映画的・絵画的・音楽的

映画を見た後にネタバレOKで映画を、展覧会を見たら絵画を、など様々のことについて気楽に話しましょう。

ジャクソン・ポロックと『変形する身体』

2016年03月18日 | 
 (1)昨年末映画『黄金のアデーレ 名画の帰還』を見た後、同作についてエントリを書いた際に、ニューヨーク近代美術館(MOMA)のサイトを調べたことがありますが(注1)、最近そのサイトを眺めていましたら、ちょうど今、同館では「Jackson Pollock: A Collection Survey, 1934–1954」展が開催されていることがわかりました(5月1日まで)。



 ジャクソン・ポロックは60年ほど前に亡くなっているとはいえ、このところ、こうした展覧会が開かれるばかりでなく(注2)、その作品がスマホ・ケースとかTシャツの柄に使われたりもしていて(注3)、決して過去の芸術家とはなっていないようです。

(2)そんなジャクソン・ポロックですが、今年のはじめに刊行されたアルフォンソ・リンギス著『変形する身体』(小林徹訳:水声社、2016.1)でも、「カドリーユ」(注4)という章(注5)で彼について言及されているのです。

 本書について少しばかり説明すると、冒頭で「本書で私たちが研究するのは、現代社会において、ときに噴出する古代的な欲求や振る舞いと、それが獲得している諸形式である」と述べられた上で、3番目の「カドリーユ」の章では、「芸術というハイカルチャーには、自然淘汰よりも、性淘汰(注6)を通じた進化が見られる」とされ、その進化の様子が取り扱われます(本書P.11)。

 もう少し詳しく申し上げれば、まず、「性淘汰の方はしばしば、華麗な色彩や、装飾的なとさかとか、枝角とか、たてがみとか、尻尾とか、騒々しく目立つような儀式的ディスプレイ(注7)などを促進させる」と述べられた後(本書P.48)、「そうした解剖学上の精妙さやディスプレイ行動がもたらすコストと利益を見極めること」が必要だとして(本書P.49)、様々の事例が記述されます(注8)。

 その行き着く先のこととして、「オス(あるいはメス)が、もっぱら自分の装飾やディスプレイによって性的パートナーを引きつける」のではなく、「オスの贈り物は、……むしろメスにとって単純に魅力的なもの」である場合が見られるが、この場合、「しばしばオスは派手な装飾を身にまとっていない」(P.58)。すなわち、「オスがメスのために競争するとき、彼らはもはや自分の身体を改造したり、飾り立てたりするのではなく、……物品の蒐集を行うようにな」り、「古物や絵画などのコレクションをディスプレイすることによって、男性の誘引力は強化される」ことになる、と述べられます(本書P.59)。
 つまり、「実際にパフォーマンスする者から切り離され」た「(絵画などの)飾り」を巨額の資金によって獲得した男たちが、女を引き付ける「誘引力」も獲得することになる、ということでしょう。

 ところが、こうした「進化を転覆させ」たのがジャクソン・ポロックだとリンギス氏は主張します。



 ここで本書の分析がユニークなのは、著者が、ポロックが制作した作品には目もくれずに(注9)、彼が絵を描く際に行うパフォーマンスの方に専ら関心を向けている点でしょう。

 本書によれば、「ポロックは、競技場(アリーナ)に捕らわれた一人の画家であり、そこで行われる創作活動は、儀式化されてはいるが依然として爆発的なものであった。何枚もの広大な画布が、額縁の内側に収容された物体であることをやめ、環境と化した。それらはまた、存在している事物を独立的に描写するための構成的空間であることをやめた」とされ、「芸術家とその対象との分離が、転覆されつつあった。芸術の主題が、いよいよ自分自身の制作過程になった」というわけです(本書P.60)。
 要すれば、オスが、再び中世の騎士のように自分自身で行動するようになった、ということではないかと思われます(注10)。

 それまでの「進化を転覆」してしまうこのような結果をもたらしたのは、本書によれば、「ポロックに関するナムスの写真とファルケンベルクの映像」があったからこそとされています〔前者についてはこのサイトで、後者についてはこのサイトで映像を見ることが出来ます(注11)〕。
 すなわち、「ナムスの写真とファルケンベルクの映像は、ポロックの絵画活動が、そこにいない者に向けられたダンスであることを明らかにした」のです(本書P.60)。

 リンギス氏の分析は、このあとの「カドリーユ」の章において、キジオライチョウとかアオアズマヤマドリといった鳥類が行う実に興味深いパフォーマンスに向いますが(注12)、長くなるのでこのへんでやめておきましょう。

(3)ところで、リンギス氏の『Body Transformations. Evolutions and Atavisms in Culture』を翻訳して『変形する身体』として刊行した小林徹氏は、拙ブログのこのエントリの(3)で紹介しましたように、1年半ほど前、浩瀚な『経験と出来事』(水声社)を著したフランス哲学の専門家です。
 そんな人類学者ではない哲学研究者が、どうして叢書「人類学の転回」に含まれる本の翻訳に携わったのか、一見すると不思議な感じがします。
 ですが、本書の「「メキシコのヴァルハラで」―訳者あとがき」において述べられているように、原著者のアルフォンソ・リンギス氏は、「アメリカ合衆国の哲学者であり、メルロ・ポンティ、レヴィナス、ピエール・クロソウスキーの英語翻訳者」なのです(注13)。
 であれば、メルロ=ポンティの研究者である小林氏が本書を翻訳するのは、まさにうってつけと言えるでしょう(注14)。
 現に、同じ「訳者あとがき」では、「身体とは何か。リンギスはそれを、モリス・メルロ=ポンティの『知覚の現象学』に(暗黙のうちに)依拠しつつ、準視覚的な「身体イメージ」と言い換える」などと述べられていますが(注15)、まさに訳者ならではと思います。

 それに、先に取り上げた拙ブログのエントリの(5)や「注14」で触れたように、小林氏の言葉に対する感覚は大層優れているところ、その点は本書でも遺憾なく発揮されています。
 このエントリで引用している箇所からもある程度おわかり願えると思いますが、翻訳本にありがちな、生硬で、主語と述語が酷く離れていて何度も読み直さないと意味を汲み取れない文章、といったものにお目にかかることはありません。書かれている内容自体が難解で簡単に読み飛ばせない箇所もあるとはいえ、大部分のページでは、実にリズミカルで明晰な文章が綴られていて、どんどん読み進むことが出来ます。

(4)本書によれば、ジャクソン・ポロックがなしたことは、1970年あたりに出現した女性のパフォーマンス・アーティストに変質した形で引き継がれていくことになります(注16)。
 とはいえ、冒頭で申し上げたように、今でもスマホ・ケースのカバーとかTシャツにポロックの図柄が使われていることをかんがみると、そうしたものを飛び越えて、むしろ、現代人の“身体の変形”に直接的に寄与しているのではないか、とも思えてしまいます。

 そんないい加減なことはさておいて、このエントリでは非常に興味深い『変形する身体』のごくごく一部しか紹介できませんでしたので、ぜひ皆さんも、本書を書店で手に取られて全体をご覧になっていただきたいと思います。本書を起点にしながら、さまざまなことについて思いを巡らすようになることは間違いありませんから。



(注1)『黄金のアデーレ 名画の帰還』についての拙エントリの「注3」で触れているように、MOMAは、映画で中心的に取り上げられた『アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像Ⅰ』(1907年)の姉妹作『アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像Ⅱ』を所蔵しています。

(注2)例えば、日本では、2012年に『生誕100年 ジャクソン・ポロック展』が開催されています。

(注3)スマホ・ケースについては、例えばこちらを。



 また、この記事(2015.7.29)においては、「マストバイ!買うべきユニクロTシャツ3選」の一つに「SPRZ NYグラフィックT(ジャクソン・ポロック・半袖)」が挙げられています。



(注4)Wikipediaのこの記事によれば、カドリーユとは「4組の男女のカップルがスクエア(四角)になって踊る歴史的ダンス」(このダンスでは「絶えずパートナーが入れ替わる」ため、性淘汰を取り扱う章のタイトルに使われたのでは、と思います)。

(注5)本書の中で一番長大な章となっています。

(注6)Wikipediaのこの記事では、性淘汰とは「異性をめぐる競争を通じて起きる進化のこと」とされています(ただし、その記事では、「性淘汰は通常は自然淘汰とは別のメカニズムとして論じられる」とはいえ、「広義には性淘汰は自然淘汰に含められる」と記載されています)。

(注7)Wikipediaのこの記事では、ディスプレイとは、鳥類の生態について、「求愛や威嚇などの際、音や動作・姿勢などで誇示する行為」とされています。

(注8)主に取り扱われているのは、中世ヨーロッパの騎士のディスプレイ行動です。
 例えば、「性別間の激しい競争は、事実上の一夫多妻制とあいまって、騎士たちの猛々しい活力、攻撃的な気性、芝居じみた衣裳、そして手の込んだ仕方で特殊化されたディスプレイといったものを進化させる結果となった」と述べられています(本書P.56)。

(注9)制作された作品の方面から見たら、彼の絵は非常な高値で市場で取り引きされているのですから(例えば、この記事を参照)、事態は以前とあまり変わりがないように思えます。

(注10)「パトロンや蒐集家に色気をもたらすという芸術的オブジェの社会的・性的な機能が、パフォーマーとしての芸術家に転移したのである」(本書P.62)。

(注11)後者の動画は、ハンス・ナムス(あるいはネイムス)とポール・ファルケンベルクの共同制作によっているようです(このサイトの動画では、約10分のうち3分強にわたって字幕が付けられています)。
 なお、この動画は、BBCが制作したドキュメンタリー映画『ポロック その愛と死』(2006年)の中でもかなりの部分が使われています。



(同作の大部分は、ポロックを取り巻く人々の証言から成り立っています。興味深いのは、ポロックが1956年に交通事故死した際に、同じ車に乗っていた愛人のルース・クリグマン は生き残り、この作品に出演して証言している点でしょう)。

