大判カメラ日記。

ワイズクリエイト オフィス・木戸嘉一のブログです。

本郷菊坂・下道の宮沢賢治旧居の昔写真を入手!

2011年01月06日 | 日記
本郷に菊坂と言う有名な坂がある。本郷通りの文京センタービルの北横から西方1丁目の台地の下までの長いだらだら坂を言っているが、昔は「此辺一円に菊畑有之、菊花を作り候者多住居仕候に付き、同所の坂を菊坂と唱え。」と菊畑が在った事からが由来らしい。更にこの菊坂に沿って川が流れっていたと言う。この川の流れが菊坂より一段下がって菊坂に平行する。これが今では測道となり、いつしか菊坂・下道と言う様になった。この菊坂・下道沿いに樋口一葉や宮沢賢治の旧居が在った事は有名だ。樋口一葉の旧居は今でもその原形をとどめており、この場所に立ち入ると昔にタイムスリップした様な感覚に襲われる。さて話は宮沢賢治旧居だが、こちらは残念ながら正確には「旧居跡」の表示となってしまう。宮沢賢治は岩手県花巻市から大正10年25歳の時に上京した。東京大学赤門前にあった騰写版印刷の「文信社」で筆耕、校正などで自活し街頭で日蓮宗の布教活動をしていた。この時期に間借りした家が平成2年末まで残っていた。長泉寺の門の前菊坂上通りから石段を下った下道の真向いにあった二軒長屋の左側の二階6畳間に住んでいたのだ。今は写真(中)の鉄筋マンションになってしまい、写真(上)の案内板のみの表示となっている。二軒長屋時代の記録写真は数少なく、あってもモノクロ写真だったりしていた。ところがである、この二軒長屋の大家さんにあたる方の親族がワイズのスタッフの鈴木英男氏であったのだ。先日この鈴木氏より写真(下)を見せて頂いた。確かに宮沢賢治の旧居である木造長屋が撮影されているのだ。因みに長屋前の子供は鈴木氏の姪っ子で、この子供を撮影したスナップ写真だったのでもある。この写真を見ていると本当に「写真」の醍醐味のひとつは記録であることを今更のように感じてしまった。あなたはこの写真を見てどの様に思われますか?写真って凄いと思いませんか!貴重な写真ですのでこの情景を頭に入れて本郷・菊坂散策をお楽しみ下さい。(写真は鈴木英男氏了解で掲載)