フィヨルドの変人 ~Odd person in fjord~

ぇいらっしゃ~い!!!

妖怪の住まう沢

2024年05月01日 20時48分20秒 | 日記
さてさて、ワウーについてぬたりは知るに至ったが、そのワウーの出没地点に関しては地図で「ここだ」と示してくれる資料はネット上には見つからなかった。
地名のみは「刈俣」と記載があるが、今のみなかみ町の地名には見えない。グーグルマップ等で追える地名は「利根郡みなかみ町藤原」まで。その先の小字とか地区名はいくつかの資料では確認できるが、その中に「刈俣」という名前はない。そもそも藤原地区の中心部は現在藤原ダムの建設によりダム湖の底に沈んでおり、当時の集落自体がもうない。
さらにはワウーの話自体が「山に入っていって遭遇した」なんだから、現在の集落近辺に「刈俣」は無いんじゃなかろうか。日常的に山に入る藤原の住民がどこかをそう言い習わしていた、とも考えられ、そうなるともうどう調べて良いのか見当もつかなくなる。
次にワウーが出たから名付けられたという「ワウー沢」に注目。川や沢というのはそれを遡る趣味の人たちがおり、ネットにも情報がたくさんある。と言うわけで武尊山中の沢登りの記録をあれこれ読ませていただいたが、「ワウー沢」という名前はなかった。
というわけでお定まりの方法。地元の図書館へ行く。みなかみ町に図書館はなく公民館の図書室という形であったが、地域の本の蔵書はやはり頼りになる。民話関係、地形図関係、水利関係、関係ありそうなものを片っ端から読んでいく。
結論から言えば、場所を特定出来る情報は無かった。ただ、話のディテールを少し深めることが出来て、ワウーの話が出たのは明治維新の前くらいの時期であること、刈俣は正確には「刈俣沢」という沢の名前であること、そして当時の山小屋と言ってもとりあえず雨風をしのげる程度の掘っ立て小屋で、1坪程度の簡素なものだったこと、などが分かった。そして地域の古老はワウーの正体をミミズクあたりではないかと思っていたそうだ。21世紀を生きる我々だと山小屋を揺らすとなると大きな怪物を安易に想像してしまうが、周囲を囲った程度の掘っ立て小屋なら、確かに猛禽類ならぐらぐら揺らすことも可能だろう。
こんな感じで得るものはあったものの「刈俣沢」「ワウー沢」どちらも現地確定には至らず、すごすごと家に帰る。まあ妖怪なんて求めてると遠ざかってしまうもんさ、なんて思いながら、地区の大まかな地形や道、集落等を復習しようと手元の県別マップルを手に取る。藤原地区で武尊山中だとこのあたりなんだよなあ。

載っとんのかい。
なんとまあ、自宅でご飯食べるすぐ脇に置いてあった道路地図に答えが載っていたという、青い鳥は実は身近にいたというのを地で行く展開になった。何だったんだ今までの苦労。
現在の標記は「刈又沢」と書かれてるようだが、こういう標記のずれはよくあること。残念ながら「ワウー沢」の記載は無かったけれども、ほぼ沢筋1つに場所を限定できた。
ただ、なるほどこれは情報収集には悪い意味で絶妙の位置。刈又沢は武尊川の支流で武尊川は沢登りの人の情報も数多いのだが、現在では刈又沢合流の遙か上流に駐車場があり、刈又沢のあたりを沢登りする人はほとんどいない。だから情報が少なかったのだ。
そして調べたからには行ってみたいと思ったんだがこれもまた悪い意味で絶妙な位置。刈又沢のあたりでは道路は大きく迂回していて簡単に近づける位置にない。実際に現地を下見にも行ったのだが、険しい人跡未踏の山肌をかなりな高度を克服するか、渡渉しながら沢を登るかの2択。やってやれなくはないと思うがちょっと荷が勝ちすぎる感じ。ウェーダーを履いての渡渉も経験がないでもないんだけど、見た目よりも水圧が相当にきつくてかなり怖かったのであんまりやりたくないんだよね。見た感じ武尊川は結構水量も多かったし。
というわけで、調査は一旦これでおしまい。なお、刈又沢に車道で一番近づけるあたりにはほうだいぎキャンプ場があるので、いつかワウーを思いつつキャンプしに行くのも良いかもしんないね。
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