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映画的・絵画的・音楽的

映画を見た後にネタバレOKで映画を、展覧会を見たら絵画を、など様々のことについて気楽に話しましょう。

アントキノイノチ

2011年12月07日 | 邦画(11年)
 『アントキノイノチ』を渋谷東急で見ました。

(1)この映画は、さだまさし原作ということで二の足を踏んでいたところ(注1)、なかなかよかった『ヘヴンズストーリー』の瀬々敬久監督の作品であり、かつ『東京公園』で好演した榮倉奈々が出演するとあって、映画館に足を運びました。
 でも、こうした映画を瀬々監督もまた作ってしまうのかな、というところが正直な感想です。

 本作においては、遺品整理業を営む会社で働く永島杏平岡田将生)と久保田ゆき榮倉奈々)が中心となりますが、それぞれ重い過去を持っているというわけです。
 永島の方は、親友(染谷将太)が目の前で後者から飛び降り自殺をしてしまったことなど、ゆきの方は、レイプされたことなど(注2)。そのためもあってか、二人とも、周りの者とのコミュニケーションがうまくいきません。それでも、厳しい現場の仕事に次第に慣れていきますが、何かというと過去のことに囚われてしまうようです。
 その挙げ句、ゆきは、突然会社を辞めて姿を消してしまいます。永島は、彼女のことが忘れられず、ツテを辿って探し出すと彼女は老人ホームで働いていました。
 そして、二人の間のコミュニケーションが復活して、何とか前向きに生きていこうとした矢先、……。

 映画の冒頭で、岡田将生がオールヌードで屋根に上る様子が映し出され、“これは単なる感動作ではないかもしれない”と期待を持たせます。
 ですが、その期待は急速にしぼんでいきます。

 何しろ話がくどすぎるのです。
 余り見受けない遺品整理業を取り上げるのであれば、特異な職場なのですからそれだけに焦点を絞ればいいにもかかわらず、なぜ最後の方で老人ホームまで登場させる必要性があるのか理解出来ません。遺品整理を通じても、現在の老人問題はいくらでも描き出せると思われますから。
 また、永島の過去については、親友の自殺だけでも大変なことと思えるのに、さらにもう一つの事件まで用意されているのです(注3)。でも、いくら過去のことを綿密に描き上げても、何故彼が現在の彼であるのかについて観客が十分納得出来るわけのものでもないと思われます(注4)。
 現に、永島は幼い頃から吃音症なのですが、その説明は何もされていません(注5)。

 ゆきについても、レイプされたばかりでなく、妊娠した上に流産して子供を殺してしまったとして、何回も自殺を図っているとされています(手首にリストカットの跡がいくつも残っています)(注6)。

 そして、そもそも主要人物の2人が、どうして同じ職場にいて、あまつさえこうも類似した特徴を持っていなくてはならないのでしょうか?

 主要人物以外についても、例えば、遺族は遺品に触れたくないがために遺品整理業者に頼んでいるのだということを、2つの人物を使って描いています。
 一人は堀部圭亮で、もう一人は檀れいです。両者とも、親が亡くなるのですが、遺品は全部廃棄してくれと強く要望したにもかかわらず、堀部は、土地に関する書類を探さざるをえなくなり、檀も、母親が書いて出さず仕舞いになった手紙(永島が彼女に届けます)を後から読んで涙ぐむのです。
 ですが、酷似したシチュエーションを描いているエピソードを繰り返しているとしか思えません。

 また、柄本明が登場すると、これは彼が大泣きするなと観客は思うでしょうが(注7)、まさにその通りに物語が展開するので、マイッタナーという思いに囚われてしまいます(永島が故人のベッドを動かすと、その下からお誂えむきに電話器が出てきて、なぜか彼が留守電の操作をすると、故人の声が入っているのです!)。

 その結果の131分では、見ている方が退屈してしまいます〔278分の『ヘヴンズストーリー』の監督の作品(2009年の『感染列島』も138分!)ですからこんな長さになるのも仕方がないのかもしれませんが、結局は、刈り込んで編集する作業が上手くいっていないということではないでしょうか?〕。
 要すれば、元々原作の主人公やヒロインに様々なものが詰め込まれているにもかかわらず、さらにこれでもかとばかりダメ押し気味にエピソードを付け加えたがために、逆に本作は、スカッとした感動を観客に与えることが難しくなっているのではないか、と思いました(注8)。