 また、ポロックは、劇映画『ポロック 2人だけのアトリエ』(2000年)において取り上げられています。



 この作品は、監督・脚本・主演のエド・ハリス(同作でアカデミー賞主演男優賞にノミネート)によって制作され、ポロックの妻リー・クラズナーを演じたマーシャ・ゲイ・ハーデン(『マジック・イン・ムーンライト』)が、その演技でアカデミー助演女優賞を受賞しています。また、ポロックの愛人のルース・クリグマンをジェニファー・コネリー(『ノア 約束の舟』)が演じています(なお、同作については、前田有一氏の映画評があります)。
 ちなみに、『ポロック その愛と死』の中でルース・クリグマンは、「(劇映画の)ポロックは、マーロン・ブランドに演じて欲しかった。二人は、自由奔放で天才的で気取らないところがそっくりだから」などと述べています。

(注12)例えば、キジオライチョウ(sage-grouse)について「2月下旬から3月上旬にかけて、雄鶏たちは伝統的な儀式が行われる競技場に集まる」云々と書かれています(本書P.67以降)。



 また、アオアズマヤマドリ(bowerbird)についても、オスは「東屋(あずまや)」を作り、その入り口の前に「さまざまな物品のコレクションをディスプレイする」、「それは、青いオウムの羽毛であったり青い花々であったり、………青いボタンであったりする」(本書P.75)と述べられています。



〔こうした文章だけではなかなか動的なイメージがつかめないところ、前者についてはこのサイトの動画で、後者についてはこのサイトの動画で、ある程度把握できるように思われます〕。
 あるいは、キジライチョウとアオアズマヤマドリとは、人間界の中世騎士と大実業家とに対応しているのかもしれません。

(注13)Wikipediaのこの記事でも、「彼(アルフォンソ・リンギス)の博士論文は、……フランスの現象学者モーリス・メルロ=ポンティとサルトルについての議論をテーマにしたものだった。アメリカに帰国後、……たちまちにしてメルロ=ポンティやレヴィナスの翻訳者として名声を博するようになる」と記載されています。

(注14)拙エントリの(4)で触れましたように、小林氏の『経験と出来事』の第3部第5章「絵画の力」は、ジル・ドゥルーズのフランシス・ベーコン論に触れています。
 その際小林氏は、同書の目的に従って、「(絵画に関する)メルロ=ポンティの議論とドゥルーズの議論とを接合」(同書P.315)させる方向で叙述を進めているところ、フランシス・ベーコンについてドゥルーズは、最近新訳が出された『フランシス・ベーコン 感覚の論理学』(宇野邦一訳、河出書房新社:2016.2)の「第12章図表(ダイアグラム)」の中で、次のような点から、ここで取り上げているポロックを対置させています。
 すなわち、「画家のそれぞれの違いは、この非具象的なカオスをいかに抱擁するか、来るべき絵画の秩序を、この秩序とカオスとの関係をいかに評価するかによって生じる」と述べた上で、「この点に関しておそらく三つの方向が区別できるだろう」として、一つの方向は、モンドリアンやカンディンスキーらの「抽象絵画」であり、もう一つの方向は、ポロックらの「抽象表現主義あるいはアンフォルメル芸術」だとしています(同書P.140)。
 ただし、ドゥルーズは、ポロックの出来上がった画だけを見ているのではなく、「アクション・ペインティング、絵のまわりの、あるいはむしろ絵の中の、画家の「熱狂的ダンス」、絵は画架の上に広げられるのではなく、広げないまま床の上に釘付けされる」といった点も忘れてはいません(同書P.142)。
 また、ドゥルーズによれば、フランシス・ベーコンは、それらのいずれの方向にも進まず第3の道を歩んだとしていますが(フランシス・ベーコンについては、この拙エントリを参照してください)。

(注15)まさに、本書がポロックを取り扱っている箇所で「身体イメージ」という用語が使われています〔「姿勢維持的図式は、「身体イメージ」を発散しているのだ」(本書P.61)〕。

(注16)本書によれば、そうした女性のパフォーマンス・アーティストの一人オルラン(例えば、この記事を参照)は、「メジャーな芸術作品を自分の顔に彫りつけることを試み」ているが(本書P.62)、それは「新しい種類の男性を選別し、新しい騎士集団を召喚する」とされます(本書P.65)。

吉本隆明の経済学

2014年11月03日 | 
(1)先日の拙エントリで取り上げました小林徹氏の著書『経験と出来事 メルロ=ポンティとドゥルーズにおける身体の哲学』(水声社)を読んでいましたら、その第4章で「〔ドゥルーズによれば〕命題のシステムは、「指示」「表示」「意義」という三つの言語的機能によって制御され、「言語が意味を持つ」という事態を成立させている」という文章に遭遇しました(同書P.77)(注1)。
 するとここでもまた、そのエントリの(4)で申し述べたのと同じような酷く手前勝手な連想が沸き起こりました。すなわち、吉本隆明著『言語にとって美とはなにか』(注2)に登場する「指示表出」と「自己表出」です。

 言うまでもなく、小林氏の著書で取り上げられている事柄は3項で吉本隆明のは2項であって、両者で形は異なるわけですが(注3)、こうしたいい加減な思い付きも小林氏の著書を読む一つの取っ掛かりになるのではと考えました。

(2)しかしながら、吉本隆明の著書はかなり古い時期に書かれたものであり、加えて彼自身2年前に亡くなったことでもあり、いまさらそんなことを指摘するまでもないと思い、同エントリでは書くことを控えました。
 そうしたところ、丁度先月中旬に、中沢新一氏の手になる『吉本隆明の経済学』(筑摩選書:以下、「本書」とします)が刊行されたことを知りました。書店でどんな内容なのだろうと思って覗いてみたら、その第1部の第1章から第3章において、「指示表出」とか「自己表出」といった吉本用語が処々に散見されるではありませんか(注4)!
 早速、ザッとですが読んでみました(注5)。

(3)本書でクマネズミが興味を持ったのは、例えば次のようなところです。
 「言語は、自己表出指示表出というふたつの表出からできています(注6)。そして、潜在化した指示表出を通った自己表出が言語の価値です。それはまさに、マルクスが交換価値が要するに価値なのだといっているのとおなじことで、自己表出が価値なんです」(P.61)。

 「ぼくは『言語にとって美とはなにか』の言語概念をどこから作ったかといいますと、〔ソシュールと〕おなじくマルクスの『資本論』から作りました。……そして、ぼくはどこに着目したかというと、「使用価値」という概念が、言語における指示性(物を指す作用)、それから「交換価値」という概念が、「貨幣」と同じで、万人の意識あるいは内面の中に共通にある働きかけの表現(自己表出)に該当するだろうとかんがえたんです。言語における「指示表出」と「自己表出」という概念を、「商品」が「使用価値」と「交換価値」の二重性を持つというところで、対立関係をかんがえて表現の展開を作っていきました」(P.87)。

 これらからすると、吉本隆明がマルクスの議論を鵜呑みにしているように見えますが、決してそうではなく、例えば、マルクスの価値論は「ちょっと息苦し」く、「娯楽とか芸能とか遊びとかも、手を加えた価値化に包括したらいい、とぼくはおもいます。そうすれば価値論も息苦しくなくなるのではないか、ということです」(P.60)と述べたりしています。

(4)その話も興味深いことではありますが、ここでは、冒頭で触れた小林氏の著書との関連で、別の点を取り上げたいと思います。

 吉本隆明は、マルクスの価値論について、ほかに「マルクスの「労働価値」概念と、実際に具体的な現実の市場での商品の価格とのつながりがうまくいかないという批判のされ方もあります」と述べています(P.91)。
 いわゆる「転形問題」でしょう。

 この問題は、Wikipediaで言われているように、マルクスの『資本論』第1巻の冒頭の価値論では、労働価値ではなく生産価格が取り扱われているのだとみなせば、もしかしたら「最終的に、擬似問題(pseudo problem)として決着」しているかもしれません。
 ですが、吉本隆明は本書において、ワルラスが「交換価値という現象は市場において生ずるもの」と述べていることに対して、それは「マルクスの(労働)価値イコール交換価値として商品に内在するという考えを意識して、それに異をたてるためになされた規定だといっていい」が(P.119)、ワルラスは「労働価値説の批判に深入りできなかった」と述べて(P.122)、マルクスの労働価値説を高く評価しています。
 ただそうなると、また振り出しに戻ってしまい、「転形問題」をどう解決するのだ、ということになってしまいます(注7)。

(5)そして、この問題は、吉本隆明の言語論にもつきまとってくるのでは、と思います。
 というのも、マルクスが、商品の価値を交換価値(=労働価値)に見出しているのと同様に、彼は言語の価値を自己表出に見出し、前者が数量的に比較できるのに対応して(注8)、後者も比較可能と考えているようです。
 というのも彼は、「Aという作品とBという作品は、どちらが文学的な価値があると決められる文学理論、文学の考え方を作りたくて、『言語にとって美とはなにか』を書き」、「内在的に内側から決められる価値概念で、言葉の価値を決められれば、文学としてこっちの方は価値があるけれども、こっちの方は価値がないと言えるはずだという考え方を展開していきました」と述べていますから(P.36~P.37)(注9)。

 要するに、商品に内在する労働価値と同じように、言語には何か「言語の価値」といった実体的な共通するものが内在していて比較できるのだ、ということではないでしょうか?
 でも、クマネズミには、ワルラスに従って、商品に労働価値など内在せず、あるのはただ市場の需要と供給で決まる価格のみであり、同様に、言語の場合であっても、予め言語の価値などというものが存在するわけでなく、あるのは単に他人とのコミュニケーションだけなのではないか、と思えます。

