ジーン・ウールの不思議な旅

ジーン・ウールは不思議な女性です。姿を変えて過去にも未来にも現れます。
もしかしたら貴方の友人や奥様かも知れません。

店主ご挨拶

ようこそお越し下さいました。 昨年(2010)、3ヶ月の雲水修行に行ってまいりました。 私は働き者で(自己申告)、精舎は朝は早く夜は遅く「朝瞑想」の時間は、気がつくといつも寝ておりましたが・・。 私の人生の1ページに、思いがけないご褒美を頂けたような日々を過ごさせて頂きました。・・ま、主婦でも決心ひとつで如何様な道も開けるんですね。 今も精舎に行くと「実家に帰った」ような気がします。 このブログ管理人は、最近物忘れ症候群中につき、おいで頂いた感謝を申し上げ、コメントを頂いても書いたり書かなかったり、付き合いが悪いことのご無礼をお許し下さいませ。

津波の犠牲者「9割が溺死」 の教訓

2011-03-20 00:18:27 | Weblog

ザ・リバティWEBより

津波の犠牲者「9割が溺死」の教訓  2011.03.19

今回被災した岩手県陸前高田市の死者126人について、千葉大の岩瀬博太郎教授(法医学)が死因を調べたところ、9割が津波による溺死だったことがわかった。死亡した後に、津波で流された木材などにぶつかって骨折したとみられることから、溺死と判断したという。19日付読売新聞が伝えている。

痛ましいのは126人中、高齢者を中心に約50人がシャツやジャンパーなど7~8枚を重ね着しており、なかには印鑑や保険証、写真アルバムなどを入れたリュックや非常食のチョコレートを持っていた遺体もあったという。

寒い避難生活のための衣服や貴重品、思い出の品を持ち出したい気持ちは十分わかる。だが、いざ津波が迫れば厚着やリュックは身動きの自由を妨げ、肝心要の命を守れない恐れがある。厚着や荷物を用意する時間でもっと高い場所や遠くに逃げていれば、助かった人もいたかもしれない。

大川隆法総裁はかつて、悩みや緊急の場合における「捨てることの大切さ」を説いた。たとえば洪水で、家財道具を積んで逃げた船が沈みそうになった場合、「やはり荷物を捨てざるを得ないでしょう。そうしないと命を失うという場合には、命あっての物種なので、荷物を順番に捨てていくしかありません」(『奇跡の法』第1章)として、家財道具はもちろんお金や災害保険証書、はいている靴も捨てなければならない例を挙げている。

災害では一瞬の判断が生死を分ける。お金も証書もアルバムも大切だが命には代えられない。犠牲者から学ぶせめてもの教訓として、いざという時はそれらに執着せず、すべてを捨てて身一つで生き抜く覚悟を日頃から持っておきたいものである。(司)


今回の津波の犠牲者の9割が骨折だったことは、民主党政権が否定した「コンクリート」が、やはり大事だったことを示してもいる。津波が引いた後の被災地の映像を見れば分かるが、残っているのはコンクリート製の建物ばかりであり、報道のヘリコプターに向かって、旗を振るなどして「SOS」を求める人々がいたのは、コンクリート製の頑丈な病院や公的施設の屋上だった。岩手県普代村には高さ15メートルの水門があったため、その内側の地域の被害は少なかったという。

民主党政権は、これまで防衛関係費や八ツ場ダムやスーパー堤防などの公共事業の予算を減らしたり凍結してきたが、今後の震災復興では、津波を防ぐ高さ20メートルの堤防や、一定の重量がある建物の高層化など、津波被害を防ぐ「コンクリート」にこそ投資すべきだ。それが「人」を守ってくれる。(格)

震災復興への道  質疑応答 

2011-03-19 17:54:21 | ご法話・心の指針

ザ・リバティwebより

質疑応答


震災対策をきちっとつくっておく


地方主権は何の役にも立たない


•高い堤防は景観が悪くなるというなら、道路を上げればいい。堤防の内側の道路を高速道路のように下駄を上げて高いところを走らせればいい。あるいは、高さがほしければ、水族館のような水に負けない強い強化ガラスを上に張り巡らせてもかまわない。

•インフラで震災対策はしたほうがいいので、いざとなったら逃げられる時間内にたどり着けるくらいの街のブロックごとに、震災のときに避難できるようなガシッとした建物を建てておくことが大事。

•鉄筋コンクリートの中で野菜工場をつくって、今後の食糧不足に備えた供給体制をつくらなければいけない。農村部の青年層も働き甲斐があるし、同時に株式会社組織などへの切り替えも十分にやっていけるチャンスがある。

•防衛施設についても、防災的な観点を考えておかないといけない。山ぐらいくり抜いて、ジェット機や大型輸送機が防衛出動、災害出動できる基地をつくっておくことも東北なら可能かと思う。

•電気系統を震災に強いかたちの、頑丈に守られた筒みたいなものに集約して、地下に埋めるなり、地上でも景観をよくしながら通していくことが大事。同時に、病院や学校など避難場所になるような大きなところでは緊急時の補助発電ができるようなシステムをきちっとつくっておく必要がある。

•水不足も考えられるので、海水を売り物に変える技術を研究したらいい。

•飛行場も必ずしも海抜ゼロメートルばかりにつくらなくてもいいのではないか。今回のように海没したら使えなくなる。特に自衛隊が動かなくなっては困る。

•空母も震災対策機能は非常に高い。豪華客船以上の収容力がある。上にヘリコプターや輸送機を載せられるので、いざというときは人を運んできたり、出したり、戻したりできる。震災対策空母などを考えるべき。

