あんのん雑記

愛媛県西予市野村町の慈雲山安穏寺、
住職の雑記です

復興への実り

2012年03月26日 | 東日本大震災について


宮城県山元町はイチゴの生産が盛んでありました。

しかし、津波によって120件程あったイチゴ農家のうち、

生産ができる状況であったのは5件程であったそうです。


そんな中、イチゴの苗が他県から提供され、

ボランティアの人々の手によって株が分けられ、

植えられました。

私たちも9月に山元町を訪れた時、

イチゴの苗の株分けをしました。

しっかりと実をつけて復興への一歩となるよう祈りを込めて・・・


震災から一年後の3月、山元町を訪れたら、

イチゴの販売が行われていました。


震災を耐え、たくさんの人の祈りが込められて実ったイチゴです。

朝どりのイチゴは甘酸っぱく、さわやかな香りがあふれました。


イチゴ直売所のおばさんが、宅急便の荷札を見て、

「遠いところから、ありがとうございます。

こうやってイチゴが売れるのも皆さんのおかげです・・・。」

と言ってくださいました・・・


現在では60件程のイチゴ農家が生産に向けて活動しているそうです。

復興への実りに、ただただ感動しました。


シタール に ひたーる

2012年03月24日 | 仕事
3月23日、本日は今治市の野間寺さまにて「ミニ禅をきく会」を開催します。

朝のお勤めをして出発の準備と思いきや、

本堂裏手の納戸が雨漏りしておりました・・・

合羽を着こみ細心の注意を払いながら屋根へ、

雨水の排水処理がまずく、木の葉などで流れが止められるとすぐオーバーフローするようで、

朝一から濡鼠でした。




さて、「ミニ禅をきく会」です。

野間寺さまを会場にして、高知県 浄貞寺の伊藤正賢老師の法話と

伊藤公朗さんらによるシタールのコンサートです。


法話は笑いあり涙あり、そしてわかりやすくお釈迦様の教えが説かれております。

私もうなづきながらメモを取っておりました・・・


続いて、シタールコンサートです。

初めての生シタール、

お釈迦様の故郷で花開いた芸能(?)であります。

不思議な音色でした。

静かなようで、物悲しいようで、はたまた荒々しいような・・・

子供のころ広い原っぱを一人、トボトボと歩いている記憶が頭をよぎりました


雨に浸り、インドの調べに浸る一日でした・・・




まけない大樹に会いに行く

2012年03月16日 | 東日本大震災について


3月13日、東北での最終日。

曹洞宗の三部義道老師が発案した復興支援プロジェクト「まけないタオル」の

テーマソングを作詞された早坂文明老師にお会いするため、宮城県山元町 徳本寺へ・・・


たくさんのお檀家さんが犠牲となり、100を超えるご遺骨が位牌堂に安置されています。

何度か、東北へと参りましたが犠牲となった方々を目の当たりにするのは初めてでした。



お参りし、一つ一つのお位牌に眼を通しました。

すべてに「3月11日」と記されています、

整然と並ぶお位牌から「3月11日」という日付が飛び出してくるような錯覚に襲われました。

何も考えることができませんでした。


隣で、奥様が目の前の骨壷を指差し、

「あの方も、あの方も実は遺骨がないんです・・・」

とつぶやかれました。



徳本寺を後にし、

「まけないタオル」の歌詞のモデルとなった、津波に耐えた「大樹」に会いに行きました。


教えていただいた住所をナビに入れ車を走らせます。

ナビの地図には商店や人家、線路などが表示されますが、現実の世界は、ただ茶色の地平があるばかりです。

目立つものは、高く積み上げられ、山となった瓦礫です。



でこぼこした道をしばらく走っていると、廃墟と化した小学校の陰から突然に巨大な木が見えました。

すべてが流された大地で力強く立ち、枝を広げています。




車を降り、海の方向へと手を合わせお経を唱えました。


それから、「大樹」へ歩きました。



ケヤキの大木で、大人が3人ほどで漸く抱え込めるような太い幹です。、

地上から天をつかむ様に高く、広く枝を伸ばしていました。



根元には誰かが置いたのか、波が運んだのかランドセルが一つ転がっていました。


しばらく、「大樹」のそばに立ちつくしていました。

聞こえるのは、枝が風を切る音とテトラポットに砕ける波の音、

そして、瓦礫を運ぶダンプの音・・・




早坂老師とお話していた時、こんなことをおっしゃいました。

「いま何が支援として必要ですかと問われても、

 何も思い浮かばないですよね・・・

 震災の直後は、衣食住の確保で大変だったんだけど、今はある程度あるんです・・・

 着るものも、食べるものも、住むところも満足とは言わないまでも、ある程度あるんです・・・


 いま、お願いしたいのは『忘れないで』という事なんですかね・・・。」


今まで目にしたものを心に刻み、祈り続けようと思います。

また、目にしてきたこと、聴いたことをを人に伝えていこうと決心しました。

現地でのお話をきいて

2012年03月14日 | 東日本大震災について


3月12日、福島県伊達市 全国曹洞宗青年会支援本部にて計画された「除染活動」に参加の予定でした。

しかしながら、前日夕刻からの雨と雪のため中止となり現地住民の方にお話をいただきました。

「避難勧奨地域」に指定された地区に住む方のお話です。


そこで聴いたのは、支援をする側には見えにくい苦しみでした。

わずかな数値で生まれる保障の違い、

放射線などに対する認識の差・・・


保障を受けられる家庭と、受けられない家庭、

自宅の畑で収穫された野菜を口にしない家族、

収穫したお米を販売するものの、自宅で食べるお米は離れた地域のお米を購入したり・・・

それが、良いとか悪いとかではなく、色々な軋轢とジレンマを生み出しています。

離婚や一家離散というような状況も起こっています。

「家族」、「地域」の絆が破壊されている現実がありました・・・


午後からは行茶活動を行いました。

二本松市の仮設住宅にお邪魔してお茶をいただきお話をしました。

原発事故の為に避難されている方々でした。


80を超えるお婆ちゃんが、「ふるさと浪江」という歌を歌ってくれました。

原発事故の後に作られた歌だそうです。

「かえりたいなあ わがふるさとへ」と唄うお婆ちゃんの眼から静かに涙が流れます。

会話のなかでは「帰りたい」という言葉を発することはありませんでした・・・


深い深い悲しみを感じました。

穏やかな日が来ることを祈るばかりです。