まわりで起こっていること

since2004.12「糠漬け初心者」

この冬はすでに2度、あかぎれになった

2017年01月19日 | Weblog

アカギレといえば、母さんが生味噌をすりこむことで有名ですね。

って、こちらが、そうした歌で刷り込まれてもいるんだけど。

母さんのあかぎれ痛いから、生味噌をつけた、と言うわけだ。

そんな歌を聴いて育ったのが、僕らの世代だけど、今だと、あれ、名前忘れたけど。

いいものがあるね。

湿潤療法とでも言うのか、水洗いもできるのに呼吸が可能な絆創膏、みたいな。

今朝、2本目の指から、それを外した。

子どもの頃は、冬になるとデフォ、とも言える状態で、黒いやつ、火で炙って溶かし。

コールタールみたいなのが接着剤のようになって、あれ、わがご愛用品だったのです。

マンキン膏って言ったっけ。

祖母にやってもらって、なんての思い出す。

今日は、東京さ行くだ。

これも、某会社さんを定年退職されて、今は、2度目、いや、3度目の奥様と暮す。

その方のマンションへ、三人で押しかける、と言う絵柄。

ホテルを手配したらね、俺んとこ、泊まりなよ、飲み物からお酒から全部、用意するから、と。

お金かかんなくていいでしょ、ってなもんで。

今どき珍しいパターンでもあるね、ご自宅へのお誘い。

僕からすると、瞑想もできないので、ちょっと、点点てん、って感じだけど、そこはそれ、大人だから。

明日は、10時に大事な来客があるので、速攻、戻ってこなきゃ、なんだけど、いまでは。

東京へ新幹線通勤、なんての、あるから、まったく無問題、とも言える。

この御仁には、在職中はお世話になり、と言う方なんで、どちらかといえば、送別を大事にする。

と言うポリシーまんまの、今日の行動なんだけど。

これと真逆な反応、と言うのが、ある県の県警本部長と言う方の話で、ゴルフ好きなその方。

早いとこ定年を迎え、ゴルフ三昧の日々を、と目論んだわけだ。

ほとんど毎日が、ゴルフ、とね。

ところが、在職中は、一声かければ数多のゴルファーが蝟集し、なのに、定年後は、誰それは何の用で、家の法事で。

とかなんとかで、一切、集まらなくなり、病気になり、結果、若くしてお亡くなりになった。

と言うエピソードがあって。

例の、落語の「寝床」の噺、まんまの世界が繰り広げられたんだね。

最近も静岡県であったけど、増収贈賄の世界にも似ているね。

と言う、経済優先の社会の悲哀、とでも言えるか、連綿と続く我が身お大事に、と言う価値観の。

ベタのエピソードなわけだ。

ので、歓迎会より送別会、って選択になるんだよね。

この間の、新年会の二次会、三人で飲んだおひとりが女史で、彼女。

女性というのは、一挙に、つまり、家事のことや仕事のことがないまぜに、というんだね。

直観、直感、と。

実のところ、こちらがデフォの人間の姿かもしれず、なにせ、例の、文学者のような生物学者、福岡伸一さんが。

「できそこないの男」って本、書いてるしね。

イブはアダムの肋骨から生まれたのではありません、というね。

人間のデフォな姿は女性だった、とまるで、明治の平塚らいてふだ。

原始女性は太陽だった、なんてフレーズあったもんね。

そもそも、言葉を、神から授かりしもの、という具合に設定してきたのは、男性なんだね。

もちろん、女性も巫女さんのような形で、それに加担もしたわけだけど。

そうやって作ってきた社会が、そりゃ、いろいろな不具合が生じ、それを修正するのに。

言葉によって計画やら目標やらを作らざるを得ず、ってのも、当然の帰結、ってわけだ。

砂上に楼閣、ってのが、男性のわかりやすい姿で、女性は、そこが砂なら、あたし、嫌い!

ともっと豊かな、芳醇な土を感性で見つけ、って仕組み、とも言えるか。

とはいえ、どちらが良くてどちらが悪くて、というんじゃないけどね、そこはそれ。

違いを楽しむ、ってわけだ。

わが新婚の社員さんに送ったフレーズとまんま、おんなじことだ。

さて、それでは東京さ、行ってきますよ。

 

コメント
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