•民主党政策の問題の一つ、地方主権が何の役にも立たないということもまざまざと見せつけた。「その街でがんばってください」「市でがんばってください」と言われても、丸ごとなくなっているからどうしようもない。国家に力がなかったら復興不能。今回のを見て、国丸ごと力を合わせないと難局は乗り切れないということを再認識しなければいけない。

•復興に関しても国家としての主体性を発揮してもらいたい。国のお金を使うにしても、地方自治体に丸投げして「好きなようにしてくれ」とか「一戸あたりいくら支給する」ということだけで終わりにしてほしくない。やはり国家の将来的な改造ビジョンを出すべきとき。
正しいことを「正しい」と言い切れる人のほうが大事

•価値観の問題も大きな国の方向を決める問題なので、何がこの国を守り、何がこの国を発展させるのかということはやはり重要なことだと考えなければいけない。

•無駄金削りをやった蓮舫さんと石原都知事が話して、石原さんが「スーパー堤防はやっぱり必要だった」と言って5分で会談が物別れになっていたけど、石原さんのほうが正しいと思う。

•石原さんは「これは天罰かもしらん」ということを言っていたけど、宗教をやった人はそう考える。「天罰かも」と言ったのは民主党政権への天罰と言いたかったのだろうが、国民に対するある意味での警告はあったと見ていいと思う。

•ハーバードのマイケル・サンデル教授が「正義とは何か」といくら白熱教室をやっても、人に意見を言わせているだけで結論なんかない。やはり結論を「こうすべきだ」と言っている人のほうが、今は大事な時代なんだということをもう少し知らなければいけない。「こうすべきだ」と言う人のほうが、勇気が必要だし、実際に「これが正しい」と言い切れる人のほうが大事。

•少数意見を大事にすることも大事だし、炊き出しすることも大事かもしれないが、国家、国益のレベルから見れば、やはり最大多数の最大幸福を目指すということは当然のこと。

両親反省 という研修

2011-03-19 13:28:29 | Weblog

雲水修行中に「両親反省」という研修を受ける機会を得ました。

今の支部長の前の前の支部長から「あんたは父親を恨んどる」・・・と言われました。

この支部長は、とても霊的なお方。

でも、どうしても父親を「恨んでいる」とは思えません。
恨んでいる・・と言われても、何を恨んでいるのか・・どうしても思い出せません。


  それが

  ある時

  気がついた

  いろいろ話を聞いてくださり

  ご指導くださった 講師の對中さんが

  私の心のなかにあるピンを教えてくださった


むかし むかし
わたしが子供だった頃
私は小学3年生で、4人姉弟の下から2番目、上から3番目

真夏の夜のこと

当時は、まだ車はそんなに普及していなくて、父はオートバイに乗っていた。
夏の夜は、怪談ものの映画がおおはやりだった。
その怪談映画を見に、その夜オートバイで連れて行ってくれることになり、私は大喜び。

でも、父が連れて行ったのは姉ふたりと、近くのお寺のノブオさんだった。
オートバイの運転席の前に姉、後輪の上にはもう一人の姉とノブオさん。

わたしは行きたくて行きたくて、泣きながら追いかけていった。
なんて言って追いかけたのかは覚えていないが、ひと言だけ覚えている。
「よその子じゃないかぁ」

夜だから真っ暗だったけど、泣きながら走って追いかけ、泣きながら家に戻った。

そのすごく悔しくて悲しかったことを、思い出しました。


「両親反省」では、自分の父親のこと、父親の両親のこと、父親の兄弟のこと、父親がどういう環境であったのか理解しようとします。

ノブオさんは 当時 たぶん ノブオさんのお父さんを亡くしたばかりだった。
その葬式の日は、暖かくて 春で とても穏やかだったことを覚えている。

それは春の日で、その年の夏 父は私を置いて 父親を亡くしたばかりのノブオさんを怪談映画に連れて行ってあげた。 

でも子供だったわたしは、父の優しい気持ちを理解しないで、心の奥底で ずっと恨んでいた。

對中さんに「・・こんなことがあった ノブオさんのお父さん 亡くなったばかりだった・・」

そうしたら、對中さんが おっしゃった。

「あなたは同じような場面になると、普通の人がこの位のダメージでも、あなたはこーーんな になる」  倍の倍の・・長さ

そうか  じゃ どうしたらいい ?


そうしたらね。

目を閉じて、心のなかで 小学3年生のわたしに会いに行きなさい。
寂しくないんだと、いつでも一緒だと、そして心のなかでどこへでも一緒に連れて行ってあげなさい って。


私の友人の雲水さんは、本当に「奇跡」を起こしました。
お父さんと不仲だったのが、「両親反省」でびっくりするほど良好に変わったのです。

彼女は、本当に朝起きてから夜寝るまで、ずっと続けていたそうです。

彼女の場合は、子供だったお父さんに会いに行っていました。
お父さんは、まだ中学生くらいから一家の大黒柱で、学校が終わると家に帰ってから働いていたそうです。

だから彼女が中学生のお父さんに「おばちゃんが見ていてあげるから野球してらっしゃい」「お仕事しててあげるから・・」って言ってあげたんですって。

毎日時間をかけて瞑想(イメージ・・彼女の場合は、本人曰く 24時間)していたら、子供のお父さんの顔に笑顔が出て、実際のお父さんが本当に変わった・・そうです。




奇跡を感じよう  再登場です

2011-03-18 22:13:39 | ご法話・心の指針


昨年、3ヶ月間雲水をしました。

それまで週末雲水さんはいらっしゃたけど、フル雲水は初めて・・とお聞きしました。
数週間が経った頃、もう一人1ヶ月間の雲水さんが入山されました。

主婦が雲水をする。
1ヶ月であろうと3ヶ月であろうと、相当な決心が必要です。

私はノートパソコン持参でした。
教学の時間には「ご法話」DVDをお借りして、好きなだけ見ることが出来ました。
彼女と私が一番よく見たのが、この「奇跡を感じよう」でした。
彼女は、ほとんど毎日 聞いていました。

