映画的・絵画的・音楽的

映画を見た後にネタバレOKで映画を、展覧会を見たら絵画を、など様々のことについて気楽に話しましょう。

最近の刺青事情(下)

2010年03月02日 | 
 昨日の続きです。

(4)宮下規久朗・神戸大学准教授による『刺青とヌードの美術史―江戸から近代へ』(NHKブックス、2008.4)(注1)の第5章「美術としての刺青」では、日本における刺青の変遷につき、あらまし次のように述べられています(P.170〜)。



 「刺青は、おそらく縄文人にまで遡る呪術的な装身術であった」。『魏志倭人伝』にも記述があり、「『日本書紀』には刑罰として刺青を罪人に施した記事がある」。
 しかし「その後、刺青はずっと記録から消えている。数百年の間、日本人は刺青という風習を忘れており、「刺青絶無時代」であった」。
 刺青は、「17世紀前半の寛永ごろから徐々に復活し、享保5年(1720)、八代将軍の徳川吉宗がこれを刑罰として復活させた」。これ以降、「刑罰(黥刑)のほうは主に「入墨」、そうでないものを「彫物」とよ」ぶようになった。
 「18世紀後半の明和・安永期となると、侠客の間に刺青を誇示することが目立ってき」て、それに重要な役割を果たしたのが歌川国芳らの『水滸伝』の武者絵であり、これこそが「ワンポイントではなく、全身に大きな刺青を施すブームを作り出したといわれている」。
 ところが、明治維新になって、刑罰としての入墨を含めて刺青は全面的に禁止され、刺青は、昭和23年に禁止が解かれるまでの「76年の間にすっかり裏社会のものになった」。
 現在、「若者の間のファッションとして洋風のタトゥー」が「かなり普及している」が、「1970年代のヒッピー・カルチャーや70年代のパンク・ムーヴメント」の「影響を受けている」ものであって(注2)、「東京の若者が「自由」を求めてアメリカン・タトゥーを彫るのも、ヒッピー・ムーヴメントに端を発する反社会的行為である」。


(注1)以前、別のブログの記事に対するコメントの中で取り上げたことがあります。
(注2)同書には、江戸の花柳界では、「二の腕に「○○様命」と入れたり、胸ぐらに般若の面を彫ったりするのが「いき」とされるようになった」とあるところ、これとの繋がりは認められないのでしょうか?


(5)刺青というと、私の中ではタトゥーというよりも、やはり『緋牡丹博徒』とか『昭和残侠伝』といった「任侠映画」に登場するヤクザの背中一杯に展開される、日本の「和彫り」がすぐに思い浮かびます(注1)。
 「和彫り」については、上で触れたように『水滸伝』の武者絵が中心であり、その「基本的な図像は、19世紀中頃に生まれ、明治期の始めまでに確立した」と同書では述べられています。
 さらに、宮下氏は、「彫られた人の生がそのものが肉体を輝かせ、内面性と外面とが融合しているという点で、まさにに日本ならではの稀有な裸体芸術であった。しかしそれは一過性のはかない芸術であり、江戸期の社会風俗や習慣と分かちがたく結びついていたため、豊かな芸術的可能性を秘めながら、近代化された社会では存続できなかった」と述べています(P.205)。

 こうした見解は、「和彫り」を極めて高く評価した評論家の松田修〔『日本刺青論』 (青弓社、1989年)〕等からすれば、微温的にすぎるでしょう。
 ここで、昨年7月に亡くなった平岡正明氏に少し触れてみましょう。



 彼は、上記の『官能武装論』(新泉社、1989年)において、松田修の刺青論に基づき論を展開し、「刺青の根源にある原衝動は、縄文人の復権」などと言いながら(P.340)、同書の末尾では次のように述べています。
 「松田刺青学は、刺青こそ全マイナスを逆転して芸術にたかめた至高の、唯一の芸術であることを描きあげ、逆転の全課程を立証したものであるから、次の課題は、開放されて王位にのぼった刺青が、他のものの援軍にまわる番である。
 プロレタリア革命における刺青は告げるだろう。ただひたすら、武装衝突の現場に赴いて、双肌ぬいで「べらぼうめ!」と啖呵をきることは革命的である」。

 東大紛争まっただ中の昭和43年東大駒場祭のポスター「とめてくれるなおっかさん」が思い出されます(注2)!



 なお、「和彫り」については、宮下氏の著書において、須藤昌人氏の写真集『藍像』(ちくま文庫)が取り上げられていて、「刺青をひとつのオブジェとしてとらえ、その美を見事に伝えた写真芸術として特筆されよう」と絶賛されているところです。




(注1)とはいえ、斎藤卓志著『刺青墨譜』(春風社、2005年)には、「刺青とタトゥー、両者をどう見分けるか。現在それは不可能に近い。ある時代までは刺青が日本、タトゥーが外国といえた。同時に、手彫りが和彫り、機械で彫るのがタトゥーであった。しかしそれぞれが相互に入りあって境がなくなった」と述べられています(P.90)!
(注2)驚いたことに、この2月から書店に置かれている『新装版1968年グラフィティ』(毎日新聞社)の表紙に、このポスターが使われているのです!


(6)ところで、宮下氏の著書では、さらに、ニュージーランドのマオリ族などに見られる習俗としての刺青に関するクロード・レヴィ=ストロース(注1)の研究が紹介されています(注2)。


(マオリ族の刺青)

 該当するのは、『構造人類学』(みすず書房、1972年)に収められている論文「アジアとアメリカの芸術における図像表現の分割性」(同書第5章)です。
 同論文は、単に「刺青」というよりも、もっと広範な「図像表現」を取り上げ(注3)、南北アメリカと古代中国の芸術とニュージーランドのマオリ族の芸術との間に著しい類似性―図像表現における「分割性」(注4)という点で―が見られることに着目して、これを「伝播」の観点からとらえるべきなのか、そうではなくて「心理学か形式の構造分析」によるべきなのかを議論しています。

 ここで注目されるのは、次の2点でしょう。
イ)「たとえ伝播学派のもっとも野心的な再構成が立証されたとしても、なお生ずるであろう歴史とはかかわりのない本質的問題があるだろう。つまり、長い歴史的時代を通して借用されたり伝播されたりした文化的特性は、なぜ変わらずにもとのままであるのかという問題である」として(P.282)、構造分析の重要性を指摘しています。
 これは、伝播主義者の努力を否定するわけではないにせよ、「世界の二つの部分で装飾の細部や独特な形が明らかになると、たちまち、その二つのものにかなりの地理的・歴史的距離があっても、その起源が同じだとか、別の点では比較できない諸文化のあいだに先史時代にはたしかな関係があった」と言い立ててたことに対する疑問の提示だと考えられます(P.269)。

ロ)装飾図像全般という観点から、彫刻や絵画等まで分析の対象としています。それも、特定の時代に限定せずに、古代から近代までを共時的に取り扱っています。

 このように、刺青をもっと広範な「図像表現」の中で考えるべきだとしたら、単なる素人考えにすぎませんが、あるいは、このところ問題になった顔面整形も一連の検討の対象に入ってこないでしょうか。そして、もしかしたら、『ミレニアム』のリスベットが「鼻と眉にピアスをつけ」ている姿も(注5)、同じ観点から考えてみたら面白いのかもしれません。


