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詩歌の森へ (11) 伊東静雄『春浅き』

2018-06-23 09:51:02 | 詩歌の森へ

詩歌の森へ (11) 伊東静雄『春浅き』

2018.6.23


 

  春浅き


あゝ暗(くら)と まみひそめ
をさなきものの
室に入りくる

いつ暮れし
机のほとり
ひぢつきてわれ幾刻をありけむ

ひとりして摘みけりと
ほこりがほ子が差しいだす
あはれ野の草の一握り

その花の名をいへといふなり
わが子よかの野の上は
なほひかりありしや

目とむれば
げに花ともいへぬ
花著(つ)けり

春浅き雑草の
固くいとちさき
実ににたる花の数なり

名をいへと汝(なれ)はせがめど
いかにせむ
ちちは知らざり

すべなしや
わが子よ さなりこは
しろ花 黄い花とぞいふ

そをききて点頭(うなづ)ける
をさなきものの
あはれなるこころ足らひは

しろばな きいばな
こゑ高くうたになしつつ
走りさる ははのゐる厨(くりや)の方(かた)へ

 


 伊東静雄の詩を初めて読んだのは、高校1年か2年かの国語の教科書だった。載っていたのは、『夏の終り』という詩だったが、透明な空気の中を、はぐれ雲が「さよなら、さやうなら」といいながら去って行くイメージに、ひどく心をひかれた。

 それで、新潮文庫の『伊東静雄詩集』を買い求め、ずいぶん熱心に読んだものだ。それ以来の付き合いである。

 書道を始めてから、何度か、伊東静雄の詩を書いて書展に出品したりした。難解な詩でも、なんか書にすると、わかったような気持ちになれる。もっとも、それは自分だけのことだが。

 『夏の終り』は、平明な詩だが、伊藤の詩は、多く難解である。簡単には意味が通じないように敢えて難解に書いているふしがある。そういう詩も、ぼくは好きなのだが、ここに引いた『春浅き」のような詩も大好きだ。

 この詩は、文語で書かれていて、ちょっと難しそうだが、内容は平易だ。書斎で肘をついてぼんやりしていた父のところへ、外であそんでいた子どもが、手に花を持って入ってくる。そしてその花の名前を教えてくれとせがむのだ。けれども、父は、名前を知らない。それで、「しろばな・きいばな」だと適当に答えると、子どもは満足して、その名前をうたいながら、母のいる台所のほうへ走りさった、という内容だ。

 明るい外から、薄暗い室内への明暗の対比、あどけない子どもの心と、どこか鬱屈した父の心との対比、それを結ぶのが、地味な野草の「実に似た固い花」だ。けれども、これは、父と子の心の交流を描いているのではない。むしろ、越えがたい断絶をこそ描いているように思えてならない。

 どうして、そう感じるのか。それは、「わが子よかの野の上は/なほひかりありしや」の2行からくる。この2行がなければ、この詩は、父と子の微笑ましい光景を描いたものとして完結してしまう。けれども、この2行があるために、この詩は、無限の深みを持つのだ。

 「あゝ暗と まみひそめ/をさなきものの/室に入りくる」からして、そういう目で読むと、悲痛な響きがある。「あゝ暗」という子どもの言葉で、父は、室内の暗さに気づく。「いつ暮れし/机のほとり/ひぢつきてわれ幾時をありけむ」というわけだ。この時、父は何を考えていたのだろうか。

 おそらくは明るい「ははのゐる厨の方へ」走り去った子どもを見送った父は、それから、ひとり、何を思い、何を考えていたのだろうか。





 


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詩歌の森へ (10) 佐藤春夫『少年の日』

2018-06-10 15:26:06 | 詩歌の森へ

詩歌の森へ (10) 佐藤春夫『少年の日』

2018.6.10


 

  少年の日


野ゆき山ゆき海辺ゆき
真ひるの丘べ花を敷き
つぶら瞳の君ゆゑに
うれひは青し海よりも。

影おほき林をたどり
夢ふかきみ瞳を恋ひ
あたたかき真昼の丘べ
花を敷き、あはれ若き日。

君が瞳はつぶらにて
君が心は知りがたし。
君をはなれて唯ひとり
月夜の海に石を投ぐ。

君は夜な夜な毛糸編む
銀の編み棒に編む糸は
かぐろなる糸あかき糸
そのラムプ敷き誰(た)がものぞ。



 佐藤春夫というと、『秋刀魚の歌』が有名で、それ以外の詩はあんまり読まれていない。というか、それも昔の話で、佐藤春夫という詩人・小説家自体が、ほとんど忘れられているような気もする。『秋刀魚の歌』だって、昨今では、ほとんど引用されることがない。その挙げ句、サンマの不漁が続いていて、だんだん庶民の食べ物ではなくなりつつあるから、「サンマ苦いかしょっぱいか」なんてフレーズも、やがてはさっぱり現実感のないものになっていくのかもしれない。