「宇宙人リーディング」も「ご霊言」も教学の時間にDVDお借りすることが出来ました。
今振り返って、この3ヶ月間は、とても贅沢な時間だったと思っています。
宝物です。

それと雲水が性分にあっていたのか、毎日の作務は大変だけど、楽しくて楽しくて毎日ニコニコしていたらしい
 
この雲水3ヶ月間 「聖黙」 しないで過ごしてしまった。




奇跡を感じよう  2007/9/19
            大分支部精舎説法

皆さんこんにちは
平日にもかかわらず、ご多数ご参加くださいましてありがとうございます。
10年も前にすでに建っていた精舎のはしりのところではあるんですが、やっとまわって来れました。
そういう意味で何回来れるかわかりませんが、一期一会と思って・・近くには湯布院正心館もありますので、そっちには何度か来たことがあるのですが、奇跡のよく起きる正心館だということですので、今日のテーマは「奇跡を感じよう」 というテーマを選んでみました。
その方が当地にはふさわしいのではないかと思っております。
今日お話ししてみたい最初、支部のほうの話はポイントをしぼってお話ししてみたいと思っております。

皆さん方にひとつ今日教えておきたいことがあるんですが、それが何かと言うと、当会は努力を中心に体系は出来上がっているんですが、物事にはなんでも反面というものがありますので、努力の教えで日々頑張っておられるでしょうが、ただ悩みや苦しみから抜け出せていない状態にいらっしゃる方も多いであろうと思うんです。
で、その原因をよくよくお考え頂きたいんです。

なぜ、今悩んでいるのか なぜ今苦しんでいるのかと 考えて頂きたいんですが、よーくよく考えてみると、それは おそらくは ただ一点 自己防衛の気持ちがありませんか
自分をなんとかして防衛しようと思って、考え方を組み立ててないかどうかを点検して頂きたいんです。
人間も昆虫や動物と同じように生物体として自分を守るように創りあげてあるものです。
だから自己防衛というのは当然のことではあるんです。
けれどもその気持ちが、本能的に判断する気持ちのなかに、残念ながら自分をある意味で逆の意味で不幸にする要素がはいっているということです。

恐らくは9割方自己防衛の気持ちが皆さんを苦しめている本体だと申し上げたいんですが、その9割の中のひとつは自己弁護ですね。
言い訳、自己弁護、いかにして自分が正当であって、このままの状態でこうなったのは正当であって、いろんな理由により、行為とか事件とか、社会の世相とか会社の様子とか、家族の問題、親の問題、子供の問題、そうしたいろんな環境の要因や世間の要因によって自分はこんなに傷ついている、そういう理由は大体皆さんお求めの筈なんですよ。
何か持っているでしょう。考えつかないはずはないですよ。
たちどころに二つや三つは出てくるはずですよ。

現在自分が悩んだり苦しんだりしている理由は、誰それがこうしたからだとか、誰それの言葉によるものだとか、5年前あの事故が起きたからだとか、10年前子供が生まれた時にうまく行かなかったからだとか、あるいは20年前に学校を卒業した時に失敗したからだとか、いろいろあると思うんですが、まずは自分を防衛しようという気持ちが働いて、様々な言い訳になっていると思うんです。

そしてそれが今言ったようにその原因を外側に求めているはずですよ。
他の人々、過去接した現在の自分ができるまでの途中にあったいろんな人の言葉や行動、感情、自分に与えた事件、いろんなものが積み重なって自分が不幸になっているという風に、恐らくお考えのはずなんですね。
これが実は不幸のひとつであるということなんです。

だから皆さんを守ろうとして起きている機能であるにもかかわらず、実はですね、自分が不幸であることを説明して納得させようとしているんですね。
その原因を外に向けて、他の人のせいによって、あるいは体の一部が悪いことによって、目が悪い、耳が悪い、頭が悪い・・ああ これ言っちゃいけないのかな(笑)タブーの用語を使いました・・体のどの部分がよろしくないということもあろうし、いろんな理由によって現在の自分があることを自己弁護しておられるという気持ちは・・ないとは言わせません。絶対にある。ある。
白状はしないかもしれないが、一人静かにつぶやけば言うはずです。
他の人がいたら言わないかもしれないけど、一人つぶやけばそれは出る。
その気持ちのなかに、実は自分を苦しめているものの正体のひとつがある。

もう一つは、実は自己防衛の気持ちのなかにあるんですが、それが転化して、自分を防衛する気持ちが転化して、他を攻撃する気持ちに変わっていくんですね。
これは性格的にかなり強気・勝ち気型の人の場合が多いですけれども、単にこう被害を受けたという感じではなくて、あいつが悪いんだと、あれにやられたとか、あれの原因でやられたとか、あいつが悪いんだと、積極的に恨んだり、憎んだり、怒ったり、あるいは仕返しをしたり、ねちねちと締め上げたり、それからその人が破滅するように祈ったり、あるいは根回しをして他の人に悪口を言ったり、なんだかんだとその人を陥れようとする、世の中にはそうしたタイプの人はいます。
必ずしも悪人とは言いません。今言ったように自己防衛の本能から派生してくるものなんです。
強い気持ちを持っていたり、念が強かったり、体が強かったり、気が強かったり、能力が高かったりすると、そうゆう風になる傾向が出ますから、必ずしも悪人と言っている訳ではありません。

