見ました。

 このところ、「ディパーテッド」、「ブラッド・ダイアモンド」、「ワールド・オブ・ライズ」という具合にディカプリオの出演作品を見続けており、その行きがかり上、この映画も見なければと思った次第です(としても、「タイタニック」とか「アビエーター」といった代表作は見ていないのですが!)。

 ただ、それら3作はいずれもアクション物といえるものの、この作品は、一転して完全なホームドラマとなっています。私としては、嘘臭い雰囲気が濃厚に漂いがちなアクション物よりも、こうしたホームドラマの方が、文芸調といったこともあって、趣味にあっています。とはいえ、ディカプリオという俳優がどちらにより適合しているのかは、なかなか判断し難いところですが。

 さて、夫のディカプリオは、父親が昔勤務したことのある事務機会社に入って、余り面白くもない業務に就いて毎日ダラダラした生活を続けている一方、女優志望の妻のケイト・ウィンスレットも、市民劇団に入って演劇をやるものの評判が芳しくなく、結局家に引っ込んで鬱々とした日を主婦として過ごしています。
 ですが、その家庭は、「Revolutionary Road」とよばれる高級住宅街にある住まいに子供二人と暮らしているという典型的な中流なのです。
 あるとき、突然、妻がパリにいって一から出直しを図ろうと提案し、ディカプリオもその非現実性を十分に分かりながらも賛成してしまいます。
 しかしながら、時を同じくして、ディカプリオの提案が会社の上層部に認められて抜擢されることになるとともに、妻には3人目の子供が宿ってしまいます。この家庭を守るのは自分だとしてディカプリオはパリ行きを撤回しますが、そのときからこの家庭が壊れ始めます。そして…。

 ディカプリオが出演すると、彼が主役のように思われてしまいがちなところ、この映画については、「リトル・チルドレン」で印象的だったケイト・ウィンスレットがなんといっても主役でしょう。そして、満たされない思いをグッと胸に秘めながらの演技は、さすがだなと感動しました。
 ただ、前田有一氏が、「レオナルド・ディカプリオが狼狽する終盤の演技には唸らされた。ケイト・ウィンスレットばかりが褒められているような昨今の風潮だが、ディカプリオこそ、主演男優賞にふさわしい活躍ぶりといえるのではなかろうか」と述べている点は、十分考慮する必要があるのではとも思いました。

 なお、この映画の設定は1950年代とされ、そうだとすると、アメリカの威光が最も輝いていた頃ではないかと考えられ、そういった作品を現下の未曾有の大不況の最中に見るというのも、たいそうな皮肉ではないか、と思えてしまいます。

エレジー

2009年02月01日 | 洋画(09年)
 映画「エレジー」を日比谷のシャンテシネ(館名が「TOHOシネマズ シャンテ」に変わるそうです)で見ました。

 簡単に言えば、文学部の教授が、修士課程の女子学生コエンスラ(ペネロペ・クルス)と恋に陥るというだけのことです。
 ただ、この作品では、「老い」を感じ始めた教授が、前途有望な若い女性に恋愛感情を持った場合に懐くであろう様々な悩みとか喜びがジックリと描き出されており、さらに疎遠にしていた自分の長男とのギクシャクした関係とか、3ヶ月に1度あらわれる中年過ぎのキャリア・ウーマンとのセックスだけの関係なども取り込まれていて、なかなか見ごたえがある映画となっています。

 とはいっても、教授は、一人暮らしで、親類縁者の付き合いは全然なく、どんな女性とどのような関係を持とうが咎めだてをする邪魔者が一切いないという絶好のシチュエーションにあります。実際にはそんなことは滅多にないわけですから、頗る付きのご都合主義といえるでしょう(「いい気なもんさ」と言いたくもなってきます)!

 なお、この作品は、米国の小説家フィリップ・ロスの小説が原作です。読んだことはありませんが、ネットで調べると、原作では、教授が62歳でコンスエラが24歳とされているようで、これに対して、映画では年齢差が30歳とされていましたから、教授の年齢は55歳程度になってしまい、そうだとするとまだ「老い」を云々するには早すぎる感じがします。

 それに、映画では、友人の詩人が脳溢血(?)で倒れて死んでしまうのですが、50代の半ばではヤヤ早すぎる気がしてしまいます。
 ただ、あれほどコンスエラに執着したり、中年過ぎのキャリア・ウーマンと3ヶ月おきに逢ったり、友人と激しいスポーツであるスカッシュをしたりするところから、62歳の設定では一般受けしないと考えたのかもしれません。

 また、映画では、教授が、授業中に黒板にわざとらしく「Roland Barthes」と書いたり、コンスエラにベラスケスの「Las Meninas 」をしたり顔に説明したりするのも、素人の観客にわかりやすいように原作を改変しているのでしょう(大学院の学生に対して、そんなレベルの授業などを行うはずはありませんから)。
 おそらく、かなり特異なで常識的ではない状況が描かれていると想像される原作を、観客に受け入れられやすいようにいろいろな点で改変してしまっているのではないかと思われます。

 とはいえ、そんな差違などどうでもよく、ナンと言っても、「ボルベール<帰郷>」でもその美しさが際立っていたペネロペ・クルスのヌード・シーンをタップリと味わえるのがミソでしょう!