北京の青空もf16

2006年 帰国。いつの日かまた中国へ

リトルチャイナタウン

2007-01-31 08:11:11 | 中国語
池袋の東武口近くに、中国の食品や書籍、ビデオなどを売っている店が3、4店かたまっている地域がある。特にあてもなかったので、一番最初に見つけた店に入ってみた。店の中に足を踏み入れたとたん、ここは中国だ!と思った。店の規模は小さいが、現地のスーパーの雰囲気そのものだ。扱っている商品のほとんどは中国からの輸入品、店員はもちろん客もほとんど中国人。レジに商品をもっていくと、当然のように中国で値段を言われる。妻のたこも「こんなところあったんだ」とちょっと興奮気味。
あるビデオショップでは、「中国人?それとも日本人?」と中国語で尋ねられた。日本人ですよ、と答えると、ぼくが肩からさげていたローライコードを指差して「いいカメラ持ってるね」と笑顔を向ける。使ったことあります?といいながら手渡すと、「2眼レフは若い頃によく使ったよ」と懐かしそうだ。聞くともう10年以上も日本で暮らしているらしい。
ビデオショップをあとにして、中国料理のレストランでラーメンを食べた。麺もスープも中国で食べた物によく似ている。メニューに載っている料理も美味しそうだ。懐かしい料理の名前も見かける。次に来た時はあれとこれを食べよう、人数は4人以上が楽しそうだな、本格的な中国好きなのはあいつは誘わなくちゃ、などと想像がふくらむ。
この一角、横浜中華街よりもはるかに濃厚だ。中国が懐かしくなったら、また遊びに行こう。

お人柄ともう一人のワタナベ先生

2007-01-21 20:07:54 | 写真
ギャラリー冬青へ写真展を見に行った時のこと、ギャラリーで受付をしていた人と話をした。ワークショップ2Bの受講生だと言うと、「私もいろんなワークショップを知っていますが、2Bはよいワークショップですね。渡部さんのお人柄でしょうね」と言う。「普通のワークショップは、撮影旅行に行く場合、先生の費用は生徒が頭割りするんですよ。渡部さんはそういうことはしないですからね、なかなかできることではないですよ」とのこと。へえ、そういうものなんだ。自分でかかった費用は自分で払い、自分の安全は自分で確保するという2Bの「自己責任ツアー」はワークショップ界では画期的な試みなのか。そういえば、以前渡部さんが「先生になる気はないんだよね」と言っていたことを思い出しだした。ワークショップも「場」を提供するのが目的で、自分が中心になる気もなる必要もないのだとも。
この話を通じて、もうひとりのワタナベ先生に思いを馳せた。渡邊先生が主宰していたのは「操体」というボディワークのワークショップだった。「場を提供すること」と「人と人をつないでいくこと」が技術や考え方を伝える以外に、ワークショップののねらいだということ聞いたことがある。渡邊先生はすでに他界されているが、渡邊さんの言葉はふとしたことで心の中に蘇って来る。
Watanabeさんの写真展に行き、渡部さんの話題になり、渡邊さんに思いが繋がった。ワタナベという名前には
「人と人を渡す(つないでいく)」という意味があるんだよ、と渡邊さんが言っていたことを思い出し、不思議な気持ちになった。ぼくはワタナベさんたちから「人柄」も学べているのだろうか。

写真展へ行った

2007-01-21 11:20:49 | 写真
モノクロ写真を焼くのもここ2ヶ月ぐらいは控え、その分、写真展を見に行こうと思っている。人の作品を見ることは、春から自分の写真を焼く時に役立つはずだ。
というわけで、昨日は冬青社ギャラリーへHiroshi Watanabe写真展を見に行った。写真仲間の日記に紹介されていたので、興味をもったのだ。Watanabさんはアメリカで活躍しいている写真家だ。アメリカでは6軒のギャラリーと契約していて、月に2~30枚オリジナルプリントが売れるらしい。被写体は特別なものではないが、情緒的でモノクロプリントがとても美しい。買いたくなる気持ちはとてもよくわかる。一通り写真を見た後、自分の部屋に飾るならどれを選ぶかなと、もう一回りしてみた。Watanabeさんの使っているカメラはハッセルだ。いままでハッセルは大きくて重いので、自分がカメラを買う選択肢の中にまったく入らなかったが、ハッセルに心魅かれてしまった。プリントとカメラを同時に欲しくさせるキケンな写真展だった。
午後からは会社へ。年度末にかけて休日出勤が増えてくる。