やや弱いタイプの人は、自分を守ろうという自己弁護の方に向かいますが、強いタイプの人は、今度は人を攻撃するタイプの方に移りますね。
人を責めます。人を責めて、誰かが犯人であれば自分の罪は許されるですから、自分の苦しみはそれで解決するでしょ。
あいつが悪いんだということになれば、それで全部解決する。

例えば会社であれば、社長が悪いんだ、と
あるいは国のレベルであれば、首相が悪いんだと言えば、それまでのことですね。
まあそういう言い方もするし、学校であれば、もちろん担任の教師の学力が低いために自分の子の成績が伸びない、という言い方もあるし、学校が使っているテキストが悪いから駄目なんだという言い方もあるし、通っている塾で教えている先生の腕が悪いから駄目だという考えもあるし、 でも同じ環境でも違う結果があるということは知ってはいる、知ってはいるけれども、同じ塾に通っても、中学・高校・大学に合格する人もいたら落ちるのもいる。たまたま落ちる方に自分のが入ったら、塾を攻撃する。受かったら神様みたいに誉めあげる。別に悪人じゃありません。ただそれだけのことです。普通の心境です。普通そうなるんです。
そうでなければ、例えばこの塾の先生、あの塾に預けて、あの先生に教わったから落ちたんだ、だからあの塾は悪いと言ってその塾を攻撃する。その先生を攻撃する。あるいはその塾の悪い評判をまわりに広めるという、攻撃的で自分を守るというそういうこともあれば、内にこもった場合は、なかの責任になって、子供のできが悪かったというのを、一生懸命子供を責めるか、自分がこれだから(パア)差別用語だから言いにくい・・なんと言いましょうか・・自分が昔そんなに勉強しなかったために子供のできが悪かったんだという言い方もあれば、父親のできが悪かったとも言えるし、父親が仕事で家を離れていないためにこうなったとも言えるし、家にお金が無かったためだとも言えるし、まあいくらでも内側に説明を求める場合と外側に求める場合と両方ありますが、いずれもグーーッと絞っていきますと一点、自己防衛の気持ちにたどり着く筈なんですよ。

どうか、今反省と簡単に言っているけれども、何か自己防衛の気持ちが働いていないかどうかを考えて頂きたいんですよ。
恐らくそうだと思いますから、それがあなたを今悲しませたり、苦しませたりしている原因です。

これに対して通常は努力の教えで突破するように私は教えているんですけども、今日はちょっと違った言い方をしてみようかと思っております。
なぜ 「奇跡を感じよう」 ですからね。
単なる自助努力の教えでやろうとは思っておりません。
ちょっと違う形でお話をしてみたいと思っております。
自己防衛の思いから苦しみが出ているんだけども、これから逃れようとあがいているうちは、あなた方は実がこの苦しみから逃れることは出来ませんよ。
本当は出来ないんですよ。

あきらめなさい

諦めなさい。人を責めるのも 諦めなさい
自分を責めるのも 諦めなさい
自分の子供を責めるのも 諦めなさい
今自分の目の前に起きている現象は、すべてこれは起きるべくして起きているんだということを受け入れなさい。
今起きている事態は何か他の人の原因や自分自身の何かのミスによって、たまたま起きたのではないんだと、今起きて自分を苦しめている、あるいは自分の頭を占領していりこの問題は、実は起きるべくして起きている、自分に今必要だから、今こうゆう課題が現れてきたんだと思って頂きたいんです。

それはひとつは病気、これもそうでしょ。
病気、病気をする。まあこれは努力をして病気になる人は少なかろうけれども、まさかと考えてもいなかった時に病気になるものですね。
不養生だったり、運動不足だったり、ストレスが多かったり、栄養が悪かったり、まあいろんな理由がありましょうけれども、この世的には説明がつくと思いますが、病気をするには、現在病気が出てきた理由は、実はあるんです。
現れてきたのは、今現れてきたのは、それは現れてくる必要があったんです。
それから例えば、受験で不合格というものが出てきたとしたら、それは単に運・不運の問題ではなくて、何かをあなたに必要な課題をそこで教えようとしている。
それは過去の努力不足を教えようとしているのかも知れないし、あるいはこれを機会に将来決して自己慢心することなく転落することなく精進せよと教えているかも知れない。

ただ現れている現象は偶然ではないんだと、あなたに必要だから今現れてきているんだと知って頂きたい。
子供のできが悪くとも同じです。
あるいは子供に何か障害があって生まれても、実は何か必ず理由があってそれは現れてきている。
夫婦の間で問題が起きても、それは何か意味があるんです。
夫婦で争いが起きる理由があります。意味があります。何かを教えようとしている。
それは何かが今問題として出てこなければいけない。
時期が来たからそれは出てきて、その問題のなかに、夫婦の葛藤のなかに、何かを教えようとしているものがあります。それを読みとってください。

それを読みとらないと、自分自身を責める道具や他人を責める道具に使ってはなりません。そういう意味での分析的なものの考え方、原因を追及して善悪を分け、分別をつけていろいろと説明して、こうすれば解決するという判断の仕方は、確かに会社でやっている仕事ではよくやるやり方ではあるんですけれども、仕事のレベルではそういう風にいろんな問題解決のアプローチをやっていかなければならないんですが、その仕事の世界ではなくて、仕事から一歩離れた、宗教の世界のなかにおいては、そうした問題もある意味があって生じていると考えるべきで、逆に今度はですね。
まあ結論を出してしまおうと、即結論を出してしまおうと思うのを止めてください。
現れているには現れている理由があるんだから、現れたものを受け入れてください。

