おっさんひとり犬いっぴき

家族がふえてノンキな暮らし

幟を立てる

2021-10-07 10:00:58 | 日記

 秋の全国交通安全週間というのがある。今年はもう終わったようだが、テレビでは飲酒運転による居眠りで、児童が死傷したというニュースが流れていた。加害者は少しくらい酒を飲んでも、正気を失うほどにはなるまいと思っていたのだろうが、ほんのちょっと居眠りした瞬間に、大事故は起こってしまった。

 交通安全週間になると、「交通安全」と書かれた幟が、道のあちこちに立っている。交通安全とタスキをかけた人が、あちこちに立っている。が、そんなことで交通事故がなくなるなんて誰も考えていないだろう。

 もし本気で飲酒運転を辞めさせるなら、この世から酒を締め出してしまうのがいい。が、それは現実的ではないので、飲酒していたらエンジンがかからないというような車を開発するのが一番実情にかなっているかもしれない。

 仮に、交通安全協会の人たちが各家庭を回り、交通安全を徹底させるために、「交通安全」の幟や「飲むなら乗るな」のポスターをたくさん作りたい。そのためにも寄付をお願いしたい、それ以外に交通事故をなくす手段はないと申し出てきたら、僕ならお断りするだろう。

 こう書いてくれば、おそらくほとんどの人が同意すると思うが、これが憲法9条となると途端に話がおかしなことになってくる。平和憲法と呼ばれる9条では、「戦力の不保持」が明記されている。が、実際には自衛隊という武力を備えた部隊を保持している。自衛隊は軍隊ではないと言う人もいるが、自衛隊も軍隊も戦力を保持していることには変わりはない。憲法9条を厳守するなら、自衛隊も持ってはいけない、というのが日本国憲法である。

 憲法9条があれば戦争が起きないと考えているのであれば、それは「交通安全」の幟を立てれば事故が起きないと言っているのと変わりはない。悪意はなくても人はうっかり事故を起こす。同様に善意からでも人の世では諍いが起こる。これが現実だ。

 国防というのは、戦争をするばかりが能ではない。災害や伝染病から国を守るのも国防だ。その点でも自衛隊の存在をなくすということは考えられない。では、本来なら憲法違反である自衛隊の存在をどうするのか、これはちゃんと議論して決めておかなければならない。

 何事かが起こってからでは遅すぎる。原子力発電所は絶対安心だといい、だから事故は起きないと言い張ってきた。事故が起きたときの避難マニュアルも必要ないし、避難民の移住先も用意する必要はない。核のゴミを処理する最終処分場も当然のことながら必要ない。これが日本政府と東電が進めてきたやり方だ。

 太平洋戦争の時も、原子力発電所が稼働していた時も、本気で反対した人たちというのはごくごく少数だっただろう。が、何事かが発生すれば、多くの人が二度と起きないでほしいと慎重になる。動物は痛い目に遭えば、次はないようにと反省する。が、物事が進行している時には、その危うさは自覚されにくい。

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