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坂本龍馬先生を、教科書から削除⁉「責任者、出てこい!」転載

2017-12-04 11:28:07 | 歴史問題

坂本龍馬先生を、教科書から削除⁉「責任者、出てこい!」

2017-12-04 00:23:30 | 幸福実現党高知

 

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12月7日(木)には、エル・カンターレ聖夜祭が行われまして、高知支部では支部精舎のイルミネーションが準備されていまして、本日は、地方布教ブログらしく、その話題をと思っていたのですが、ブログ『理想国家日本の条件』に、高知県民としては、「これはイカン!」な話題が出ちょりましたので、急きょ差し替えでございます。

高校歴史用語に「従軍慰安婦」教科書向け精選案「南京大虐殺」も・・それなのに、人名では龍馬のほか「吉田松陰」「高杉晋作」など外れた。

どうもこうもないです。

百歩譲って、受験対象のため、文字数削減の必要性があったのは理解するとしても、坂本龍馬先生や吉田松陰先生を、子供たちの学びの機会から削除しちょいて、寄りにも寄って、従軍慰安婦を教科書に載せるとは何事ぞ!

責任者出てこい!

どこのどなたかは存じませぬが、どこの国のために日本の子供たちの教育を考えちょるんじゃ!

教育のセンスが、おっそろしくナンセンス過ぎて、泣けてくるレベルですわぁ..。

教科書を検定する先生方とか、文部科学省の役人さまとか、勉強のし過ぎで、頭が悪くなる障害にでもなっちょるんじゃぁないかと心配しますわぁ。

まぁ、うじゃらうじゃらと、役人の責任逃れなコメントとかええから、こんな時こそ、メディアにしっかりと顔を出して、日本国民の前に、説明責任を果たすべきであると思うのじゃが? 

少なくとも、坂本・吉田両先生らが、「子供の教える価値なし」と判断した、自身の歴史観を述べて欲しいのです。

文科省の役人が出て来れないなら、文部科学大臣を不信任決議したいです。

「坂本・吉田両先生が、教える価値なし」という人は、はっきり申し上げて、幕末・明治維新の意味がわかっていない!

江戸時代から明治への歴史的推移を、ただの政権交代劇としか認識できていないということです。

政権交代劇だったなら、役職についていない人物は、教える必要はないかも知れません。

しかしながら明治維新の真意は、欧米列強諸国からの侵略阻止を現実化するための、世界でも稀有な無血革命だったのです。

恐らく唯一です。

それだけでも、当時活躍した人たちは、考え方や行動を教える”価値”があるんです。

そのためには、実際に政治を動かし、軍事力を動かしている人物の心を、変えるだけのビジョンが必要であり、そのビジョンを現実化するために、説得し奔走する人たちが必要だったのです。

それが、”志士”です。

新時代のビジョンを示した方こそ、長州の吉田松陰先生であり、奔走し、新時代のひな型である薩長を結び付けたのが、土佐の脱藩浪人坂本龍馬先生です。

幕末当時の日本は、蒸気機関や高性能な新型兵器はありませんでしたが、総人口は3000万人おり、そのなかには100万人の武士階級がいました。

ですので、いくら科学技術が進んでいる欧米列強とて、黒船で侵略しようとしても、日本に一枚岩の防衛体制があれば、おいそれと侵略などされなかったのです。

なぜならば、高速で長距離の運航ができる黒船とて、それほど多くの人を、一度に運べるわけではないからです。

たった数百人や数千人で、100万の武士を攻め切れません。

ですから、たとえ攻撃されたとしても、征服できない国家体制であれば、侵略的意図を持つものならば、日本に手だしなどしないのです。

征服できないのなら、攻撃するだけ撃ち損だからです。

長州の兵学者であった吉田松陰先生は、そのことを見抜き、300もの藩(独立国)に分かれていた日の本の国をまとめ、防衛体制を一本化する必要があることを知っていました。