(6)ここで小林氏の著書です。
 小林氏が、その『経験と出来事 メルロ=ポンティとドゥルーズにおける身体の哲学』の中で次のように述べる点こそが、ここでの問題の要の点なのではと思えるところです。すなわち、
 「言語とは本質的に、われわれを他者との交流の内に全面的に投げ込む運動なのである。「語る主体」はそれゆえ、自由であるからといって個々別々に孤立した存在者ではなく、何よりもまず共存的意識であり、相互主体性なのである。何事か語るべきものが心中に芽生えるとき、われわれはすでに他者と共にあり、「語る主体」として、言語という運動体の内部に組み込まれているのだ」(同書P.47)。
 「言語には他者の存在が絡み合っている。私と他者との間に何らかの関係が結ばれていない場所には、言葉が生じることはない。誰しもひとりで言葉を発することはできない。たとえ、独り言の場合であっても、私は私に語りかけているのであり、そこには自己と自己との関係がある。しかしこのような関係は、言語活動に先立って決定されているわけではない。むしろ我々は、語ることによってこの関係を直接的に生きることによってのみ、それを確証するのである」(同)。

 マルクスの労働価値説では、市場で当該商品を他者と取引するという観点が後ろに退いてしまっているように見えるのと同様に、吉本隆明の言語論においても、コミュニケーションの場において他者と語るという視点が見えにくくなっているように思えてしかたがないところです(注10)。



(注1)ここの部分は、ドゥルーズ著『意味の論理学』(小泉義之訳:河出文庫)の「第3セリー 命題」に対応しているでしょう。
 なお、小林氏に従ってもう少し言えば、「まず言語は語によって事物を「指示」する」。また、「語が「意味」を持つためには、「「語る主体」が必要であ」り、命題は「「語る主体」の思考を「表示」する」。「この機能においては、(「指示」のように)真偽の区別ではなく、主観的な誠実さあるいは欺瞞が問題となる」。そして最後に、「命題は自らを他の命題へと差し向ける「意義」の機能を持っている」のであり、「命題間の意義的関係を支えるのは、……論証が論理学的な価値を持ちうるための真理条件である」(同書P.77)。

(注2)現在、角川ソフィア文庫版で読めますが、単行本(勁草書房刊)は1965年の発行です。

(注3)尤も、『言語にとって美とはなにか』においては、言語に関してさらに、「意味」〔「意識の指示表出からみられた言語の全体の関係」(文庫版P.89)〕、「価値」〔「意識の自己表出からみられた言語の全体の関係」(同P.102)〕、それに「」〔「言語の指示表出と自己表出の交錯した縫目にうみだされる」(同P.116)〕という3つの概念もまた提起されていますから、小林氏の著書で取り上げられている3項に対応するのは、吉本隆明の場合5項だと言えるかもしれません〔ただ、後の3項(「意味」「価値」「像」)はいずれも前の2項(「指示表出」「自己表出」)がらみのものですから、やはり2項というべきかもしれません〕!

(注4)前のエントリで申し上げたように、映画『幻肢』を見たのと小林氏の『経験と出来事 メルロ=ポンティとドゥルーズにおける身体の哲学』を書店で目にしたのが同時期でしたが、まさに同じようなシンクロニシティを今回も感じたところです。

(注5)本書は、吉本隆明の数多い著作の中から12の講演(8)・論考(4)を選び出した上で中沢氏が解説を加えたものを第1部(「吉本隆明の経済学」)とし、中沢氏の論考(「経済の私的構造」)を第2部とするという構成をとっています。
 全体が380ページと大部でありながら、講演録が多いこともあって、吉本隆明関係の著作としては随分と読みやすいように思います。

(注6)本書のP.17では、「言葉は〈指し示し〉〈伝える〉という機能を実現するのに、いつも〈指し示さない〉〈伝えない〉という別の機能の側面を発揮する」とされ、さらには、P.34では、「指示表出というふうに何かを指す使い方と、自己表出という、自分の持っている表現性の元になっているものに対する表現の仕方」とされています。

(注7)最近刊行された『若者よマルクスを読もうⅡ 蘇るマルクス』(内田樹・石川康宏著、かもがわ出版、2014.9)でも、マルクスが、その著『賃金、価格および利潤』において、「市場価格は需要と供給のバランスにより価値(その生産に必要な相対的労働量)を中心に変動する、といった価値論の基本点を解説」しているとして(同書P.166)、価格と労働価値との関係について、まるで何の問題もないかのように述べられているところです〔「市場価格は需要と供給のバランスにより価値(その生産に必要な相対的労働量)を中心に変動する」などということが現実に起きているのでしょうか?〕。

(注8)本書のP.31では「労働時間の大小で価値が決まるという価値論の基本」と述べられています。

(注9)『言語にとって美とはなにか』では、例えば、「A わたしの表皮は旱魃の土地よりも堅くこわばり」と「B わたしの表皮は堅くこわばり」という二つの文章を比較し、「Aではひびわれた土地の像(イメージ)に表皮が連合されて、それだけ自己表出とそれにともなう像の指示性は影響され、つよめられ、したがって意味もまた変化をうける。AはBよりも言語の価値あるとすべき」と述べられています(文庫版P.105)。

(注10)本書において、吉本隆明は、「三木〔成夫〕さんは、人間について、植物神経系の内蔵―大腸とか肺とか心臓といったものですが―の内なる動きと、人間の心情という外なる表現は対応するし、また動物神経系の感覚器官と、脳の表面の動きは対応するとかんがえています」が、「植物器官を主体とした表現を自己表出といえばいいのではないか、〔ぼくは〕そうかんがえました」と述べています(P.61~P.62)。
 ここでは、「表現」ということで他者を想定しているのかもしれませんが、どちらかといえば言語をそれ自体のものとして捉えようとしているのではないかと、クマネズミには思えます。
 また、『言語にとって美とはなにか』では、「言語は、動物的な段階では現実的な反射であり、その反射がしだいに意識のさわりをふくむようになり、それが発達して自己表出として指示機能をもつようになったとき、はじめて言語とよばれる条件をもった」と述べられていますが(文庫版P.38)、これもまた他者を余り想定していない言い方なのではと思えるところです。

経験と出来事

2014年10月20日 | 
(1)前回のエントリでは映画『幻肢』を取り上げましたが、同エントリの「(2)」で触れた「幻肢」(あるいは幻影肢、もしくは幻像肢)の現象について考察したのが、著名なフランス哲学者のメルロ=ポンティです(注1)。

(2)彼は、主著とされる『知覚の現象学』(注2)において、件の「幻肢」につき、だいたいこんなことを述べています(注3)。

・「幻肢」は、生理学によっても心理学によっても説明できない現象である(注4)。

・「幻肢」は、我々は「世界内存在」である(我々は、ある環境の内にしっかりとつなぎとめられている)、という視角から見てはじめて了解できる現象である。
 つまり、手足の切断を認めまいとするのは、今までどおりの自分の世界に立ち向かおうとしていることであり、「腕のみがなしうるところのあらゆる行動の可能性を今もなお所持しているということである」(注5)。

・要すれば、「幻肢」の現象は、(「私の」という)人称的な「現実の身体」の層によっていわば「抑圧」されている(「ひと」という)非人称的な「習慣的身体」の層が、顔をのぞかせ、一時的に「現実の身体」につきまとう、ということであろう(注6)。

(3)さて最近、渋谷の大型書店を覗いてみたところ、なんとまさにこのメルロ=ポンティと、さらには同じくフランスの哲学者ジル・ドゥルーズ(注7)とを主題的に取り扱っている新刊本『経験と出来事 メルロ=ポンティとドゥルーズにおける身体の哲学』(小林徹著 水声社)が、哲学・現代思想コーナーに陳列してあるではありませんか!
 普段から至極ミーハーなクマネズミは、これも何かの縁と思い、本文が350ページに及ぶ分厚さにもかかわらず、早速目を通すことにしてみました。

 とはいえ、本書は、ただでさえ難しいメルロ=ポンティのみならず、独特の言い回し(注8)などで素人のアクセスを困難なものにしているドゥルーズまでも取り上げているために(注9)、読む側に一層の負担を強いるものになっています。
 それに、元々本書は、新進気鋭の哲学者である著者の小林徹氏(注10)が、留学先のパリ第一大学に提出した博士論文の「翻訳改訂版」であって(注11)、高度に専門的な著作。哲学方面の専門的な訓練を受けたことがないクマネズミにとって、到底歯が立つようなシロモノではありません。あえなく途中で挫折してしまいました。

 それでも、ネズミ特有の前歯を使ってところどころ強引に齧ったところから本書の全体の構想を少しだけ推測してみると、次のようになるかもしれません。すなわち、
 メルロ=ポンティとドゥルーズの哲学の間には随分と大きな溝がある〔第1部:「それぞれ独自の身体概念を打ちたて、それを刷新し続ける」(P.18)〕。
 でも、二人の依って立つところを定めてその溝を明確化すると、逆に二つの哲学が交叉する点も見えてくる〔第2部:「そこにはいつも一つの同じ〈身体〉が留まっている」(同)〕。
 そして、この交叉するから絵画とか映画といった視覚芸術を眺めると、現代思想の要のところが見えてくる〔第3部:「現代的な思考に相応しい身体概念(〈身体〉)の在り処を指し示す」(同)〕。

 ただ、そんな青写真をいくら描いてみても、持ち合わせの貧弱な素人がその中に入り込むことは困難を極めます。
 思うに、本書がクマネズミにとり難解なのは、勿論、専門書だからということが第一ですが、それだけでなく、類書に見られない姿勢で書かれていることも大いに与っている気がします。
 すなわち、本書の場合、「序論」の冒頭で「透明に、偏りなく。これが本書を貫く主要なモチーフであるある」(P.13)と述べられているように、メルロ=ポンティとドゥルーズの著作に限りなく寄り添いながら、その間から垣間見えてくるものを探し出す著者の作業がスリリングに進められているのが特色的でしょう。
 ただそんなことをすれば、何しろ「彼らの間には、少なくとも公式には討論も対話も行われなかった」のですから(P.15)、著者の作業が困難を極めたものになるのは当然でしょうし、読む側にも忍耐が求められます。
 それでも、読者は、彼らの哲学を解説する著作を読む場合のように単なる知識を取得するだけに終わるということはまったくありませんし、また彼らの哲学を踏み台にして自説を展開する著作のようないかがわしさを感じることもないでしょう。むしろ、著者に導かれつつ、「ある哲学的言説の純粋な展開に身を置くこと」(P.13)によって、読者も自ずと一緒に哲学せざるを得なくなるものと思います。

