80年代Cafe

80年代を中心に、70年代後半~90年代位の懐かしいもの置いてます。
あなたにとって80年代はどんな時代でしたか。

プチ散財日記

2007-06-21 21:54:32 | 散財日記・雑記
 週の真ん中(でもないか)、散財日記です。

Atari 2800ソフト・GANGSTER ALLEY・(中古/SPECTRAVIDEO) 100円
DVD・スターウォーズⅢ・シスの復讐・(中古/20th FOX) 700円

スターウォーズDVDは、レンタルアップ商品。中古セルを買ったと思えばまあ割安だったでしょうか。『GANGSTER ALLEY』は、Atari 2800用ビデオゲームソフトです。内容は、ビルの窓からのぞくギャングを撃つという、当時(83年)にはありがちなゲームです。Atari 2800は、あのアタリショックを引き起こしたAtari 2600(Video Computer System/VCS)のバージョンアップ版。といっても性能は変わらず、木目模様からクールな外観へとデザインの変更が行なわれたバージョンです。Atariの古いゲーム機をお持ちの方には、なんてことはないのですが、私はもっていませんので新鮮な感じがします。解像度的には、カセットビジョンとSG-1000の中間ぐらいでしょうか。そのためFCが発売されていた時期のものにしては、古臭いです。内容は、日本向けにローカライズしたものではなく、あちら仕様のものにAtari 2800用とシールを貼っただけのもの。英語マニュアルと日本語版マニュアル、当時のカタログが付いていました。紙箱やマニュアルの感じは、FCより初期MSX1に似た雰囲気です。ソフトがあるということは、ひょっとして・・・と必死に探したのですが、さすがにそれは無理でした。本体がないのでコレクション的な意味は全くありませんが、ほんのちょっとだけあの頃の空気を感じることはできました。

チェッカーズ(THE CHECKERS)・ポニーキャニオン

2007-06-18 22:09:16 | 映画・DVD・CD
 チェッカーズ(THE CHECKERS)は、80年代に活躍した福岡県久留米市出身のロックバンドです。80年代はアイドルの全盛期であり、TBSでは『ザ・ベストテン』、日本テレビ系の『ザ・トップテン』、フジ系『夜のヒットスタジオ』、テレ朝『ミュージックステーション』など、音楽番組の全盛期でもありました。前の晩にある程度これらの番組をチェックしておかないと、学校に行って話題に乗り遅れてしまうような感じでもありました。懐かしいと感じるアーティストは人それぞれだと思いますが、個人的にはこのチェッカーズが、もっとも80年代を連想させる(80年代ぽい)アーティストだったような気がします。

 チェッカーズは、80年に福岡県久留米市で結成されています。83年に『ギザギザハートの子守唄』にてデビュー。その時はそれほど注目はされなかったようですが、84年に2stシングル『涙のリクエスト』で大ブレイクを果たします。この曲のヒットにより、ランク外だった『ギザギザハート』が再ランクイン。3stシングルの『哀しくてジェラシー』(84)も含めて『ザ・ベストテン』内に、3曲同時チャートインという快挙を果たします。続けて『星屑のステージ』(84)、『ジュリアに傷心』(84)も立て続けに首位を獲得。この頃には『チェッカーズ・カット』と呼ばれた独特な髪型も流行しました。そのまま勢いは衰えずに85年には、『CHECKERS in TAN TAN たぬき』(主題歌『あの娘とスキャンダル』)で映画デビューも果たしました。翌86年には2作目の映画『SONG FOR USA』(主題歌 『SONG FOR USA』)も公開されました。この85年前後から、トレードマークであったチェックの衣装を着ることも無くなり、メンバーオリジナルの楽曲を歌い始めるようになります。一時期のアイドル的な人気は落ち着きますが、それ以降も『I Love you, SAYONARA』(87)、『素直にI'm Sorry』(88)など良い曲を発表していきます。その後、92年に(方向性の違いなどにより)メンバー間のソロ活動が増えたため、その年の紅白歌合戦を最後に解散しています。(※リンク先はyoutube)

