北京の青空もf16

2006年 帰国。いつの日かまた中国へ

帰国後1ヶ月

2006-09-10 11:57:17 | 留学生活
部屋探しと引っ越しは思いのほか順調に運び、職場へも今週から正式に復帰する。
帰国して気づいたのは、頭の中にスキマができたこと。自分のことを客観的にみる余裕ができた。
中国語の影響も思わぬところにでている。時々日本語のろれつがまわらない。特にゃゅょなどの拗音になると中国語みたいな音になってしまう。「びじゅつ」とか「しゅじゅつ」とか巻き舌がはいってしまう。中国語を一生懸命やった影響だな、と思っていたら、「頭の切り替えができないだけ」と妻に言われてしまった。
ところで、このブログ、1年限定ということで始めたので、もうしばらくしたら違う形にしようと思っている。以前、写真用にブログを立ち上げたが、両立は難しく更新がとまったまま。どうせなので、ブログを一本化しようと思う。
(写真:北京の友人からもらった長城SZ-2には、時々おもしろいフレアがはいる。日本では今時こんなカメラにお目にかかれない。)

最後の一日

2006-08-01 03:31:51 | 留学生活
今日は朝から雨。朝なのにまるで夕方のように暗い。
午前中は大家さんが来て、家賃の精算をした。契約時に渡した「押金」から7月分の光熱費、電話代をのぞいた2500元が戻って来た。午後は、郵便局で本を40冊ほど日本へ発送。10日ほど前に送った荷物はもう日本に届いている。
残った人民元を日本円に換金するために、銀行へ。ところが、銀行員から外国人が人民元を外貨に換金する場合は、パスポート、収入証明書、何かの契約書等々5種類の書類が必要だと言われた。留学生だから中国国内で収入などないと言うと、「ならば換金できない」と断られてしまった。空港ならこんなことは言われずに換金できるはずだが、出国は明日の早朝。空港の銀行は開いていない。このまま人民元を持って帰国か、しかし、次にいつ中国に来るのかわからない。途方に暮れていると、ひとりの女性が「中国人なら換金できるの?」行員に尋ねた。中国人なら身分証明書があれば、問題ないという答えに、「じゃ私が換金してあげる。」と手続きをしてくれた。実は銀行についた時、パンをかじっている彼女を見て、なぜか行員と勘違いし、ここで換金できるのかと話しかけたのだ。銀行員がパンをかじっているはずはないし、制服を着ているわけでもないのに、なぜ、彼女を行員と思ったのか、今思うと不思議で仕方がない。でも、もし彼女の助けがなかったら、しぶしぶ銀行を後にするしかなかった。日本円を受け取りながら、丁寧にお礼を言うと、「自分も順番待ちで時間はあるから、ぜんぜん気にしなくていいよ」と笑顔。
銀行を後にし、いつもの写真店へ。現像があがったネガを確認したあと、受付の女性と老板(社長)に、明日帰国するから、と挨拶をした。「いつ北京に戻ってる?いつでも歓迎するよ。」この言葉は、この一週間何度聞いたことか。
帰宅したのは午後5時。30分ほどの違いで、別れの挨拶に来てくれた友人とは会うことはできず。
荷造りの途中で、近くの中国の東北地方の料理店へ。今回の中国滞在の最後の晩餐、東北地方の料理は一皿の量が多いことで有名だ。妻と二人だけなので少なめに注文したが、食べきれなかった。
食事の後はスーパーで中国の食品をお土産として購入。家に帰り再び荷造り。なんとか片付いたが、やはり荷物が多い。
今は1日の2時30分。この部屋を立つのは3時間半後だ。明日(すでに今日)の昼過ぎには日本だ。(写真:「非常生活」というこのマンションとも今日でお別れ。)


