ブログ日記 日々のうつろい 

退職後パソコンとガイドのボランティアをし、カラオケ(ポップス)やダンス等で生活を楽しむオジサンのブログ。

西隣区小学校火曜ダンス教室9月⑤

2014-09-30 23:53:01 | 日記

 このところのいい天気に見舞われて涼しさも少しマシになってきたが、御嶽山の噴火による救助作業は行われているもののガスの発生が著しく強くなってきたということでごご2時30分に中止となり外部の人は入れないようなことになったが、結局今まで12名の人を収容したようだが12名すべて死亡したとのことである。

 秋の紅葉シーズン到来で掻き入れ時だったはずが一転して悲劇の場所となった訳で山岳史上まれに見る特異なニュースである。

 ところで今日は午前中はいつもの様にメールとカレンダーをチェックした後、相も変わらずニュースやYouTubeを見ていたが、家賃などを払うので手持ちの金が余りないので少し引き出て置く必要がある。

 午後1時30分から市SA役員定例会の日で会場となる場所はいつもの場所とは違ったところにある。

 というのも今まで毎月3ヶ月前の予約を入れようとしたが、今月に限っては既に予約が入っているということだったがビルの管理事務所との折衝もしたが結局取れず、他の地域の場所にした。つまり銀行の支店の会議室を借りることになったのである。

 ただ15人ぐらいまでの人数に限るがそれ以下なら窮屈な思いをすることはなかったはずである。

 今日の役員会は私も含めてあまり来ていない人もいたので多くなったが、それも初めての会場だからかもしれない。

 秋のイベントを中心にした内容の議題で私は参加できないことが多くて申し訳ない気持である。

 会議を終えてまっすぐ自宅へと帰って来てテレビを見ていたがもっぱら御嶽山のニュースでもちきりである。

 夕方になって火曜ダンス教室に行く時刻になったのでバス停に向かう。

 小学校に到着したら当番の女性と、いつも早く来るK氏の2人だけで準備を済ませたようであるが、先々週見学に来た男女のうち女性だけが会に加わることになったようである。

 前半はチャチャチャの予定だったが、先生からこの小学校で生徒たちに授業時間にダンスを教えてほしいとの要望があったということで全員に話をされた。

 そこで今日はそ生徒に教えるダンスのレッスンをするということでマンボのレッスンをすることになった。

 途中からやってきた会長が校長との話の内容を先生話す。

 どうも先生は先走っていたようで子供達にダンスを教えることを主体に考えてマンボを踊るレッスンのルーティンを考え私達にもそれを踊らせるようであった。

 しかし会長の話を聞けば我々高齢者が楽しそうにダンスを練習している姿を見て貰い、ついでに少しの時間で出来るダンスを体験させるということである。

 それなら納得となり、見せるダンスの種目も代表的なワルツ、タンゴ、ルンバ、チャチャチャの4種目と言うことにほぼ決定である。

 後は誰と誰が組んで踊るかを決めることになるが、今日のレッスンの間中には決まらず次回のレッスンの時に行なうことになりそうである。

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西隣区小学校月曜ダンス教室9月⑤

2014-09-29 23:05:26 | 日記

 今日も当地区は晴れ上がったいい天気になっている。

 心地よい風も吹いているので洗濯するには持って来いの日和であるが、昨日済ませているので今日はパスである。

 今日も朝早くから御嶽山へ救助隊が出動して、27人中8人の心肺停止で倒れている人を収容したとのニュースを朝方のテレビニュースが報じている。

 ヘリコプターが3機出動して1機に4人を救助収容するということだが8人を救助したとは2機分が収容できたということのようである。

 ただその後、灰の降り方が強くなって来たとのことで救助活動は取り止めになるということである。

 行方不明の家族が救急本部となっている長野県と岐阜県の麓の町に設置されている場所にやって来て昨夜はそこが準備している場所で寝泊まりしたとのことである。

 他の人達とは面識もないから会話もない孤独な状態に置かれているようだ。

 

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御嶽山噴火による被害の状況…

2014-09-28 23:06:16 | 日記

 昨日噴火した木曾の御嶽山、民謡で歌われているお馴染みの御嶽山が突然噴火したニュースがずっと流れている。

 秋の紅葉がキレイだということで結構登山者の数も多かったようだが、そんな紅葉を楽しもうとの登山が一瞬にして大変な修羅場となっている。

 昨日のうちにいち早く下山した人は幸いケガもない人が多いようであるが、山小屋に退避して一晩過ごした人の中にはケガ人もいたようであるが、噴火が落ち着いたというので救助活動が今朝から行なわれヘリコプターで救助されたのもほんの一部の人で多くの人達はまだ残っているようである。