 熱心なファンの間では、メンバーの作詞・作曲によるオリジナル曲となった、後半のチェッカーズの方が評価は高いようです。ただ個人的には、売野雅勇&芹澤廣明の両氏の手による楽曲を歌っていた頃の、アイドル的なチェッカーズの方が印象が強いです。84~85年頃の『ザ・ベストテン』に出まくっていた頃のチェッカーズは、とにかく人気があって、とにかくかっこ良かったんですね。お揃いの衣装に、お揃いの髪型とアイドルのような売り出し方で登場しましたが、オールディーズ の要素を持ちアカペラもこなす実力も持っていました。また売り出すために結成された寄せ集めのバンドではなく、久留米より上京してきた仲間同士のバンドであったというところが、また良かったですね。当時、友達と『CHECKERS in TAN TAN たぬき』を見に行った記憶があります(これはアイドル映画でしたが)。近年では、ドラムを叩いていたメンバー(クロベエ)が亡くなったり、メンバーが『暴露本』を出版したことなどが話題になっていました。この本を読むと、メンバー同士の確執から再結成はどうもなさそうな感じで、少し残念な気がします。

 80年代中盤あたりには、チェッカーズに影響されてかC-C-Bとか、サリーのようなアイドル的な要素も入ったバンドが多かったですね。90年代に入るとアイドル的な売り方とは一線を画した、本格的なアーティスト型のバンドがメインになってきます。彼らはそういった意味でも、非常に80年代的なアーティストだったという気がしますね。

ザ・ブルークリスタルロッド・ナムコ(バンダイナムコゲームズ)

2007-06-17 22:05:11 | RPGゲームReview

 『ザ・ブルークリスタルロッド』(the Destiny of GILGAMESH/DOG)は、1994年にナムコから発売されたSFC用のアドベンチャーゲームです。84年『ドルアーガの塔』(the Tower of DRUAGA/TOD)より始まった、『バビロニアンキャッスルサーガ』の最終作にあたります。


バビロニアンキャッスルサーガ』は、遠藤雅伸氏によるバビロニア神話を舞台にした一連のゲームシリーズで、84年の第1作『ドルアーガの塔』(the Tower of DRUAGA/TOD)、86年に2作目『イシターの復活』(the Return of ISHTAR/ROI)、ホームをFCに移して88年の3作目『カイの冒険』(the Quest of KI/QOK)、SFCに移った94年の4作目『ザ・ブルークリスタルロッド』(the Destiny of GILGAMESH/DOG)で完結します。今作は、実に10年にも及ぶ壮大な物語の最終章ということで結構期待されたようですが、現在ではあまり話題になることも少ない作品となっています。


 理由は幾つかあるようですが、『ドルアーガ』『イシター』はアーケード作品として、PC、FCを含めた様々な機種に移植されたのに対して、ブルークリスタルロッドSFC以外に移植例が無いという事。また『ドルアーガ』『イシター』は、国産RPGの先駆けであり、アクション中心であった当時のアーケードゲームに、謎解きや成長の要素パスワードによるコンテニューなど、斬新な試みを提示していたのに対して、『ブルクリ』の時期には、RPGやファンタジーが少々食傷気味だったこともあると思います。何よりゲームシステムや、ゲームの出来が同シリーズの他の作品に比べて微妙だったのが、一番の理由でしょうか。アクションRPGだった『ドルアーガ』『イシター』、パズルの要素を含んだアクション『カイの冒険』に対して、今作はイエス・ノーで選択肢を選び、48種のエンディングにたどり着くことが目的のアドベンチャーゲームになっています。ゲーム性がお世辞にも高いとはいえない独特な仕様で、ゲームブックやサウンドノベルに近いものになっています。


 遠藤氏としては、できるだけ自由度の高いものを作ろうとして、今作にも実験的な要素が強かったようです。48種のエンディングは基本的に等価であり(判断はプレイヤーに委ねられている)、どれが正しいとか真のエンディングということはありません。10年にもわたった『バビロニアンキャッスルサーガ』を締めるにあたって、「これがBCSのエンディング」みたいなものを作り手が1つに限定することを避けて、プレイヤーに委ねる形になっています。遠藤氏としては、『それぞれが最初に辿り着いたエンディングが、そのプレイヤーにとってのDOGだと思ってもらえるといい』という発想で製作されていたようです。もともと『バビロニアンキャッスルサーガ』というシリーズ自体が、前衛的というか実験的な作品だったわけですが、最終作もその例にもれず、一風変わった作品となっている訳ですね。