河南省の旅

2006-07-30 23:57:48 | 留学生活
友人を訪ねて河南省の上蔡県へ。24日から5日間、といっても行き帰りは夜行列車なので、上蔡で過ごしたのは2日半。友人の家族や仲間が暖かく迎えてくれ、今回もすっかり世話になってしまった。
だれもが「たくさん食べて、たくさん飲め」と料理と酒をすすめてくれる。こちらは普通に食べているつもりだが、「食べるのが少ない、料理が口に合わないのか?」と心配される。しまいには「身長が高いのだから、もっと食べられるはずだ」とさらに料理をすすめられる。相手の言うまま食べて飲んでいると胃袋がいくつあっても足りない感じだ。酒もただ飲んでいるだけではつまらないといって、ジャンケンで負けた方が罰として飲むゲームを何度もやった。おかげで友人はひどく酔っぱらっていた。
短い滞在だったが、行って良かった。上蔡は経済発展も遅れ気味で、比較的貧しい地域だ。でもまたいつか訪れてみたい。
友人とは「次は北京オリンピックで再会」する約束をした。あと2年後だ、それまでに中国語のレベルをアップしておかないと。(写真:中国の人はとにかくよく食べる。)

不思議な偶然

2006-07-24 10:49:35 | 留学生活
7月上旬に友人のT君が東京から遊びに来た。実は6月に中国カメラをたくさん仕入れたので、どうやって持って帰ろうか迷っていた。T君が遊びに来たので、渡りに舟とばかりにカメラを4つほど持って帰ってもらった。それでも数台のカメラが残っている。もうひとりぐらい遊びにこないかな、と思っていたら、il_neigeさんが遊びにきた。大きめだけれど軽めのカメラを選んで持ち帰ってもらった。これで残りのカメラは自分で持ち帰れそうだ。
こういう偶然は時々ある。特に旅の途中や仕事で神経が張りつめている時に多い。
偶然と言えば最近もうひとつ。
「華日交流」というサイトで知り合った北京出身のKさんとは、いくつかの「偶然」から出会うことになった。Kさんが日本語を学んだのがぼくの故郷の隣町。いまはアメリカのバクレーに滞在しているのが、バクレーの隣サンフランシスコには、妻のたこが留学していたことがある。
Kさんの日本語力はすばらしく、メールを読む限り日本人とほとんど区別がつかない。ぜひお会いしたいと思いながら、北京とアメリカでは距離がありすぎる。しばらくはお会いする機会はないかな、と思っていると、急遽北京へ帰省するという連絡があった。実際お会いしてみると、案の定大変流暢な日本語。日本滞在が長いとはいえ、外国人としてここまで日本語を使うのは大変なことだと思う。
いままでの中国での経験や、旅での「偶然」についての思い出などをKさんに話すと「頭からと強い電波がでているのでは?」とからかわれた。もしかすると、ピンチになると、強い電波がでるのかもしれない。
「残りの北京滞在はどうするのか」と聞かれ、河南省に友人を訪ねにいくつもりだと話すと、驚いたようにKさんの言葉が途切れた。「河南省は母親の故郷です。」ここまで偶然が重なるのは珍しい。(写真:久しぶりの青空。)

帰国準備

2006-07-21 00:10:23 | 留学生活
日本から友人が遊びに来ていたのを言い訳に、帰国準備を怠っていたが、そろそろ時間がなくなってきた。
今日は、近くの郵便局で服や本など日本へ発送した。2つのスーツケースと中型バックで運んだ荷物は、郵便局員が検査しながら、あっという間に4つに箱づめされた。「船便だと3ヶ月かかるよ」おどかされ、「今は航空便でも安いよ」と売り込まれたが、結局陸路と航路を使うSAL便を選んだ。合計で3万円弱。「1ヶ月半はかかる」と言われたが、上手く行けば2週間ぐらいでつくはずだ。まあ、荷物の中身は1ヶ月半かかっても困らないものばかりだが。
荷物の心配は片付いたので、ここ数日はネットで部屋探しをする予定。当面ウィークリーマンションに住んで、1ヶ月以内に部屋を見つけるつもりだ。ここに来て、北京の生活が終わるという実感がようやく湧いてきた。あ~あ、終わっちゃう。
帰国前に、河南省の友人に会いに行く予定。行きの切符はもう購入済み。2泊3日の短い旅だが、久しぶりの再会が楽しみだ。(写真:北京ダック(日本から来た友人の撮影)。鴨肉は熱を冷やすといわれ、北京の人は夏場よく鴨を食べる。)