(4)もしかしたら、こういった大層専門的な著作を素人が読む場合には、行きつ戻りつしながら時間をかけなければならないにしても、どんなことでもかまいませんから何か取っ掛かりとなる点があれば、前に進み易いかもしれません。

 例えば、上で問題にした「幻肢」は、本書とどのように関連してくるでしょうか?
 メルロ=ポンティは、上で見たように、「幻肢」の現象は生理学によっても心理学によっても説明できない現象であるとしていますが、その際、生理学は経験主義に基づくものとし、心理学を主知主義に依っているとしていますから(注12)、結局のところは、経験主義と主知主義のいずれをも認めていないことになるでしょう。
 そしてこのことは、本書の第1部第1章で述べられている文章、すなわち、「ここに、科学的思考の経験主義と、観念論的哲学の主知主義に対するメルロ=ポンティの二重の闘いが存する」とか、「「経験主義も主知主義も、知覚的世界が織り成している複雑な構造についての、抽象的な二つの見方にすぎない」といった文章(いずれもP.38)に接続されるのではないかと考えられます。

 また、例えば、本書の第1部第2章では、「われわれは、いわば他人の身体の内部に住み着くことによって、そして同時に私自身の身体にその所作を住み着かせることによって、その「意味」を知るのである。このような相互身体的交流に、個人的なものにせよ集団的なものにせよ、「意識」や「意図」が介入する余地はないだろう」(P.49)と述べられていますが、その文章は、ちょうどその頃DVDで見た『グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち』(1997年)(注13)を想起させました。
 というのも、その作品のラストでは、ショーンロビン・ウィリアムズ)はウィルマット・デイモン)をセラピストとして診るのですが、最後には、言葉なしに突然二人が抱きあうことによって、黙って、ショーンはインド・中国に旅立ち、ウィルもカリフォルニアに行った恋人に会いに行くことになるのです。
 要すれば、ショーンは、既存の理論でウィルを一方的に診断・治療しようとするのではなく、真剣に話し合っていくうちに、相手の心も開いていきますが、自分の心も知らず知らずと変わってしまうのです(ショーンはウィルに対して、こうすべきだああした方がいいなどとは決して言いません)。
 著者が本書で書いているのとは次元が違うことを申し上げているかもしれませんが、「相互身体的交流」という言葉に興味が惹かれたところです。

 更に言えば、拙ブログでは、本書の第3部第2章「スタイルの発生」で取り上げられているパウル・クレーについて、このエントリでほんの少々ながら触れましたし、また、このエントリで取り扱っているフランシス・ベーコンは、本書の第3部第5章「絵画の力」で議論されています。
 もっと言えば、第3部第6章「運動と時間―二つの映画論」は、拙ブログ全体にかかわるテーマを取り扱っています。

〔追記:本項に関連したことをこの拙エントリで書きましたので、そちらをもご覧になっていただければ幸いです〕

(5)こんなあれこれがわかってくると、本書に対する興味がまた一段と沸き起こってきて、どうやらこの秋冬は再度本書と格闘するハメになりそうです。
 その際にクマネズミにとり救いとなるのは、大層明晰で淀みなく流れるような文章によって本書全体が綴られていることです(注14)。近頃目にすることが珍しいこうした素晴らしい文章を味わうのもまた無上の愉しみとなるでしょう。

 みなさんも、興味を持たれたら、どうぞ一度書店で本書を手にとってご覧になられては如何でしょうか(注15)?



(注1)拙ブログでは、以前、このエントリメルロ=ポンティに触れたことがあります。



 なお、「幻肢」の問題を取り上げた哲学者はメルロ=ポンティだけでなく、古くはデカルトがいます(その『哲学原理』において、いわば生理学的な説明を行っています:例えば、このサイトの記事を参照)。

(注2)中島盛夫訳(法政大学出版局、1982年刊)。なお、以下の『知覚の現象学』からの引用は、すべてこの邦訳によっています。

(注3)ここらあたりの記述は、木田元著『メルロ=ポンティの思想』(岩波書店、1984年)の「Ⅲ-3」に依っています。
 なお、ここでの要約では、あまりにも簡略にすぎるかもしれません。
 例えば、中山元氏のこのエッセイ(「幻影肢の問題性 『知覚の現象学』を読む(四)」)が参考になるのではないでしょうか。

(注4)「(幻像肢は、)生理学的説明も心理学的説明も、また両者の混合による説明も受けつけないのである」(『知覚の現象学』P.147)。
 『知覚の現象学』では、さらに次のように述べられています。
 「コカインによる麻酔も幻像肢を消滅させることはできない。肢体を切断されていない場合でも、脳髄の障害につづいて幻像肢体が現れることがある」(P.141)。むしろ、「この現象は実際に、「心的」な決定因子に依存している」のだ(P.141)。しかしながら、「いかなる心理学的説明も、脳髄に向かう感覚導体の切断が幻像肢を消失せしめるという事実(脳に通じる求心性の神経を切断すれば「幻肢」は消えてしまうということ)を、無視することは許されない」(P.142)。従って、「心的決定因子と生理的条件とが、どのように噛み合うかを理解しなくてはならない」のだ(P.142)。

 ちなみに、映画『幻肢』の劇場用パンフレット掲載の原作者・島田荘司氏のエッセイ「『幻肢』への想い」では、「幻肢」について、「これは簡単に言うと、前頭葉の運動野が筋肉に向かって出した命令を、四肢の断端付近が、存在しない筋肉が命令通りの運動を成したとする偽の情報を戻すことによって、小脳と前頭葉をだますという現象です」と説明されていますが、生理学的な説明といえるでしょう。
 更にそこでは、「これは、四肢の喪失という絶望が、その個体の生存に危機をもたらしかねないような深刻な局面においては、保身のため、脳が喪失部位の幻を見せる、ととらえることも可能です」とも説明されていますが、心理学的な説明といえるでしょう。

(注5)『知覚の現象学』P.149。

(注6)映画『幻肢』で描き出される谷村美月)の「幽霊」についても、自動車事故によって雅人吉木遼)の無意識の中に「抑圧」された遥の姿が、雅人がTMSを受けることによって次第に雅人の現実の世界に現れ出てきたもの、というように解釈できるかもしれません。
 この場合、「幻肢」が患者本人しか認められないのと同じように、映画における遥の「幽霊」も、雅人によってしか見ることができません。
 ただ、一般に言われる「幽霊」にはそのような制限があるとはされていませんから、「幻肢」現象から「幽霊」を説明しようとする雅人の仮説(前回エントリの「注6」を参照)の一般性には疑問がもたれるところです。

 なお、前記の「注4」で触れたエッセイにおいて島田氏は、「子供や恋人など、その個体にとって自身の四肢と同等の重要さを持つ外部の存在が失われた際、脳はこの「幻肢」のプロセスを利用して、そうした他者の姿を見せ、生存のための前頭葉をだまそうとする、それが幽霊なのだ、ととらえることもできます」と述べているところ、この説明では、「幻肢」と同様に幽霊はいつでも見えている必要があることになります。ですが、映画において遥の幽霊が現れるのは、雅人がTMSを受けた際に限られているのです。

(注7)拙ブログでは、以前、このエントリの(2)とか、このエントリの「注2」や「注10」でドゥルーズにほんの少々触れたことがあります。



(注8)本書においても、「アイオン」、「クロノス」、「器官なき身体」などといった用語が用いられています。

(注9)本書の「参考文献」で取り上げられていますが、昨年から本年にかけてドゥルーズを取り上げている著作が次々と刊行されています〔例えば、千葉雅也著『動きすぎてはいけない―ジル・ドゥルーズと生成変化の哲学』(河出書房新社):なお、同氏については、このエントリで取り上げています〕。

(注10)本書の奥付にある略歴によれば、1975年生まれ。

(注11)本書の「あとがき」によります。

(注12)『知覚の現象学』では、例えば、「知覚の生理学は、一定の受容器から発し一定の伝達器を経て、これもまた特殊化した記録係に達する解剖学的な道程を、最初から仮定してかかる」と述べられ(P.35)、合わせて「経験主義は、われわれの知覚内容を、感覚器官に作用する刺激の物理-科学的性質によって改めて定義し、怒りや苦痛を、宗教や都市を、近くできないものと見なすのである」と述べられていることからすれば(P.61)、生理学が経験主義に基づいているとメルロ=ポンティがみなしていることは明らかのように思われます。
 他方で、「知覚を「解釈」と見なす理論―こういう心理学者たちの主知主義―は、じじつ経験主義の相手方にすぎない」と述べられています(P.81)。

(注13)映画全体のストーリーについては、例えばこちらをご覧ください。



 なお、このDVDを見たのは、その頃映画館で見た『プロミスト・ランド』と同じ監督(ガス・ヴァン・サント)・主演(マット・デイモン)の作品だからです。

(注14)これは訳文にも及んでいます。
 例えば、『知覚の現象学』の「序文」からの引用ですが、中島盛夫氏の訳が「知覚は世界に関する一つの科学ではない。それは一つの行為ですらない。つまり熟慮を経た上での態度の決定ではない。知覚は、その上にあらゆる行為が浮かびあがる背景であり、行為はこれを前提としている」(P.7)となっているところ、本書では「知覚は世界についての科学ではない。それは行為や断定的な態度決定ですらない。それはあらゆる行為がその上に浮かび上がっている背景なのであり、それらが前提しているものなのである」(P.30)と訳されています。
 ほぼ同一内容の文章ながら、後者の方にクマネズミはメルロ=ポンティの畳み掛けるような息遣いを感じるところです。

(注15)本書の装幀も、森麗子氏(例えば、このサイトの記事が参考になります)の「地図」を使ったセンス溢れるものとなっています(装幀は、atelier fusain氏)。