例えば病気をする。病気をした、この現象、病気がおきているという現象を、努力して闘うのは構いませんが、それはリハビリもありましょうし、精進もありましょうけれども
ただ争わないで受け入れてください。
私の人生の途中でこうゆう課題が今現れてきたということ受け入れてください。
で、夫婦でも騒動があっても受け入れてください。親子で問題が起きても受け入れてください。あるいは父、母と問題が起きても受け入れてください。
あなた固有の問題ではないかも知れません。他の人にもそれぞれ何らかの問題がおきますけれども、自分の人生の問題集のひとつが出てきたんだな、今出てきたんだな、という形で静かに受け入れる心を持ってください。そしてこの世に偶然はないのだということを知ってください。

だからすべてが会社仕事風に解決するものではないんだということです。
それを受け入れた先に、実は道が開けてくるんです。それを受け入れて、こうゆう現象が私に起きた。 たまたま何でこの私に、これほど勉強した自分に、これほど家族を大事にした自分に、これほど親孝行した自分に、これほど美しい自分に、まあ色々ありましょうけれども、こんな問題が起きたのかと思うかも知れませんが、静かに受け入れてください。そして瞑想の時をもってください。
心を止めて、あれこれ考えるのではなく、分別智で考えるのではなく、実は分別で善か悪か、プラスかマイナスか、前か後ろか、右か左か、分けて考えて結論出そうとして焦っている心が苦しめているんです。自分をね。

その時に、まず一切を受け入れて、そして判断を下さないで、ここに宇宙の意志が今自分に対して現れているんだという風なことを考えてください。
過ぎてしまえば意味はわかってきます。
この世に生きているうちに意味がわかる場合もあれば、この世を去った世界に還って意味がわかることもあります。それは何とも言えませんが、「受け入れる」ということも勉強のひとつなんだということを知ってください。

例えば人は病気をする。病気をすることによって学ぶことはたくさんあります。実際はね。それは心と肉体のバランスを崩したということを教えたのでもあるし、自分が能力を過信したということを教えたのでもあるし、家族との関係を見直すべき事を教えたのでもあるし、自分が憎んでいた父親とか母親とかが上記をした時に、ああこんな気持ちだったのかと分かることもあるし、他人のことも分かることもあるし、また仕事というものを別の目から見ることもある。
全部悪とは言えないんですよ。
必要なことがある。だから、今現れたことを単に何かのミスで生じたことだと思って自分を責めたり他人を責めたりするのは一旦止めてそれを受け入れてください。
あなたに必要だから、それは現れているんだという風に受け入れてください。
そして静かに心静かに瞑想してください。
判断は中止してください。判断してはいけない時に判断して、とにかく善悪、前進、後退して、捨てる、取る、まあそうゆう判断はしないでください。
それは必要で現れてきたものですから、それを静かに受け入れてください。
静かに受け入れてください。

大宇宙の意志が働いて、今自分に新しい課題が与えられている、その意味を静かに受け取ることが大事です。
何かあなたの今世の魂の修行のために、必要な内容がその中に含まれているはずです。
必ずやそうなんです。だから自己防衛の考えで、全部を解決しようと思わないで、会社的な仕事の形で問題を解決しないで、今度は逆に受け入れる。
そして大宇宙の意志を感じ取る。あるいは神の心を、仏の心を感じ取る。

あなた方は人生を何も問題もなく、まっしぐらにスーッと成功さえすれば良いと考えがちだけれども、そんな人生計画の人なんて一人もいないんです、実は。
だから進んでいく先に落とし穴がたくさんあるんだけども、事前に教える訳にはいかないんです。
ここに落とし穴があると知ったら、そんなのよけて通るのは簡単なことでしょう。勉強にならないんです。
だから意地悪だけど、ごめんなさいね。意地悪だけど落とし穴に落ちることになっているんです。
必ず引っかかる。必ず引っかかるんだけれども、落ちた時に考えてください。
偶然落ちたんじゃないよ。落とし穴は掘られてありました。最初から。
それはあなたに必要な落とし穴だから。そこに落ちてから、お尻をしたたか打って、ちょっと夜空をながめて考えてください。
そうゆう時期が人生には何度か必要なんです。
その時期を通り越さなければ、本当の意味での自分も分からなければ、他人も分からないんです。
そうゆうことを経験を通さないと、見えてるようであって見えてないんです。本当の世界の姿が。

そういうところでですね。落とし穴に落ちて、出れなくなって、心細くなって、夜空を眺めて、星空を眺めて、一晩を明かす。
その時にはじめて見えてくるものがある。あるんです。自分が如何に多くの人に与えられ支えられてきたかということ。
自分がいかに他の人の協力を見落としてきたかということ。
自分自身の手柄にしていたことのなかにも、実はそうではないものもあったんだということを、そういう孤立無援の気持ちのなかで、人は発見するようになります。

そうした大きな気持ちのなかに包まれた時にですね。あなた方は今宇宙の力と一体になるんです。その時に、大宇宙の力と一体になります。それはある意味で「捨てよ」 と言っています。
「捨てなさい」 ま、自我我欲とも言ったけれど、今日言った自己防衛という気持ちは、自我我欲とか自己保存とか何度かよんだこともありますけども自分が可愛いという気持ちは、誰だって持っています。ただ、それを一旦捨てて、自分に起きた災難や不幸を受け止める、受け入れる度量が必要です。

それはあなた方を苦しめているんじゃないんだ、あなた方を悟らしめるための問題として用意されているんだ、そしてすべては最終的には解決されていくんだということを信じた方が良いです。

あなた方が日々恐れていることがあるはずです。その日々の恐れのなかで、現実化するものは、実は1%くらいのものなんです。99%は起きないことです。起きないことを恐れています。
そして、その恐れの気持ちが現実化して、いろんなものを引き寄せて自分の不幸を確認しているんです。

