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7月上旬に友人のT君が東京から遊びに来た。実は6月に中国カメラをたくさん仕入れたので、どうやって持って帰ろうか迷っていた。T君が遊びに来たので、渡りに舟とばかりにカメラを4つほど持って帰ってもらった。それでも数台のカメラが残っている。もうひとりぐらい遊びにこないかな、と思っていたら、il_neigeさんが遊びにきた。大きめだけれど軽めのカメラを選んで持ち帰ってもらった。これで残りのカメラは自分で持ち帰れそうだ。
こういう偶然は時々ある。特に旅の途中や仕事で神経が張りつめている時に多い。
偶然と言えば最近もうひとつ。
「華日交流」というサイトで知り合った北京出身のKさんとは、いくつかの「偶然」から出会うことになった。Kさんが日本語を学んだのがぼくの故郷の隣町。いまはアメリカのバクレーに滞在しているのが、バクレーの隣サンフランシスコには、妻のたこが留学していたことがある。
Kさんの日本語力はすばらしく、メールを読む限り日本人とほとんど区別がつかない。ぜひお会いしたいと思いながら、北京とアメリカでは距離がありすぎる。しばらくはお会いする機会はないかな、と思っていると、急遽北京へ帰省するという連絡があった。実際お会いしてみると、案の定大変流暢な日本語。日本滞在が長いとはいえ、外国人としてここまで日本語を使うのは大変なことだと思う。
いままでの中国での経験や、旅での「偶然」についての思い出などをKさんに話すと「頭からと強い電波がでているのでは?」とからかわれた。もしかすると、ピンチになると、強い電波がでるのかもしれない。
「残りの北京滞在はどうするのか」と聞かれ、河南省に友人を訪ねにいくつもりだと話すと、驚いたようにKさんの言葉が途切れた。「河南省は母親の故郷です。」ここまで偶然が重なるのは珍しい。(写真:久しぶりの青空。)
こういう偶然は時々ある。特に旅の途中や仕事で神経が張りつめている時に多い。
偶然と言えば最近もうひとつ。
「華日交流」というサイトで知り合った北京出身のKさんとは、いくつかの「偶然」から出会うことになった。Kさんが日本語を学んだのがぼくの故郷の隣町。いまはアメリカのバクレーに滞在しているのが、バクレーの隣サンフランシスコには、妻のたこが留学していたことがある。
Kさんの日本語力はすばらしく、メールを読む限り日本人とほとんど区別がつかない。ぜひお会いしたいと思いながら、北京とアメリカでは距離がありすぎる。しばらくはお会いする機会はないかな、と思っていると、急遽北京へ帰省するという連絡があった。実際お会いしてみると、案の定大変流暢な日本語。日本滞在が長いとはいえ、外国人としてここまで日本語を使うのは大変なことだと思う。
いままでの中国での経験や、旅での「偶然」についての思い出などをKさんに話すと「頭からと強い電波がでているのでは?」とからかわれた。もしかすると、ピンチになると、強い電波がでるのかもしれない。
「残りの北京滞在はどうするのか」と聞かれ、河南省に友人を訪ねにいくつもりだと話すと、驚いたようにKさんの言葉が途切れた。「河南省は母親の故郷です。」ここまで偶然が重なるのは珍しい。(写真:久しぶりの青空。)
オカルトはからっきしダメですが,縁っていう言葉は好きですし,信じてますね.
現代中国語の「縁」は日本語と同じ意味ですか?
「縁」ですか、、、「縁」ですよね。
中国のでは「縁分(ゆえんふぇん)」という言葉がよく使われます。意味は日本の縁と同じです。今日も列車で知り合った夫婦に「縁分があったのね」と言われたところです。中国のほうが、縁があったことを大切にする感じがします。人と人の付き合いが社会を作っているという意識が明確ですね。だから「コネ」が幅をきかすわけですが。この話題は、また改めて。