今日はとってもいいテレビ番組を見ました。
NHK教育「課外授業~ようこそ先輩~」 著名人が母校を訪ねて、授業を行うものだ。
今日の「先輩」は、志茂田景樹(作家)さん。
[~思いっきり泣いてもいいんだよ~]
彼が、各地の小学校や幼稚園で読み聞かせ活動を行っていることは、何かのテレビかなんかで、聞いたことがあった。だから、そのことかな~~なんて思って、見てた。
自作の絵本をひっさげて、1000回もの“読み聞かせ”を実践している志茂田さん。読み聞かせの活動を通じて、最近の子どもたちは自分の感情を押さえ込んでしまう傾向にある、と気づいたそう。
教室で、こどもたち(6年生)に尋ねる。 喜・怒・哀・楽、感じたことありますか?→30数名、ほとんどの子供が手を上げる。 喜・怒・哀・楽で、表現するのを我慢して隠したことがありますか?→「怒」「哀」だけ、他の2つよりも多く、30人弱の手が上がる。
とくに泣くことは、恥ずかしいこと、いけないことだと、子供たちは感じているみたいだ。その時のエピソードを紙に書いてもらう。それは、心の奥底にしまいこんでいる、『今まで言えずにずっと隠してきた気持ち』。
志茂田さんは子供を指名し、黒板の前に呼ぶ。 心のフタをはずして、今までずっと言えずに隠してきた「喜怒哀楽」を思いっきり叫んでみようとけしかける。まずは、「怒」を。恥ずかしながらも、女の子が叫ぶ。
「人に知られたくないことを、ばらされて嫌だった。笑ってんじゃないよー!」 女の子は照れ笑いをする。教室中も、笑いの渦が起こる。女の子も、すっきりした顔になる。
次は「哀」。 黒板の前に立った女の子も、男の子も、そのエピソードはあるはずなのに、言えない。なかなか言えない。教室中、静かになる。 とある男の子が、勇気を出して、話してくれた。進行性の病気で、車椅子の男の子。「僕ね、もうちょっとだけ、歩きたかったなぁ…」
志茂田さんは宿題を出す。「お父さんやお母さんたちにどんなときにいっぱい泣いたか、取材をしてきて下さい。その時、どんな気持ちだったのか。」 大人は、キミたちよりも、もっともっといっぱい泣いて、泣くことでエネルギーを得て、生きてきているんだよ。それが生きる力になってるんだよ、って。
お母さんの育児の苦労話、お父さんの過去の体験、…。 あの車椅子の男の子も、お母さんに話を聞いた。 「歩けなくなるってお医者さんに聞いたら、その後ずーっとお母さん泣いたわ」 「僕もそれ、なんか記憶ある。泣いたら、どんな気持ちになったの?」 「いっぱい泣いたら、泣いててもしょうがないから、泣いたら気持ちが落ち着くのよ。前向きに頑張ろうって、次第に思えてきたよ。」
次の日、そんなエピソードを子供たちが発表する。 お父さんの悲しかった体験なのに、発表しながら泣いちゃう子もいた。
そのあと、子供たちの表情が、コメントが、変わった。 「聞いてて、人の悲しみが、自分のことのように思えた。」 「一緒に泣くことで、仲良くなれた」 「泣くことは恥ずかしいことじゃない」 「人の痛みが分かるよるから、泣くこととか、怒ることとか、表現しようと思った」
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子供たちは必死に頑張ろうとしてて、哀しい思いや怒りを押さえ込んで、心にフタをしていて、6年生の子供たちなりに、いっぱい他人の心を考えようとしてて、その授業は本当に素敵だなぁと思った。
思いっきり泣きたいときに、泣いたらいい。怒りを感じるなら、ちゃんと表現すればいい。喜ぶ・楽しむだけじゃなくて、笑顔を絶やさないことも素晴らしいことだけど、そうやって我慢して心の中に傷を負ってて、隠して必死に生きるよりも、泣きたいなら泣いたらいい。
これは、私の周りの友達に、言いたいなぁ。
苦しい思いをしている人は、きっと沢山いるから。
人の痛みを、苦しみを、しっかりと受け止められる、吐き出すことがはずかしことではない環境を。そんな心の器を持った人間になりたい。