休日の足が奪われ、というようなキャプション付きの写真が。
たぶん、今朝の新聞やネットには散乱するのか。
誰かのFacebookに、名古屋方面からの列車が到着せず、今日は。
動かないほうがいいですよ、なんての、アップされていて。
一日違いで、帰ってこれなかったかも、と胸をなでおろした次第。
というほどの感慨は、なかったのだけれど、文字にすると、こんな具合になっちゃうんだよね。
は、ともかく。
昨日のお昼過ぎの陽光、ま、太陽の光だね。
アランドロンも、ちょっと違った意味だけど、こんな具合に眩しかったかな。
「太陽がいっぱい」の映画の中でね、というくらい。
いつものお蕎麦屋さんを出て、近くの喫煙スペースへ向かう時、太陽が眩しかった。
あれは、ニュースだな。
思わず写真、撮っちゃったよ。
映画の一シーンのような、でもないか。
なんとか現象、と誰かが名付けてくれるのかもしれないな。
ちょっとね、神戸は苦楽園でのできごと、出会いが、つまり、関西最大級、と銘打たれたお店のことでもあるんだけど。
未だに内奥に響いていて。
それの始末に困っている状態でもあり、ではあるけれど、今年の干支、酉年というのが。
植物の成長過程を表し、一言で言えば、ピークをつける。
とでも言えるか。
なので、実は、カオスが内在された年、とも表現でき、ということからすると、こんな混沌。
ってのは、歓迎でもあるんだけどね。
唐突感あるけど、「土と内臓」って、風変わりのタイトルの本、面白くて。
植物の根の周りに、根圏(こんけん)と読むのか、ある種の世界、とでも呼べるか。
たくさんの、ほとんど天文学的な数字と呼べるような微細菌たちが、植物との共生という形で息づいており。
それによって、植物の光合成を助け、微細菌の生をつなぎ、というような。
一大生活圏を形成している、とかね。
内臓、ま、大腸の、腸内フローラという言い方が流行りだけど、腸に限らず、体内全域にわたる。
免疫の働きに、微細菌、微生物が関わり、というような話ね。
ピーク、ま、山頂と谷の繰り返しの中に、生物がいる、というのか。
この山と谷の常ならぬ動きのことを称して、生命、生物、人間、と呼ぶ、とも言えるな。
この著者、モントゴメリー夫妻が、また、学者さんに似合わぬ、率直な文体を持っている方々で。
人間は食べたところのものである、なんて台詞も口にし、住んでいるシアトルという場所柄からしても。
オーガニックだとか、自家製だとかの、ロハスとでも呼べるような食生活をしていたにもかかわらず。
ガンにかかり、切除の手術をした奥方が、すわ一大事、とばかり、ガンを勉強し、食生活の改善に取り組み。
というところを、率直に書いている姿が、かわゆい、って感じでもあり。
あれ、今カレンダーを見たら、今日は、薮入りなんだね。
お正月も過ぎ、ようやく、丁稚小僧さんたちは、家に帰れる、ということか。
「薮入り」と言えば、金馬の噺に繋がるわけだけど、そう言えば、昨日、仕事場へ帰っていった。
わが娘も、今回の帰省は、薮入りだった、とも言えるか。
金馬の薮入りでは、おとうとおっかあが、息子のために、あれも作りこれも作り、あそこへも連れて行きここへも連れて行き。
という、子を思う親心を面白おかしく語っているんだけど、こちら。
娘の薮入りの間は、料理は、彼女、食べるのが我々、という関係でもあって、しかも。
リハビリ病院から帰還した母親が、夜中に、トイレの場所が定まらず、玄関から外へ探しに行く、というような。
行動を避けようと、大きな看板を、つまり、トイレは、はい、こちら、です、なんての、作ってくれたりね。
なんて事のあった、思えば、娘の薮入りだったんだ。
さて、今日は、これから、ネハイホープロジェクトの、三つ子のお母さんの会社さんへ。
どんな展開になりますやら。