 とはいえ、岡田将生(注9)は、吃音症であり、最近まで重度の鬱病だったという人物を好演しており、また榮倉奈々も、遺品整理業に従事している時の暗い様子から、老人ホームでの生き生きとした様にまで大きく変化する役を実にうまくこなしています。



 さらに、遺品整理業で2人の先輩役を演じる原田泰造は、『神様のカルテ』でも感じたことですが、脇役として実にいいものを持っている俳優だな、と思いました。




(2)本作で取り上げている「遺品整理業」に似通った仕事内容のものは、『サンシャイン・クリーニング』で描かれているものでしょう。
 といっても、後者の仕事は、血などで汚れた犯罪現場を元通りに綺麗にするというものであって、本作の「遺品整理業」における故人の遺品整理とは趣旨が違っているところです。
 とはいえ、本作によれば、遺体が発見された場所が変質したりしているのを綺麗に掃除することも業務に入っているようですから、結果としてみれば、両者の差はあまり大きくないようにも思われます。
 また、『おくりびと』(2008年)に通じるところがあるようです。ただ、両者の、残されたもの(遺体とか遺品)に対する丁重な扱いは、共通するといえそうですが、『おくりびと』の場合には、まさに遺体に対面しますが、『アントキノイノチ』の場合では遺体を除く遺品に対面するという違いがありますが。

(3)渡まち子氏は、「岡田将生と榮倉奈々の両若手俳優は、繊細な表情や仕草でキャラクターに説得力を与えて素晴らしい。杏平はかつて無関心な周囲に「関係なくないだろう!」と叫んだ。だがそれは、他人との関わりを恐れていた自分にも跳ね返る。生きている間は、人と人とはつながっている。いや、生きているものと亡くなった人もまた。そのことを杏平が改めて知るのが、終盤に彼が行うある人の遺品整理だ。とてもつらい場面だが、その先には確かな明るい希望がみえる」として70点をつけています。
 福本次郎氏も、「物語は、心が壊れた青年が遺品整理の現場で働くうちに、すべての人間は誰かと繋がっていると気づいていく過程を描く。絶望と死の影に押しつぶされそうなゆっくりとしたテンポの映像からは、繊細な主人公の喪失感が重くのしかかってくるようだ」として70点をつけています。





(注1)さだまさし原作の映画としては2007年の『眉山』を見たにすぎません。

(注2)本作のゆきについては、原作(幻冬舎文庫、2011年)とかなり違った設定になっています。
 原作では、ゆきは、永島と同じ職場ではなく、会社の社員が行きつけの居酒屋「おふくろ屋」でアルバイトとして働いています(21歳で、その店を営んでいるおじさんの親類の娘らしいとのこと)。ですから、彼女が昼間、介護福祉士の勉強や実習をしているというのもわかります。
 他方、映画の場合、ゆきは、昼間働いていた会社を突然辞めると、今度は老人ホームに現れるわけですから、なんだか酷く唐突な感じがしてしまいます。
 なお、原作のゆきは、以前、永島と同じ墨東高校にいて(クラスは違うものの同学年)、永島を知っていたというのです。ただ、レイプされたことがきっかけで1年で学校をやめてしまったため、永島には印象が残っていないようなのです。
これらの点は、原作の方が酷くご都合主義的に思われます。
 さらに、原作においては、ゆきも、レイプ事件によって「解離性記憶障害」となって「心が壊れた」と述べていますが(P.268)、なにも主人公と同じような病気をヒロインが罹ったことにするまでもないのではとも思われるところです。

(注3)高校の同級生に松井松坂桃李)という生徒がいて、永島の親友(染谷将太)が自殺したのも、彼の陰湿ないじめのせいなのですが、さらにまた山岳部で戸隠山に登った際の出来事を巡って、永島は松井と乱闘騒ぎを引き起こしてしまいます。
 原作にあっては、この松井がゆきをレイプした男とされています。ですが、そこまで因果関係を書き込んでしまうと、ご都合主義と見られても仕方がないでしょう!
〔なお、この松井については、染谷将太の自殺の後、「精神的外傷を味わったことは確か」と書かれています(P.107)。となると、原作小説は、精神障害者ばかりが出てくる作品の感があります!〕

