渡部昇一氏の「国際社会と日本」
21世紀の日本を考える 講演録 ③
1993/11/1 静岡法人会主催 税週間のための記念講演より
東京裁判の嘘
マッカーサーが日本に来た時、日本人はろくでもない国民だと思っていた。
日本人は悪いことをした・・そう思わせるようにし向けた。
☆逆説の時代より引用
(世界史の流れを変えた明治人の気概)
日本が近代史に登場し、コロンブス以来400年の世界史の流れを変えたのは、日露戦争であった。当時のロシアは、世界最大の陸軍国であった。そして三大海軍国の一つでもあった。
19世紀の大ドイツ帝国をつくったビスマルクやモルトケ(参謀)でさえ、ロシアとは戦わずという基本方針を持っていた。
封建時代からやっと抜けだし、ようやく海外に留学生を送り出して、先進国の技術や制度を取り入れたばかりの日本が、ロシアと戦うことは、理屈に合わないことだった。
(ロシア革命を成功させたレーニンは、1922年「世界から君主をなくす」という方針を統一戦線テーゼとして確認した。 日本中が青くなった。日本は皇室を信仰の柱としてきた。)
そして、日本はもしロシアが満州以南に入った場合、断固これを排除する方針を立てた。明治人は、そのためには命も惜しまないと、非合理的な気概を持って立ち上がった。
そして日露戦争では、世界中の予想を裏切って大勝した。
日露戦争以後の日本も、あらゆる面で先進国と対等であろうという気概を示した。
アメリカが太平洋に進出したとき、それに抵抗する気概を持っていなかったら、第2次大戦もなかったであろう。
大東亜戦争は、日本が英米と対等であろうという気概を持っていたために起こった。
そして最初の段階において、圧倒的な勝利を示した。
東南アジアの有色人、植民地人は、今までかなわないと思っていた白人を、日本人が捕虜とし、道路工事とか使っているのを見た。
何だ、白人はこんなに弱かったのかという姿を見た。
このため、日本の敗戦後も東南アジアの有色人、植民地人たちは、いづれも独立することが出来た。
日本人は、白人支配の世界のなかで、有色人種の国でありながら、白人国、しかも一流の白人強国と対等になろうという気概を明治以来持ち続けた唯一の国である。
ところが、東京裁判においては、その日本人の気概を徹底的に否定するという意図が実行された。
とくに満州事変以後の日本のやったことは、すべて悪であると判定された。
彼らはまづ何よりも、言論界と教育界を握った。
そして、戦前日本がやったことはすべて悪であるようなことになった。
・・・ここまで「逆説の時代」・・ ★
① 東京裁判 ② 公職追放例 ③ 検閲 この3つが、日本人から勇気という概念をなくした。
1.公職追放令
いちま日銀総裁が生まれた理由(偉くない人だった)
戦争中の偉い人は全員追放された。
日本のためになることを書いた人 した人は皆追放された。
2.検閲
明治政府のときの検閲 → 黒く塗りつぶした。
総司令部の検閲 → 削ったところは埋め直して、削ったことが分からないようにした。それが出来なければ、作り直し。当時紙は貴重であったため、新聞社は青くなり自主規制となった。
3.東京裁判
☆BC級が2000人死刑になった。
山本七平さん、フイリッピンに行ったことあり、 山の中に隠れていた。
東京裁判では、フイリッピンに行った というだけで死刑になった。
裁判自体は、国際法違反です。
当時、日本には軍政は敷かれていなかった。これは国際法違反です。(自ら国を潰すのか p147)
ところが日本の横田喜三郎が、東京裁判は合法だといった。
「東京裁判は国際裁判である」 と平気で言う人が、東大の国際法の教授となり、その後最高裁判所長官にまでなった。
彼から国際法を学んだ学生が、外交官や高級官僚になっていった。(自ら国を・・p142)
ドイツ裁判について
ドイツ 陸海軍は裁いていない これは知られていないこと。
ナチス党を裁いたのです。ナチスを裁いたので、死刑は少なかったのです。
日本は、日本民族が裁かれた。
(東京裁判の法的根拠は、アメリカ最高司令官マッカーサーの命令にすぎない p148)
東京裁判における裁判官は、全部当事者、これは裁判の構造自体が違法です。
例 山口組と一和会の喧嘩で、山口組が勝ち、山口組が一和会を裁いたのと同じです。
B・C級は、捕虜を蹴飛ばした・・とかで死刑になった。
マッカーサーは、裁判の形をとろうとしたために弁護士が必要となった。
アメリカの弁護士は、弁護士としての職責を果たそうとした人もいた。
「原爆はどうだ。これは市民殺傷ではないか」と抗議した。 → クビ
東京裁判が終わって、朝鮮戦争が起きた。
ここでマッカーサーはハタと気がついた。
明治政府がやったことは間違っていなかった。東京裁判はやるべきでなかった。この前の戦争は自衛戦であった。(独立国には自衛権がある)
☆逆説の時代 p202
マッカーサーは次のことがわかったのです。
朝鮮半島を北方の強大なる共産勢力に委ねるなら日本が危ない。日本が危なければ太平洋が危ない。それで死力を尽くしてアメリカ軍は朝鮮半島の確保のために戦い、太平洋戦争の死傷者に匹敵するほどの死傷者を出した。
しかも朝鮮半島全体を確保するためには、満州を爆撃し、東シナ海の沿岸をも軍事封鎖する必要があると進言したが、米ソの全面戦争になることを恐れたトルーマンによって拒否され解任されたが、マッカーサーの心配どおり、38度線でコリアは南北に分かれてしまった。 ・・これは日本が明治以来やってきたことと同じ・・ ☆
今の首相は知らないのです。
侵略戦争でした。 そのひと言で補償問題が起きています。
オランダ・韓国。その他の国から19兆何千億円と言ってきました。
こちらが悪うございました・・と言えば、外国で受けが良い。こんなこと当たり前なことです。
こんなこと言ってはいけません。外国では受けが悪いことを言わなければいけません。
バカじゃなかろうか そういうことです。
成田の一坪運動を言ったのは 社会党です。
まだ飛行場が出来ません。こんなことあってはいけません。
侵略戦争でした云々は、先祖を辱め子孫にどれだけ迷惑掛けるか分からないです。
続く