(注1)昨年11月に亡くなったレヴィ=ストロースのライフワーク『神話論理』の翻訳の最終巻「裸の人2」(みすず書房)が、2月の末についに刊行されました。
(注2)宮下氏の著書において、「刺青絶無時代」にあっても「刺青の習慣は存続していたと推測され」ている、「奄美以南と琉球、アイヌの文化圏」の分析にも繋がっていくのではないかと思われます。
(注3)ブラジルのカドゥヴェオ族の場合は、「数日後には塗りなおさなければならない絵であり、野生の果実や葉の汁に浸した木のへらで描かれるもの」(P.274)。古代中国の場合は、殷の青銅器にある装飾芸術。
(注4)一つの顔(場合によっては、一つの個体全体)が、二つの側面像の結びついたものとして表わされることを指します。
(注5)『ミレニアム 1(上)』P.58。
  なお、その後、リスベットは、体のあちこち(乳首、下唇、左の陰唇)につけていたピアスをはずし、結果として、「耳にいくつかつけているピアスは別として、ボディピアスは左眉のリングピアスと鼻のピアス、へそにつけているアクセサリーの3つだけとなった」ようです〔『ミレニアム 2(上)』P.149〕。


(7) 覚醒剤取締法違反事件の元タレントの足首にタトゥーが入れられていたりと、刺青に関する話題は、映画以外のところでも尽きないようです。そして、チョット調べただけでも、刺青(タトゥー)は、歴史的にも地理的にも相当の広がりを持ったものだということも分かります。
 そういうところから、刺青(タトゥー)を巡る問題をきちんと分析することは大層難しく、ここでは論評はできるだけ差し控え、酷くまとまりのないものになってしまいましたが、簡単に事例を並べるだけにとどめておくことといたします。
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最近の刺青事情(上)

2010年03月01日 | 
 スウェーデン映画『ミレニアム』に関する記事についてのコメントの中で、「Oldies狂」さんは、次のように述べています。「なぜリスベットは「龍の入れ墨」をしたのでしょうか。古代の夏王朝やタイ民族になどに見られる龍信仰には、民俗学的に興味があるのですが、ウラル語族であるフィン人の影響なのでしょうか、それとも個人的な嗜好なのでしょうか。この辺は、原作小説には触れるところがないのでしょうか」。
 以下においては、「Oldies狂」さんに対する直接的な回答には到底なり得ませんが、最近の映画に見られる刺青(タトゥー)のことや、刺青に関連する本などについて、ごく簡単に触れてみたいと思います。

(1)映画『ミレニアム』では、副題が「ドラゴン・タトゥーの女」とあるくらいですから、見る前は、タトゥーがいくつも映し出されるのではと思っていたところ、実際にはごく控えめな描き方しかされていません。

 ただ、スティーグ・ラーソンの原作では、ヒロインのリスベットは、「首に長さ2センチのスズメバチのタトゥーを入れ、さらに、左の二の腕と足首のまわりにも帯状のタトゥーをして」おり、「その肩甲骨に一層大きなドラゴンのタトゥーがあ」って、それは「右の肩甲骨から臀部にかけて」「身をくねらせてい」ているとされています(注1)。

 こうした原作の描写からすると、日本版の本の表紙に使われている下記の画像は、かなり簡略化されていると言わざるを得ないでしょう。



 原作では、リスベットが、どんな理由からたくさんのタトゥーを入れているのかについて、十分な説明はされてはいませんが、それでも、足首の帯状のタトゥーについては、「ある出来事を忘れないようにするため」に、さらにもう1本タトゥーを入れてもらうべく、リスベットは、ストックホルム市内にある「入れ墨の店」に出向く、とあります(注2)。とすると、彼女は、タトゥーの数だけ人に言えない大変な思いをしたことになるのかもしれません。

 また、スズメバチのタトゥーについては、17歳のリスベットがボクシングクラブで「男どもとスパーリング」をしたときの様子について、「リスベットとのスパーリングは、スズメバチと戦っているような感じだった。それで彼女はスズメバチって呼ばれて」、「ある日首筋にスズメバチのタトゥーを入れてクラブに現れた」とプロボクサーが証言しています(注3)。

 なお、肝心のドラゴン・タトゥーについては、リスベットの治療にあたったヨナソン医師が、「なぜその入れ墨をいれたの?」と尋ねたところ、リスベットは、「このタトゥーを入れた理由は個人的なことなので、話したくありません」と答えて終わってしまっています(注4)。


(注1)『ミレニアム 1(上)』(ヘレンハルメ美穂・岩澤雅利訳、早川書房)P.58、及び『ミレニアム 1(下)』P.211。
 なお、後者では、さらに「腰に漢字、ふくらはぎに薔薇のタトゥーがあった」と述べられています〔ドラゴン・タトゥーについては、加えて『ミレニアム2(上)』P.148において、「赤と緑と黒で描かれたドラゴンが、肩のあたりから下へ向かって長い体をくねらせ、すらりとした尾が右の尻を通って腿のところまで伸びている」と書かれています〕。
(注2)『ミレニアム 1(上)』P.349。
(注3)『ミレニアム 2(下)』P.147〜P.153。
 なお、『ミレニアム 2(上)』P.33によれば、リスベットは、「ジェノヴァのクリニックに入院中」にこのスズメバチのタトゥーを消してもらっています。というのも、「このようなあからさまに目立つタトゥーをつけていては、人の記憶に残りやすく、身元の特定が容易になってしまうから」です。
(注4)『ミレニアム 3(上)』P.289。

(2)昨日取り上げた映画『50歳の恋愛白書』では、キアヌ・リーヴスの胸には、下の画像のように聖人の刺青(タトゥー)が大きく施されています。



 そう思って振り返ってみますと、最近見た映画には刺青(タトゥー)があちこちで飛び交っているのです。
 『フローズン・リバー』の主人公レイの腕にはタトゥーが見られ、そこから若い時分の様子が想像されますし、前々回取り上げた『板尾創路の脱獄王』でも、板尾創路が演じる主人公の胸には「逆さ富士」の刺青があり、映画のラストシーンでは一定の役割を果たしています(次の画像は、劇場用パンフレットに掲載されているもの)。



 チョット遡れば、たとえば『蛇にピアス』(蜷川幸雄監督、2008年)とか『Plastic City』(ユー・リクウァイ監督、2009年)など、随分と見つかります。





(3)上で取り上げました『板尾創路の脱獄王』において、主役の板尾の胸に施されている「逆さ富士」の刺青は、もしかしたら江戸時代の入墨刑につながるものかもしれません(注1)。
 また、『フローズン・リバー』の女主人公レイの腕にあったもの、『ミレニアム』のリスベットや『50歳の恋愛白書』のキアヌ・リーヴスの刺青、それにオダギリジョーのタトゥとか『蛇にピアス』で見られる刺青(注2)は、あるいはヒッピー文化とかパンク・ファッションに由来するといえるかもしれません。
 明日は、もう少し歴史的に刺青を見てみましょう。

(注1)リスベットが、自分の後見人であるビュルマン弁護士の下腹部に施した文字「私はサディストの豚、恥知らず、レイプ犯です」の刺青は、こうした刑罰としての入墨につながるのでしょうか(『ミレニアム 1(上)』P.361)?
(注2)金原ひとみの原作には、龍の刺青を持つアマという男の子が、「かっこいいでしょー?」と自慢すると書いてあります(集英社文庫P.11)。もしかしたら、『ミレニアム』のリスベットも、“かっこいい”というだけで龍の刺青をしているのかもしれません(単なる想像に過ぎませんが)。
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怒る西行(此文学編)

2010年01月24日 | 
 沖島薫監督の映画『怒る西行』を巡る連載記事の最後として、文学関係(広義の)の事柄にも若干触れておきましょう。

イ)まず、映画の中では次のような人が取り上げられています。

‖湿綵媼
 沖島監督は、映画の初めの方で、評論家の内田樹氏が『村上春樹にご用心』(アルテスパブリッシング、2007年)という著書の中に書いてあることだがとしながら、「村上春樹は、船が港に寄港するっていう、そういう風なイメージで語っている」と話し、「村上春樹さんが持っている一種の童話性っていうのかな、そういう面白さが、このコースには、ちょこちょこ、そういう感じを持たせるところがある」と言っています。



