遊爺雑記帳

ブログを始めてはや○年。三日坊主にしては長続きしています。平和で美しい日本が滅びることがないことを願ってやみません。

中国が対日姿勢を急転換か その訳は?

2022-08-23 01:33:55 | 中国 全般
  8月4日、カンボジアのプノンペンで予定されていた林芳正外相と王毅国務委員兼外相の日中外相会談を、中国側によって開催の数時間前にキャンセルされ、更に東アジアサミット(EAS)外相会議で林外相が演説を始めると、王外相とロシアのラブロフ外相が示し合わせたように退室するという事件がありました。
 ペロシ米下院議長の訪台を支持する日本の外交姿勢に抗議するものですが、親中国会議員団体のトップ(外相就任で辞退)の林氏や、広島県の親中団体のトップの岸田首相なのに、冷たい仕打ち!近く寄ってくるからこそ、お仕置きで姿勢を正そうとした?

 ところが一転、日中国交正常化50周年記念日に、日中オンライン首脳会談を開催する話が急浮上しているのだそうです。
 何故?
 
中国が対日姿勢を急転換か、急浮上した岸田・習近平オンライン会談の可能性 東アジア「深層取材ノート」(第151回) | JBpress (ジェイビープレス) 2022.8.22(月) 近藤 大介

 「9・29日中オンライン首脳会談」――少し前まで誰も予想していなかった「イベント」が、にわかに浮上してきた

 
9月29日は、日中国交正常化50周年記念日である。これを祝して、岸田文雄首相と習近平(しゅう・きんぺい)国家主席が、それぞれ東京と北京から、オンラインで首脳会談を開こうという企画が持ち上がっているようである。

10年前の国交正常化40周年の記念イベントは「尖閣諸島国有化」で吹き飛ぶ
 当初は岸田首相が、安倍晋三元首相の国葬を9月27日に設定したことから、その2日後に大きな日中間のイベントはないと目されていた。国葬には世界中からVIPが来日するので、首相や外相が2日後に北京に飛ぶというのは不可能だからだ。

 また中国側は、私の得た情報では、王岐山(おう・きざん)国家副主席を、安倍元首相の国葬に派遣する予定でいる。そのため、国葬の2日後に
習近平主席や王毅(おう・き)国務委員兼外相が来日するということは考えにくい。というより、第20回中国共産党大会が間近に迫っていて、中国側にもそのような余裕はない。そのため、王岐山副主席の訪日をもって、50周年のイベントにしようとしているかに見えた。

 
実は10年前の国交正常化40周年の時も、日中は「イベント」を巡って揺れた。その前年の2011年3月11日の東日本大震災では、中国人はまるで自国で起きた災害のように、日本を気遣った。胡錦濤(こ・きんとう)国家主席(当時)は、真っ先に北京の日本大使館に弔問に駆けつけた。私は当時、北京に住んでいたので、当時の日中友好の様子を、身をもって体験している。

 だが40周年の2012年に入ると、2月に名古屋の河村たかし市長が、友好都市・南京からの訪問団に対して「南京大虐殺はなかった」と発言。4月には石原慎太郎都知事が「尖閣諸島都有化」を宣言し、この辺りから雲行きが怪しくなってきた。北京の中国日本商会の会合では、非公式に在留日本人の安全注意が呼びかけられていた。

 それでも
「親日政権」だった胡錦濤政権は、9月27日に北京の人民大会堂で、盛大な40周年記念式典を準備した。野田佳彦首相も北京への訪問すを考えていた。

 
ところが当の野田首相が、9月11日に尖閣諸島を国有化したために、中国は「日本による9・11事件」と猛反発。全国110カ所で大規模な反日デモが起こり、人民大会堂のイベントなど吹っ飛んでしまった。そればかりか、江沢民(こう・たくみん)グループは胡錦濤政権を「親日政権」と攻撃し、日本に強硬な習近平体制を誕生させた

「総書記留任」の条件は経済のV字回復
 日本にとって、
ややこしいことが一つある。それは、日中国交正常化の節目と、中国共産大会の10年に一度の総書記交代の節目とが重なっていることだ。前者は西暦で末尾が「2」の年の9月29日であり、後者は同年の秋だ。そのため中国で、日中関係の状況と、共産党大会の人事や方針が、互いに影響を及ぼし合ってしまうのだ。10年前に起きたことは、その典型である。