 それよりも頂上付近で倒れている心肺停止した人数が31人にも上っているのを確認したとのことなので相当数の人達が死亡したものとみられる。

 頂上付近はかなりの深さまで灰が積もっているということだし、下山途中にも倒れている人がいたという目撃情報があるというから確認するだけでも大変である。

 普通の山の遭難でも広い域内を捜索して見つけ出すのは中々大変なのに、同じ色をした灰色の世界で倒れた人の上にも灰が積もっていれば尚更見つけ出すのは困難である。

 捜索関係者には仕事とはいえいつまた突然噴き出さないとも限らない中での大変危険な作業に頭が下がる思いである。

 2次災害がないように、しかも速やかに生存者の救助をしてほしいものである。

 昨日の崖っぷちウォーク①の案内を終えて今日は特に予定もないからしばしニュースを見ていたような次第である。

 天気も良くキレイに晴れているので朝のうちは洗濯作業ということになる。

 洗濯をしながら例によってメールとカレンダーをチェックしてからは久し振りにEテレの将棋を見て午前中が過ぎていく。

 昼食はじっと家にいて身体を動かせてないからリンゴとヨーグルトで軽く済ませて午後からはYouTubeやMSNニュースを見ることとなるが、元日本大使であった男前の中国の外相が国連で先日の阿部総理の演説に直接日本の名を出してはいないものの真っ向から対抗して(日本軍が)3000万人もの中国人を殺害したと捏造した数字を上げて歴史を省みていないと相変わらずほざいている。

 そして国内ではウイグル族がテロ活動をしていると決めつけ徹底的に対処するとして弾圧をしている訳である。

 とにかく中韓の2国と隣合せている不幸は変えようはないが彼の国とは徹底的に対決するだけの強い意志を日本人全体で持たなければならないことは言うまでもない。

 どうでもいいことにうつつを抜かしてチンタラしている時ではないことを肝に銘じておくことである。

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崖っぷちウォーク①(北コース)本番当日

2014-09-27 21:21:19 | 日記

 本日は古道連協が企画した崖っぷちウォーク①の本番当日である。

 スタートの時刻は午後1時30分だが、スタッフの集合は12時15分と言うことになっている。

 というのもこういった催しの場合、必ずと言っていい位1時間程前にやって来る参加者がいるのでそれより少し前にスタッフが集合地点にいないと地理不案内の人にとってはその場所が本当に集合場所なのかどうかを確認できるすべがないからである。

 ということで同じ経験を何度もしてくると1時間より少し早く来ることになることは覚悟しなきゃいけない訳だが、スタッフにとっては昼食を先に摂るか、それとも出発前の客が来るまでの間に集合場所で摂るか、はたまたスタートして中間地点でのトイレ休憩を10分間とる時に食べるかという選択になってくる。

 集合前に食べるには時間的にゆとりがないし、そんなに早く食べたいという食欲もない。

 従って客が来る前にオニギリとか、パンなどの軽食を持参して食べることがあったので今日はどうしようかと思っていたがたまたま集合地点の駅改札口前にパン屋さんがあったのでパンを2個買って客を待つ間にでも食べようかと思ったが、やはり思惑通り1時間ほど前に男性参加者がやって来たからお預けである。

 だからパンはデイバッグの中に入れ途中の休憩時に食べることになった訳である。

 参加者も次第に集まって来たが予約を聞いていた数のペースよりもちょっと集まり方が遅すぎるという印象を受けた。

 集まって来た参加者の中に私が水曜日に行っている高大のクラスの受講生が奥さんと思われる女性と受付に立ったのでエッと思ったが近づいて肩を叩くとあちらもビックリした様である。

 その男性T氏は奥さんと私を交互に紹介する。

 15人程度の人数が集まったので私の担当する1班が出発することになったが誰が1班なのかが確認出来ない状態になったので少しモタついたがやっと出発することになった。

 最初は1班の人達を集めて私の自己紹介と臨時のサポーターに入ってくれた当区ガイドの会の女性2人を紹介し、今日のコースの概略と注意事項などを説明してから、前の道路を渡り昆布屋さんに寄って古道の説明をしている冊子をその店の好意により無料で店前に置いてあるので参加者全員1冊づついただく。

 それからはいきなり石段の坂を上ることになったが、ここが最初の崖っぷちである。

 台地の一番北側の急な崖を上った訳だが、古道巡りの時にはここには来ないので似かよったコースではあるが似て非なるコースということになる。

 すなわち古道は出来るだけ坂道などを避けて通ることになるが、今日のコースのテーマはあくまでも崖っぷちを歩くことになるからである。

 通常はポイントの説明とコースの地図を資料として参加者に渡すが今回は台地の谷などの地形図も立体的に描かれているので実感できるので参加者の中にはこんなものが欲しかったと喜んでくれる。

 台地の上と下を行き交いながら南へと下って行き、その途中のポイントは古道とダブルところも一部あるが古道の1筋西と2筋西の道が今回のメインコースということになる。というのも1筋目と2筋目の道の境が坂、つまり当時は崖で上と下に分かれていた訳である。

 近代では都市整理事業により坂(崖)もならされて急勾配ではなくなったが当時の面影は残っているということになる。

 途中でトイレ休憩を取った時にデイバッグに入れておいたパンを食べて腹を満たす。

 休憩後ウォークを再開し終点の地下鉄駅に到着したのは4時少し前で大体予定通りの時間で終えることが出来、そこで解散する。

 