国防体制がバラバラだと、一個撃破されてしまい、侵略の拠点がつくられてしまう可能性がありますし、内戦などになれば、欧米列強の介入を招きます。

これで世界中の有色人の国は、欧米列強諸国の植民地になっていったわけです。

ですが徳川幕府は、これまでの徳川幕藩体制を変えようとしなかったので、「倒幕せよ!」と松陰先生は弟子たちに訴えたわけです。

坂本龍馬先生は、この吉田ビジョンを、完全に理解していたと思えます。

ですから、倒幕を目的とした薩長同盟の成立を成しても、無駄な内戦を避けるよう大政奉還への働きをしたり、強大な軍事力を持つ徳川家の存続を望んでいたことなどで、薩長同盟の西郷隆盛らと、意見は違っていたとも考えられています。

ともあれ、これだけの歴史の重要人物を削除するとは由々しきこと。

日本は、やはりしっかりと、歴史を反省するべきだと思うのです。

明治維新が分からねば、その後の明治から先の大戦までは分からないです。

また本当に注意すべきことも。

それは日本の侵略性ではなく、「日本は、侵略ということ自体がわかってない」ということこそ、本当に気付かなくてはならない反省なんです。

これはまたの機会に。

以下リバティーwebより

坂本龍馬 もっと“貪欲”だったら、教科書から消されなかった!?

 

坂本龍馬 もっと“貪欲”だったら、教科書から消されなかった!?

 

 

《本記事のポイント》

  •  龍馬、松陰は「実際の歴史上の役割が大きくない」!?
  • 「英雄の精神的な影響力」を軽視する戦後の歴史学
  •  龍馬を消せば、学生はますます歴史を敬遠する

 

高校の歴史の教科書から、「坂本龍馬」「吉田松陰」「武田信玄」といった、英雄の名前を消すという案が発表され、波紋が広がっている。

 

案を発表したのは、高校、大学で歴史教育に携わる教員らでつくる高大連携歴史教育研究会(高大研)。

 

話の発端は、暗記すべき用語数が多すぎるために、授業が暗記中心となり、学生が歴史を敬遠する要因になっているという問題意識だ。用語数を半分に削るという動きの中で、上記の英雄たちが"リストラ対象"に入った。

 

 

「実際の歴史上の役割が大きくない」!?

"リストラ宣告"の理由は、「実際の歴史上の役割や意味が大きくない」というもの。

 

つまりはこういうことだ。

 

幕末において「薩長同盟」を実際に行ったのは、両藩の重役についていた人たちであって、龍馬ではない。「大政奉還」も、実際に行ったのは徳川慶喜であり、龍馬ではない。龍馬が行った、夢を語り、関係者の心を溶かし、鼓舞して回ったなどという仕事に、「歴史学」として大きな意義を見出すことはできない――。

 

なるほどそれならば、龍馬のあの有名な逸話も、見方が違ってくる。

 

龍馬は、新政府の役職名簿を西郷隆盛・大久保利通に提案した際、そこに自分の名前を書かなかった。そこで西郷が、「あなたの名前はないのか」と聞いたところ、「世界の海援隊でもやりましょうかな」と答えた。

 

その無欲さに、多くの志士たちも、後世の日本人も、心を揺さぶられた。しかし、そんなことも歴史学的には「ナンセンス」ということになる。

 

龍馬はそんなことをせずに、役職に自分の名前をしっかり入れておけばよかった。京都では暗殺されないように身の安全を最優先して活動すればよかった。明治まで生き延びて、一つでも仕事をしていればよかった。

 

そうすれば後世、学問的に証明できる、「実際の役割」を果たせたかもしれない。

 

吉田松陰も、同じだ。11歳で藩主にご進講できるほどの秀才だったのなら、長州藩の要職にでも就いていればよかった。罪に当たる、海外渡航など、考えなければよかった。藩の"認可"のない塾などやらなければよかった。将来の総理大臣や政治家を何人も育て、「命を捨てて正論を訴え、志士たちを鼓舞する」などという、後世の実証に耐えない仕事など、しなければよかった。それよりも、要職に就いて、分かりやすい立場で、「実際の役割」を果たせばよかった。