 ところが
今年は、逆にいい意味で影響を与えた可能性がある。それは中国が、「総書記交代」ではなく「総書記留任」の年に当たったからだ。

 
8月1日から15日まで、「中南海」(北京の最高幹部の職住地)の主な面々の消息が途絶えた。秋に控えた第20回中国共産党大会で決議する人事と方針について、習近平総書記ら現役執行部と、すでに引退した長老(元幹部)とが、意見の擦り合わせを行ったものと思われる。

 すべてはブラックボックスなので結果は不明だが、8月16日以降の中国幹部たちの動向や発言、それに『人民日報』、新華社、CCTV(中国中央広播電視総台)など
官製メディアの報道から類推するに、大枠次のようなことではないか。

 すなわち、
習近平総書記の留任(2期10年を終えて通例通り引退せず、異例の3期目を続けること)は承認されたただし条件がついて、それは中国経済を「V字回復」させることだ。

林・王毅の外相会談キャンセルからの急転回
 
中国経済は、習近平総書記が固執する極端なゼロコロナ政策などによって、第2四半期に0.4%まで成長率が落ち込んだ若年層(16歳~24歳)の失業率は7月に、過去最高の19.9%までハネ上がり7月に卒業した1076万人の大学生は、「畢業就是失業」(卒業すなわち失業)と自嘲気味に言っている

 
経済をV字回復させるためには、鄧小平(とう・しょうへい)軍事委主席が提唱し、推進した「改革開放政策」を、本気で推進していくしかないそのためには、特に周辺国との関係を宥和的にして、外資を導入し、貿易を活発化させていかねばならない

 
というわけで、にわかに「対日微笑外交」に転換したのだろう8月17日、秋庭剛男国家安全保障局長が突然、天津に赴いて、中国外交トップの楊潔篪(よう・けつち)党中央政治局委員兼中央外事活動委員会弁公室主任と第9回日中ハイレベル政治対話を行った。8月4日、カンボジアのプノンペンで予定されていた林芳正外相と王毅国務委員兼外相の日中外相会談を、中国側が開催の数時間前にキャンセルしたばかりなので、中国側に突然の「方針転換」があったものと思われる。

中国の本音は「日本とは関係改善したいが、台湾問題への口出しはならず」
 
天津会談は7時間に及んだが、中国側の報道からは、50周年を機に日中関係を改善したいという中国側の意思がありありと見えるただしその条件は、「日本が台湾問題に干渉しないこと」である。

<台湾は中国領土の不可分の一部分である。台湾問題は中日関係の政治的基礎であり、両国間の基本的信義である>(8月18日付新華社)

<このところ、中日関係は少なからぬ風波を経験したが、主要な理由は、日本の対中政策が目に見えて消極化したこと、特に台湾問題で一部の悪辣な言行があったことだった。例えば最近のペロシが訪台を強行した後の(日本側の)態度は、中国国民の対日観を著しく悪化させた>(8月18日付『環球時報』)

 これらは、例えば9月27日の国葬に台湾の蔡英文(さい・えいぶん)総統を呼ばないことや、日本が台湾やアメリカと組んで「半導体包囲網」を敷かないことなどが含まれているものと思われる。

 習近平主席が毛沢東主席を崇拝していることはよく知られているが、
50年前に日本との国交正常化を果たしたのは、毛沢東政権である。また、日本側は田中角栄政権だったが、実際に汗をかいたのは大平正芳外相であり、大平が率いた宏池会を引き継いでいるのが、岸田首相や林外相だ。

 その意味で、日中双方に50周年イベントとして、
日中オンライン首脳会談を開く機運は高まっていると言える


 揺れる日中両首脳について、中国のスパイとよく茶化される近藤氏が解説いただいています。

 実は10年前の国交正常化40周年の時も、日中は「イベント」を巡って揺れたと近藤氏。
 その前年の2011年3月11日の東日本大震災では、中国人はまるで自国で起きた災害のように、日本を気遣った。胡錦濤(こ・きんとう)国家主席(当時)は、真っ先に北京の日本大使館に弔問に駆けつけた。
 だが40周年の2012年に入ると、2月に名古屋の河村たかし市長が、友好都市・南京からの訪問団に対して「南京大虐殺はなかった」と発言。4月には石原慎太郎都知事が「尖閣諸島都有化」を宣言し、この辺りから雲行きが怪しくなってきた。
 それでも「親日政権」だった胡錦濤政権は、9月27日に北京の人民大会堂で、盛大な40周年記念式典を準備した。野田佳彦首相も北京への訪問すを考えていた。
 ところが当の野田首相が、9月11日に尖閣諸島を国有化したために、中国は「日本による9・11事件」と猛反発。全国110カ所で大規模な反日デモが起こり、人民大会堂のイベントなど吹っ飛んでしまった。
 胡錦涛が、北戴河会議が終わるまで待てと言うのを野田氏が石原氏との対抗で拙速に強行したため、胡錦涛も立場がなくなりました。

