今日は昨日よりスッキリとしたいい天気になり昨日より今日の方が洗濯物が早く乾いた筈である。
昨日洗濯しただけに今日だったら良かったのにと思ったが、乾くまでに時間がかかったとしても私の時間じゃないから別にどうでもいいんだけど、乾き具合がいいイメージになる。
今日はダンスのレッスンもない日曜日だけどいつもの様にメールとカレンダーだけはチェックしておく。
その後はいつもの様にMSNニュースやYouTubeを見ることになる。昨日は健康の為に身体を動かすことを述べたが、今日は食事について日頃思っていることを書いてみたいと思う。
私の年代と今の若い人たち、或いはその中間の働き盛りの年齢の人達のようにジェネーレーションが違うと食べ物も全く違う年代を生きて来たんだとつくづく思い知らされることになる。
時折以前にも書いたように昨今急激に外国人が日本にやってきて昨年は2400万人ほどになったということである。
彼等は何を目的に訪日したかということを聞くともちろんそれぞれが色んな目的で来ている訳だが、大きなウエイトを占めているのがいろんな日本食(和食)を食べたいということである。
もちろん日本料理が世界遺産になったのがキッカケで急激に増えてきたということがかなり影響しているのは言うまでもない。
とにかく欧米とは全く違う文化や清潔さ、人々の誠実さ、その他諸々の要因があるが、欧米人のみならず反日抗日の中国や韓国はもとより、親日の台湾や東南アジアの人々もドンドン増えているという現実がある。
そんな中で例えば、アメリカからやって来た高校生だったと思うがかなりのおデブの女性をホームステイで預かった話がある。
アメリカ映画などでも時折見かけるが、日本人の肥満とはケタ外れに膨らんだ人を見かけるが、アメリカでは昼食にポテトチップスなどが出るのは当たり前で、とにかく一日中フライものなどを食べているとそのように膨らむそうである。
日本に来た当初はそのホームステイ先の食事を中々受け付けなくてハンバーガーばかり食べていたということである。
見かねたその家の息子が日本食レストランに連れて行ったりして、徐々に日本食に慣れさせて行った所みるみる痩せていって標準の体型になった。
本人も非常に喜んでスマートになった自分の姿の写真を撮ってアメリカの自宅に送ったそうな。
それから3日ほど経ったある日、玄関のドアを勢い良く叩く音がするのでドアを開けると外人の中年女性がえらい剣幕で何やら喚き散らしている声にホームステイしている女性が「ママ」と言って飛びついたのでその女性のお母さんだと分かったが、娘の説明によるとこの家で虐待を受けてまともに食べさせて貰ってないと勘違いしていたそうである。
色々と事情を説明してやっと納得したが、今度は日本には栄養バランスに基づいた和食という素晴らしい食事があると感動し、アメリカの町に戻ってから3年後に日本食レストランをその町でで開店させたという話がある。
ことほど左様に現在欧米では日本食は健康な食物として特に女性達の間で人気沸騰中である。
翻って日本ではどうかと言うと全くの逆で若い女性たちは日本食を小バカにして横文字の洋食がさもオシャレだとしているのが現状である。
一時、肉食女・草食男なんて言葉も流行ったぐらい肉食大好きな女が多いのが現状だが、肉食がダメだという訳じゃないが日本ではついこの間までは肉は高級食材だったということもあるが、最近は日本食を食べなくなってしまった。
その結果、最近は40代から50代、60代に入るか入らないかぐらいで脳梗塞や心筋梗塞で入院したとか、中にはそのまま植物人間のようになったという話を身近で聴くようになった。
欧米では食事をもっと見つめ直そうと言う動きが広がっているというのに日本では全く逆の方向にいってるのが現状である。
今までは日本食を中心の食事をしてきた高齢者たちの寿命を押し上げて来たが、これからは逆に現在の若い人たちが日本人の寿命を押し下げていくだろうと私は予想している。
食事ってそれ程大事なもので昨日は日々身体を少しづづでも動かすことが大事だと述べたが、食事も毎日の食事内容の差により健康に大きく影響するのである。
最近の子供たちは魚を食べようとしないし、母親がそもそも魚料理が出来ないのはモチロン他の日本食の作り方さえ知らないどころか、覚えようとすらしない横着女が多すぎることを憂えるものである。
女が乱れたらその国は滅びるのが世の常である。
そういう意味では日本も終わりが近づいているのかも知れないネ。
私は未だ未だ生きます。 血圧もOK、標準体重、風邪も何年も引いていなくて記録更新中。
カラオケもダンスも楽しいし、ボランティアに勤しんで社会貢献もしてます。
日記なのでもう少し書き述べますが、午後から図書館に行ってきました。
と言うのも、当区ガイドの会でグループ毎にテーマを決めて話し合った結果、当グループでは近世の当地区の村々を繋いでいる主要道を調べている最中だが、明治期の正確な近代地図はあるものの範囲が広いものはあるが、もう少し村の道の状態が分かるものを捜しに行ったということで、現在の地図の上にその当時の道を描くとどのようになるかをみるにはもう少し時代が進んだ時の地図がないかということである。
司書に相談した結果昭和4年の地図が出てきた。
それは土地の区画整理が始まってしばらくした状態のものなのでまだ人家が殆ど建っていない状態のものである。
早速図書館内にあるコピー機でコピーをして自宅に戻った後スキャンしてファイルに加えることにした。
その後南方面に足を伸ばし、ディスカウント店で柿の種や発泡酒などを購入して戻る。