東京タワー

2007-01-18 20:56:15 | その他
東京といえば東京タワー。小学生のころは本当にそう思っていた。田舎から遊びにくる度に展望台へ登ったものだ。
先日、特別展望台へ登る機会があった。普通の展望台より100m高い。周りには自分の目線より高いビルがなく、景色がまったく変わって見える。高い所に登って面白いと思ったのは久しぶりだ。これなら、年に一度ぐらい東京タワーに来るのも悪くないと思う。
帰りに土産物屋をのぞいてみた、提灯、キーホルダー、木刀など昔ながらの観光地の定番商品が気になる。現代の修学旅行生もこいうものを買うのだろうか。子供のころよく買った東京タワーの板チョコは、探してみたがどこにも売っていない。これは残しておいて欲しかったな。

新年会でわかったこと

2007-01-08 12:55:49 | 写真
昨日はワークショップ2Bの新年会。江古田の居酒屋に集まったのは、4、50人。写真、カメラ、旅好きの集まりなので、話題も始終そのいずれかだ。中国に興味のある人、中国語を始めようとしている人、中国カメラを使っている人などもちらほら見かける。いつか中国の写真仲間を紹介したいと思う。師匠も中国には興味がある様子。機会があれば、北京や上海でグループ展やワークショッップ特別講習を開催できたら楽しいだろう。中国カメラで撮った写真のグループ展も面白いかもしれない。
2次会は場所を2Bに移した。今回の余興はローラクイズ。ローライフレックスとローライコードという値段にして、3~5倍ちがうカメラ(レンズ)を、同じ構図、同じ露出で撮影したものを見分けるというもの。問題は全部で10問。このローライクイズ、もともとはレックスを購入しようか迷っていた時に、写真仲間のmasaさんから借りたカメラと自分のコードで撮り比べをしたのが始まりだった。撮り比べた写真を師匠に見せたところ、面白いから新年会の余興にしようということになり、年末に仕上げたものだ。
全問正解者には、師匠からベビーローライを進呈ということで、写真を見比べる参加者の顔は真剣そのもの。しかし師匠でも正解したのは7割。作った自分自身でさえ、何枚かは見分けがつかない。2Bの仲間たちの中には、コードやフレックスを使っている人が少なからずいる。果たしてどれだけ見分けがつくのか、結果を楽しみにしていた。
29人の参加者中、70点が1人、60点、50点が10人ずつ、40点、30点が数人、最低20点が1人だった。フレックスとコードの見分けは、ほとんどつかないということだ。写真によっては、違いがあるのは分かるのだかが、どちらが高いレンズかと言われても判断が難しい。重箱の隅をつつくようにして仔細に比較しないと分からないのだ。けれど、クイズのためにプリントを繰り返し、焼き上がった写真を見比べていくうちに、差が出やすい絞り値、トーンのつなぎ、収差などに対する理解が深まったようだ。さらに、師匠の講評を聞きながらも写真を見返すことで、理解が増した気がする。
結局このクイズの結果は、フレックスの購入を妻へ認めさせる説得材料を失う結果になった。買うと言っても反対はされないが、「(フレックス)いるの?」と聞かれて、絶対必要だと言い切れない自分がいるのだ。経済的にも余裕があるわけでもなし、限られた予算はフィルムや印画紙にかけるという至極まっとうな結論に達したのだった。