豊臣秀吉の系図学

2014年07月20日 | 
 豊臣秀吉は、現在でも依然として話題性に事欠きません。

 最近でも、秀吉の軍師とされる黒田官兵衛の物語がNHK大河ドラマになって放映中ですし、また、「豊臣秀吉が太閤検地の実施以前に、大名らに土地の面積や石高を自己申告させた「指出検地」の具体的な内容を記した文書」が見つかったとの報道が新聞を賑わせています。
 
 そんななか、系図学の第一人者たる宝賀寿男氏が、秀吉を巡る系図をメインテーマにしつつ系図学のあらましを述べた著書を発刊しました(注1)。
 『豊臣秀吉の系図学』(桃山堂、2014年7月10日)です。 

 本書を読んで直ぐに目につくのは、全体が「です・ます調」とされているなど、誰にとっても実に読みやすく書かれていることで、特に、系図などの原典に当たることが少ない読者の便宜を考えて、インターネットとの連携が実に巧みに図られているのです。

 例えば、本書の14ページに概要が記載されている方法に従ってみましょう。最初に、普通のネット検索によって「東京大学史料編纂所」のウェブサイトを探し出し、「データベース検索」→「データベース選択画面」→冒頭にある「史料の所在」の「所蔵史料目録データベース」→「キーワード」の欄に「美濃国諸家系譜」とインプットし「検索」→「全表示」→第6冊目の「イメージ」→左側の欄にある「0400.tif」をそれぞれクリックすると、たやすく「竹中家譜一傳」に辿り着けます。

 また、本書の24ページにある渡辺世祐氏の「『豊太閤と其家族』〔国立国会111コマ〕」についても、「国立国会図書館」のウェブサイト→左欄の「デジタルコレクション」→検索欄に「豊太閤と其家族」をインプットして「検索」→黄色の網掛け→「コマ番号」の「111」を選択、という手順で、該当の引用句に出会えます(注2)。 

 そればかりか、こうした方法によってアクセス出来ない史料に関しては、本書の出版元の桃山堂のウェブサイト「豊臣秀吉の電子書籍」を開けば、右欄下に「『豊臣秀吉の系図学』で紹介している系図」というコーナーが設けられていて、例えば「『諸系譜』秀吉母方系図」をクリックすると、幕末生まれの鈴木真年(注3)という国学者の手になる系図を見ることが出来ます。

 こんな系図など初めてのクマネズミにとり、大変興味深い史料にいろいろ出会えたわけで、あたかも研究者の一員になりおおせたような気分です。
 さらには、パソコンのディスプレイ上ながらも、これらの系図等に実際に目で触れると、なるほど著者の宝賀氏はこうしたものを見ながら研究しているのだなと、楽屋裏を垣間見たような感じになります。

 さて、様々の史料を目の前にしながら本書を読み進めると、今度は、瞠目すべき著者の見解に色々と出会えます。
 その内容については、上記の桃山堂のウェブサイトに記載されている紹介文に簡潔にまとめられているのでそちらに譲りましょう。

 付け加えるとしたら、本書の210ページに掲載されている地図こそが、本書の核心的なところを鮮明にかつ具体的に表しているのではないかと思いました。なにしろ、秀吉に関係する者の居住地とか伝承が伝わる地区とかが、鉄鉱石鉱山の「金生山」(岐阜県大垣市赤坂)の周辺に集まっているというのですから(「もつれ乱れた種々の系図や所伝の結節点が赤坂エリア」本書P.208)!

 また、この拙エントリの最初のところで「生まれ故郷に近い滋賀県の彦根や長浜」と申し上げたクマネズミからすると、本書の「近江の丁野(秀吉父方のルーツ?)と美濃の杉原(おねのルーツ?)は、国境で隔てられてはいるものの、一日で歩ける距離だ」との記述(P.190)には随分と心がときめきます。というのも、丁野は滋賀県東浅井郡(現在は長浜市)にあり、少し離れたところではクマネズミの母方の親類縁者が住んでいるのです。

 色々申し上げましたが、皆さんも、関連する系図等をパソコンのディスプレイ上に見ながら、本書を読み進めるという無類の楽しみを味わってみてはどうでしょうか(注4)?



(注1)本ブログにおいては、宝賀寿男氏による既刊書について、不十分な取り上げ方とはいえ、その大部分を取り上げてきました。
 すなわち、この拙エントリでは、その(3)で『神功皇后と天日矛の伝承』(法令出版2008年)に、同エントリの「注13」で『古代氏族の研究② 葛城氏―武内宿祢後裔の宗族』(青垣出版、2012年)に、引き続く「注14」で『古代氏族の研究④ 大伴氏―列島原住民の流れを汲む名流武門』(青垣出版、2013年)に、それぞれ触れています。
 また、この拙エントリの①で『「神武東征服」の原像』(青垣出版、2006年)を、この拙エントリの③で『越と出雲の夜明け―日本海沿岸地域の創世史―』(法令出版、2009年)を、それぞれ取り上げています。
 さらに、この拙エントリで『巨大古墳と古代王統譜』(青垣出版、2005年)を取り上げています。

(注2)また、例えば、本書50ページにある「秀吉父方系図」については、「国文学研究資料館」のウェブサイト→左欄の「電子資料館」→「所蔵和古書・マイクロ/デジタル目録データベース」→「書名一覧」→“尊卑分脈”をインプット→「書誌詳細」の「200000669」→「画像データ」の「13冊」→「全57コマ」の「37」をそれぞれクリックすると、目的のものを見ることが出来ます。

(注3)鈴木真年については、本書でも1章が設けられて記述されていますが(「第九章鈴木真年と秀吉 知られざる学統」)、宝賀氏の『古代氏族系譜集成』(古代氏族研究会、1986年)では、第一部「古代氏族系譜についての基礎的考察」の第一編が「鈴木眞年について」と題されて、様々な検討がなされています(なお、Wikipediaの「鈴木真年」の項を参照)。

(注4)本書を読む楽しさは、なんといっても著者の斬新な見解に接することにありますが、そればかりではありません。
 例えば、「太閤母公系」において秀吉の母方の遠い先祖が佐波多村主とされている点を検討するに際しては、「村主はいまでも苗字として残っており、女子フィギュアスケートの村主章枝さんはそのひとり」といった記述(本書P.40)に出会います。
 また、本書の第七章では、映画『のぼうの城』に登場する「甲斐姫」(映画では榮倉奈々が演じました)が触れられています〔「慶長3年(1598年)3月15日、秀吉は、京都の醍醐寺を舞台に空前絶後の壮麗なる花見を催してい」るが、「この席に甲斐姫という人がいた可能性がある」(P.158)など〕!

最近の刺青事情(下)

2010年03月02日 | 
 昨日の続きです。

(4)宮下規久朗・神戸大学准教授による『刺青とヌードの美術史―江戸から近代へ』(NHKブックス、2008.4)(注1)の第5章「美術としての刺青」では、日本における刺青の変遷につき、あらまし次のように述べられています(P.170~)。



 「刺青は、おそらく縄文人にまで遡る呪術的な装身術であった」。『魏志倭人伝』にも記述があり、「『日本書紀』には刑罰として刺青を罪人に施した記事がある」。
 しかし「その後、刺青はずっと記録から消えている。数百年の間、日本人は刺青という風習を忘れており、「刺青絶無時代」であった」。
 刺青は、「17世紀前半の寛永ごろから徐々に復活し、享保5年(1720)、八代将軍の徳川吉宗がこれを刑罰として復活させた」。これ以降、「刑罰(黥刑)のほうは主に「入墨」、そうでないものを「彫物」とよ」ぶようになった。
 「18世紀後半の明和・安永期となると、侠客の間に刺青を誇示することが目立ってき」て、それに重要な役割を果たしたのが歌川国芳らの『水滸伝』の武者絵であり、これこそが「ワンポイントではなく、全身に大きな刺青を施すブームを作り出したといわれている」。
 ところが、明治維新になって、刑罰としての入墨を含めて刺青は全面的に禁止され、刺青は、昭和23年に禁止が解かれるまでの「76年の間にすっかり裏社会のものになった」。
 現在、「若者の間のファッションとして洋風のタトゥー」が「かなり普及している」が、「1970年代のヒッピー・カルチャーや70年代のパンク・ムーヴメント」の「影響を受けている」ものであって(注2)、「東京の若者が「自由」を求めてアメリカン・タトゥーを彫るのも、ヒッピー・ムーヴメントに端を発する反社会的行為である」。


(注1)以前、別のブログの記事に対するコメントの中で取り上げたことがあります。
(注2)同書には、江戸の花柳界では、「二の腕に「○○様命」と入れたり、胸ぐらに般若の面を彫ったりするのが「いき」とされるようになった」とあるところ、これとの繋がりは認められないのでしょうか?


(5)刺青というと、私の中ではタトゥーというよりも、やはり『緋牡丹博徒』とか『昭和残侠伝』といった「任侠映画」に登場するヤクザの背中一杯に展開される、日本の「和彫り」がすぐに思い浮かびます(注1)。
 「和彫り」については、上で触れたように『水滸伝』の武者絵が中心であり、その「基本的な図像は、19世紀中頃に生まれ、明治期の始めまでに確立した」と同書では述べられています。
 さらに、宮下氏は、「彫られた人の生がそのものが肉体を輝かせ、内面性と外面とが融合しているという点で、まさにに日本ならではの稀有な裸体芸術であった。しかしそれは一過性のはかない芸術であり、江戸期の社会風俗や習慣と分かちがたく結びついていたため、豊かな芸術的可能性を秘めながら、近代化された社会では存続できなかった」と述べています(P.205)。

 こうした見解は、「和彫り」を極めて高く評価した評論家の松田修〔『日本刺青論』 (青弓社、1989年)〕等からすれば、微温的にすぎるでしょう。
 ここで、昨年7月に亡くなった平岡正明氏に少し触れてみましょう。



 彼は、上記の『官能武装論』(新泉社、1989年)において、松田修の刺青論に基づき論を展開し、「刺青の根源にある原衝動は、縄文人の復権」などと言いながら(P.340)、同書の末尾では次のように述べています。
 「松田刺青学は、刺青こそ全マイナスを逆転して芸術にたかめた至高の、唯一の芸術であることを描きあげ、逆転の全課程を立証したものであるから、次の課題は、開放されて王位にのぼった刺青が、他のものの援軍にまわる番である。
 プロレタリア革命における刺青は告げるだろう。ただひたすら、武装衝突の現場に赴いて、双肌ぬいで「べらぼうめ!」と啖呵をきることは革命的である」。

 東大紛争まっただ中の昭和43年東大駒場祭のポスター「とめてくれるなおっかさん」が思い出されます(注2)!



