北京の青空もf16

2006年 帰国。いつの日かまた中国へ

人生初の手術3

2007-02-21 23:31:17 | その他
手術翌日は朝から頭痛だった。特に午前中は頭がガンガンした。主治医に頭痛のことを告げると、原因は腰椎麻酔の副作用とのこと。三日分の頭痛止めを処方された。漢方薬だったのが意外だった。さらに水分を1日1リットル以上とるように言われた。麻酔を排出する必要があるので、カフェインを含んでいるものが効果的らしい。さっそくコーヒーやお茶をたくさん飲んだ。お茶請けに、妻が自分が食べるために買って来たチョコレートをこっそりつまみ食いした。
手術後の傷の痛みは、個人差があるらしい。一日遅れで手術を受けた男性は、ほとんど痛みがないらしい。二日続けて眠れぬ夜を過ごしている横で、いびきをかかれると無性に腹がたった。
入院生活にも慣れて来ると、いろんなことに気がついてきた。看護師はほとんど女性で、しかも若くてきれいな人が多い。もろもろ世話をされるのをためらわれるほどだ。同じ病室のおじいさんは入院生活が長く顔見知りの看護師さんが多いようだ。お気に入りを見つけては、嬉しそうに話しかけていた。
期待していなかった食事はトマトシチュー、照り焼き風チキン、焼き魚、讃岐うどんなど、種類も豊富でおいしかった。
傷の経過は順調で、予定していた18日を前倒しして17日に退院することになった。退院の日は晴れて、風がすこし冷たかった。ほぼ1週間、病院の中にいたので暖かな環境に体が慣れ、すこし萎えてしまったようだ。久しぶりの人ごみを、足下に気をつけながら通り抜けた。

人生初の手術2

2007-02-20 23:55:17 | その他
手術を終え病室に運ばれた。ベットに移された。翌日の朝までは、ベットから起きないようにと言われている。足が動かないのは妙な感じだ。このまま麻酔が切れなかったらどうしようなどと、ふと不安な気持ちになる。2時間ほどすると、足が動かせるようになってきた。横になったまま、ビスケット、オレンジジュース、ヨーグルトという簡単な昼食をとった。「(麻酔が抜けるように)どんどん水分とってくださいね」と看護士に言われる。
手術後5時間後、「お小水でますか?そろそろ出した方がいいんですが」と溲瓶を渡される。じゃ試してみますというと、笑顔で「お手伝いしましょうか?」とで言われたが、さすがに手伝ってもらう気にはならない。夕飯を妻に食べさせてもらったあと、ひたすら眠りつづけた。というか、眠り続ける予定だった。
ところが、23時ごろ激痛で目が覚めた。夜に飲んだ痛み止めが切れたのだ。すぐにナースコールを押した。来てくれた看護士に痛み止めが欲しいことを告げた。痛み止めを飲んだ後、痛みをこらえながら、うとうとしていたが、再び痛みに襲われる。時計を見ると5時。再びナースコールを押した。痛み止めを飲み、寝付かれぬまま朝を迎えた。

人生初の手術1

2007-02-18 22:12:58 | その他
2月12日に都内の某病院に入院し、簡単な手術を受けた。これは1月中旬から決めていたことで、命の関わる緊急なものではない。ただ、小さな手術とはいえ、体の一部を切ることやそれに伴う麻酔とその副作用、傷の回復の経過等、今までにない体験だ。
12日、昼前に病院に入る。看護師から入院のスケジュール、手術後の注意事項など説明を受ける。夕食は抜きだ。
13日、朝9時半から手術。手術着に着替えて、緊張しながら控え室で待っていると、主治医が「しっかりやりますから」と挨拶に来てくれた。点滴をつけて、手術室へ移動。スタッフは主治医を含めて4人だ。腰椎麻酔を受けるために、ベットに横たわり、体を丸めていると、かなり大きな痛みが腰の少し上に走った。思わず、うめいて体を動かすと「動かないでくださいね」と言われる。こういう場合は、「痛いけど動かないように」と始めに言っておいてほしいものだ。
麻酔の効きを確認して手術が始まった。しばらくすると、血の気が引いて車に酔ったように気分が悪くなって来た。気持ちわるいです、と医師に告げると、助手の一人の「血圧が80まで下がっています」という声が聞こえる。「筋肉をほぐすマッサージをしたので、交感神経の反射が原因でしょう」と説明される。「×××点滴して。ドバッといれていいから、ドバッと」という指示が聞こえる。なにかドバッと入れられちゃうんだ。大丈夫かなと、虚ろな意識で不安になる。しかし急速に気分がよくなり、意識がハッキリして来る。「血圧も上昇しましたね。大丈夫ですよ。」う~む、これが近代医学の威力か。恐るべし。こうやって薬でバランスを図るのか、でも体全体のバランスは崩れてしまうだろう。あとが心配だ。
切除が終わったのだろう、縫合する振動が感じられる。「もうすこしで終わりますからね」医師の声が頼もしげに聞こえて来る。
「上手くいきましたよ。切除したものを見ますか?」と聞かれ、ぜひ見せてくださいと答えると。「強いんだなぁ」と感心したような助手の独り言が聞こえる。そりぁ当然見るだろうよ、と内心で思っていると、シャーレが目の前に運ばれて来た。その上には、まるで白いクリオネの死体みたいなものが二つ横たわっていた。

英語は何処へ行った?

2007-02-05 07:45:59 | その他
上野駅で山手線から下車した時、「英語話せますか?」と欧米からの旅行者から、英語で声をかけられた。Yesと答えると「この電車は新宿へ行くの?」と尋ねられた。その瞬間、Ni xiang qu Xinsu ma ?(新宿へいきたいの?)という中国語が頭の中に浮かび上がった。いかん、いかん、英語を話さなくては、と思い、中国語のセリフをぐっと堪え、反対車線の山手線を指差した。頭の中でNa bian(あっちですよ)と言う中国語を思い浮かべながら、口ではThis way.(こっちです)と言ってしまった。2番線?と確認され。ちゃんと理解されたという安心感から、思うずDui(はい)と中国語で答えてしまった。
ぼくの頭の中の英語は何処へ行ってしまったのだろうか。

朝からイクラ

2007-02-03 00:25:45 | 食べ物
我が家の食卓には、海の幸が並ぶことが多い。独身時代には考えられなかったことだ。もともと山国の生まれなので、刺身を見ると反射的にご馳走だと思ってしまう。ましてイクラなどは超豪華、以前は年に二口ぐらいしか食べたことがなった。それが今では、朝食の白いご飯にのって登場するのだ。
イクラだけではない、毛蟹、秋味(鮭)、宗八(カレイ)、筋子、帆立などなど、北海道万歳!と言いたくなるような、食材が一年を通じて届けられる。ありがたいことに、すべて妻の親戚が送ってくれたものだ。持つべきものは北海道の親戚である

代休

2007-02-02 01:42:51 | その他
職場に復帰した当初、来年春まで有給の権利がないことを知り、ショックを受けたが、そんなものは杞憂であった。復帰後5ヶ月ですでに代休が6日(このうち1日はすでに消化ずみ)。今週、来週で4日は代休が発生する見込み。
そう言えば有給なんてあまり使ったことがないことを、最近になって思い出した。この調子なら、代休が有給並みにたまるのは時間の問題か。でも、週末はしっかり休まないと、平日の仕事の効率が落ちて行く。