 内田氏は、その著書において、「港町」の条件には次の3つがあると述べています(P.212〜)。
 ・入ろうと思えば、どこからでも入れる。
 ・つねに変わりなく暗夜に信号を送る「輝く定点」(ハーバーライト)がある。
 ・「故地」を離れてきた「異族」が住み着く。
 その上で内田氏は、「村上春樹の造形した人物の中で、私がいちばん好きなのは「ジェイズ・バー」のジェイズであ」り、「この人物が私にとって「港町」というものを端的に表象している」と述べます(注1)。

 たぶん、沖島監督は、玉川上水の自然に、内田氏の言うところの「港町」を如実に感じてしまうのでしょう。

△弔乙曾
 沖島監督は、册擦らの通路が家の中に入っている家を見ながら〔「:写真編の2」のヌ〕、ここにはユートピア的な感じがすると言いながらつげ義春が描いた『長八の宿』という漫画に触れ、映画ではそのなかから3コマが引用されます(注2)。



 上記のカットは映画で引用されたコマではありませんが、その漫画に登場する「ジッさん」が描かれています。漫画では、「長八の宿」で下男として働く「ジッさん」が、この宿で働くことになった切っ掛けとか、この宿にかかわる三人の女性のことなどを、作者とおぼしき投宿者に話します。

 沖島監督は、「ジッさん」が「蔵の中に住んでて、それで、自分の仕事場と、自分が住んでいる場所っていうのが同じ」という点に注目し、「我々は仕事をするとき、別の場所へ出かけて行って、別の人格や人間として仕事をしてくるわけだけど、自分の身の回りですべてが行われるっていう、あの、これは一種のユートピア感の中に入るんじゃないかな」と述べます。

 沖島監督は、その漫画のラストに描かれている雄大な富士山は、とても人の手に余るとして、むしろ、玉川上水周辺の箱庭的な小さな自然の方を、隅から隅まで把握できるとしてヨリ愛しているのではないでしょうか?

西行
 沖島監督は、映画の最初の方で〔「供Ъ命進圓1」のニ(兵庫橋公園)〕、次のように話しています。
 「西行なら西行、平安時代の人だけど、あの、いつだって、あの当時は当時で現代があったわけだよ、その時にそうじゃないって時間ってのが、まあ象徴的に言えば、桜であったり月であったりりする中で、それを求め続けたわけだよね」

 また、映画のラストの方で、西行法師の有名な歌「願わくは 花のもとにて 春死なむ その二月の 望月のころ」を引用しながら、次のように語ります。
 「あの、西行なんかの生涯みてるとね、まだね、時代をリセットできるんじゃないかっていうね、つまり、人間の住む以前にまだ戻すことが可能なんじゃないかって、フッと、そういう感じって、おそらく何回も持ったの、あの人は」

 こうした監督の思いは、東京の街並みを見て「ちょっと冗談としか思えないっていう街になっている」と感じ、「まあ、余計なものを作ると、簡単に言うと滅びるでしょう。だから100年も経てば、また木っ端微塵に消えちゃうと僕は思っているんだけどね」と語ることに通じているのでしょう。
 明示的には言ってませんが、放射5号線工事でいくら立派な舗装道路を造ったとしても、スグそのうちに跡形もなく消滅してしまうだろう、と監督は必ずや思っていることでしょう。

ロ)映画『怒る西行』を巡る連載記事としてはやや余談にはなるものの、玉川上水とくれば太宰治に触れないわけにはいきません。

 そういうこともあってか、私たちがこの映画を見たのは1月11日(休日)の朝の回でしたが、上映終了後には、スクリーンの前で太田治子氏のトークが15分ほど行われました。

 太田治子氏は、太宰治とその愛人の太田静子との間に生まれ、作家として活躍しているところ、昨年9月に『明るい方へ―父・太宰治と母・太田静子』(朝日新聞出版)を刊行し、娘の立場から見た両親の関係を明らかにしています(注3)。




 さて、この日のトークで印象的だったのは、次のような話です。
・父・太宰治には、大人としての責任感が欠如しているのではないか。自殺するのはやむを得なかったにせよ、飲料用に使われている玉川上水に飛び込んだら、後の始末が大変なことになると思わなかったのだろうか(注4)。



〔太宰治が入水したとされる場所は、井の頭公園からJR三鷹駅までの間にあって、その路傍に、生まれ故郷の青森県金木町産出の「玉鹿石」が置かれています〕

・特に、戦争責任という点で大いに問題があると思う。
 というのも、太宰治は、戦争に対しては、軍部に与した作家の一人であったといえ、彼が応援した戦争で300万近い人が亡くなっているのだから。
 彼は開戦から敗戦まで実家からずっと仕送りを受けていたのであり、生活のために戦争賛美の文章を書いていた人とは違うはずで、せめて戦争中は沈黙すべきだった(注5)。

 このところ、『ヴィヨンの妻』とか『パンドラの匣』など太宰治の小説を原作とする映画がいくつも制作されているところ(2月20日には『人間失格』が公開予定)、こうした太田治子氏の見解をも見据えながら鑑賞する必要もあるのではないか、と思えてきたところです。



(注1)「ジェイズ・バー」は、『風の歌を聴け』『1973年のピンボール』『羊をめぐる冒険』の3部作に登場するバーです。
(注2)この漫画は、ちくま文庫の『つげ義春コレクション 紅い花/やなぎ屋主人』に収録されています。
(注3)産経新聞「著者に聞きたい」に掲載された記事の中では、太田氏は、「私自身、太宰はすてきで好きですが、悪いことは悪いと書きました」と語っています。
(注4)玉川上水は、1965年の淀橋浄水場廃止まで、水道施設として使用されていました。なお、太宰治が入水した当時は、玉川上水の推量も随分とあり、また川岸に鉄柵もなかったようです。
(注5)ブログ「黙々と-part4」の2009年12月18日の記事を参照。
 なお、上記の太田治子氏の著書『明るい方へ』においても、例えば、「太宰自身戦時中には心の奥に苦々しさを抱えつつも軍部に味方したことを認めていた。日本の軍部が負けるとわかっていたから味方したというように弁明する太宰は、ずるいと思う」と書かれています(P.165)。
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レヴィ=ストロース

2009年11月10日 | 
 Blackdogさんが新しく作ったブログでは、先日亡くなったフランスの文化人類学者レヴィ=ストロースのことが取り上げられています。

 丁度日本でも、レヴィ=ストロースの畢生の大著『神話論理』の翻訳本の最終巻「裸の人2」が出版される直前にもかかわらず、彼の訃報を聞き、とても残念に思いました。
 Blackdogさんが言うように、彼は、「『最後の巨匠』と呼ぶにふさわしい威厳を保ち続け」つつ、「めまぐるしく変転してきたフランスの思想界を生き抜」いた巨人なのでしょう。

 Blackdogさんのブログでは、メルロ=ポンティとの交遊を巡る興味深いエピソードが紹介されていますが、エリボンとの対談で構成されている『遠近の回想(De près et de loin:1988)』(竹内信夫訳、みすず書房、1991)でも、レヴィ=ストロースは、メルロ=ポンティに数カ所触れています。

 例えば、彼をコレージュ・ド・フランスの教授として強く推薦したのがメルロ=ポンティだとBlackdogさんのブログにあるところ(エリボンとの対談でも、「やがて絶なんとする彼の命の最後の3ヶ月をそのために犠牲にした」とあります)、そのコレージュ・ド・フランスの開講講義の冒頭で「数字8に関するちよっと場違いな考察」をしたが、それはメルロ=ポンティが「我々二人が同じ年、つまり1908年に生まれたということを誰かに言われるのが嫌い」だったからで(「私と一緒にされてはふける、と思っていたのでしょう」)、「私は彼をじらしていた―さらには恐れさせていたのです。今に生まれ年が同じだという話になるぞ、ってね」、と「茶目っけ」たっぷりに述べています。