最後の授業

2006-07-10 11:53:41 | 留学生活
長かった授業も6月30日に最終日を迎えた。話すこと、聞くこと、作文。この3つをバランスよくレベルアップすることが、この1年の目標だった。「基本的には目標に到達しましたね。」という老師の言葉を聞きながら、自分自身としては、ものすごく満足ではないが、まあ頑張ったかなというのが、率直な感想。
「いままでの学生の中で一番努力している」と老師から評価していただいている。おかしいな、「いままでの学生の中で一番優秀」と言われる予定だったのだが、、、。
この1年の最大の発見は、自分には語学の才能があまりないということ。「語学の才能?ないね。」と胸を張って言える。どこか要領が悪いところがある。頭の中で何かがつながるのに、時間がかかる。老師からも「ほんとは、あと3ヶ月ほしい」とも言われたが、経済的に無理がある。そろそろ働かないとまずい。
もろもろの問題は、帰国後に持ち越し。あとは生活の中で、時間をどうやり繰りするかが課題だ。
帰国は8月1日。もうすこしだけ中国を楽しもう。(写真:この教室ともお別れ。窓側の4つの机が所定の場所。)

中国カメラ(その2)2眼レフ 海鴎、牡丹

2006-06-28 21:28:50 | 留学生活
北京の中古カメラ屋をのぞくと、いろいろなブランドの中国産の2眼レフを見かける。代表的なのは「海鴎」というメーカー。日本でもシーガルとして知られている。海鴎の2眼レフ、中古で買えば200元~400元ぐらい。カメラの状態や形式によって値段に幅がある。いま手元にあるのは4B-1というタイプ。これはかなり状態がよく、300元(約4500円)で購入。日本で新品を買うと25000円ぐらいだ。
海鴎の2眼レフ、中国国内の写真愛好家からの評価は高い。中国カメラの「クラシック」だ。海鴎は現在でも2眼レフの製造を続けている。(最近は韓国の会社に買収されたらしい。)写真仲間の話では、現代のものは80年代のものに比べ質が落ちているという。
以前は海鴎の2眼レフを模したカメラが各地で作られていた。「牡丹」もそのひとつ。話によると、海鴎の2眼レフと牡丹の2眼レフの部品はレンズも含めて同じ工場で作られていたらしい。牡丹を買った店では、写りも海鴎とほぼ変わらないと言われた。
写真仲間は「やはり海鴎のほうが写りがよい。」という。でも実のところ、カメラ屋の店長も、写真仲間も自分ではどちらも使ったことがないのだ。
それならば、自分で確かめてみよう。いつもの露出、同じフィルム、同じような光の状態で、学校の行き帰りを利用して街を撮影した。使い買ってはほぼ同じ。海鴎のほうがファンダーが明るく、ピントが合わせやすい。
モノクロのベタ焼きで比較したところ、海鴎のほうが描写が細かくてトーンが豊かな感じだ。質感がよく出ている。
牡丹でポジフィルムを使ってみたところ、意外に悪くない。トーンの落ち方が激しい分、メリハリが強く感じられインパクトが強い。上手く使うことができれば、面白いかもしれない。
使い慣れたローライコードと比べてみると、やはりコードのほうが上手だ。もっとも値段が10倍くらい違うので、比べる方が間違っている。では、10倍も描写に違いがあるかというと、海鴎はそこまで差は感じられない。大きく引き伸ばしてみると、もっと差がはっきりするかもしれないが。
中国カメラは意外と面白い。実はもうひとつ気になっている2眼レフがある。「珠江」というカメラ。かつて輸出用として作られ、レンズはドイツ製で研磨と組み立ては中国で行っていたとか。ネットの掲示板では、海鴎よりも描写が細かいという人もいる。中古カメラやでは200元(3000円)ぐらいで手に入る。状態のよさそうなのを見つけたら、買ってしまうかもしれない。(写真:右からローライコード、海鴎、牡丹。見た目はそっくり。中国カメラは漢字がかっこいい。)