その後に、まず不幸の予言者となって、自分はこうなるんじゃないか、ああなるんじゃないか、こんな不幸になるんじゃないか、一文無しのなるんじゃないか、恋愛を失敗するんじゃないか、もうすぐ離婚になるんじゃないか、ま いろんな不幸を予言して、そしてそれを的中させようと努力する、間違った心の動きが働いてくるんです。
だから、そうゆう時には判断しないで、ひとまず受け止めてください。そしてそのなかに大宇宙の意志を読みとってください。学びがあるはずです。
救いがそのなかに現れてきます。

必要があって出てきている、そう思った時に、あなた方はもうすでに救いの道に入っているんです。
そして、そうした自己防衛の気持ちを放下して捨て去って、宇宙と一体となって、ですね。
宇宙の意志と一体となっていこうとした時に、救いの道が必ず開けてくるものなんです。

例えばプールに落ちてもがいている時に、あまりもがけば水を飲んでしまうでしょう。
水を飲んで苦しんで、溺れてしまいます。
しばらくそれを、もがくのを止めて、じっとしていると浮かんでくる。そんなもんですね。
海でもそうですね。そういうことがある。
下手にもがいて水を飲んでしまうことはいっぱいあります。おぼれてしまう人がいっぱいいます。まず、もがくのをやめなさい。
そして、静かに浮かんでくるのを待ちなさい。必ず浮かんでくるから。
人間の体の比重は、水よりも軽いんですから。必ず浮くんです。
浮くやつを、わざわざ溺れるんですから、暴れて、水を飲んで、苦しんで、溺れていきます。
だから、もがくのをやめなさい。
静かに受け入れなさい。
そして大宇宙の意志と一体になりなさい。救いが現れます。
宇宙の意志と一体となった時に、自分に現れたるその問題集を受け入れた時に、素直に受け入れて、それを自分自身のものだと思って、人のせいや、環境のせいや 、国のせいや、会社のせいや、家族のせいじゃなくて、自分自身に必要だからこれが現れているんだということを受け止めた時に、あなたはもう宇宙と一体となろうとしています。
そしてそこにもうすでに救いを実現しようとしてきています。


言っていること、復習しましょうか。(会場 笑)

すべてを委ねなさい、と言っているんです。
すべてを仏に委ねなさい。
すべてをエル・カンターレに委ねなさいと言っているんです。
主よ、私はこう苦しんでいるのは、決して他の人のせいではなく、自分自身のミスでもなく、仏が意地悪をしているのでもなく、今世この世に命を受けた意味を教えるためであるんだということを、私は受け入れて悟りたいと思う、と、だから主よ御心に委ねます、と。
じたばたするのをやめて、判断下すのをやめて、静かに受け入れなさい。
受け入れた時に浮力がわいてきますから。
生きていく力がグーッと上がってきます。
その時に奇跡が訪れてきます。
今まで自我力で頑張っていて、苦しんで苦しんで、世の中は地獄に見えて、自分が地獄の底であがいていたとおもっていたのが、実はそうではなかったことが分かります。
鳴門の渦潮のなかできりもみになって、溺れていたと思ったのが、畳の上で寝っ転がっていただけだということが分かってきます。
だから、大きな力に、大いなる力に委ねるという気持ちを持ってください。
そうすれば、あなた方は自然自然に、気がつかないうちに救われているでしょう。

信仰心というのは、言葉では説いていますけれども、まだ本当のものにはなっていないと思います。本当の意味で信仰心が立ったら、今言った通りなんですよ。
すべては大宇宙の意志のもとにあって、自分ひとりで動かせるものは、ある意味でなにもないんです。
この世に生かして頂いたということ、生まれさせて頂いたということ、この世で人生修行させて頂いたということ、有り難いことなんです。
何ももう求めてはいけないんです。
そうゆう気持ちになった時に、そして「主よ、お任せいたします」と、「主よ、すべてお任せいたします」と、あなたに、この修行が私に必要だとあなたが思っておられるんでしたら、その修行に耐えます。
私の魂のために必要なものなら、受け入れますと 、それに抗いません。抵抗しません。受け入れます。現れたるものをそのまま受け止めます。
そうゆう気持ちを持ってください。
そうしたら、あなた方は実は地獄の底にいるのではないことが分かってきますから。
そうではなかったんだと、最高のコーチがついて、今自分を指導してくれていたんだと分かりますから。
それを知らないで、地獄の底でもがいている気持ちでいますから。
天国だと思ったら地獄で、地獄だと思ったらそれが天国なんです。正反対なんです。
往々にして、その反対です。

今あなたが地獄の坩堝で苦しんでいると思っているけど、それは実はあなたの魂を鍛える、真なる金に変えようとしている、そういう大いなる慈悲であることが多いんですよ。
どうか、そうゆうことを知って頂きたいと思いますねえ。
そうしたら、今日の演題どおり、あなた方は奇跡を感じる瞬間が必ずあります。
自我力で自分の力で自己防衛しようと思っているうちには、奇跡は起きません。
この自己防衛を、自分の知識や、経験や、判断、善悪の分別・・こうゆうもので解決しようと思っているうちは、奇跡は起きないんです。
ところが今言ったとおり、大宇宙の心に一体になって、自分の身を委ねた時に、奇跡は起きてきます。
それを感じ取ってください。

今日からどうかですねえ。
そうゆう瞑想の時間を、1日に15分でも結構ですからとってみてください。
自分の計らい心でいろんな事を解決しようと思っているのを、一旦全部やめて、そのまま有りのままに受け取ろうと、目の前に現れたことをそのまま受け取ろうとゆう気持ちになってください。
そして奇跡がその身に臨んでくるのを感じ取ってください。
心境の違いが現れてきますよ。