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小中学校同窓会&区民センターダンス教室秋シリーズ③

2014-09-26 23:50:03 | 日記

 今日はこのところしばらく涼しかった状態から抜けて出たように夏に少し戻った感じの暑さを感じたが、風が涼しく心地よい。

 今日は今から50年以上も前に通っていた小学校、中学校の同窓会がある日である。

 私が通っていた当時はまだまだ日本も貧しい時代で特に小学校時代はみんなツギハギだらけの服を着て登校していたもので、満足に腹一杯食事も出来ない状態であったのを思い出す。

 今から思えば何でこんなに貧しいのだろうと子供心に思ったものであった。

 それだけに子供達もとことん悪いのもいなかったし、第一女生徒たちはみんな真面目で今時の女生徒が援助交際とか言って小遣い銭欲しさに春を売るなどの悪さとは段違いに違って本当に真面目だった。

 私の故郷の町は以前にもちょっと触れたことがあるが日本海側にある小さな市の一地域で小学校も中学校も1つしかなかったから小中学校は同じメンバーということになる。

 ただ途中で転校して来たり、出たりで一部の出入りはあるが基本的にはずっと同じ顔ぶれということになる。

 昼前の11時45分までに受付を済ませてほしいということなので自宅を10時過ぎに出る予定にしていたが自宅を出るまでに買物をしておかなくちゃということで近くのスーパーが10時開店なので買物をサッサと済ませてから改めて出かけることになった。

 地下鉄とJRを乗り継いて京都駅に到着したのは11時40分頃であった。

 その頃にはかなりのメンバーが集まっていたが会場には未だ入れずに12時になるのを待っていた。

 12時に一斉に入って先ずは全員でと言っても40名ほどだが舞台に3列に並んで集合写真を撮る。

 その後受付した時に引いたクジによりA~Fまでの各テーブルに分かれて座ることになった。

 今回の世話人数人紹介されてが立ち上がり参加者全員の拍手でその労をねぎらう。

 最近、同窓会が行なわれる頻度は2年か3年に1度であるが学校のあった市か京都市で交互に開催されるようになって、今回は京都市の新都ホテルで開催ということである。

 各テーブルに分かれた後、少し前までは人数も多かったということもあったが特に何かをするということはなくかくテーブルに分かれた後お互いに行き来して親交を深めて欲しいということで乾杯の後、食事を食べながら歓談した後、思い思いに各テーブルを回ることにした。

 時々見慣れない顔を見た時に隣に座っている女性に「あれは誰だったかな」と訊ねて確認して行く。

 その中に思いもかけない女性がいた訳だが、同じクラスの女性ではなかったので分からなかったのだが途中で転校して行った女性であった。

 私達が通っていた時代には同級の生徒が5組あり、1つの教室に40人以上が詰め込まれていて中学卒業時の総数は214人で転校して行った人が30人で総勢244名のうち物故者が36名で連絡出来ない不明者が46名となっている。その内今回参加の意志を表明したのは43名だったそうである。

 しかし参加の意思を表明した人の内3名が後から来たかどうかまでは確認していないが開会してからは分からない。

 それにしても物故者の数が開催する毎に増えていくのは寂しいけれどやむを得ない現実である。

 各テーブルを回りながらいろいろ話して2時間30分の時間はドンドン過ぎて行くがそれでも話したりない人は同じホテル内にあるバーの2次会の会場で話すことになった。

 1次会とは違って2次会はめいめい思い思いにバラバラに座って行くが、私は初めの頃に座ったので誰がどこに座るか分からない。

 今回は途中で転校して行ったM女性が斜め前に座ったがこの女性とは同じクラスになったことはないが、マドンナ的な存在であったことを覚えている。

  話しているうちにご主人を30年ほど前に亡くしたということであったが、私も離婚してから30年近く経っている。

 そんな話をしている時に高校時代には別々の高校だったが、私の自宅の近くにいたM氏がその女性と同じ高校でコーラス部に入っていて、奈良に旅行に行くので私にも来ないかとM氏に誘われて同行した話をしたら彼女も覚えていたので急に近しい会話になり、カラオケをお開きになる少し前にデュエットすることになり「居酒屋」を一緒に歌った。

 彼女も高校時代の元コーラス部だけあって上手いものである。

 お開きになる少し前にまた電話をしてもいいかと言ったらOKである。

 私はこの後ダンスレッスンがあるので急いで駅に向かい自宅へと帰って来て準備した後、しばしくつろぎ、6時20分頃に自宅を出て区民センターへと歩いて行く。

 ただアルコールが残っているので少し顔が火照っているから、風が心地よい。

 ただダンスの相方と組む時にアルコールの匂いがしないかが気になったが今更ああじゃこうじゃと言ったって始まらない。

 前半はタンゴで後半はパソドブレであるが、後半のパソドブレは今までやったことがないので馴染みもなくステップも独特で覚えるのが大変である。

 新しいステップがアルコールのせいか中々覚えられなくて時間がかかりそうである。

 

 

 

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