中国カメラ(その1)長城SZ-2

2006-06-24 02:52:36 | 留学生活
先週、家庭教師をしてくれている友人が「使い方が分からないから」といって、中国の古いカメラをプレゼントしてくれた。叔父さんから譲られたものらしい。「電池が見つからない」と友人は不思議がっていたが、露出計はついていないので、電池は必要ないようだ。よくみると、フィルムの巻き上げレバーもついていない。空シャッターもきれない。壊れているのかな?と思いながらしばらくいじってみたが、よく分からない。写真関係の友だちにも見せたが、やはりよく分からないという。仕方がないので、中古カメラ店で見てもらうことにした。
「壊れてないよ。これはゼンマイ式だから、フィルムを入れたら、ボディの下のノブをとにかく沢山まわすこと。最初にフィルムが全部巻き上げて、撮る度にフィルムがパトローネに入っていく仕組みになっているのよ。」20代中ほどの女性店員が、私はプロよ、という感じで説明してくれた。早速フィルムをいれて、ノブを回すと確かにシャッターを切った瞬間に、フィルムが巻き上がる。おぉ、すごい。ゼンマイ式のカメラを使うのは初めてだ。ゼンマイの音が小気味よい。街を歩きながらリズムよく撮影できる。2眼レフやデジカメとは、違った楽しさがある。でもあの店員、自信満々だったけど、「パトローネに入っていく仕組み」というのは間違い。ゼンマイはフィルムを巻き上げるけど、巻き戻してはくれない。
肝心の写りはというと、これが意外とよい。逆光には弱いし、時々フレアが盛大に出るが、色乗りとシャープさは悪くない。露出を少し暗めにすれば、かなりいい感じで写りそうだ。実は先日買った中国製2眼レフがいまいちだったので、まったく期待していなかっただけに、かなり嬉しい。暑い暑い北京の夏を撮る楽しみがひとつ増えた。(写真:角張ったデザインと重量感が好ましい。中国製のゼンマイ式カメラは、長城SZシリーズだけ。シリーズと言っても1と2しかない。70年代後半から80年代にかけて北京のメーカーが生産。)

授業も残りわずか

2006-06-23 20:23:52 | 留学生活
ここ数ヶ月、ほぼ毎日作文を書き、授業中に添削してもらっている。毎回新しい話題を探し、大学ノート2ページ分の作文をするのは結構骨が折れる。いままであまり気にしたことのない話題は、ネット検索で情報を集めている。中国語のサイトを検索すれば、辞書に載っていない特殊な単語も調べることもできる。
例えば、納豆に含まれる「ナットウキナーゼ」は「血栓溶解酵素」。コレステロールは「胆固醇」。
食や健康に関する話題は、老師も興味があるようだ。マグロの効能を説明した時には、「マグロはそんなに健康によいのか」とずいぶん感心し、帰宅途中でマグロの缶詰を買ったらしい。
マンツーマンのレッスンも残り1週間。老師からは、残りの1週間で、できるだけ沢山のことを説明するから、帰国後勉強を続けるようにと言われている。帰国の準備と帰国後の段取りを考えなければいけない時期が来てしまった。
(写真:教室の時計。北京はもう真夏。午後の日差しはとても強い。)


就職難?

2006-06-04 01:53:57 | 留学生活
写真仲間のひとりが北京に帰って来た。久しぶりの再会、話に花が咲いた。
彼は1月に故郷の西安に帰ったが、気に入った仕事が見つからず、その次は上海へ。上海では、広告制作会社をいくつかあたってみたが、よい結果が得られなかったようだ。話によると、上海では日本語できると就職に大変有利らしい。カメラマンの職種に応募して来る人の多くが日本語ができるとのこと。
写真の技術をもっていて、なおかつ日本語ができる中国人がそんなにたくさんいるのだろうか。ちょっと想像しがたい。もっとも言葉ができるというのには、いろんなレベルがある。自分の身に置き換えると、「中国語できます。」と胸を張るのは気が引けてしまうが。
友人は仕事探しが上手く行かないのと物価が高いということで、上海に見切りをつけ北京に戻って来たらしい。もうひとり、今日知り合った友人も職探し中。彼の奥さんは日本語ペラペラで日系企業に勤めているらしい。
日本では中国の経済発展が話題になるけれど、北京では誰もが職探しは難しいという。意外にも就職難なのだ。友人が戻って来たのは嬉しいが、仕事探しの件ちょっと心配だな。
(写真:家の近くの歩道橋から。友人によると、リコーのGRDは中国でも玄人受けしているらしい。肩から下げてカメラ店にはいると、店員の女の子に「GRDね」と声をかけられた。ここで買ったんだよ、というと、「あら」と口元がほころんだ。)