 なお、「和彫り」については、宮下氏の著書において、須藤昌人氏の写真集『藍像』(ちくま文庫)が取り上げられていて、「刺青をひとつのオブジェとしてとらえ、その美を見事に伝えた写真芸術として特筆されよう」と絶賛されているところです。




(注1)とはいえ、斎藤卓志著『刺青墨譜』(春風社、2005年)には、「刺青とタトゥー、両者をどう見分けるか。現在それは不可能に近い。ある時代までは刺青が日本、タトゥーが外国といえた。同時に、手彫りが和彫り、機械で彫るのがタトゥーであった。しかしそれぞれが相互に入りあって境がなくなった」と述べられています(P.90)!
(注2)驚いたことに、この2月から書店に置かれている『新装版1968年グラフィティ』(毎日新聞社)の表紙に、このポスターが使われているのです!


(6)ところで、宮下氏の著書では、さらに、ニュージーランドのマオリ族などに見られる習俗としての刺青に関するクロード・レヴィ=ストロース(注1)の研究が紹介されています(注2)。


(マオリ族の刺青)

 該当するのは、『構造人類学』(みすず書房、1972年)に収められている論文「アジアとアメリカの芸術における図像表現の分割性」(同書第5章)です。
 同論文は、単に「刺青」というよりも、もっと広範な「図像表現」を取り上げ(注3)、南北アメリカと古代中国の芸術とニュージーランドのマオリ族の芸術との間に著しい類似性―図像表現における「分割性」(注4)という点で―が見られることに着目して、これを「伝播」の観点からとらえるべきなのか、そうではなくて「心理学か形式の構造分析」によるべきなのかを議論しています。

 ここで注目されるのは、次の2点でしょう。
イ)「たとえ伝播学派のもっとも野心的な再構成が立証されたとしても、なお生ずるであろう歴史とはかかわりのない本質的問題があるだろう。つまり、長い歴史的時代を通して借用されたり伝播されたりした文化的特性は、なぜ変わらずにもとのままであるのかという問題である」として(P.282)、構造分析の重要性を指摘しています。
 これは、伝播主義者の努力を否定するわけではないにせよ、「世界の二つの部分で装飾の細部や独特な形が明らかになると、たちまち、その二つのものにかなりの地理的・歴史的距離があっても、その起源が同じだとか、別の点では比較できない諸文化のあいだに先史時代にはたしかな関係があった」と言い立ててたことに対する疑問の提示だと考えられます(P.269)。

ロ)装飾図像全般という観点から、彫刻や絵画等まで分析の対象としています。それも、特定の時代に限定せずに、古代から近代までを共時的に取り扱っています。

 このように、刺青をもっと広範な「図像表現」の中で考えるべきだとしたら、単なる素人考えにすぎませんが、あるいは、このところ問題になった顔面整形も一連の検討の対象に入ってこないでしょうか。そして、もしかしたら、『ミレニアム』のリスベットが「鼻と眉にピアスをつけ」ている姿も(注5)、同じ観点から考えてみたら面白いのかもしれません。


(注1)昨年11月に亡くなったレヴィ=ストロースのライフワーク『神話論理』の翻訳の最終巻「裸の人2」(みすず書房)が、2月の末についに刊行されました。
(注2)宮下氏の著書において、「刺青絶無時代」にあっても「刺青の習慣は存続していたと推測され」ている、「奄美以南と琉球、アイヌの文化圏」の分析にも繋がっていくのではないかと思われます。
(注3)ブラジルのカドゥヴェオ族の場合は、「数日後には塗りなおさなければならない絵であり、野生の果実や葉の汁に浸した木のへらで描かれるもの」(P.274)。古代中国の場合は、殷の青銅器にある装飾芸術。
(注4)一つの顔(場合によっては、一つの個体全体)が、二つの側面像の結びついたものとして表わされることを指します。
(注5)『ミレニアム 1(上)』P.58。
  なお、その後、リスベットは、体のあちこち(乳首、下唇、左の陰唇)につけていたピアスをはずし、結果として、「耳にいくつかつけているピアスは別として、ボディピアスは左眉のリングピアスと鼻のピアス、へそにつけているアクセサリーの3つだけとなった」ようです〔『ミレニアム 2(上)』P.149〕。


(7) 覚醒剤取締法違反事件の元タレントの足首にタトゥーが入れられていたりと、刺青に関する話題は、映画以外のところでも尽きないようです。そして、チョット調べただけでも、刺青(タトゥー)は、歴史的にも地理的にも相当の広がりを持ったものだということも分かります。
 そういうところから、刺青(タトゥー)を巡る問題をきちんと分析することは大層難しく、ここでは論評はできるだけ差し控え、酷くまとまりのないものになってしまいましたが、簡単に事例を並べるだけにとどめておくことといたします。

最近の刺青事情(上)

2010年03月01日 | 
 スウェーデン映画『ミレニアム』に関する記事についてのコメントの中で、「Oldies狂」さんは、次のように述べています。「なぜリスベットは「龍の入れ墨」をしたのでしょうか。古代の夏王朝やタイ民族になどに見られる龍信仰には、民俗学的に興味があるのですが、ウラル語族であるフィン人の影響なのでしょうか、それとも個人的な嗜好なのでしょうか。この辺は、原作小説には触れるところがないのでしょうか」。
 以下においては、「Oldies狂」さんに対する直接的な回答には到底なり得ませんが、最近の映画に見られる刺青(タトゥー)のことや、刺青に関連する本などについて、ごく簡単に触れてみたいと思います。

(1)映画『ミレニアム』では、副題が「ドラゴン・タトゥーの女」とあるくらいですから、見る前は、タトゥーがいくつも映し出されるのではと思っていたところ、実際にはごく控えめな描き方しかされていません。

 ただ、スティーグ・ラーソンの原作では、ヒロインのリスベットは、「首に長さ2センチのスズメバチのタトゥーを入れ、さらに、左の二の腕と足首のまわりにも帯状のタトゥーをして」おり、「その肩甲骨に一層大きなドラゴンのタトゥーがあ」って、それは「右の肩甲骨から臀部にかけて」「身をくねらせてい」ているとされています(注1)。

 こうした原作の描写からすると、日本版の本の表紙に使われている下記の画像は、かなり簡略化されていると言わざるを得ないでしょう。



 原作では、リスベットが、どんな理由からたくさんのタトゥーを入れているのかについて、十分な説明はされてはいませんが、それでも、足首の帯状のタトゥーについては、「ある出来事を忘れないようにするため」に、さらにもう1本タトゥーを入れてもらうべく、リスベットは、ストックホルム市内にある「入れ墨の店」に出向く、とあります(注2)。とすると、彼女は、タトゥーの数だけ人に言えない大変な思いをしたことになるのかもしれません。

 また、スズメバチのタトゥーについては、17歳のリスベットがボクシングクラブで「男どもとスパーリング」をしたときの様子について、「リスベットとのスパーリングは、スズメバチと戦っているような感じだった。それで彼女はスズメバチって呼ばれて」、「ある日首筋にスズメバチのタトゥーを入れてクラブに現れた」とプロボクサーが証言しています(注3)。

 なお、肝心のドラゴン・タトゥーについては、リスベットの治療にあたったヨナソン医師が、「なぜその入れ墨をいれたの?」と尋ねたところ、リスベットは、「このタトゥーを入れた理由は個人的なことなので、話したくありません」と答えて終わってしまっています(注4)。


(注1)『ミレニアム 1(上)』(ヘレンハルメ美穂・岩澤雅利訳、早川書房)P.58、及び『ミレニアム 1(下)』P.211。
 なお、後者では、さらに「腰に漢字、ふくらはぎに薔薇のタトゥーがあった」と述べられています〔ドラゴン・タトゥーについては、加えて『ミレニアム2(上)』P.148において、「赤と緑と黒で描かれたドラゴンが、肩のあたりから下へ向かって長い体をくねらせ、すらりとした尾が右の尻を通って腿のところまで伸びている」と書かれています〕。
(注2)『ミレニアム 1(上)』P.349。
(注3)『ミレニアム 2(下)』P.147~P.153。
 なお、『ミレニアム 2(上)』P.33によれば、リスベットは、「ジェノヴァのクリニックに入院中」にこのスズメバチのタトゥーを消してもらっています。というのも、「このようなあからさまに目立つタトゥーをつけていては、人の記憶に残りやすく、身元の特定が容易になってしまうから」です。
(注4)『ミレニアム 3(上)』P.289。

(2)昨日取り上げた映画『50歳の恋愛白書』では、キアヌ・リーヴスの胸には、下の画像のように聖人の刺青(タトゥー)が大きく施されています。



 そう思って振り返ってみますと、最近見た映画には刺青(タトゥー)があちこちで飛び交っているのです。
 『フローズン・リバー』の主人公レイの腕にはタトゥーが見られ、そこから若い時分の様子が想像されますし、前々回取り上げた『板尾創路の脱獄王』でも、板尾創路が演じる主人公の胸には「逆さ富士」の刺青があり、映画のラストシーンでは一定の役割を果たしています(次の画像は、劇場用パンフレットに掲載されているもの)。



 チョット遡れば、たとえば『蛇にピアス』(蜷川幸雄監督、2008年)とか『Plastic City』(ユー・リクウァイ監督、2009年)など、随分と見つかります。





(3)上で取り上げました『板尾創路の脱獄王』において、主役の板尾の胸に施されている「逆さ富士」の刺青は、もしかしたら江戸時代の入墨刑につながるものかもしれません(注1)。
 また、『フローズン・リバー』の女主人公レイの腕にあったもの、『ミレニアム』のリスベットや『50歳の恋愛白書』のキアヌ・リーヴスの刺青、それにオダギリジョーのタトゥとか『蛇にピアス』で見られる刺青(注2)は、あるいはヒッピー文化とかパンク・ファッションに由来するといえるかもしれません。
 明日は、もう少し歴史的に刺青を見てみましょう。

