おっさんひとり犬いっぴき

家族がふえてノンキな暮らし

大掃除に思う

2022-12-27 12:16:58 | 福島
 昨日からぼちぼち大掃除を始めた。天気予報では、昨日今日の二日間は晴れ間が広がるとのことで、それを逃すと荒れた天気の中のまま年の暮れを迎えるということになりそうだったからだ。

 というわけで、昨日は風呂掃除をした。我が家の風呂はユニットバスなんてホテルみたいなお風呂ではなく、壁や床がタイル張りの昭和な風呂なのである。だから、半年もするとタイルの目地に黒いカビが目立つようになる。この10年、何度徹底的に磨き上げたかわからない。磨くだけでは足りず、天井やタイルより上の壁は、お風呂用のペンキで2度塗り直した。

 脚立を風呂に持ち込み、上を向いて天井や壁を磨く。這いつくばってタイルの目地をゴシゴシこする。最後にシャワーのお湯を天井から壁から床にかける。浴槽を磨く。お風呂の椅子を磨く。シャワーのホースを磨く。あっという間に時間が過ぎる。

 今日は青空は広がっているが、強風が吹き荒れている。家中の窓やサッシを掃除する予定だったので、外に出て脚立で高い所からガラスを磨き始める。邪魔な網戸を外しておいたら、強風で吹き飛び、あわあわと大慌てだ。

 で、あっという間に時間が経ったので、あとは明日からに回すことにする。一気にやるとどうしても飽きてしまって、僕の性格上、手を抜き始めるのである。

 それにしても、身の回りをきれいにしないと年を越せないというのは、どう考えても宗教の影響を受けているとしか思えない。大掃除なんて、欧米のように暖かい春になってからするのが理にかなっている。わざわざ雪が舞う中、水を使って掃除をするなんてバカみたいである。

 サッカーワールドカップで、日本のサポーターがスタジアムの掃除をしたという行為が、世界的に評判を呼んだ。日本人が清潔好きだとか、子供の頃からそういう教育を受けているといった理由が紹介されていたりしたが、そもそも小学校から生徒が教室の掃除をしたり、給食の配膳をしたりするのは、清潔好きというよりも、禅の教えを学校教育が取り入れた結果である。

 天下国家を論じるのだから、身の回りの些細なことにはかまってられない、という人もいるだろうが、禅の教えでは身の回りのこともできない人間に天下国家を論じることなどできないという。だから、早起きしてお堂の掃除をしたり、食事の支度をしたりということが、そのまま修行だということになっている。こうした教えを聞くと、子育ては奥さんに任せっきりで、子育て支援の政策を考えている政治家や官僚には禅の精神は根付いていないのではないかと思ってしまう。

 小学生に掃除や配膳をやらせているのだから、国会でも政治家が掃除をしたり食事の配膳をしたりすればいいと思う。
コメント
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