 何を言っても老人の繰り言になる。「平成」となってから既に30年。そして、その「平成」も終わってしまう。そんな時代に、佐藤春夫がどうだこうだと言ってみてもはじまらない。しかし、はじまろうが、はじまらなかろうが、そんなことは知ったことではない。老人の繰り言だろうが、なんだろうが、いいものは、いい。ただ、それだけのことだ。なんて力むこもないけど。。

 この『少年の日』の第1連の素晴らしさは、筆舌に尽くしがたい。何がいいか? リズムである。日本の近代詩で「リズム」といえば、五七調や、七五調がその代表。この詩も七五調と五七調なのだが、第1連の第1行に、強烈なインパクトがある。「野ゆき山ゆき海辺ゆき」は「野ゆき山ゆき・海辺ゆき」と区切れば7・5だが、その7の部分が「野ゆき・山ゆき」と更に切れていることで、「3→4→5」と、クレッシェンドするようなリズムを生み出している。このリズムは、この少年の心の高ぶりそのものといってよく、この絶妙なリズムによって、初恋の少女を思いながら、自然の中をさまよい、駆け抜ける少年の姿が象徴的に表現されているのである。

 「少年・少女」というものは、人間の中でも独特な存在で、体や精神の一部に「自然」を色濃く蔵している。いわゆる「大人」は、この体内の「自然性」を失うことで、その「大人」たる資格を持つようになる。だから、「少年・少女」は、「自然」の中にいてこそ、その独自な輝きを増すのではなかろうか。

 と、ここまで書いて、そうだ、あの詩も、実はこの詩に触発されて書いたのではなかったかと思い出した詩がある。佐藤春夫と並べるのは、実に畏れ多いことだが、ぼくが高校3年の時に書いた詩だ。

 


  走る少年


少年は
森の中を走る
朝露にぬれた下草を
そのやわらかい足でふんで走る
するどい朝の光線と
キンキンひびくミソサザイの歌を
背に受けて
全身の力を手と足にこめて走る
七色にかがやくしずくが
少年の額からとびちっていく
少年はなおも走る
静かな森に
少年の足音だけがこだまする
少年は走らずにはいられない
走って、走って、走りつづけて
深い、深い森の、いちばん奥に
すいこまれること
ただそれだけを夢見て
少年は
走る



 拙い詩だが、これを高3の受験勉強の真っ只中に書いて、旺文社の「蛍雪時代」に投稿したら、入選してしまった。これが、ぼくの詩が雑誌に載った最初で最後である。選者は歌人の木俣修だったと記憶する。(つい最近まで切り抜きを大事に保管していたのに、今探したら、ない。ま、いいや。)

 この詩においても、「少年」は、自然の中に溶け込んでいる。そして、その中を「走って」いる。こうした感覚を、大人になると、いつの間にか失ってしまうものだ。

 もう一つ、この佐藤春夫の詩を読むたびに思い出すのは、万葉集の額田王の「あかねさす紫野ゆき標野(しめの)ゆき野守は見ずや君が袖振る」という歌だ。佐藤春夫も、きっとこの歌があるから、このフレーズを思いついたのではなかろうか。「紫野ゆき標野ゆき」における「ゆき」のリフレーンは、この詩の中にも響いている。

 さて、第2連。ここで、急に五七調になる。七五調と五七調ではどう違うのかという問題は、なかなか理屈では説明出来ない問題で、感じるしかないのだが、一般的に言われているのは、七五調は、流麗で、五七調は、荘重ということだ。声に出して読めばすぐに分かるが、第1連の流れるような軽快なリズムは、第2連では、急に速度を落として、重くなる。

 「影おほき林をたどり/夢ふかきみ瞳を恋ひ」で、歩調はぐっと遅くなり、思いはぐっと瞑想的になる。この転換・転調が素晴らしい。「影おほき林」は、少年のほの暗い内面であり、その暗さが、「夢ふかきみ瞳」への「恋」となる。この「瞳」の「深さ」は、第1連の「つぶら瞳の君ゆゑに/うれひは青し海よりも」と見事に呼応する。

