政治の世界というものは二つのタイプに分かれるという。西郷タイプか大久保タイプだ。
西郷は、パイオニア、人望も厚く人の気持ちを熱くさせる何かをもった、いわゆるカリスマ性
豊かな熱血漢である。怒涛のようにめまぐるしく世の中が動く時、人心を一つにまとめる力は
彼の右に出る者は居なかったであろう。しかし、世の中から共通の敵が消え、目的が達成され
た後の西郷という人物は必要のないタイプになってゆくのだ。
大久保タイプは事務屋である。常に、ナンバー2の位置に身を置いて、決して矢面には立たな
い。激しい風当たりを上手にかわしながら集団を後ろから操作する、いわゆる策士である。
細身の体で何喰わぬ様相ながらも、ちゃんと自分の着地地点を用意しながら動く、冷血な人物
である。そして、必ずと言っていいほどに、こういうやからが生き残るのだ。
政治の世界では、のらりくらり、右や左の判断をしないで、優柔不断と見せつつも裏ではしっ
かりと自分の位置を確保している奴は政治生命が長い。
それは、明治維新に限らず日本という国の場合、いつの時代にもこういう形で終始してきた。
ブルトーザーのように土砂を強引にかき分ける先駆者も欲しいが、最後は、丁寧に後処理をや
ってのけて整地してゆくローラーみたいな人物が漁夫の利を得るのだろう。
多くの人が西郷は好きだと言うだろう。大久保を好きだという人は少ないのではないだろうか。
二人は、一方は政治の共通の敵とされて抹殺され、他方は不平分子に暗殺されて命を落として
いる。
さて、変革を要求される時代には西郷の出現を人々は望む。
変革は、過去の延長線上には無い。時に、改革は大きな労力を要し痛みを伴うものである。
最初から事務屋が出てきて変化して行くものではない。その程度で済むならば、それは変革で
はない。
渦の中にあって、冷静沈着にことを推し進めるには忍耐力が欲しい。白黒の態度を明かさずに
ことを成就させることは容易なことではない。時には友人をも騙しながらも意中の大事をなし
とげるなどということも尋常なことではない。
ただ、渦の外ではなかなかことを成し得ない。
私は、何も一国の政治を語ろうとしているのではない。
伝統ある「祭り」をどのように改革するか・・・それを言いたいのだ。
西郷は、パイオニア、人望も厚く人の気持ちを熱くさせる何かをもった、いわゆるカリスマ性
豊かな熱血漢である。怒涛のようにめまぐるしく世の中が動く時、人心を一つにまとめる力は
彼の右に出る者は居なかったであろう。しかし、世の中から共通の敵が消え、目的が達成され
た後の西郷という人物は必要のないタイプになってゆくのだ。
大久保タイプは事務屋である。常に、ナンバー2の位置に身を置いて、決して矢面には立たな
い。激しい風当たりを上手にかわしながら集団を後ろから操作する、いわゆる策士である。
細身の体で何喰わぬ様相ながらも、ちゃんと自分の着地地点を用意しながら動く、冷血な人物
である。そして、必ずと言っていいほどに、こういうやからが生き残るのだ。
政治の世界では、のらりくらり、右や左の判断をしないで、優柔不断と見せつつも裏ではしっ
かりと自分の位置を確保している奴は政治生命が長い。
それは、明治維新に限らず日本という国の場合、いつの時代にもこういう形で終始してきた。
ブルトーザーのように土砂を強引にかき分ける先駆者も欲しいが、最後は、丁寧に後処理をや
ってのけて整地してゆくローラーみたいな人物が漁夫の利を得るのだろう。
多くの人が西郷は好きだと言うだろう。大久保を好きだという人は少ないのではないだろうか。
二人は、一方は政治の共通の敵とされて抹殺され、他方は不平分子に暗殺されて命を落として
いる。
さて、変革を要求される時代には西郷の出現を人々は望む。
変革は、過去の延長線上には無い。時に、改革は大きな労力を要し痛みを伴うものである。
最初から事務屋が出てきて変化して行くものではない。その程度で済むならば、それは変革で
はない。
渦の中にあって、冷静沈着にことを推し進めるには忍耐力が欲しい。白黒の態度を明かさずに
ことを成就させることは容易なことではない。時には友人をも騙しながらも意中の大事をなし
とげるなどということも尋常なことではない。
ただ、渦の外ではなかなかことを成し得ない。
私は、何も一国の政治を語ろうとしているのではない。
伝統ある「祭り」をどのように改革するか・・・それを言いたいのだ。
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