(注1)リスベットが、自分の後見人であるビュルマン弁護士の下腹部に施した文字「私はサディストの豚、恥知らず、レイプ犯です」の刺青は、こうした刑罰としての入墨につながるのでしょうか(『ミレニアム 1(上)』P.361)?
(注2)金原ひとみの原作には、龍の刺青を持つアマという男の子が、「かっこいいでしょー?」と自慢すると書いてあります(集英社文庫P.11)。もしかしたら、『ミレニアム』のリスベットも、“かっこいい”というだけで龍の刺青をしているのかもしれません(単なる想像に過ぎませんが)。

怒る西行(Ⅵ:文学編)

2010年01月24日 | 
 沖島薫監督の映画『怒る西行』を巡る連載記事の最後として、文学関係(広義の)の事柄にも若干触れておきましょう。

イ)まず、映画の中では次のような人が取り上げられています。

①村上春樹
 沖島監督は、映画の初めの方で、評論家の内田樹氏が『村上春樹にご用心』(アルテスパブリッシング、2007年)という著書の中に書いてあることだがとしながら、「村上春樹は、船が港に寄港するっていう、そういう風なイメージで語っている」と話し、「村上春樹さんが持っている一種の童話性っていうのかな、そういう面白さが、このコースには、ちょこちょこ、そういう感じを持たせるところがある」と言っています。



 内田氏は、その著書において、「港町」の条件には次の3つがあると述べています(P.212~)。
 ・入ろうと思えば、どこからでも入れる。
 ・つねに変わりなく暗夜に信号を送る「輝く定点」(ハーバーライト)がある。
 ・「故地」を離れてきた「異族」が住み着く。
 その上で内田氏は、「村上春樹の造形した人物の中で、私がいちばん好きなのは「ジェイズ・バー」のジェイズであ」り、「この人物が私にとって「港町」というものを端的に表象している」と述べます(注1)。

 たぶん、沖島監督は、玉川上水の自然に、内田氏の言うところの「港町」を如実に感じてしまうのでしょう。

②つげ義春
 沖島監督は、道からの通路が家の中に入っている家を見ながら〔「Ⅲ:写真編の2」のヌ〕、ここにはユートピア的な感じがすると言いながらつげ義春が描いた『長八の宿』という漫画に触れ、映画ではそのなかから3コマが引用されます(注2)。



 上記のカットは映画で引用されたコマではありませんが、その漫画に登場する「ジッさん」が描かれています。漫画では、「長八の宿」で下男として働く「ジッさん」が、この宿で働くことになった切っ掛けとか、この宿にかかわる三人の女性のことなどを、作者とおぼしき投宿者に話します。

 沖島監督は、「ジッさん」が「蔵の中に住んでて、それで、自分の仕事場と、自分が住んでいる場所っていうのが同じ」という点に注目し、「我々は仕事をするとき、別の場所へ出かけて行って、別の人格や人間として仕事をしてくるわけだけど、自分の身の回りですべてが行われるっていう、あの、これは一種のユートピア感の中に入るんじゃないかな」と述べます。

 沖島監督は、その漫画のラストに描かれている雄大な富士山は、とても人の手に余るとして、むしろ、玉川上水周辺の箱庭的な小さな自然の方を、隅から隅まで把握できるとしてヨリ愛しているのではないでしょうか?

③西行
 沖島監督は、映画の最初の方で〔「Ⅱ:写真編の1」のニ(兵庫橋公園)〕、次のように話しています。
 「西行なら西行、平安時代の人だけど、あの、いつだって、あの当時は当時で現代があったわけだよ、その時にそうじゃないって時間ってのが、まあ象徴的に言えば、桜であったり月であったりりする中で、それを求め続けたわけだよね」

 また、映画のラストの方で、西行法師の有名な歌「願わくは 花のもとにて 春死なむ その二月の 望月のころ」を引用しながら、次のように語ります。
 「あの、西行なんかの生涯みてるとね、まだね、時代をリセットできるんじゃないかっていうね、つまり、人間の住む以前にまだ戻すことが可能なんじゃないかって、フッと、そういう感じって、おそらく何回も持ったの、あの人は」

 こうした監督の思いは、東京の街並みを見て「ちょっと冗談としか思えないっていう街になっている」と感じ、「まあ、余計なものを作ると、簡単に言うと滅びるでしょう。だから100年も経てば、また木っ端微塵に消えちゃうと僕は思っているんだけどね」と語ることに通じているのでしょう。
 明示的には言ってませんが、放射5号線工事でいくら立派な舗装道路を造ったとしても、スグそのうちに跡形もなく消滅してしまうだろう、と監督は必ずや思っていることでしょう。

ロ)映画『怒る西行』を巡る連載記事としてはやや余談にはなるものの、玉川上水とくれば太宰治に触れないわけにはいきません。

 そういうこともあってか、私たちがこの映画を見たのは1月11日(休日)の朝の回でしたが、上映終了後には、スクリーンの前で太田治子氏のトークが15分ほど行われました。

 太田治子氏は、太宰治とその愛人の太田静子との間に生まれ、作家として活躍しているところ、昨年9月に『明るい方へ―父・太宰治と母・太田静子』(朝日新聞出版)を刊行し、娘の立場から見た両親の関係を明らかにしています(注3)。




 さて、この日のトークで印象的だったのは、次のような話です。
・父・太宰治には、大人としての責任感が欠如しているのではないか。自殺するのはやむを得なかったにせよ、飲料用に使われている玉川上水に飛び込んだら、後の始末が大変なことになると思わなかったのだろうか(注4)。



〔太宰治が入水したとされる場所は、井の頭公園からJR三鷹駅までの間にあって、その路傍に、生まれ故郷の青森県金木町産出の「玉鹿石」が置かれています〕

・特に、戦争責任という点で大いに問題があると思う。
 というのも、太宰治は、戦争に対しては、軍部に与した作家の一人であったといえ、彼が応援した戦争で300万近い人が亡くなっているのだから。
 彼は開戦から敗戦まで実家からずっと仕送りを受けていたのであり、生活のために戦争賛美の文章を書いていた人とは違うはずで、せめて戦争中は沈黙すべきだった(注5)。

 このところ、『ヴィヨンの妻』とか『パンドラの匣』など太宰治の小説を原作とする映画がいくつも制作されているところ(2月20日には『人間失格』が公開予定)、こうした太田治子氏の見解をも見据えながら鑑賞する必要もあるのではないか、と思えてきたところです。



(注1)「ジェイズ・バー」は、『風の歌を聴け』『1973年のピンボール』『羊をめぐる冒険』の3部作に登場するバーです。
(注2)この漫画は、ちくま文庫の『つげ義春コレクション 紅い花/やなぎ屋主人』に収録されています。
(注3)産経新聞「著者に聞きたい」に掲載された記事の中では、太田氏は、「私自身、太宰はすてきで好きですが、悪いことは悪いと書きました」と語っています。
(注4)玉川上水は、1965年の淀橋浄水場廃止まで、水道施設として使用されていました。なお、太宰治が入水した当時は、玉川上水の推量も随分とあり、また川岸に鉄柵もなかったようです。
(注5)ブログ「黙々と-part4」の2009年12月18日の記事を参照。
 なお、上記の太田治子氏の著書『明るい方へ』においても、例えば、「太宰自身戦時中には心の奥に苦々しさを抱えつつも軍部に味方したことを認めていた。日本の軍部が負けるとわかっていたから味方したというように弁明する太宰は、ずるいと思う」と書かれています(P.165)。

レヴィ=ストロース

2009年11月10日 | 
 Blackdogさんが新しく作ったブログでは、先日亡くなったフランスの文化人類学者レヴィ=ストロースのことが取り上げられています。

 丁度日本でも、レヴィ=ストロースの畢生の大著『神話論理』の翻訳本の最終巻「裸の人2」が出版される直前にもかかわらず、彼の訃報を聞き、とても残念に思いました。
 Blackdogさんが言うように、彼は、「『最後の巨匠』と呼ぶにふさわしい威厳を保ち続け」つつ、「めまぐるしく変転してきたフランスの思想界を生き抜」いた巨人なのでしょう。

 Blackdogさんのブログでは、メルロ=ポンティとの交遊を巡る興味深いエピソードが紹介されていますが、エリボンとの対談で構成されている『遠近の回想(De près et de loin:1988)』(竹内信夫訳、みすず書房、1991)でも、レヴィ=ストロースは、メルロ=ポンティに数カ所触れています。

 例えば、彼をコレージュ・ド・フランスの教授として強く推薦したのがメルロ=ポンティだとBlackdogさんのブログにあるところ(エリボンとの対談でも、「やがて絶なんとする彼の命の最後の3ヶ月をそのために犠牲にした」とあります)、そのコレージュ・ド・フランスの開講講義の冒頭で「数字8に関するちよっと場違いな考察」をしたが、それはメルロ=ポンティが「我々二人が同じ年、つまり1908年に生まれたということを誰かに言われるのが嫌い」だったからで(「私と一緒にされてはふける、と思っていたのでしょう」)、「私は彼をじらしていた―さらには恐れさせていたのです。今に生まれ年が同じだという話になるぞ、ってね」、と「茶目っけ」たっぷりに述べています。

 なお、内田樹氏は、11月4日のブログ記事「追悼レヴィ=ストロース」で、次のように述べています。「ボーヴォワールとメルロー=ポンティとレヴィ=ストロースはアグレガシオンの同期」で、「その試験のとき、私の想像では、ボーヴォワールとメルロー=ポンティとサルトルは「つるんで」」いたのに対して、「パリ大学出のレヴィ=ストロースはこのエコール・ノルマル組からある種の「排他性」と「威圧感」を感じたはずであ」るが、「とにかく、アグレガシオンの試験が1930年前後で、レヴィ=ストロースがサルトルの世界的覇権に引導を渡したのが1962年『野生の思考』においてのことであったから、ざっと30年かけて、レヴィ=ストロースは「そのとき」の試験会場で高笑いしていたパリのブルジョワ秀才たちに壮絶な報復を果たしたので あった。すごい話である」。

 マア、偉大な人は、そのエピソードも桁外れなものになるということなのかもしれません!