 なお、内田樹氏は、11月4日のブログ記事「追悼レヴィ=ストロース」で、次のように述べています。「ボーヴォワールとメルロー=ポンティとレヴィ=ストロースはアグレガシオンの同期」で、「その試験のとき、私の想像では、ボーヴォワールとメルロー=ポンティとサルトルは「つるんで」」いたのに対して、「パリ大学出のレヴィ=ストロースはこのエコール・ノルマル組からある種の「排他性」と「威圧感」を感じたはずであ」るが、「とにかく、アグレガシオンの試験が1930年前後で、レヴィ=ストロースがサルトルの世界的覇権に引導を渡したのが1962年『野生の思考』においてのことであったから、ざっと30年かけて、レヴィ=ストロースは「そのとき」の試験会場で高笑いしていたパリのブルジョワ秀才たちに壮絶な報復を果たしたので あった。すごい話である」。

 マア、偉大な人は、そのエピソードも桁外れなものになるということなのかもしれません!

 なお、レヴィ=ストロースの著作でもまだ本邦未訳のものがいくつかあり、特に『大山猫の物語』(1991)の刊行が待たれるところです。


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理系・文系(補足)

2009年11月04日 | 
(総合科学技術会議で挨拶する鳩山首相〔8日午後、首相官邸〕)

イ)10月11日の記事で取り上げた日経新聞論説委員・塩谷喜雄氏のエッセイにおいては、今回の理系政権の気候変動問題に対する取り組み方に期待が寄せられているところ、10月30日の「日経Plus」に掲載された「「理系政権」見えない科学技術政策」では、「今のところ鳩山政権の科学技術に関連する目玉施策としては、2020年までに日本の温暖化ガス排出量を「1990年比で25%削減する」と打ち出したことが目を引く程度」ながら、そのことでかえって逆に、「新政権の発足後の科学技術に関連する政策は地球温暖化対策ばかりがクローズアップされ、それ以外の分野で具体的なメッセージが発信されていない」と述べられているところです。
 上手の手から水が漏れる、ということにならなければよいのですが……。

 なお、同記事では、鳩山由起夫首相や菅直人国家戦略相のみならず、「川端達夫文部科学相も京大工学部の大学院を修了後、東レで研究開発に従事した。平野博文官房長官は中央大学理工学部卒業後、松下電器産業(現パナソニック)に勤務した」とされていて、この政権では、確かに枢要なポストは“理系”が占めていて、「理系政権」と呼んでもそれほどオカシクはないようにも思われます。

ロ)古代史の分野に関しては、前日の記事でも取り上げた10月12日の記事についての「やっぱり馬好き」さんのコメントにあるように、歴史研究の分野にも「最近は理科系の学問を学んだ方々がかなり入ってきて、いろいろ発言がされ」ているところ、「歴史学などの文系分野の累積してきた学問の成果を無視する議論を平気で行う」事態となっているようです。
 これらの点については、HP「古樹紀之房間」に掲載されている宝賀寿男氏の論考「理系の見方と文系の見方」において詳細に議論されているので、是非ご覧下さい。
 ここでは取り敢えず、結論的部分だけでも引用しましょう。
 「自然科学の重要性とその最近の進歩は十分に認めるものですが、無批判なその受容は歴史学の基礎を危うくします。残念ながら、わが国で現在活躍される考古学 者や歴史学関連分野で自然科学的な手法で年代数値を発表されている研究者においては、記紀などの文献資料や神道・神祇関係の知識が乏しいか殆ど無視される 方々が多く見られます」。
 「「歴史の流れ」を無視して出てきた結論については、たとえ科学的な手法という衣をまとったものでも、十分懐疑的に批判的に様々な角度から考えていく必要性を痛切に感じています。それが「歴史分野における科学研究者」としてのバランス感覚の問題なのです。理系であれ、文系であれ、こうした総合的なバランス感覚が判断にあたって必要なことはいうまでもないはずです」。

ハ)最後に、前日取り上げました吉田武著『虚数の情緒』について補足します。
 前日触れました文章は、本書の第吃堯崙箸蠅嚢佑┐覦戮法廚暴颪い討△蠅泙垢、この第吃瑤蓮∨椽颪里い錣仆走部分に相当し、数式は登場せず数学自体の話も全くなされません。
 ですが、第局堯崔,嬰殿遏掴め数学!」(P.125〜)から、いよいよ著者の本領が発揮され、その圧倒的な勢いは第敬堯嵜兇蟷劼硫奮悄廚虜能ページ(P.965)まで続きます!
 そんな物凄い著作をご紹介するには、“文系”の私は全く不適任であり、また元々そんなことをしても意味がなく、1ページずつ最初から丹念に根気よく読み進んでいくしかありません。

 一点だけ申し上げると、本書は、副題に「中学生からの全方位独学法」とあるせいでしょう、八重洲ブックセンターでは、“理系”の書籍が並んでいる3階の「数学」のコーナーではなく、なんと6階の「学習参考書」のコーナーに陳列されていました!
 ですが、前日紹介しました議論からもおわかりでしょうが、本書は「中学生」にはとても歯が立たないと思われます。何より、「後書:万華鏡の話」では、「本書の企画は、平成九年夏に静岡県教育委員会の要請により、高校生の夏の合宿セミナーの講師を担当した事に始まる」とご自分で述べているくらいなのですから!
〔前々日取り上げた吉田氏の著書『私の速水御舟』も、「中学生からの日本画鑑賞法」という副題が付けられているものの、なぜそうしたかの説明は一切なされていません〕

 なお、吉田武氏の『オイラーの贈物』(ちくま学芸文庫)は、小飼弾氏がブログで「2008年のお年玉で買うべき本10冊」の一つとして薦めているところ、残念なことに、現在は絶版になっています。

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またまた理系・文系―「虚数の情緒」

2009年11月03日 | 
    

 前日の記事においては、吉田武著『私の速水御舟』に触れたところ、浅学な私は全く知りませんでしたが、著者の吉田武氏は数学の世界では至極有名な方のようです。
 ネットで調べますと、希代の読書家である松岡正剛氏の「千夜千冊」の第1005夜(2005.2.16)で、この吉田氏の『虚数の情緒』(東海大学出版会、2000)が取り上げられていることがわかります。

 早速松岡氏のサイトを見てみますと、なんと吉田氏の本では「理科系と文科系に世の中を分けるな」という議論がなされているとのこと!

