「装填された銃としての生き方」というキイワードも胸に迫る原作「クロスファイア」は、才人金子修介監督の技を以ってしても、充分に納得できる映画にはなりきれなかった。
スティーブン・キング(「ファイアスターター」)へのオマージュとして書かれた宮部みゆきの原作小説はノベルズ(または厚めの文庫)上・下巻の分量だし、原作の前編に当たる「燔祭」(超能力もの中・短編集「鳩笛草」所収)の内容も盛り込んで二時間サイズの映画にしたのだから、仕方がないという気もする。
しかし、それはちょうど「ファイアスターター」の映画化作品、「炎の少女チャーリー」(ドリュー・バリモア主演 マーク・L・レスター監督)が原作ファンを絶望のどん底に突き落としたのに比べられよう。まあ、その比較でいうと、映画「クロスファイア」の方がずっと面白い映画ではある。
さてさて。
今回の主題はもう少しひねったところにある。宮部みゆきは、わたしの友人の、高校時代の友人の妹だ。(これは、まるで関係がないということである。そんなことはわかっている。ただ、世代的にとても近いということを確認しただけ。読書経験や映画経験がかなり重複しているだろうということを確認したかっただけ)。
そして、宮部みゆきのキング好き(小野不由美=「屍鬼」=も、恩田陸あたりも、キングは好きなようだが)の、恐らくスタート・ラインの部分には、ブライアン・デ・パルマ監督の「キャリー」があるんじゃないだろうか。
映画「キャリー」→原作「キャリー」→「呪われた町」→映画「シャイニング」→原作「シャイニング」→原作「ファイアスターター」……
こんな感じのキング体験が、若干の前後はあっても、宮部みゆきにもあっただろうな、と思うわけだ。
そこで、クロスファイア前編「燔祭」だ。パイロキネシス(念力発火)能力者ということでは「ファイアスターター」だが、念動者としての「キャリー」も宮部みゆきの頭には浮かんだのじゃないだろうか。
それゆえの「燔祭」。燔祭とは拝火教(ゾロアスター教)の祭祀のことである。そして燔祭のことを英語ではBurnt offeringsという。Burnt offeringsという題名の映画がある。監督はダン・カーチス。カレン・ブラックとオリバー・リードが出ているだけで、もう、ホラーだよな。日本公開題名は「家」。そう。ユナイト・パラサイコ・シリーズとして公開された、「キャリー」に次ぐ第2弾である。
こう、想像するのだ。高校生くらいのころの宮部みゆきが「キャリー」に感動、「家」も見に行った。パンフレットで、原題Burnt offeringsが拝火教の燔祭のことだと知る。「ファイアスターター」ばりの小説を書くとき、これを題名とした……。
ありそうな話だと思いませんか?
*同じくキング原作で、ディーノ・デ・ラウレンティス製作のオムニバス映画「キャッツアイ」に、ドリュー・バリモアが続いて出演しているのは、たしかスティーブン・キングが、「炎の…」の酷さに怒りつつも、ドリュー・バリモアをより愛らしく活かせる映画をと望んで、手を貸した……という感じだったんじゃなかったかしら?
*ゾロアスターのドイツ語読みが「ツァラトゥストラ」。哲人ニーチェの「ツァラトゥストラはかく語りき」。そして、リヒャルト・シュトラウスの交響詩の序奏。「2001年宇宙の旅」。すなわち「宇宙のオデッセイ:2001」。そして「オデッセイア」……と、まあ、思考のしりとりをするとまたネタが浮かぶかも知れません。わたしの思考回路はこんな感じなんです。
スティーブン・キング(「ファイアスターター」)へのオマージュとして書かれた宮部みゆきの原作小説はノベルズ(または厚めの文庫)上・下巻の分量だし、原作の前編に当たる「燔祭」(超能力もの中・短編集「鳩笛草」所収)の内容も盛り込んで二時間サイズの映画にしたのだから、仕方がないという気もする。
しかし、それはちょうど「ファイアスターター」の映画化作品、「炎の少女チャーリー」(ドリュー・バリモア主演 マーク・L・レスター監督)が原作ファンを絶望のどん底に突き落としたのに比べられよう。まあ、その比較でいうと、映画「クロスファイア」の方がずっと面白い映画ではある。
さてさて。
今回の主題はもう少しひねったところにある。宮部みゆきは、わたしの友人の、高校時代の友人の妹だ。(これは、まるで関係がないということである。そんなことはわかっている。ただ、世代的にとても近いということを確認しただけ。読書経験や映画経験がかなり重複しているだろうということを確認したかっただけ)。
そして、宮部みゆきのキング好き(小野不由美=「屍鬼」=も、恩田陸あたりも、キングは好きなようだが)の、恐らくスタート・ラインの部分には、ブライアン・デ・パルマ監督の「キャリー」があるんじゃないだろうか。
映画「キャリー」→原作「キャリー」→「呪われた町」→映画「シャイニング」→原作「シャイニング」→原作「ファイアスターター」……
こんな感じのキング体験が、若干の前後はあっても、宮部みゆきにもあっただろうな、と思うわけだ。
そこで、クロスファイア前編「燔祭」だ。パイロキネシス(念力発火)能力者ということでは「ファイアスターター」だが、念動者としての「キャリー」も宮部みゆきの頭には浮かんだのじゃないだろうか。
それゆえの「燔祭」。燔祭とは拝火教(ゾロアスター教)の祭祀のことである。そして燔祭のことを英語ではBurnt offeringsという。Burnt offeringsという題名の映画がある。監督はダン・カーチス。カレン・ブラックとオリバー・リードが出ているだけで、もう、ホラーだよな。日本公開題名は「家」。そう。ユナイト・パラサイコ・シリーズとして公開された、「キャリー」に次ぐ第2弾である。
こう、想像するのだ。高校生くらいのころの宮部みゆきが「キャリー」に感動、「家」も見に行った。パンフレットで、原題Burnt offeringsが拝火教の燔祭のことだと知る。「ファイアスターター」ばりの小説を書くとき、これを題名とした……。
ありそうな話だと思いませんか?
*同じくキング原作で、ディーノ・デ・ラウレンティス製作のオムニバス映画「キャッツアイ」に、ドリュー・バリモアが続いて出演しているのは、たしかスティーブン・キングが、「炎の…」の酷さに怒りつつも、ドリュー・バリモアをより愛らしく活かせる映画をと望んで、手を貸した……という感じだったんじゃなかったかしら?
*ゾロアスターのドイツ語読みが「ツァラトゥストラ」。哲人ニーチェの「ツァラトゥストラはかく語りき」。そして、リヒャルト・シュトラウスの交響詩の序奏。「2001年宇宙の旅」。すなわち「宇宙のオデッセイ:2001」。そして「オデッセイア」……と、まあ、思考のしりとりをするとまたネタが浮かぶかも知れません。わたしの思考回路はこんな感じなんです。