 

極端なようだが、彼らについて「実際の役割は小さい」と言うなら、こういう話になってしまう。

 

彼らは、「名」を求めなかったからこそ、多くの人の心を動かし、歴史を変えた。しかし逆に、「名」を求めなかったからこそ、歴史を教える先生方に、「実際の役割は小さい」などと言われてしまっているのである。

 

 

「英雄の精神的な影響力」を軽視する戦後の歴史学

何を言いたいかというと、今回の案を出した歴史の教師たちは、「歴史における、偉人の精神的な影響力」というものを、あまりにも軽視しているということだ。

 

だから、用語を半減させるという話になった時に、上記の偉人の役割を「歴史の流れにおいては、幹ではない」として、切り捨ててしまう。

 

これは、戦後の歴史学の弊害と言える。

 

戦後の歴史学は、「ある偉人が発信した思想や精神が、歴史を動かす」という見方を、敢えて嫌う。非科学的であり、思想の押し付けや、個人崇拝につながりやすいという理由からだ。

 

むしろ戦後、「歴史は、物質的な環境が変わることで、何らかの集団力学が変わることで、動くもの」と考えられるようになった。例えば、「農業技術の発達により、収穫高が増え、支配階級と被階級の力関係が変わる」といった具合だ。

 

まるで、気象学が「上昇気流によって、水蒸気が上空で冷やされて水滴に変わり、雲ができる」と分析するようだが、まさに歴史は「社会科学」と言われるようになった。この見方は、マルクスの「史的唯物論」と呼ばれる考え方の影響を大きく受けている。

 

こうした中で、教科書では坂本龍馬や吉田松陰のような個人が、「精神的支柱」としての役割を果たしたという側面を軽視しているのだ。

 

そして、そもそも「集団力学」である歴史の中で、もし個人名を出すとするならば、「日米和親条約」や「日米修好通商条約」の締結に幕府老中として立ち会った、阿部正弘や堀田正睦などを教科書に載せるほうが、まだ正当性があるという話になる。

 

 

龍馬を消せば、歴史はますますつまらなくなる!?

しかし、まさにこうした歴史の捉え方、描き方こそ、「学生が歴史を敬遠する」原因となるのではないか。

 

そもそも、坂本龍馬も吉田松陰も武田信玄も、小説、映画など、数々のエンターテイメントの元になっている。歴史に興味を持ってもらう入り口となる人々である。

 

問題の案を発表した高大研は、こうした英雄を削除する代わりに、「共同体」「史料批判」「グローバル化」といった語句を加えることを提案している。ますます、授業がおもしろくなくなりそうに思えて仕方がない……。

 

 

「人物伝」が消えたのも、歴史がつまらない理由

また、歴史を「集団力学」のように捉えることは、こうした英雄の功績を軽視するのみならず、戦後の歴史教科書から、「人物伝」が消えることにもつながった。これも、「学生が歴史を敬遠する」原因となっている。

 

戦前の教科書には、「仁徳天皇が民のために税を減らして、倹約した逸話」「二宮金次郎が、貧しい中勉強し、各地で財政再建を成し遂げた話」など、人生の教訓になったり、手に汗握るドラマが多く掲載されていた。

 

20世紀のアメリカにおける代表的な教育思想家ジョン・デューイも「歴史的教材は、ある英雄的人格の生活と行為という形でまとめられる場合に、最も完全に、最も生き生きと子どもに訴えるものであることは、疑いのないところである」と述べている。

 

しかし、こうした人物伝も、「集団力学を科学するもの」である歴史の中では軽視されるようになった。

 

 

歴史の「精神的遺産」をあえて無視する教科書

歴史を学ぶ意味は、「集団力学の分析」をする以上に、先人がその生き方を通して遺した精神的遺産や教訓を、人生の糧にすることにある。

 

今回の騒動は、その精神的遺産や人物伝を、あえて無視する歴史教科書の問題点を浮かび上がらせている。

(馬場光太郎)

 

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