 第3連、第4連は、やや通俗に流れたが、それも仕方ないだろう。全部が全部、完璧とはいかないし、それでは息がつまる。

 佐藤春夫の詩が、額田王の歌につながり(春夫が意識したかどうかは別にして)、それが、末端のぼくの詩につながり、なんてことを考えると、なんだか楽しい。「言葉」は共有物であるために、つながりを意識しやすい。「パクリ」だとか言わないで、「つながり」だと思いたいものである。




 


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詩歌の森へ (9) 立原道造『わかれる昼に』

2018-05-30 10:30:05 | 詩歌の森へ

詩歌の森へ (9) 立原道造『わかれる昼に』

2018.5.30


 

   わかれる昼に


ゆさぶれ 青い梢を
もぎとれ 青い木の実を
ひとよ 昼はとほく澄みわたるので
私のかへつて行く故里が どこかにとほくあるやうだ

何もみな うつとりと今は親切にしてくれる
追憶よりも淡く すこしもちがはない静かさで
単調な 浮雲と風のもつれあひも
きのふの私のうたつてゐたままに

弱い心を 投げあげろ
噛みすてた青くさい核(たね)を放るやうに
ゆさぶれ ゆさぶれ

ひとよ
いろいろなものがやさしく見いるので
唇を噛んで 私は憤ることが出来ないやうだ



 立原道造というと、熱狂的なファンがいる一方で、ロマンチックすぎて、ついていけないという感じがする人も多いだろう。詩人というものは、多かれ少なかれ、ロマンチックなもので、散文的な詩人などというものは、熱い雪のようなもので、実際にはありえない。

 しかし、ロマンチックということとセンチメンタルということには、かなりの違いがあって、生ぬるいロマンチックがセンチメンタルということなのかもしれない。センチメンタルっていうのは、結局のところ、感情の表面だけで酔ってるようなもので、なんら魂の奥底まで染み渡る情緒がない。

 夕暮れに、別れた彼女を思い出して悲しくなるのがセンチメンタルで、夕暮れに、死んだ恋人の行方に思いを馳せるのがロマンチックである、なんていうのは間違いだろうか。センチメンタルは、感情の揺らめきにすぎないから、その場にとどまるけれど、ロマンチックは、なにか目に見えないものへの「あこがれ」だから、常に現実を越えていこうとする。

 そんなふうに考えてみると、立原の詩を読んで、その甘い情緒に心ひかれはするが、どこか不満が残るのは、やはり根本的に彼の詩がセンチメンタルにとどまるだからだろう。

 そこへいくと、萩原朔太郎の詩は、どうしようもなくセンチメンタルであるように見えながら、常に、彼の思いは「ここではないどこか」を激しく希求している点で、極めてロマンチックなのである。

 そうした道造のセンチメンタルな詩の中でも、この「わかれる昼に」は、彼には珍しい口調の激しさで、おっ! って思わせる。「ゆさぶれ」「もぎとれ」「弱い心を投げあげろ」などの命令口調は、いつもは優しいイケメンが、突然激しい怒りをあらわにしたような、魅力がある。

 自分の中の弱い心を自ら懸命に叱咤するのだが、それでも、詩人は「憤ることが出来ない」。それを周囲のやさしさのせいにする。そこにこそ詩人の弱さがあるのに、それに気づかない。しかも、「憤ることが出来ないやうだ」と、自分の心情を曖昧にしてしまう。本当なら、自分の「憤り」はどこにあるのかを徹底的に追究すべきなのだ。それをしないから、この詩はロマンチックであるまえに、センチメンタルで終わっているのではなかろうか。そんな気がする。

 ぼくが、昔から立原道造に、それほど共感できなかったのは、その辺に理由があるのかもしれない。





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詩歌の森へ (8) 丸山薫『汽車に乗って』

2018-05-27 10:45:58 | 詩歌の森へ

詩歌の森へ (8) 丸山薫『汽車に乗って』

2018.5.27


 

  汽車に乗って


汽車に乗って
あいるらんどのような田舎へ行こう
ひとびとが祭の日傘をくるくるまわし
日が照りながら雨のふる
あいるらんどのような田舎へゆこう
車窓(まど)に映った自分の額を道づれにして
湖水をわたり 隧道(とんねる)をくぐり
珍しい少女や牛の歩いている
あいるらんどのような田舎へゆこう