 実際に、吉田氏の本の該当個所にあたってみましょう。
著者は、「文化に敷居も垣根もない。ジャンルや区別があろう筈がない。全体が人間性を育む我々の最高の財産なのである。……科目が分かれているのは、全く便宜上の理由であり、そこに本質的な違いなど存在しないのである」、とはじめの方で述べます(P.56)。

 ここまでなら至極当然の議論でしょう。ところが、吉田氏は、「然し、然しである」として、「この日本に、未だどれほど蔑もうと、何処からも苦情が出ず、きわめて不本意な扱いを受けている文化がある。今更言うまでもない、数学、物理学を中心にした基礎科学である」と苦言を呈します(P.57)。要すれば、“理系”の人の扱いが、日本では適切ではないということでしょう。

 そうした事態を招く背景として、「我が国では、俗に「文系」「理系」と、恰も二種類の異なる人種がいるかの如く、極端に区別する」という点を挙げます。
 それも、「高々数学が嫌い、或いは良く解らない、という唯それだけの理由で、「私は文科系」と称する人が居る」一方で、「「数学が得意」であるとか、機械いじりが三度の飯より好きであるとか、を表明した途端に、「暗い」であるとか「オタク」であるとか、殆ど罵りに近い言葉を浴びせられる」というバランスを欠いた扱いが問題なのだ、とします。
 実際にも、「何の怨念か、数学を毛嫌いする人々が存在」していて、「彼らに言わせれば、数学が出来る人間は冷酷で、計算高く、油断のならない、極めて扱い難い人間」だとのことで、「この種の見解を陰に陽に表明する人は、意外と多い」とされます。
 こうして、「大学入試に端を発するこの大いに無意味、且つ大いに有害な区分けは、国民を真っ二つに引き裂いている」のだ、と嘆くこと頻りです(P.58)。

 ここまでであれば、実際には実力のある“理系”の人たちが冷遇されている、という巷間言われる怨嗟のようにも思われます。10月11日の記事においても、「力は拮抗しているのに、勝負は常に一方的」で、「「理」を掲げる潮流」は、「検証の厳密さや合理性の尊重ゆえに、柔軟さを欠くとして権力の座には遠かった」とする塩谷氏の見解を紹介したところです。
 また、10月12日の記事についての「やっぱり馬好き」さんのコメントにあるような、「どうも理系の方々は、文系の学問やそれを学んだ人に対して、なんらかの優越感をもっているのではないかというようにも感じ」るという見方の裏返しとして、「理系の方々」の怨嗟があるようにも思われるところです(同記事の「6」の「(注2)」も参照)。

 ただ、吉田氏はもう一歩議論を進めます。すなわち、このように「「文系」と「理系」と分けて考える二分法」は、「「天」と「地」、「彼」と「我」、「正義」と「悪」、「あれ」と「これ」」という「二分法」と同様に、「すべて西洋が生み出したもの」であるが、これに対して、「東洋は不合理を恐れず、それをそのままに一つのものとして捉える」のであり、「東洋では二分法を嫌い、統一的、絶対的立場を求めるが故に佛教が誕生した」のである、と述べます。
 そこから、「我々は、二分法の特徴、その長所を認めながらも、そこから脱し、全体を丸のみにできる包容力と大きな視野を持たねばならない」のであり、「与えられた才能を、二つに分けるのではなく、一つの大きなもの、不可分な全体として捉える能力を磨くことこそ、新世紀の諸君の課題なのである」との吉田氏の主張が導かれます。

 こうした主張は、わからないでもありません。ただ、「二分法」は「西洋」のものの見方で「統一的、絶対的立場」を求めるのが「東洋」だと考えること自体が「二分法」によってしまっているのではないか、と揚げ足を取ることもできましょうし、「理系・文系」と分けることの弊害は、「二分法」しか知らない「西洋」の方で甚だしくなると思われるところ、そんな話はあまり聞きませんし(「西洋」は、日本ほど「無頓着」ではないのかもしれませんが)、また「佛教」しか「東洋」は生み出さなかったのか、とも言いたくなっても来ます。

 ですが、そんなつまらないことは言わずに、上記した「やっぱり馬好き」さんのコメントにあるように、文系でも理系でもかまいませんが、「両方の立場からアプローチして総合的体系的合理的な結論」が得られるよう、「総合的な止揚(aufheben、アウフヘーベン)が必要」になってくることでしょう。


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理系・文系(下)

2009年10月12日 | 
4.『文系?理系?』
 としたところ、最近、志村史夫著『文系?理系?』(ちくまプリマー新書120、2009.10)という中高生向きの新書が出版され、ナントその中でも「地球温暖化問題」(注1)が取り上げられているではありませんか!



 著者は、「大気中に占めるCO2の割合は、水蒸気の100分の1ほどの0.035%です。このようにわずかなCO2の増加が「地球温暖化」の主因になり得るのでしょうか。私は、さまざまな科学的見地からも歴史的事実からも、断じてあり得ないと思います」(P.147)と述べます。

 著者は、「マスコミの報道を鵜呑みにし、マスコミに振り回されることなく、ものごとを科学的に考える習慣をつけることも、さまざまな勉強の大切な目的の一つ」だとして、このように主張します(P.149)。
 要すれば、ワケの分からない人たちがマスコミを通じていい加減なことを主張しているが、「理系」の志村氏のように「科学的に考え」れば、その主張に問題があることがたちどころに理解出来るのであって、やっぱり「理系」的なものの考え方が必要だ、ということでしょう。

 でも、元々の「地球温暖化」の議論は、マスコミが言い出しっ屁ではなく、いわゆる「理系」の人たちが持ち出してきたはずでしょう?そして、上記の塩谷氏のような「理系」の人たちが、マスコミを通じてソレを増幅し早いとこ抜本的な対策を取らなければと声高に叫んでいるのではないのでは?その挙げ句が、「理系」の鳩山総理による「温室効果ガス25%削減宣言」でしょう!

 こういった動きに対して、同じ「理系」の志村氏(静岡理工科大学教授)が強く批判し、「ものごとを科学的に考える習慣をつけること」が重要だと主張しても、それを読む中高生たちは「科学的に考える」とはいったい何だということで一層混乱してしまうのではないでしょうか?

 むろん、志村氏は、「科学的態度」とは「きちんと筋道立てて考える」ことだと最初の方で述べていますから(P.32)、ここでもそういった幅広い意味合いで使っているのであれば、あるいは受け入れることもできましょう。

 ですがこの本は、全体として、「数学や物理などの理科系科目(特に数学)が嫌いな人、苦手な人」(P.12)である「文科系の人」に対して、それらが「好きな(嫌いではない)人、得意な(不得意でない)人」(P.11)である「理科系の人」に属する筆者が、中高生に対して、理科系的なものの見方は重要だし面白いよ、と主張しているのです(注2)。
 さらには、「「文科系の人」と「理科系の人」の犇敍鮫瓩飽磴いあ」って、前者の「基盤は犖鎚姪、狠楼菘瓩砲覆觀晃があ」るが、後者の「基盤は、その理屈を考える自然科学から導かれる宇宙規模で普遍的な自然の摂理」であり(P.30〜P.31)、特に、「数学」(なかでも微分・積分)は「筋道を立てて考えることを教えてくれる、またその訓練をしてくれる最たるもの」だそうです(P.177)。

 ここまでくれば、上記の「科学的態度」とは、やはり「数学が得意な人」のものの考え方だということになるでしょう。となると、「地球温暖化問題」を巡る論争は、同じ「理科系の人」の間での話ということになり、私のような「文科系の人」としては、「筋道」に違いがあるわけですから、この問題に対してどのような態度を取ったらいいのか、途方に暮れてしまいます。

(注1)「上」では「気候変動問題」としていましたが、「下」では一般によく使われる「地球温暖化問題」といたします。
(注2)本書では、「これから求められるのは「文芸理融合」型人間」だとか、「「理科系の人」には「文科系の素養」を大いに高めてただかなくてはなりません」などと述べられているものの、P.50以降本書の末尾までの全体の4分の3は、理科系科目に属するトピックしか取り上げられていません!
   