 なお、レヴィ=ストロースの著作でもまだ本邦未訳のものがいくつかあり、特に『大山猫の物語』(1991)の刊行が待たれるところです。


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理系・文系(補足)

2009年11月04日 | 
(総合科学技術会議で挨拶する鳩山首相〔8日午後、首相官邸〕)

イ)10月11日の記事で取り上げた日経新聞論説委員・塩谷喜雄氏のエッセイにおいては、今回の理系政権の気候変動問題に対する取り組み方に期待が寄せられているところ、10月30日の「日経Plus」に掲載された「「理系政権」見えない科学技術政策」では、「今のところ鳩山政権の科学技術に関連する目玉施策としては、2020年までに日本の温暖化ガス排出量を「1990年比で25%削減する」と打ち出したことが目を引く程度」ながら、そのことでかえって逆に、「新政権の発足後の科学技術に関連する政策は地球温暖化対策ばかりがクローズアップされ、それ以外の分野で具体的なメッセージが発信されていない」と述べられているところです。
 上手の手から水が漏れる、ということにならなければよいのですが……。

 なお、同記事では、鳩山由起夫首相や菅直人国家戦略相のみならず、「川端達夫文部科学相も京大工学部の大学院を修了後、東レで研究開発に従事した。平野博文官房長官は中央大学理工学部卒業後、松下電器産業(現パナソニック)に勤務した」とされていて、この政権では、確かに枢要なポストは“理系”が占めていて、「理系政権」と呼んでもそれほどオカシクはないようにも思われます。

ロ)古代史の分野に関しては、前日の記事でも取り上げた10月12日の記事についての「やっぱり馬好き」さんのコメントにあるように、歴史研究の分野にも「最近は理科系の学問を学んだ方々がかなり入ってきて、いろいろ発言がされ」ているところ、「歴史学などの文系分野の累積してきた学問の成果を無視する議論を平気で行う」事態となっているようです。
 これらの点については、HP「古樹紀之房間」に掲載されている宝賀寿男氏の論考「理系の見方と文系の見方」において詳細に議論されているので、是非ご覧下さい。
 ここでは取り敢えず、結論的部分だけでも引用しましょう。
 「自然科学の重要性とその最近の進歩は十分に認めるものですが、無批判なその受容は歴史学の基礎を危うくします。残念ながら、わが国で現在活躍される考古学 者や歴史学関連分野で自然科学的な手法で年代数値を発表されている研究者においては、記紀などの文献資料や神道・神祇関係の知識が乏しいか殆ど無視される 方々が多く見られます」。
 「「歴史の流れ」を無視して出てきた結論については、たとえ科学的な手法という衣をまとったものでも、十分懐疑的に批判的に様々な角度から考えていく必要性を痛切に感じています。それが「歴史分野における科学研究者」としてのバランス感覚の問題なのです。理系であれ、文系であれ、こうした総合的なバランス感覚が判断にあたって必要なことはいうまでもないはずです」。

ハ)最後に、前日取り上げました吉田武著『虚数の情緒』について補足します。
 前日触れました文章は、本書の第Ⅰ部「独りで考える為に」に書いてありますが、この第Ⅰ部は、本書のいわば助走部分に相当し、数式は登場せず数学自体の話も全くなされません。
 ですが、第Ⅱ部「叩け電卓!掴め数学!」(P.125~)から、いよいよ著者の本領が発揮され、その圧倒的な勢いは第Ⅲ部「振り子の科学」の最終ページ(P.965)まで続きます!
 そんな物凄い著作をご紹介するには、“文系”の私は全く不適任であり、また元々そんなことをしても意味がなく、1ページずつ最初から丹念に根気よく読み進んでいくしかありません。

 一点だけ申し上げると、本書は、副題に「中学生からの全方位独学法」とあるせいでしょう、八重洲ブックセンターでは、“理系”の書籍が並んでいる3階の「数学」のコーナーではなく、なんと6階の「学習参考書」のコーナーに陳列されていました!
 ですが、前日紹介しました議論からもおわかりでしょうが、本書は「中学生」にはとても歯が立たないと思われます。何より、「後書:万華鏡の話」では、「本書の企画は、平成九年夏に静岡県教育委員会の要請により、高校生の夏の合宿セミナーの講師を担当した事に始まる」とご自分で述べているくらいなのですから!
〔前々日取り上げた吉田氏の著書『私の速水御舟』も、「中学生からの日本画鑑賞法」という副題が付けられているものの、なぜそうしたかの説明は一切なされていません〕

 なお、吉田武氏の『オイラーの贈物』(ちくま学芸文庫)は、小飼弾氏がブログで「2008年のお年玉で買うべき本10冊」の一つとして薦めているところ、残念なことに、現在は絶版になっています。

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またまた理系・文系―「虚数の情緒」

2009年11月03日 | 
    

 前日の記事においては、吉田武著『私の速水御舟』に触れたところ、浅学な私は全く知りませんでしたが、著者の吉田武氏は数学の世界では至極有名な方のようです。
 ネットで調べますと、希代の読書家である松岡正剛氏の「千夜千冊」の第1005夜(2005.2.16)で、この吉田氏の『虚数の情緒』(東海大学出版会、2000)が取り上げられていることがわかります。

 早速松岡氏のサイトを見てみますと、なんと吉田氏の本では「理科系と文科系に世の中を分けるな」という議論がなされているとのこと!

 実際に、吉田氏の本の該当個所にあたってみましょう。
著者は、「文化に敷居も垣根もない。ジャンルや区別があろう筈がない。全体が人間性を育む我々の最高の財産なのである。……科目が分かれているのは、全く便宜上の理由であり、そこに本質的な違いなど存在しないのである」、とはじめの方で述べます(P.56)。

 ここまでなら至極当然の議論でしょう。ところが、吉田氏は、「然し、然しである」として、「この日本に、未だどれほど蔑もうと、何処からも苦情が出ず、きわめて不本意な扱いを受けている文化がある。今更言うまでもない、数学、物理学を中心にした基礎科学である」と苦言を呈します(P.57)。要すれば、“理系”の人の扱いが、日本では適切ではないということでしょう。

 そうした事態を招く背景として、「我が国では、俗に「文系」「理系」と、恰も二種類の異なる人種がいるかの如く、極端に区別する」という点を挙げます。
 それも、「高々数学が嫌い、或いは良く解らない、という唯それだけの理由で、「私は文科系」と称する人が居る」一方で、「「数学が得意」であるとか、機械いじりが三度の飯より好きであるとか、を表明した途端に、「暗い」であるとか「オタク」であるとか、殆ど罵りに近い言葉を浴びせられる」というバランスを欠いた扱いが問題なのだ、とします。
 実際にも、「何の怨念か、数学を毛嫌いする人々が存在」していて、「彼らに言わせれば、数学が出来る人間は冷酷で、計算高く、油断のならない、極めて扱い難い人間」だとのことで、「この種の見解を陰に陽に表明する人は、意外と多い」とされます。
 こうして、「大学入試に端を発するこの大いに無意味、且つ大いに有害な区分けは、国民を真っ二つに引き裂いている」のだ、と嘆くこと頻りです(P.58)。

 ここまでであれば、実際には実力のある“理系”の人たちが冷遇されている、という巷間言われる怨嗟のようにも思われます。10月11日の記事においても、「力は拮抗しているのに、勝負は常に一方的」で、「「理」を掲げる潮流」は、「検証の厳密さや合理性の尊重ゆえに、柔軟さを欠くとして権力の座には遠かった」とする塩谷氏の見解を紹介したところです。
 また、10月12日の記事についての「やっぱり馬好き」さんのコメントにあるような、「どうも理系の方々は、文系の学問やそれを学んだ人に対して、なんらかの優越感をもっているのではないかというようにも感じ」るという見方の裏返しとして、「理系の方々」の怨嗟があるようにも思われるところです(同記事の「6」の「(注2)」も参照)。

 ただ、吉田氏はもう一歩議論を進めます。すなわち、このように「「文系」と「理系」と分けて考える二分法」は、「「天」と「地」、「彼」と「我」、「正義」と「悪」、「あれ」と「これ」」という「二分法」と同様に、「すべて西洋が生み出したもの」であるが、これに対して、「東洋は不合理を恐れず、それをそのままに一つのものとして捉える」のであり、「東洋では二分法を嫌い、統一的、絶対的立場を求めるが故に佛教が誕生した」のである、と述べます。
 そこから、「我々は、二分法の特徴、その長所を認めながらも、そこから脱し、全体を丸のみにできる包容力と大きな視野を持たねばならない」のであり、「与えられた才能を、二つに分けるのではなく、一つの大きなもの、不可分な全体として捉える能力を磨くことこそ、新世紀の諸君の課題なのである」との吉田氏の主張が導かれます。

 こうした主張は、わからないでもありません。ただ、「二分法」は「西洋」のものの見方で「統一的、絶対的立場」を求めるのが「東洋」だと考えること自体が「二分法」によってしまっているのではないか、と揚げ足を取ることもできましょうし、「理系・文系」と分けることの弊害は、「二分法」しか知らない「西洋」の方で甚だしくなると思われるところ、そんな話はあまり聞きませんし(「西洋」は、日本ほど「無頓着」ではないのかもしれませんが)、また「佛教」しか「東洋」は生み出さなかったのか、とも言いたくなっても来ます。

 ですが、そんなつまらないことは言わずに、上記した「やっぱり馬好き」さんのコメントにあるように、文系でも理系でもかまいませんが、「両方の立場からアプローチして総合的体系的合理的な結論」が得られるよう、「総合的な止揚(aufheben、アウフヘーベン)が必要」になってくることでしょう。


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