 前任の江沢民グループは胡錦濤政権を「親日政権」と攻撃し、胡錦涛の後任を胡錦涛の意思を封じ、日本に強硬な習近平体制を誕生させたのでした。
 野田氏が国有化せずに、石原氏と中山市長とによる都有化に留めておけば、尖閣問題はここまで先鋭化しなかった。。

 日本にとって、ややこしいことが一つある。それは、日中国交正常化の節目と、中国共産大会の10年に一度の総書記交代の節目とが重なっていることだと近藤氏。
 そのため中国で、日中関係の状況と、共産党大会の人事や方針が、互いに影響を及ぼし合ってしまうと。

 ところが今年は、逆にいい意味で影響を与えた可能性がある。それは中国が、「総書記交代」ではなく「総書記留任」の年に当たったからだと。
 今年も北戴河会議で、習近平総書記ら現役執行部と、すでに引退した長老(元幹部)とが、意見の擦り合わせを行ったものと思われる。
 官製メディアの報道から類推するに、大枠次のようなことではないかと近藤氏。
 習近平総書記の留任(2期10年を終えて通例通り引退せず、異例の3期目を続けること)は承認された。ただし条件がついて、それは中国経済を「V字回復」させること。
 
 中国経済は、習近平総書記が固執する極端なゼロコロナ政策などによって、第2四半期に0.4%まで成長率が落ち込んだ。
 経済をV字回復させるためには、(今日の中国経済の発展の基礎を築いた、共青団派の祖の)鄧小平軍事委主席が提唱し、推進した「改革開放政策」を、本気で推進していくしかない。そのためには、特に周辺国との関係を宥和的にして、外資を導入し、貿易を活発化させていかねばならないと近藤氏。

 それでにわかに「対日微笑外交」に転換したのだろうと。

 8月17日、秋庭剛男国家安全保障局長が突然、天津に赴いて、中国外交トップの楊潔篪(よう・けつち)党中央政治局委員兼中央外事活動委員会弁公室主任と、第9回日中ハイレベル政治対話を行った。
 カンボジアでの王毅国務委員兼外相の態度とは一変、真逆の対日接近。

 天津会談は7時間に及んだが、中国側の報道からは、50周年を機に日中関係を改善したいという中国側の意思がありありと見える。ただしその条件は、「日本が台湾問題に干渉しないこと」であると近藤氏。
 8月18日付新華社、8月18日付『環球時報』は、接近するも諸条件を報じているのだそうですが、例えば9月27日の国葬に台湾の蔡英文総統を呼ばないことや、日本が台湾やアメリカと組んで「半導体包囲網」を敷かないことなどなども含まれていると思われると近藤氏。

 習近平主席が毛沢東主席を崇拝していることはよく知られているが、50年前に日本との国交正常化を果たしたのは、毛沢東政権である。また、日本側は田中角栄政権だったが、実際に汗をかいたのは大平正芳外相であり、大平が率いた宏池会を引き継いでいるのが、岸田首相や林外相だと。
 
 北戴河会議で、条件付きの任期延長を認められた習近平。日中首脳のオンライン会議の行方が注目されます。
 外務大臣時代には、内弁慶で数々の国益を損なう外交実績の持ち主の岸田氏。林氏との親中コンビで、中国側の押しつけの諸条件を飲んでしまわないか心配です。


 # 冒頭の画像は、視察先の遼寧省で市民に手を振る習近平国家主席
  


  この花の名前は、シラヤマギク


↓よろしかったら、お願いします。



遊爺さんの写真素材 - PIXTA

写真素材のピクスタ


Fotolia




コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 中国、尖閣で「実効支配」演... | トップ | 〝暴走〟林外相、狂気の日中... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

中国 全般」カテゴリの最新記事