映画で楽しむ世界史

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日本が誇る名画「ビルマの竪琴」

2010-12-26 12:52:06 | 舞台は東アジア・中国
市川昆監督記念
日本が誇れる秀作だが、この映画は全くのフィクション・・・原作者の竹山氏にとっては、何らかのヒントはあったであろうが。ともあれ日本人の心性をよく描いている。戦後の日本人の心に何とも言えぬ「救い」を齎したのではなかろうか。

ともあれ、映画の背景をなす状況を理解しておきたくて、ビルマ史を駆け足でまとめると・・・・

ビルマ最後の王朝コンバウン朝は西欧の植民地政策に抵抗心強く、英領インド・ベンガル地方の帰属を巡って三次にわたる「英緬戦争」を戦い、1885年に滅亡する。

① 第一次英緬戦争(1824年から1826年)では、ビルマがイギリスに対してベンガル地方の割譲を要求、イギリス側が拒否すると武力に訴えたが敗れた。
② 第二次英緬戦争(1852年)はイギリスの挑発で引き起こされ、ビルマは国土の半分を失い、1858年から3年かけて新首都マンダレーを建設・遷都する。
③ 第三次英緬戦争(1885年)で王朝は滅亡し、1886年に、英領インドに併合されてその1州となる。ティーボー・ミン国王 (Thibaw Min) と王の家族はインドのゴアに近いラトナギリに配流され、その地で死亡した。


ビルマ原住民たちの対英独立運動は第一次世界大戦中にはじまり、世界大恐慌以後若い知識層の間に広まった。 1930年にはタヤワディ地方で、農民が武装蜂起を行い、下ミャンマー全域に広がったが1931年半ばに鎮圧された。

しかし、風雲急を告げるヨーロッパ情勢のあおりで(ナチスドイツ)、イギリスは徐々にアジアから手を引かざるをえず、ビルマも1937年、その流れのなかで独立を許されイギリス連邦内の自治領になるが、

1941年より日本の「大東亜共栄圏構想」に絡んですく。

①日本軍が戦争の名目に掲げた「アジアの解放」に呼応して、1942年アウンサンがビルマ独立義勇軍を率い日本軍と共に戦いイギリス軍を駆逐(ビルマ戦役の始まり)し、

②1943年には日本の後押しでバー・モウを元首とするビルマ国が建国された。

③その後の日本軍の敗色、特にインパール作戦の失敗を見るに、アウンサンが指揮するビルマ国民軍は1945年3月、日本及びその指導下にあるビルマ国政府に対してクーデターを起こしイギリス側に寝返る。

④ビルマ軍は英米軍の後押しで対日戦勝、そして親日のビルマ国政府は日本に亡命する。
しかし、ビルマは独立を許さず、再びイギリス領となってしまう。

⑤戦後1948年、ビルマ連邦が独立。現在のミャンマー国軍は1942年のビルマ独立義勇軍健軍をもって国軍建軍とし、戦時中の親日政府は公認されていない。


以上は駆け足ダイジェストだが、実際のビルマ(現ミャンマー)の政治状況は複雑・怪奇。

とてもまとめ切れないが・・・
1948年のイギリスからの独立直前の1947年7月19日、独立の英雄にアウンサンは何者かに暗殺され・・・独立直後から人種問題が表面化するし(カレン人が自主独立闘争)・・・中国の国共内戦の状況の影響をまともに受け、国内騒然、とても一つの国家にまとまる状況ではない。


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