中国カメラ(その3)海鴎205

2007-01-07 15:21:07 | 写真
暗室始めということで、2Bの暗室へ行って来た。今回は最近気になっていた中国カメラ・海鴎205で撮った写真を焼いてみた。海鴎205は35mmのRFカメラで、1960年代から80年代にかけて製作されたものだ。もともとは上海205という名称で上海照相機二廠で製造されたものだが、60年代末には海鴎205へと名称が変わっている。さらに、工場が内陸部の江西に移り江西光学として再編成され、83年には、海鴎205から鳳凰205と名称が変更された。日本でも数年前まで、鳳凰205Eという、露出計内蔵タイプが新品で販売されていた。海鴎205も鳳凰205もレンズは同じ、ボディもマイナーチェンジがあった程度で、ロゴ以外に外観の差はほとんどない。中国の写真マニアの間では、このレンズに対する評価は大変高く、ネット上には205愛好家の掲示板もある。
手元の海鴎205は北京で180元(約2700円)で購入したものだ。正直写りにはあまり期待していなかったのだが、焼き上がった写真をみて、本当にびっくりした。暗部もつぶれないし、ハイライトも飛びにくい。トーンもよく出る。2Bの写真仲間はもちろん、渡部さとる師匠も、「すごくよく写るね」と感心していた。さらに、50mmのファンダーはクリアかつ等倍で、ピント合わせやすい。なおかつパララックス自動補正という優れもの。ボディデザインはシンプルで好感がもてる。欠点や弱点もあるのだが、値段から言って文句は言えない。今年は、この海鴎205をじっくり使い込んでみようと思う。

病院で診察

2007-01-05 23:52:53 | その他
新年早々、代休をとって病院へ行った。12月中旬ごろから、ずっと疼痛を感じていたのだ。初診は事前に予約ができず、待ち時間がどのくらいかかるのか分からないので、、早めに病院に着くつもりだった。けれど、家を出るのが遅れたのと、場所を勘違いしたおかげで、予定より大分遅くなってしまった。
待ち時間を利用して中国語を勉強するつもりで、ipodやプリントを持っていたのだが、疼痛がひどいのと、妙な緊張で、何も手に着かなかった。運良く今日は患者さんが少なく、昼過ぎには診察してもらうことができた。
「これは痛そうですね。だいぶ大きく裂けてますよ。よく頑張りましたね。」いや、頑張ったわけではなく、ただただ痛かっただけです。診察結果は想定内の範囲だったのでちょっと安心した。けれど、本格的な治療には1週間ほど入院が必要とのこと。悪性ではないので、あまり慌てる必要はないようだが、このまま痛みが続くのも困ったものだ。仕事のスケジュール調整が必要だ。それから問題がもうひとつ。来年の春まで、有給がないのだ。

2007年 新春

2007-01-04 22:16:52 | 写真
年末年始は故郷の信州・岡谷で過ごした。東京からのお土産は、ケーキと甘栗。
家族揃って大のケーキ好き。ケーキは帰省する時のお約束なのだ。「東京のケーキは生クリームが本当においしいわねぇ」というのが母の口癖だ。甘栗は、森下の「イシイ」の栗。甘くねっとりしていて、いくつでも食べられる。日本一美味しい栗を買って来たよ、と言って母に手渡した。
大晦日はご馳走が並ぶ。これといって伝統的な料理はない。今回は、ローストビーフ、サラダ、天ぷら(エビ、干し椎茸、ししとう、カボチャ、サツマイモ)、手巻き寿司(大トロ、ブリ、タコ、イクラ、鯛)、ゆでタラバカニ。日本酒少々。締めくくりは、父の友人が届けてくれた手打ち蕎麦。
年をとるごとに、年末や新年の改まった気持ちは減っていくが、大晦日の料理を前にすると、楽しい気分なる。
元旦は、諏訪大社へ初詣を兼ねて写真の撮影始め。ローライを肩にかけていると、見知らぬおじさんが「いいカメラ持ってるね」と声をかけられた。「そっちのカメラは、距離計連動?」中国カメラの海鴎205も興味をひいたようだ。これは、中国のレンジファインダーですよ、と答えると、「いい写真が撮れそうだね」と笑って去っていた。
今年は7月に旅をテーマにしたグループ展がある。それまでに、中国の写真はまとめる予定だ。その後、何を撮ろうかと漠然と考えている。いくつか候補があるが、そのひとつが岡谷を撮ることだ。写真以外には、中国語のレベルアップと英語の再スタート。あまり手を広げすぎると、三日坊主になる恐れがあるが、やり方を模索しながら進んでみよう。