昨日は、個人のインフラ、みたいな考え方が必要かも、なんて書いたんだけど。
たしかに、それはありだろうけど、障がいを抱えている方とか高齢の方とか。
それ、難しいから、なんらかのコミュニティが必要なんだ、と気がつかされたのは。
台風の被害はなかったですか、と昔お世話になった方へお電話し。
結果、修善寺まで走ってお会いした時に、痛感したのでした。
彼、脳溢血で左半身不随なので、窓にテープを貼ったり、なんてこと、できない。
独り暮らしだからね。
かといって、そんな時、行政の方々の手が回るか、というね。
ちょっと、その光景を思い浮かべながら、立ち止まってしまった。
ということも、一旦、放り投げておいて、そのうちのインスピレーションの来訪を待つ。
って、算段だけど。
昨日は、また、今回の災害で亡くなった方の数が増えていた。
修善寺の御仁も言っていたけど、というか、ほとんどの人の共通理解だけど、激甚災害が続く。
そんな天変地異。
じゃ、どうするのか、と。
そんな問いが投げかけられているわけだ。
そう言えば、昔、大江健三郎の文章に、壊れものとしての人間、だったか、そんなの、あったな。
フラジャイル、とか英語では言うらしいけど。
フラジャイルな存在が、科学文明で武装し、その敵たる自然に立ち向かい、と言うハリウッドみたいな。
メンタリティでの、この何十年か、何百年かの所業ではあったわけで。
そこのところの改変が迫られている、と言うのが、現在ってことだろうな、と。
日本ミツバチを飼おうかな、なんて思い浮かんだ、当方の変化も、そんなところ、発祥かもしれないな。
五感は嘘つかない、って。
五感とともに生きる、なんて書くと、当たり前でしょ、ってなもんですが。
そんな気分のする朝だ。
このカラダを公平無私に取り扱う、付き合う、とでも言えばいいのか。
土砂崩れの前、異様な匂いがするんだ、なんて年長の方が、さらに年長の方の言い伝えを。
僕に伝えてくれたことがあったけど、そんな具合だね。
五感をAIに置換え、みたいなことも局所的にはありだろうけど、トータルの。
命の発現と言う意味では、少し、違う考え方もあるんだろうと思いつつ、次のステップに向かいます。