ふと、今朝は、そんなことが思い浮かび。
このブログが、日記のように、事細かく書かれていれば、検索かければほらこの通り、ってなもんだけど。
その都度の、都合、不都合ないまぜになったトピックの選択、ってことでもあるんで。
にしても、今朝の空も空気も気持ちがいい。
思わず、声に出してしまったんだ。
昨日も、それこそ、転がる石のように生きた。
今日もそんな具合になるんだろうな。
ところで、ご近所のトンカツ屋さんの女将さんが、仕事中に急逝されたそうで。
知らなかった。
のだけれど、以て瞑すべし、と言うしかないか。
見事な死に様、なんて表現もありだ。
経営者と職人の死に顔はいいんです、と言ったのは、安岡正篤さんだったな、たしか。
もと新左翼の若者が、ある時に、右翼の大物、思想的な後ろ盾のかの御仁の本にいたく感銘を受け。
なんて時代もあったな、by プチ自分史。
陽明学とか、なにしろ、20代そこそこで老師と呼ばれたくらいの方だから。
その安岡さんも晩年は、ちょっと大変だったみたいな話を、ある編集者の御仁から聞いたことがあったな。
詳しいことは省きますが。
その彼のお宅へ一度、泊めていただいた事があった、東京のどこだったか、忘れたけれど。
今頃どこの空で生きているのか、なんてね。
あの頃、全然普通に灰皿が出てきたな。
何があったのか、今では、喫煙✖️みたいな世相なんだな。
匂い嫌い、汚い、副流煙は健康に害が、ってわけだ。
喫煙率なんてのは、どのくらいの数値なのか、よくJT、日本たばこ産業、だっけ、やっていけてるな。
と他人事ながら心配でもあるね。
そう、瞑想だ。
つくづく、いい出会いだったと思うんだよね。
何はなくともなんとか茶漬け、ならぬ、瞑想、ってなもんだ。
外で起こっていることと内で起こっていること、とでも言い出すと、キリない話になっちゃうか。
さて、それはさておいて、今日を生きるとするか。