 遠藤氏は、『ドルアーガ』の後にナムコを独立していますので、氏自身の関わった『ドルアーガ』関連作品は、ここまでのようです。(PC-E版ドルアーガにも携わっているみたいですが)。人気作だけあって、ドルアーガシリーズは、外伝も含めて現在まで様々な作品が作られています。それにしても、1~2作目の斬新さや、神秘性、熱中度を持った作品は、以後生まれていないような気もします。写真左は、ひょとするとゲーム本体より貴重かもしれない、48種のエンディングを全て収めた攻略本『ブルークリスタルロッドのすべて』/宝島社。巻末に遠藤氏、内藤氏、小沢氏、篠崎氏の対談が載ってます。イラストはなんとキャラデザインを手がけた篠崎氏自らの手によるもの。



参考:Wiki ドルアーガの塔の項、ブルークリスタルロッドのすべて/宝島社、遠藤氏が自作について質問を受付けたスレッド

宇宙戦艦ヤマト・銀河鉄道999・(77・79/日本)

2007-06-17 16:41:41 | 映画・DVD・CD

 宇宙戦艦ヤマト銀河鉄道999は、漫画家の松本零士氏原作の(ヤマトは西崎義展の原案)アニメーション作品。どちらもTVで放送された後に劇場用として公開され、現在まで続くアニメブームの基礎を作った作品でした。アニメーションが子供のものから、大人の鑑賞にも耐えうるものと認識されるきっかけとなりました。


 宇宙戦艦ヤマト(英語名はSpace Battleship Yamato、Space Cruiser Yamato、Star Blazersなど)は、1974年にTV用アニメ作品として企画されました。企画・原案・製作・総指揮は、西崎義展氏。監督・設定デザインは松本零士氏。もともとは、虫プロの西崎義展プロデューサーを中心に、SF作家豊田有恒氏とスタジオぬえのメンバーで練られた企画のようです。松本零士氏は、企画の途中より参加してデザインや設定、漫画作品などを担当していたようです。この項を書くため調べていて、初めて知ったのですが、絵コンテには安彦良和氏、富野善幸氏の両氏も参加していたようです。あのガンダムも、最初はロボットの登場しない話として企画されていた事や、単純な勧善懲悪ではなく、人間群像が渦巻く戦記ものとして登場した事など、本作の影響がかなり大きかったようです。そういった視点で見ると、戦艦の登場する宇宙での戦闘シーンなどに、ヤマト(とスターウォーズ)の影響を色濃く感じる気がします。


 物語は、誰でも知っているでしょうから省きます。初めは74年にTVアニメとして放送され、裏番組にハイジや猿の軍団などがあったことから、視聴率は振るわなかったようです。しかし当時としてはリアルなSF描写と、高学年向きのストーリがじわじわと人気を高め、77年にTV版を編集した劇場用作品として公開したところ、社会現象とまでなる大ブームを巻き起こしたようです。ここいらもガンダムと同じ経緯をたどっていますね。74年ということは戦後30年ほどですから、日本海軍の象徴であった戦艦大和を空に飛ばしてしまうという発想が、また今とは異なった(リアルな)ものとして受け取られた部分もあったのかもしれません。


 フルオーケストラを使用したテーマ曲も印象に残るもので、甲子園で盛んに演奏されたり、海上自衛隊の海外派遣の際に見送りに使用されたりもしたようです。非業の最期を遂げた大和が、再び(全人類のために)活躍する話というのは、やはり日本人にとっては独特の感情を呼び起こすものなのかも知れません。


 銀河鉄道999(The Galaxy Express 999)は、松本零士氏原作のSF漫画(77~81)、TVアニメ(78~81)、劇場用アニメ(79、81)作品。


 こちらは、宮沢賢治の銀河鉄道の夜をモチーフにしていて、ファンタジーの要素が濃い作品になっています。宇宙戦艦ヤマトのヒットを受けて、80年頃には松本零士ブームとでもいうべきものが生じており、宇宙海賊キャプテンハーロック、1000年女王、クイーン・エメラルダスなど、次々と映像化されていました。(これ以前の作品としては、惑星ロボダンガードA、SF西遊記スタージンガーなど)。中でも999は、特大級のヒットだったようで、この頃にはアニメの範囲を抜け出して、現実に国鉄の企画としてミステリー列車「銀河鉄道999号」が、全国各地で運行されたようです。また96年頃より、新作も発表されていてこれは現在でも続行中になってます。


