まわりで起こっていること

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キタキツネの子別れ

2020年08月31日 | Weblog

というのは、なかなかに厳しいものらしく。

生まれてからずっと、可愛がられていた子どもたちが、ある日、突然。

母親は、獰猛とも言えるくらいの態度で、冷たく、突き放す。

らしい。

独り立ちしなさい、という暗示、メッセージを行動で示す、というんだね。

もちろん、巣から、つまり、家庭、家族から追い出され、というわけだ。

子どもからしたら、その時のトラウマ、ってのは、凄まじいだろうな。

獅子はわが子を千尋の谷へ突き落とす、なんてのもあるよね。

それほど、社会、自然というものは厳しいものなんだ、という人間への。

教訓、訓示みたいな感じでよく使われがちだけどね。

その真逆が、落語の「薮入り」。

落語には、ベタに「子別れ」なんてのも、あるけれど。

丁稚奉公に出た息子が、薮入り、つまり、年に一回なのかな、お休みで家に帰ってくる。

その時の様を、待ち構える親の側から描く、ってのが、噺なんだけど。

前の晩から、熊さん、眠れず、女房に、いま何時だ、と何回も女房に聞いたり。

いつもは朝寝坊だけど、早起きし、家のまえを掃き清め、近所の友達から笑われる、とか。

帰ってきたらきたで、昼飯は、どこそこのうなぎに刺身に、あと、なんとかとなんとかを食わせ。

明日は、川崎大師さんから、大山さん、それから、駿河のなんとかへ連れて行って、とかね。

とにかく、目一杯甘やかしたい風情、満載、って次第。

最後は、子どもに諌められ、みたいなオチだったかな。

教訓としてどちらを取るか、ってのも、ちょっと違うかも、だけど。

キタキツネや獅子の話を、わがホモ・サピエンスに置き換えて、ってのも。

考えてみれば、随分に乱暴な話だな。

どっちでもいいよ、って感じかな、熊さんでもキタキツネの母親でも、とね。

いずれにしても、そんなお為ごかしに縛り付けられている、その無残さ。

ってのも、どこか、片隅に置いといてもいいかな、というわけだ。

キタキツネの話を紹介していた御仁が、若い頃、二年間、精神科へ通ったことがあるそうで。

とてもいい先生で、懇切丁寧に処方、処置をしてくださって快癒に向かい。

その最後の日、先生にお礼を申し上げ、というタイミングで、くだんの先生。

一気に、厳しい、鬼のような形相で怒鳴りつけ、なんてことになり、くだんの御仁は。

二度とこんな先生には会うまい、と心に決めたらしい。

んだけれど、のちにその先生の著作に、かくかくしかじか、自分に依存しないように。

そんな態度にしている旨、書いてあったそうだ。

依存、ってのは、目に見えないから、やばいといえばやばいけれど、ね。

ま、いろいろと、難しいです。

というわけで、こちらの今日は、シンプルに行くとします。

コメント
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