まだ当会の奇跡は起きてはいますけれども、数は少ないです。
その理由は、ほとんど頭脳的なものによって解決しようとする傾向が強いからですね。
頭脳的なものや、意志や、感情で解決しようと思っているからです。
今言ったとおり、大いなる宇宙の力と一体となって、自分を浮かべようと思ったら、解決する問題は数多くあります。
その奇跡の瞬間をどうかですねえ。多くの人に味わって頂きたいと思います。
説法は以上といたします。

end  34分のご法話



おっ 明日は彼岸の入りだ

2011-03-17 20:15:28 | Weblog

良かった。

気がついて

この頃は、忘れっぽくなって いけない。

今度「ぼけ封じ祈願」に行ってこなくちゃ・・。

明日は彼岸の入り。

春のお彼岸は、春分の日をはさんで、前後3日間なんですよ。

お盆のように特別な準備やお飾りは必要ないそうです。

どうだったかなぁ・・って、やっぱりネットで調べちゃった。

お墓参りと、お寺さんにご挨拶 お布施もお渡しします。

お中日にはおはぎを供えます。

我が家は、出来るだけ早く 午前中に お寺さんに行かなくちゃなりません。

気合いを入れて明日は行ってきま~す。






「最後のとりで50人」 現場作業員を米紙称賛

2011-03-17 18:14:55 | 石平チャイナ・政治・経済

「最後のとりで50人」現場作業員を米紙称賛

東日本大震災

 15日の米紙ニューヨーク・タイムズ(電子版)は、高濃度の放射性物質が漏れた恐れのある福島第1原発で、炉心を冷却するため原子炉に海水を注入する作業を続けた人々の献身ぶりを「最後のとりでの50人」「放射線と火災に勇敢に立ち向かっている」と伝えた。

 記事は「何千トンもの放射性のちりが上空に飛んで自国の数百万人もの人々を危険にさらすことを防ぐため」の作業であることを詳しく説明した。

 さらに、対策に当たる作業員の放射線の被ばく線量限度が引き上げられたことに触れ「暗にしか示されていないが、犠牲的行為の拡大を求められている」と指摘している。

[ 2011年3月17日 06:00 ]


  ヘリコプターから、海水が運ばれ 

  水しぶきが 煙ののぼる 原子炉を 覆いました

  それは

  とても

  小さくて 一瞬に 風に 流れました

  巨人に 立ち向かう 

  こびとのように 見えました

  私は泣いていました

  あなた達は 

  サムライ です
  
  本当に 本当に ・・・・





米紙がズバリ指摘 混乱の原因は「政治指導力の欠如」

2011-03-17 18:05:55 | 石平チャイナ・政治・経済

米紙がズバリ指摘 混乱の原因は「政治指導力の欠如」

 米紙ニューヨーク・タイムズ(電子版)は16日、東日本大震災後の日本で混乱が深まっているのは、政治指導力の欠如や、民主党政権への不信感から官僚の能力が生かされていないことが原因だとする分析記事を掲載した。

 「日本の指導部の欠陥が危機を深刻化」との見出しの記事は、計画停電実施に際して事前情報が少なく、市民の不安が増大したと指摘。1970年代の石油ショックでは、企業の計画停電が官僚主導で「整然と」実施されたのとは対照的に、今回は「菅直人首相や官僚は一切計画にタッチせず、東京電力に任せきり」で、被害拡大や国民の危険に関する情報の共有をめぐっても「指導力の欠如」を浮き彫りにしたとの見方を示した。

 民主党は、政策に一貫性がなく経験不足で迷走、官僚も不信感を抱いていると指摘。米国防総省や国務省などで勤務した経験があり、日本の省庁にも出向したことがあるロナルド・モース氏は「現在の日本政府は明らかに指導力が欠如している。こういう事態で、その度合いは明確になる」と述べた。(共同)

[ 2011年3月17日 09:42 ]

大川隆法党名誉総裁 緊急提言 ~震災復興への道1

2011-03-17 16:48:22 | ご法話・心の指針
大川隆法党名誉総裁 緊急提言 ~震災復興への道1

幸福実現党ニュースより


※2011年3月15日に収録された大川隆法党名誉総裁の「震災復興への道」の要約の一部を以下に紹介いたします。


「コンクリートから人へ」は間違っていた

鳩山前首相が掲げた「コンクリートから人へ」という標語、「八ツ場ダム建設中止」「スーパー堤防の予算削減」など、民主党政権が言ってきた象徴的なことが、ひっくり返り、裏目裏目に出ているように感じます。

上空から津波のあとを見たら、残っているのはガシっとした鉄筋コンクリートの建物です。堤防に関しても、コンクリートでつくったものは、そのまま残っています。津波の高さの予想が間違っていただけで、もう少し高いところまで上げておけば、被害は相当なところまで防げたはずです。コンクリートの部分が生命の安全を守ることが分かっていなかったようです。
また、現在、原子力発電所の問題が出ていますが、政権発足当初、八ツ場ダム建設中止によって水力発電による自然のエネルギー源を枯渇させる方向の判断をしました。生態系の問題もあるのでしょうが、人間の命は大事です。水力発電は決して馬鹿にしたものではなかったと思いますが、大きな判断ミスを犯したのではないかと思います。