 999に関して最も印象的なのは、やはり79年に公開された劇場用第一作目、銀河鉄道999(The Galaxy Express 999)でしょうか。主題歌を当時人気だったゴダイゴが歌って、こちらもヒットしました。こちらは、ヤマトと異なりTV版の総集編ではなく劇場用オリジナル作品で、原作やTV放送の途中にもかかわらず結末が明かされるという形になっていました。(実際には、原作、TV版とも少しずつ異なる)。それだけではなくキャプテン・ハーロックやクイーンエメラルダスも登場するなど、劇場にふさわしい豪華版でした。本来であれば長い旅(漫画版、TV版は、基本的には一話で一つの星を訪れる)のはてに、終着駅に到着するのですが、そこは少しはしょった感じになっていました。また映画では、“青春の旅立ち”というテーマを明確にするために、主人公の年齢設定を上げており(10歳→15歳)、原作と比べて少し美形キャラになっていました。それにしても、銀河鉄道に乗って宇宙を旅するなんて、なんて夢(ロマン)のある漫画なんだろうと当時は感じていましたね。



 ヤマトは人気のある作品だけあって、様々な模型・玩具が発売されていました。当時物としては、『野村トーイ』よりダイカスト製ヤマトや、コックピットを再現したものがありました。現行のものとしては、ポピニカ魂の宇宙戦艦ヤマトが決定版だと思います。またプラモも、バンダイより時折再販されているようです。999はヤマトと比べると玩具化しにくいのでしょうが、当時物としてポピニカと、バンダイよりプラモが販売されていました。



GTroman・西風/集英社

2007-06-17 01:39:54 | 書籍・漫画

 GTromanは、1988~96頃にかけて主にヤングジャンプ誌上で連載された車漫画です。作者は、静岡県沼津市在住の漫画家、西風(にしかぜ)氏。サーキットの狼を70年代を代表する車漫画だとするならば、こちらは80年代(バブル期)を代表する車漫画だといえるかもしれません。90年代~は、やはりイニシャルDでしょうか。


 この漫画の特徴として、まず車にまつわるショートストーリを集めた短編集ということがあげられます。一応、沼津市の一角にある架空のカフェバーロマンのマスターと、そこに集まる車好きの物語という形はとっていますが、バー『ロマン』が登場しない回も多く、基本的に一話完結の物語になります。連載の前半は、一話ごとに主役となる車をとり上げ、その車にまつわるストーリーという形をとっています。


 後半には作者『西風』氏をはじめ、氏の後輩や、漫画家いしかわじゅん氏、イラストレーター横山宏氏など、実在の人物と、彼らの車にまつわるエピソードなども登場します。もう一つの特徴としては、バブル期の漫画らしく非常にお洒落であるという事でしょうか。この時期、わたせせいぞう氏のハート・カクテルがヒットしていましたが、車版のハート・カクテルという趣もあります。氏の描き出す、車(と車のある生活)は非常に魅力に満ち溢れていました。


 印象に残るストーリーは、ひとそれぞれだと思いますが、個人的には3巻に掲載されているロータス・ヨーロッパの話(乗り込むと、ガードレールが目線の高さになる車体の低さと、ミドシップによるコーナーの安定性が強調されている)、厳格な父親の形見ディーノの話(実際のディーノも、フェラーリ創始者の息子アルフレ・ディーノの手による忘れ形見)、1巻と3巻に掲載されているホンダS600で、ライバルであるトヨタ・ヨタハチとバトルをする話などが好きです。基本は車との夢のある生活を描いていて、時折男女のほろりとさせるようなエピソードを挟みこんでおり、車好き(特に旧車)にはバイブル的な扱いをされているようです。氏の描く女性的で線の細い『エラン』や、小さく玩具のような愛嬌のある『カニメ』などは、他の作家には真似のできない独特な魅力を放っていました。私は外車や、高価な旧車などを所有したことはありませんが、それでも車や車のある生活の楽しさを、この作品よりだいぶ学んだような気がします。


 GTromanには、書き下ろしも含めた完全版もあります。これ以外にも90年頃よりヤングジャンプに連載された『CROSS ROAD』、車雑誌Tipo誌に連載された『DEADEND STREET』などがあります。これらは、現在でもブックオフなどで簡単に入手できます。90年代以降、スポーツカーやセダンが売れない時代になってしまいましたが、ミニバン全盛の現在にもこの種の車の魅力をよく伝えてくれる貴重な作品だと思います。