5.『理系バカと文系バカ』
 実は、冒頭で触れた小飼弾氏のブログでは、『日経サイエンス』に掲載された塩谷氏のエッセイに言及しているだけでなく、4月24日の記事においては、竹内薫著『理系バカと文系バカ』(PHP新書586、2009.3)が紹介されています(注1)。



 そして、この本でも「地球温暖化」の問題が取り上げられているのです!それも、なぜか上記の志村氏と同じように、著者の竹内氏も、「現在の地球温暖化問題については2つの疑問がある」として、「実際にCO2の濃度が上がっているのか」という点と、「それは人間のせいなのか」という点を挙げています(P.190)(注2)。
 その上で、こうした疑問を検討することによって「理系センス」が磨かれるとしています。

 ですが、そもそも「地球温暖化」を巡る議論は、「理系センス」を持った専門家たちが持ち出してきたわけですから、非専門家がこの問題に首を突っ込んでその乏しいセンスを磨いたとしても、行き届いた理解が出来るようになれるとはトテモ思えないところです。

 なお、本書は、科学・技術の分野で直ちに取り組まなければならない問題をいくつか取り上げていて、その点は高く評価できると思います(注3)。
 ですが、それだけを述べたのでは、いくら内容が良くとも一般人の興味を惹かないでしょう。そこで、「理系バカ・文系バカ」といったドギツイ言葉をちりばめながら面白オカシク話が進められています。
 ただそうなると、本書が「科学的根拠はいっさいない」(P.38)と批判する「血液型性格分類」とか、国民性や県民性を巡る議論といったものと同じ穴の狢になってしまうのではないでしょうか(注4)?

(注1)著者の竹内氏は、前者の疑問については「温暖化が進めば50年後ぐらいには平均気温はこうなる。温暖化が起きると台風などが増え、勢力も大きくなる」などといった、気候学者の説明を掲げ、後者の疑問については、人間も関係しているが、宇宙的な環境も関係している」とする地球物理学者や宇宙物理学者の説明を挙げています。
(注2)節の末尾に、「いずれにせよ、「環境問題」について、地に足のついた議論をするためには、理系的思考と文系的思考の両方が求められるだろう」と述べてありますが、とすると「理系センスを磨く」という話はどこへいってしまうのでしょうか?
 なお、「理系センス」を取り扱っている第4章には、「間主観性とは?」という節があって、「「物理学」には「間主観性」という考え方がある」と述べられているところ、「間主観性」といったら、一般的にはむしろドイツの現象学哲学のフッサールを想起すべきではないでしょうか?
(注3)著者が本書で特に言いたいのは、第3章で述べている点ではないかと思われます。
 すなわち、著者は、科学系論文数の伸び率の低下(P.137)、物理学専攻の学生数の激減(P.138)、技術者不足(P.143)、進学するにつれて理科離れ(「算数・数学離れ」も)が増えていくこと(P.145)、科学雑誌(科学書も)の売行きの悪さ(P.153)、といった日本特有の現象をいくつも指摘します。
 その上で、著者のような「サイエンスライター」とか「科学コミュニケーター」の「人材育成と格上げ」が「科学を社会に普及させるためには必要不可欠だ」と主張し(P.162)、さらには、「教育現場の雰囲気」にも問題があり、特に日本の奨学金制度の貧困さ加減についても指摘がなされています(P.174)。
 本書で指摘されている様々な問題点はまさにその通りだと考えられ、早いところ何らかの手を打たないと事態は大変なことになると思われます。その意味で、なにはともあれ、こうした本がベストセラーになったことは慶賀すべきと思います。
(注4)面白オカシイ話の方に興味が集中してしまい、上記注3で取り上げたような著者の言いたいことは二の次になってしまう恐れがないとは言えません。
現に、小飼氏は、「本書の主張も、本blogの主張とほとんど変わらない」とし、「「理系文系」問題というのは、実は適性の問題ではなく、教育コストの問題という結論に達する。そして日本は、理系教育コストが高く、そしてそれを当 然のこととして受け止めているふしがある。科学雑誌はなぜこんなバカ高なのだろう?なぜ奨学金制度がこれほどしょぼいのだろう?文理の分離は、実は格差の固定の一環なのである」と述べていて、本書を自分の「理系・文系」の議論の中に取り込んでしまっています(でも、「しょぼい」奨学金制度は、何も「理系」に限った話ではないのでは?)。

6.おわりに
 「地球温暖化問題」は、専門家・非専門家がそれぞれ自分の得意とするアプローチで誠実に議論すれば(注1)、そのうちに解決の糸口が見えてくることでしょう。むしろ、理系・文系の話を持ち出すことによって、議論はヨリ混迷してしまうのではないかと思えます。

 ここでは「地球温暖化問題」に焦点をあててしまったために、専ら「理系」にかかわる議論になってしまいましたが(注2)、何はともあれ理系・文系にかかわる話は、総じてティー・タイムの話題にとどめておくべきではないでしょうか?

(注1)社会学者の宮台真司・首都大学東京教授の『日本の難点』(幻冬舎新書122、2009.4)の第5章「日本をどうするのか」では、次のように述べられています。
「最近「環境問題のウソ」を暴く本や言説がブームです。僕は爆笑します。「温暖化の主原因が二酸化炭素であるかどうか」は指して重要ではないからです。なぜなら、環境問題は政治問題だからです。そうである以上、「環境問題のウソ」を暴く本が今頃出てくるのでは、15年遅すぎるのです」(P.225)。
 要すれば、池田氏のように塩谷氏に噛みついたり、また志村氏や竹内氏のように、今頃になって「理系の人」の「筋道」に立ったり、「理系センス」を磨いたりして「地球温暖化の主因はCO2」との説に異を唱えても、それは最早時期遅れであって、「「負け犬が、今頃になって何を言っているんだ」というのが、欧州各国の日本政府や経済界に対する冷ややかな見方」であって、「そうした見方が完全に支配的である以上、日本の主張が国際政治を動かす可能性はありません」ということになるでしょう(P.230)。
 となると、9月24日の鳩山総理による国連演説(温室効果ガス25%削減宣言)についてはどう考えるべきなのでしょう?
 さすが「理系」の総理のことだけはあると絶賛すべきでしょうか(ニューズウィーク誌に掲載された米国在住の冷泉氏によれば「88点B+」とのことですが)?
 それとも、池田信夫氏のように、「物理的に不可能な目標を掲げ、「大和魂さえあれば何とかなる」と国民を鼓舞するのは、前の戦争に日本が突っ込んでいった時を思わせる」と嘆くべきでしょうか?
(注2)僅かな実例から一般論を引き出すのは危険なことながら、「理系・文系」の議論を持ち出すのは、どうやら「理系」の人が専らではないかと思われます。もしかしたら、塩谷氏が言うように、実力があるにもかかわらず「権力の座には遠かった」、とする事情が反映しているのでしょうか?
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理系・文系(上)

2009年10月11日 | 
1.はじめに
 このところ、「理系」・「文系」という亡霊があちこちに出没して悪さ(?!)をしているようです。
 折も折とて、SE兼マンガ家よしたに氏が描く漫画「理系の人々」も、この10月6日より場所を変えて新たに連載されることになりました(コレまでの連載分はここで)。
 そこで、ちょっと目に止まったものを2回に分けて取り上げてみることといたしましょう。

2.政治の世界
 小飼弾氏のブログ「404Blog Not Found」の10月5日の記事に、『日経サイエンス』11月号には「理系政権?の持つ意味」というエッセイが載っているとあったので、早速読んでみました〔この論考は、日経新聞論説委員・塩谷喜雄氏が『日経サイエンス』で連載中のコラム「いまどき科学世評」に掲載〕。




 エッセイの冒頭、伊賀忍者と甲賀忍者の抗争めかして、「日本列島の支配をめぐって、闇に潜む2つの勢力が、暗闘を繰り返してきた」とあり、なんのことかと読者の気を惹きます。
 筆者の塩谷氏によれば、この2つの勢力は「力は拮抗しているのに、勝負は常に一方的だった」ようで、一方の「「文」を旗印に掲げる潮流」が「人心を集めて君臨してきた」のに対し、他方の「「理」を掲げる潮流」は、「検証の厳密さや合理性の尊重ゆえに、柔軟さを欠くとして権力の座には遠かった」とのこと(注1)。

