映画で楽しむ世界史

映画、演劇、オペラを題材に世界史を学ぶ、語ることが楽しくなりました

「進め!ベンガル連隊」「インドへの道」

2010-12-26 18:23:41 | 舞台は中央アジア・インド

大英帝国の乳牛 インド

1、インド理解の難しさ

日本人にとって近いはずなのに(なにせお釈迦様を生んだ土地)、最も理解しがたい国それがインド。なぜって?一言で言って、近代日本人が馴染んできた西洋思想による近代化が最も当てはまらない、別の間尺を持たないとまったくわからない。

「映画で楽しむ世界史」は基調として、キリスト教をはじめとする一神教に疑問を呈し続けたが、ところ変わってアジアの「インド」を考えるとなると・・・バラモン教とそれが発展土着したヒンドゥー教の多神教信仰に疑問を呈さざるを得ない。

この宗教の奥義は、宇宙の根本原理「梵=ブラフマン」と自我の根本原理「我=アートマン」が究極的には同一である(梵我一如)ということを悟ることによって解脱の境地に到達することができる、霊魂は不滅であり、行為(業)の結果によって様々に姿を変えて生まれ変わる(輪廻思想)ということ。

確かにこの思想は素直にとれば「人生無常」を好む日本人には魅力的でもあるのだが、現実には、自己を抑え現状を肯定し人生を諦めという消極的な生き方のほうに作用し易い。そしてこれがインド社会にこびりついてDNAとなった「カースト制度」を支え、社会変動を拒み、近代文明から置き去りにされる大きな要因になると説明されると・・・なんとなく分かったような気になららいだろうか。

2、インド人の抵抗「セポイの反乱

そんなインドは17-18世紀にイギリス、フランスの軍事的経済的侵略に翻弄され、国内地方政権の分裂混乱も加わって領土はまったくの虫食い状態。 1757年「プラッシーの戦い」で、イギリスはフランスとムガール帝国ベンガル州総督の連合軍を破り、インドに於ける派遣を確立する。

そして丁度100年後の1857年、インド人最初、最大規模の反英運動「セポイの乱」が起きる。それを描いた映画が「すすめ!ベンガル連隊」 。

イギリスの東インド会社は軍事力と土侯併合政策によって村落の末端まで支配し、綿花の買い付けを強制するなど搾取を徹底させていて・・・インド人の反英感情が高まっている。

インド人は宗教上の習慣から牛を神聖視して豚を嫌うが・・・東インド会社が雇ったインド兵・・・これをセポイというが・・・のあいだで、銃火器に豚や牛の油を使用しているとの噂がたち、インド兵の抗議を会社側が無視したため、セポイの堪忍袋の緒が」切れる。反乱軍を組織した彼らは、57年5月首都デリーを占領し、農民も参加した反乱軍は「インド人のインド」「ムガール帝国の復興」を叫んで、戦火はインドの三分の二でに及んだ。

イギリスは本国から多数の軍艦を派遣し、ネパールの精悍なグルカ兵を動員し、インド側の不統一と武器不備を突き、デリーを回復、59年4月までにようやく主な反乱を鎮圧し、ムガール皇帝を捕えて退位させ、ムガール帝国を滅亡させる。そしてインド統治の方法を改めるべく1958年に「インド統治法」を成立させ、東インド会社を廃止して政府直轄の「インド帝国」を成立させ、ヴィクトリア女王をインド皇帝を兼ねるという形をとる。

3、「インドへの道

そんなインドを理解しようと西洋人はいろんなアプローチをする。特に宗主国イギリスは王立学会などという学術組織も作って色々研究する。そしてそれが文学や芸術の分野にも広がってゆく。

「インドへの道」という映画は20世紀初頭のイギリスの作家フォースターの小説の映画化。フォースターにはイギリス人特有の上質なヒューマニズムがあり、常に「社会の壁を越えて」お互いに理解し合おうとする人物達を描こうとする。代表作の2作品「インドへの道」と「ハワーズ・エンド」はいずれも映画で見れる。

あらすじは・・・第一次大戦後のインドのチャンドラボア。英国娘アデラはインドで治安判事を務める婚約者ロニーを訪ねる。彼の母ムーア夫人もアデラ二同行してくる。東洋の神秘に期待したアデラとムーア夫人は、英国人の優越意識と、それを憎悪するインド人の対立感情の存在を知るのだが、インド人の医師アジズや哲学者ゴッドボール、英国人教授フィールディングなどと知り合う。

数日後、アデラらはアジズの誘いで、マラバー洞窟へ行く。そこで悠久の過去に引きずりこまれるような不思議な気持ちになり、一行とはぐれてしまう。そのことに大騒ぎする婚約者やイギリス側官憲、悪者にされるインド人達、心痛に倒れる母・・・。要は悲しいまでの異文化理解の難しさ、じれったさを描こうとする。しかし、映画では相当の背景理解をもってしても、主人公達の複雑な心理状態は読み取りにくく、映画の限界を感じさせられる。 

 

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