(注4)永島は、原作の場合、「緘黙症」(PTSDの一種の社会不安障害)だとされています(P.267)〔ただ、原作の初めの方では、その病気について、「高校をやめた後、僕は自律神経の失調と言われ、その後、次第に精神失調が進み、鬱の症状が出たりするうち、ついには失語症状が出た」とされています(P.68)〕。

(注5)映画の永島に目立つ吃音症の方は、原作においては、むしろ軽度のものとされています(「ま、吃音つっても、ごく軽いものだったし」P.267)。
 小説で吃音症を書き表すのは大変でしょうが、映画の場合は演技で表現できます。そこで本作においては、他の精神障害はさておいて、吃音症の程度を酷くしているように推測されます。
 なお、映画でもチョコッと描かれますが、永島が中学生の時に、母親が他の男と駆け落ちして家を飛び出しているのです。それ以来、父親の下で育てられてきましたが、あるいはこんなところも、彼の精神障害の原因の一つともなっているのかもしれません(映画では、現在の永島が母親の病院を訪れる場面を挿入して、この問題を解決してしまっていますが、わざわざそんなことをする必要があるとも思えません)。

 それにしても、原作でも映画でも、ゆきもそうですが、永島も、随分とたくさんの事件及び精神障害を抱え込んだ人物として造形されているものです!

(注6)原作においては、ゆきに「不思議なのはね、私ね、そんなになっても、自殺しよう、とは思わなかったんだ」と言わせ、さらに「はっとした。それは……僕もだ」と書かれています(「僕」とは語り手の永島を指します:P.290)。
 ここは、映画の冒頭とかラストと並んで、映画と原作とが一番異なっている部分ではないでしょうか?

(注7)柄本明が大声を上げて泣く場面としては、最近では、『悪人』や『ヘヴンズストーリー』が思い出されるところです。

(注8)いつも申し上げることですが、こう述べたからと言って、映画は原作に従ったものにすべきだと言いたいわけでは決してありません。
 それにしても、映画のラストの交通事故(ゆきの死)の話は、原作のラストの、遊園地で永島とゆきが松井と遭遇する場面と同じくらい、“なくもがな”です!

(注9)岡田将生は、『悪人』などいくつもの映画に出演していますが、『瞬 またたき』が印象的です。




★★☆☆☆




象のロケット:アントキノイノチ


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5 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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Unknown (yutake☆イヴ)
2011-12-07 12:45:21
こんにちは☆
自ブログへのご訪問&TBありがとうございました。
コメントらんなく、失礼しておりますが、よろしくお願いします。
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お礼 (クマネズミ)
2011-12-07 21:52:11
「yutake☆イヴ」さん、わざわざコメントをありがとうございます。
こちらこそよろしくお願いいたします。
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いろいろと (sakurai)
2011-12-11 19:53:53
同感です。
くどい、似たエピソードの羅列、御都合主義等々、本当にそう感じました。
なのに、役者は話とは全然違うタイプの配役で、監督の欲も見えた感じでした。
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詰め込みすぎ (ふじき78)
2011-12-31 08:53:41
こんちは。
そうそう。
夾雑物が多くて、物語も迷うし、ストレートに言いたい事が分からない。どうもクマネズミさんのレビューを見ると原作もそうっぽいですね。でも、原作の全ての事件を起こす奴を染谷将太が演じたりしたら悪魔的で凄く面白そうだ。そうしたら、バランスから言って遺体整理業の話は付け足し程度になってしまいそうだけど。
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Unknown (クマネズミ)
2012-01-02 05:03:43
「ふじき78」さん、大晦日にもかかわらずTB&コメントをいただき、誠にありがとうございます。
おっしゃるように、この映画の原作本では、永島の高校の同級生・松井が、悪の権化のような存在でラストにまでも登場しますが、それを染谷将太が演じるとしたら、タイトルも「アントキノアクマ」辺りに変わり、岡田将生や榮倉奈々が脇役になってしまうかもしれません!
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