 ナンダこれなら、従来より世間(特に、政治の世界)では「文系」が「理系」よりも幅を利かせてきた、という巷でよく耳にする話でしょう(注2)。

 とはいえ、その勢力分布図が、今回の鳩山由起夫氏の総理就任で、大いに書き換えられるかもしれないのです。何と言っても鳩山氏は、「東大工学部で計数工学を学び、米スタンフォード大学で博士課程を修了」(Ph.D.を取得)しているのですし、「副総理・国家戦略担当としてナンバー・2を務める」菅直人氏も「東工大卒」(理学部応用物理学科)なのですから!
 外国を見渡すと、サッチャー元英国首相は「オックスフォード大学で化学を学」び(専門はコロイド化学が専門)、ドイツの現首相のアンゲラ・メルケル氏も「物理学の学位」を得ているとのこと(現ライプツィヒ大学を卒業後、旧東ドイツの科学アカデミーで量子化学を研究、理学博士号を取得)。

 今回の民主党政権樹立によって、漸くわが国も西欧並みになったというところでしょうか(でも、アメリカやフランスの歴代大統領のうちに理系出身者がいたという話は、あまり聞いたことがありませんが?)。

 そしてどうやら塩谷氏は、「科学や技術の持つ普遍性や合理性を、政策判断に取り入れなかったことで、論理的結論を出さないまま既得権益を温存する政策ばかりが実行されてきた」これまでの状況が、今回の政権交代で「理系」が「権力の座」を占めたことによって、覆されるのではと強く待ち望んでいるようです。

 特にそれが期待されるのが「気候変動問題」の取扱い。何しろ、「科学を軽んじる言動を続けていた」ブッシュ前大統領と同じく、「麻生前首相も、経産省や経団連の説明を鵜呑みにして気候変動問題の本質的理解を避けた結果、世界から失笑を買う目標しか掲げられなかった」のですから!

(注1)「理系」の小飼弾氏のブログ(06年9月1日)は、「理系はよく内省する一方、視野が狭くなる傾向はあるかと思う。理系にとって、自分に見えない世界は世界ではないのだ。そこもまた、正しさはさておき過程と物語で見えないものを演繹する文系に付け入られる隙ではないのだろうか」と述べています。
(注2)小飼弾氏のブログ(08年10月7日)によれば、いつも「理系」が不利というわけではなく、例えば、「実際、「理系はもてない」というのは「まんじゅうこわい」のたぐいではないかというのがオレ統計。…文系と理系では理系の方がカレカノがいる率が高い」ようです!

3.気候変動問題
 塩谷氏は、「初の理科系政権」の活躍を「科学的に見守りたい」と、エッセイの末尾で述べているくらいですから、必ずやこの「気候変動問題」についても、十全な「科学的な認識」をお持ちのことと推測されるところです。

 ところが、やや昔のことになりますが、気鋭の経済学者・池田信夫氏がそのブログ(2008年7月20日)で、次のように塩谷氏の「気候変動問題」を巡る見解に激しく噛みついています(注1)。
「きょうの日経新聞の「中外時評」で、塩谷喜雄という論説委員が「反論まで周回遅れ」と題して、最近の温暖化懐疑論を批判している。彼によれば、IPCC(気候変動に関する政府間パネル)は第4次報告書で人為的温暖化の進行を「断言」したのだそうだ」。しかしながら、「原文を読むと、……むしろ慎重に「断言」を避けている」のであり、また、塩谷氏が「「査読つき論文誌では異論はゼロに近い」というのも嘘である」云々。

 仮に池田氏の言い分が正しければ(注2)、東北大学理学部卒である「理系」の塩谷氏は、「検証の厳密さや合理性の尊重ゆえに、柔軟さを欠く」というより、むしろ狠韻貌が固くて「柔軟性を欠」いている瓩犯稟修気譴討盪妬がないかもしれません。

 そして、「理系」「文系」という議論の仕方自体が疑問に思えてきます。「理系」の人だって、「自然科学や技術体系が持つ哲学的な意味、普遍性、国際性、合理性、論理性、予見性」といった特性を身につけていない場合もあるようですから!

(注1)あるブログによれば、池田氏が問題にしている日経新聞の「中外時評」(7月20日)に掲載された塩谷氏のエッセイ「反論まで周回遅れ―温暖化巡る日本社会の不思議」の冒頭は次のようです。 「科学的には決着している地球の温暖化について、ここに来て「温暖化と二酸化炭素の排出は無関係」と言った異論・反論が一部の雑誌メディアを騒がせている。……四半世紀の間、世界の科学者を集め、情報を積み重ねて気候モデルによる解析を続けてきた「気候変動に関する政府間パネル(IPCC)」は、昨年第四次報告書で人為的な温暖化の進行を「断言」した。これまで慎重に科学的な姿勢を貫き、断言を避けてきた組織が、ついに結論を世界に示してのだ。……IPCCはついに「断言」という伝家の宝刀を抜いた」。
(注2)あるいは、安井至・東大名誉教授の言うように、「「中外時評」の書き出しの文章である「科学的に決着した温暖化」という表現は、単独で読む限り、誤解を招くおそれがある」くらいが穏当なのかもしれません。  なお、本問題については、このブログに旨くまとめられていると思います。
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古代の富山

2009年10月04日 | 
,呂犬瓩法襲撚茵嶂岳 点の記」

 3ヶ月以上前に見た映画のことで恐縮ですが、映画「劔岳 点の記」には、始めの方に「富山驛」のシーンがあるところ、実際の駅全景の撮影は、富山地方鉄道「岩峅寺(いわくらじ)駅」で行われています。 


(画像は現在の岩峅寺駅:「長者丸作業部」による)

 この駅舎は、大正10年(1921)に建てられ、神社風の破風屋根を持つ駅舎としては富山県唯一というところから、ロケ地に選定されています。
 映画の舞台が明治40年頃という設定なので、掲示板に貼られているビラなども当時のものを再現したりしているようです。 

 このシーンばかりでなく、そのころの雰囲気を出すべく、映画では様々な工夫が凝らされています。
 例えば、富山駅のプラットホームに降り立った柴崎(浅野忠信)を長次郎(香川照之)が出迎えるシーンは、明治村の「SL東京駅」(保存建築物ではありませんが)で撮影されましたし、柴崎夫婦の新婚家庭としては、明治村にある森鴎外・夏目漱石住宅が使われました。

 映画「劔岳 点の記」は、監督の木村大作氏が細部の細部にまでこだわった作品で、オールロケの山岳シーンだけでなく、こうした歴史的な過去に関わるシーンにも、監督の繊細な配慮が行き届いています。

⇔山信仰

 こうなると、映画に関連して、こちらも何かこだわってみたくなります。
 例えば、剣岳のある富山県の昔についてはどうでしょうか?

