大雑把な日常

日常のあれこれ。

妄想はとまらない

2012-07-10 | 日記

今日は

頭にICチップを埋め込まれて

それでもまったくそれを知らずに

そして使い道もなく生きていたOLが

ある日、

そのことを発見するまで

の妄想を考えていました。

 

わたしの妄想は

自分がどうこうなるとか

あの人の恋仲になったら

とかよりも

あるひとの人生にシンクロすることのほうが多い。

物語のなかの部品としてのひとに感情移入して

抜け出れないことがしばしば。

最近、この神経引きずられ系妄想がふたつあります。

ひとつは

沢尻エリカの映画『ヘルタースケルター』のあらすじを知ってしまったこと。

全身整形の女の話です。

映画の番宣を見たとかではなく、

ふと

原作である漫画のセリフをひとつ

文字で見たことで

頭のなかのアンテナが発熱。

ギュインギュインとウルサく鳴り響いたため、

検索せずにはいられなかった。

それで1巻の初めのほうを立ち読みして(ネット書籍)

もうダメだ。

あの子の悲しい性(さが)に妄想がとめどなくあふれ出てしまって

その世界から抜け出れません。

1話だけしか見てないから、まったくの勘違いで私の妄想が突っ走っている可能性がありますが、

あの漫画のテーマだけで

わたしはもう全力で走りだしている。

妄想の樹海に向かって。

 

もうひとつは

わたしの家の台所の窓から見える風景。

向かいの3階建ての家屋が

どうやら老人ホームらしく、

そこで

日がな一日テレビを見ているおばあさん。

たまにベランダに出て

ぼおお

と外を眺めている。

そして部屋に戻って

ただただ壁にむかっている。

たぶんテレビを見ている。

テレビは私の方からは見えなくて

おばあさんの無表情な顔だけが見える。

で、そのひとの人生の妄想。

そのひとは

わたしだ。

わたしはテレビを見る。

これがわたしのずっとしたかったこと。

家事も子育てもずっと解放されたいと思ってたの。

ゆっくりテレビを見たいって思ってた。

なにも生み出さない、ただただ消費されるだけのテレビは

まるでわたしそのものだ。

 

…なんてことをね!

ま~~~ったく違うかもしれません。

おばあさんは

一切そんなことを考えていないとは思いますが。

わたしは物語のなかに入ってしまうのです。

スイッチのようにパチっと。

もう全身全霊でそのひとを理解しているように思ってしまう。

役者にでもなれば良かったのかなあ。

ふうむ。

コメント
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