復興計画には“大きなビジョン”が必要
今後の復興策としては、最初は緊急措置的なものになるでしょうが、短時間の間に、大きなビジョンでの復興計画を練らなければいけないと思います。
津波が危険だと思われるところには20メートルくらいまでの堤防をつくり、川が逆流するところについては、門を閉められるようにしておけばよかっただろうと思います。お金を惜しんだだけで、技術的には可能な話です。
原発については、緊急時の対策をもう一段取るべきです。シェルター構造を、外側につくって、半径数百メートル以内で完全シャットアウトする方法はあるだろうし、地震や津波、爆弾等でやられたときの二次災害を止める方法は、考えればあると思います。お金を惜しまずにもう少し研究すべきではないかと思います。
ただ、原発は少量のウランから、半永久的にエネルギーが取り出し続けることができるものなので、人類にとっては便利なものです。これに替わるエネルギー調達源が出てこない限りは、原発を簡単に手放したら、油に頼ったエネルギー経営になりますので、国防上も危険ですし、産油国に経済を翻弄されることになります。よって原子力に対するアレルギーだけを拡大していくのは、よくないことだとも思っています。
さらには、もう一段ガシっとした津波で流されない程度の建物をつくること、また、空中や地下の有効活用をするべきです。また、小さな道路が多すぎるので、もう少しきちっとした道路をつくらなければいけないでしょう。


金融政策は現場主義で
・政府の対策については、金融政策と財政出動がありますが、金融政策については、日銀が比較的早く、10兆から20兆円の資金供給を決めたこと自体は良かったと思います(本来、震災の前に出さなければいけなかったお金ですが)。
ただ、日銀が資金を出しても、それが行き渡るとは限らないので、日銀総裁以下、水戸黄門よろしく、いろんな工場や会社や、あるいは、マンション、建設現場などに行って、ちゃんとお金が回っているかどうか見て歩く必要があります。また、銀行が「担保よこせ」なんて言っても無理ですから、国会のほうも特例で法整備をする必要があるでしょう。


積極的な財政出動で公共投資を
もう一つは財政出動です。臨時増税の話が出ていますが、不況に輪をおかけて、震災が来て、これで増税をかけたらどうなるか。企業活動は停滞し、消費活動は停滞し、もっと景気が悪くなって、ダメになっていきます。これ以上の経済音痴はないでしょう。
財務省の人たちは、基本的に経営ができない人たちです。財務省の官僚に分からないことを、一般の人に分かるように申し上げますが、たとえば、個人であれば、銀行から3000万円を借りて、3000万円のマンションを買ったら、借金が3000万円あるから、「大変だ! 潰れる!」という言い方をしているのが今の政府です。しかし、3000万円の借金はあるけれど、反対側には、3000万円の資産があるんです。マンションという資産があるわけで、いざというときは、転売すればお金になるし、又貸しすることも可能ですし、値上がりしたら利益が出ることもあります。つまり、負債に見合うだけの資産があるんです。この資産の部分を、政府は一切公表していないんだということを、知らなければいけません。
ですから、今後、東日本・東北地方中心に、インフラの再開発をしなければいけないと思いますが、これは単なる浪費ではありません。使ったお金分だけのものが、財産として残っていくものですから、そこを間違わないようにしなければなりません。
こんなときは、気にしないで国債でも他のものでも構いませんが、お金集めをやったらいいと思います。公共投資に関しては、やはりちゃんとしたインフラは、価値を持つ資産として、国家の資産が増えたんだというように考えるべきです。
空港等も、民主党は無駄だといって、どんどん切っていこうとしているけれども、無駄ではありません。ヘリポートも少なく、ヘリコプターの使い方もまだまだ下手です。
この震災を契機として、勇気を持って、大規模な公共投資をやったほうがいいと思います。資産の部分はちゃんと計上されるんだということを、もっとはっきり言うべきです。多くの被害を出したときであるからこそ、今こそ、それをちゃんと言うべきでしょう。
この未曾有の被害を最大限にプラスに転じる常勝思考が、今、必要だと考えております。


※上記は、「震災への道」の質疑応答を除いた講演部分の要約です。質疑応答の内容は改めてご紹介する予定です

産経国際ニュース トピック中国 2/2

2011-03-17 10:58:24 | 石平チャイナ・政治・経済
中国、日本の秩序や防災対策を称賛 同じ地震大国、連日トップ報道
2011.3.17 06:58 (2/2ページ)

放射性物質の除染作業に臨む自衛隊員=15日午後2時24分、福島県二本松市
 今回の全人代では、政府の中期的な経済指針となる第12次5カ年計画(2011~15年)が採択されたが、この中に原発開発が国家エネルギー戦略の重点の一つとして組み込まれている。原発建設を急ピッチで進める中国にとり、日本の事故は決して「対岸の火事」ではない。

 今回の日本の原発事故は、地震に加えて津波が被害を広げたとされるが、「中国で稼働中、もしくは建設中の原発はすべて東部の沿海地区にあり、太平洋の地震帯に近い」(北京青年網)。日本の例を教訓に中国の原発の安全性の再考を訴える報道が少なくなかった。

 原発事故で放射能汚染が拡大する恐れも、中国で警戒されている。日本の食品を多く輸入する香港では、原発事故後まもなく、当局が日本からの輸入生鮮品について検査を実施。14日には、日本製粉ミルクが事故後に汚染することを懸念した市民が、在庫獲得のため商店の前に長蛇の列を作る映像が地元テレビで流れた。


原発事故の影響懸念

 影響は食品の安全性だけにとどまらない。成都晩報(電子版)は、日本の震災により中国でデジタルカメラなどデジタル光学機器の価格が高騰する恐れを指摘する。報道によれば、被災地にデジタル光学関連の部品工場が集中しているため、震災の影響で日本からの完成品輸入が滞る見通しだ。半導体など関連部品の輸入への影響も避けられず、「(中国の)製造メーカーは代替品の探索や減産を迫られる恐れがある」という。

 評価、賞賛、教訓、懸念-。日本史上まれにみる震災は、中国においても確実に影響を及ぼし始めた。(上海支局)