 映画では「立山信仰」のことが描かれています〔岩峅寺の「立山曼荼羅」が映し出されます〕。なにより、柴崎らがやっとの思いで剣岳山頂を登頂したと思ったら、驚いたことに、千年以上も昔に修験者が既に登頂していた証が見つかりました。過去のことが気になっても当然でしょう。
 〔ちなみに、「岩峅寺」は、江戸時代に盛んになった立山信仰の拠点でしたが、明治になってから廃仏毀釈運動によって廃寺に追い込まれ、雄山神社に改組されてしまいました〕


(画像は立山曼荼羅)

『越と出雲の夜明け』

 その際に導きの糸の一つとなりうる素晴らしい著書があります。先の「邪馬台国を巡って」の「」と「」でご紹介した在野の古代史研究者・宝賀寿男氏が著した『越と出雲の夜明け―日本海沿岸地域の創世史―』(法令出版、2009.1)です。



 もとより、本書は富山県史ではありません。著者が得意とする古代史分野の豊富な知見等が様々に動員されて、「日本海沿岸地域の創世及び交流」に関して実に斬新な分析がなされています。
 としても、「越後から但馬・因幡さらには出雲にかけての日本海沿岸地域」(P.373)を一つのものとして記述しているわけではなく、年代及び地域の差異を踏まえて7章から構成されていて、そのうちの第六章と第七章とが「越中」に充てられています(言うまでもなく、各地域の相互交流にも目が配られているところです)。

じ殿紊良抻

 そこで、第六章「高志之利波臣の起源」を少しばかり覗いてみることといたしましょう。
 まず第六章の冒頭には、「巡り合わせで平成5年(1993)夏から富山県で勤務することになって、同地を含む北陸地方の古代史について、現地に即して検討する機会を得た」(P.296)とあります。この著書を著す契機として、重要な地域にもかかわらず従来から研究の積み重ねが余り見られなかったという客観的な事情のみならず、個人的な事情にあったことがわかります。

 さて、「越中を含むコシ(越、高志)の地域は、時代によりその範囲を変えてきたが、現在の富山県と等しい越中国の成立は、大宝2年(702)のことである」というところから本論が始められます(P.297)。

 「ここに至るまでの上古代の越中地域の歩みについては、まるで分からない状況」としながらも、著者は、「弥生後期から末期にかけての有力者の墳墓」が二つの遺跡で発掘されたことや、「これら遺跡と時期をほぼ同じくして、富山平野に発生期古墳ないし弥生墳丘墓とみられる「ちょうちょう塚」が築造された」こと―富山平野に最初に君臨した王者(首長)の墓とみる見解がある―に注目しています(P.297〜P.298)。

 また、主に島根・鳥取両県に集中する形式の墳墓(四隅突出形墳丘墓)が富山県で7基もみつかっており、そのことから「日本海をルートとして、山陰と北陸とが密接に交流していたことが分かる」と述べられています(P.298)。

 次いで、「畿内の大和朝廷の勢力が越中に及ぶのは、4世紀前葉の崇神朝における大彦命の越遠征かその関連によるとみられる」と進みます(P.300)。
 ここで、著者の瞠目すべき見解が述べられます。すなわち、「戦後の古代史学界にあっては、…総じていえば、大彦命を含めて四道将軍の派遣や、崇神天皇の実在性を否定する見解が大勢である」が、しかし「日本列島各地域の古墳時代の開始が大和朝廷の勢力伸長の動向とほぼ軌を一にして、その時期が4世紀前葉にあたることからいって、当時の大王として崇神の存在はむしろ自然である」(P.300)。

 さらに越中と大和朝廷との接触が、崇神の次の垂仁朝における「阿彦叛乱と征討」に際して見られ、「4世紀中葉の景行朝になると、吉備武彦の一隊の通過」があったと辿られます。この「阿彦」という者の叛乱に着目したところに、本著全体の立論の基礎の一つがあるといえ、この事件と後世への影響を重視している点が従来の見方から大きく踏み出した新鮮なものです。

 加えて、越中の地に関係する白鳥伝承は記紀に2つ記載されていて、その一つが垂仁記にある「ホムチワケ王に関係する鵠(ククヒ:白鳥)の捕獲譚」(P.301)であり、もう一つは仲哀朝のこととされる白鳥献上の伝承だと述べられます(P.302)。

 以上を踏まえて、「記紀等に記される崇神〜仲哀朝の所伝からいって、4世紀の越中は中央との交渉がかなりあったことが分かる」とまとめられます(P.303)。

 ここからも第六章の記述はさらに続きますが、長くなりすぎてしまいますので、このあたりで止めておきましょう。

 ただ、最後に取り上げた白鳥伝承に関しては、本書の第七章で詳しく検討されていることを申し添えます〔この場合、崇神天皇の実在性を巡って上記したのと同様の観点から、「ホムチワケ関連の白鳥伝説は史実であり、白鳥を追って越中に到った鳥取部の一族が、婦負郡を中心とする越中の開拓者であったこと」が述べられます(P.353)〕。白鳥を追った人々が近世・現在の富山の産業面にもつながるのではないかという指摘は、興味深いものです。

 また、本書は日本海沿岸地域の古代史(特に、上古史)を検討するものですから、映画「劔岳 点の記」に出てくる立山信仰は主題的に取り扱われてはおりません(関連する白山・弥彦の信仰は第五章に記されます)。それでも、第七章の末尾近くにおいては、「越中でも、新川郡は良質の褐鉄鉱山が多く、この開発が立山開山縁起と結びつくという推測が木本秀樹氏よりなされて」いるとの記述がみられます(P.370)。

イわりに

 富山県のみならず日本海沿岸地域の古代の有様について、地域内の交流に加えて中央との交流までも詳細に描き出している本書は、著者の富山県勤務の際に得た知見と、これまで著者によって積み重ねられてきた古代史研究とが、実に旨くマッチングした貴重な成果と考えます。
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女の子ものがたり(漫画)

2009年09月23日 | 
 前日のブログで、映画「女の子ものがたり」に感動したと書きましたが、そうなると自ずと原作の漫画の方にも手を伸ばしたくなってしまいます。
 そこで書店に行ってみますと、映画と同じタイトルの原作本は、なんとハードカバーのオールカラーで、900円もの豪華本なのです!ですが、かまわず購入して読んでみました。

 すると、この漫画と映画のストーリーとがかなり違っていることが判明します。
 
 何よりも、原作には、深津絵里の女性漫画家とか雑誌の編集者などは登場しないのです。
 映画の方は、女性漫画家の“死と再生”の大人の物語であって、子ども時代の話はその転換の契機となっているのに対して、漫画の方はあくまでも子ども時代の話をその時の視点から描いています。

 ですから、映画の主人公が“きいちゃん”のお母さんから彼女の本当の気持ちを聞く場面―主人公が“再生”の糸口をつかむことになるシーン―とか、親友だった3人の取っ組み合いの喧嘩の場面―“きいちゃん”から「あんたなんかきらいだ」といわれて主人公は街を離れます―などの感動的なシーンは、原作にはありません。

 これらは、女性漫画家の立ち直りをより鮮明にするために、映画化するにあたって付け加えられたり書き換えられたりしたエピソードと言えるでしょう。
 この漫画を映画化するに際して、脚本・監督の森岡利行氏等のアイデアがかなり入り込んでいるもの思われ、映画と原作とは全くの別物という事情がここでも再確認されます。

 そうした違いはあるものの、原作で描かれている子ども時代の出来事のかなりのものが、映画に組み込まれています。中でも印象的なのは、クラスメイトに虐められている“みさちゃん”と“きいちゃん”を救ってくれた友達について、「わたしね/あんたのこと/だいっきらい/みさちゃんも/きいちゃんも/きらいだけど/あんたのことが/いちばん/きらい」と思ってしまうことでしょうか。

 ただ、いうまでもありませんが、映画で取り上げられなかったエピソードや画面にも、捨てがたいものがたくさんあります。
 たとえば、「(厳しい状況におかれたときは)自分の影をみてあてっこするといい。うすむらさきのにわとりとおおきなおたまじゃくしがみえる」として描かれている画面(第2話)とか、お墓の納骨堂を覗いて、「まっ暗でみえない中は/お母さんの三面鏡を少しあけてのぞいた時と同じで/なんにもないのにいろんなものがみえ」たりすること(第6話)、一人で退屈していると“なっちゃん”の体の中に入ってくる「にゅうにゅうさん」のお話(第9話)など。

 こうしてみますと、映画は映画としてなかなか良くできた作品と思われますし、また漫画の方も漫画として非常に優れた出来栄えとなっていると思われます。
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