 高校生の頃、堀辰雄の小説によって、突然文学に目覚めたぼくは、詩のほうも、もっぱら「四季派」のものに親しんだ。三好達治、丸山薫、、立原道造、津村信夫などをずいぶん読んだような気がする。やがて、そうした関係から、萩原朔太郎や室生犀星を知ることになるのだが、何しろ、にわか文学青年の身には、丸山薫の分かりやすい詩が格好の詩への入口だったわけだ。

 この詩とどこで出会ったか、今では記憶にないが、今読むと、なんだかとても懐かしいと同時に、そうか、これは朔太郎の影響下に出来たんだなということがよく分かる。つまり、朔太郎の『旅上』だ。


  旅上


ふらんすへ行きたしと思へども
ふらんすはあまりに遠し
せめては新しき背広をきて
きままなる旅にいでてみん。
汽車が山道をゆくとき
みづいろの窓によりかかりて
われひとりうれしきことをおもはむ
五月の朝のしののめ
うら若草のもえいづる心まかせに。


 文語と口語の違いはあるが「あいるらんど」のひらがな書きは、「ふらんす」からヒントを得たのだろうし、汽車に乗って、窓によりかかって外を見るという構成もまったく同じだ。「本歌取り」といっていいだろう。

 この詩では、「あいるらんど」というひらがな書きと、その音の響きが、この詩のすべてと言ってもいい。「ふらんす」以上のインパクトがある。「るら」というラ行の二文字のつながりが生む、なんともいえない甘ったるい感じ。これが「アイルランド」とカタカナ書きにするとふっと消えてしまう。

 この音が生み出す甘ったるい感じが、風景の中に、シロップのように溶け込んでいき、詩全体に夢みるような童話的なイメージを醸成する。

 朔太郎の場合は、汽車から見える風景に具体性はなく、もっぱら「夢みる自分」が中心だが、薫の場合は、「祭りの日傘」「湖水」「隧道」「珍しい少女や牛」と具体的なイメージを重ねている。そしてそれゆえに、読者も、「あいるらんどのような田舎」を汽車に乗って旅している気分に浸ることができるわけである。

 そうした意味で、いつ読んでも気持ちのいい、心温まる詩だと言えるだろう。

 しかしながら、ひとつ困った問題がある。この丸山薫の詩によって作り出された「あいるらんど」という国のイメージが、現実と甚だしく異なっているということだ。この詩によってイメージされる「牧歌的」な「あいるらんど」は、現実の「アイルランド」が経てきた過酷な歴史を日本人が認識する妨げになってきたような気がするのだ。

 丸山薫がこの詩を書いたとき、アイルランドに行った経験はなかった。このイメージを彼がどこから得たのか分からないが、あくまで想像上の「あいるらんど」であることは間違いない。しかし、読者は、へえ〜、「アイルランド」ってこういうのどかな国なんだあ、と思ってしまう可能性は非常に大きいだろう。現に、ぼくなども、ずいぶん長いこと、「アイルランド」についてのイメージはこうした「のどかな田舎」だった。

 こうした誤解というのは、けっこうあるはずで、最近、やたら外国人が日本にやってきて、ワンダフルとか、クールとかって言ってるらしいのも、誤解としか思えない。誤解でも何でも、外貨が稼げるならいいのかもしれないが、なんか、釈然としないのも事実である。




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詩歌の森へ (7) 室生犀星『寂しき春』

2018-05-05 09:38:02 | 詩歌の森へ

詩歌の森へ (7) 室生犀星『寂しき春』

2018.5.5


 

  寂しき春


したたり止まぬ日のひかり
うつうつまはる水ぐるま
あをぞらに
越後の山も見ゆるぞ
さびしいぞ

一日もの言はず
野にいでてあゆめば
菜種のはなは波をつくりて
いまははや
しんにさびしいぞ


    『抒情小曲集』所収

 


 犀星が、前橋に朔太郎を初めて訪ねたのは、大正3年の2月。犀星26歳、朔太郎29歳。犀星は、この時、前橋におよそ1ヶ月滞在したのだが、この詩は、その時期に作られたとされている。

 こうした事情を背景にしてこの詩を読むのと、まったくそうした背景を知らずにこの詩を読むのとでは、詩の味わいはまったく違ったものとなる。
ぼくが大学生だったころは、「分析批評」とか「テキストクリティーク」とかいった考えかたが全盛のころで、要するに、「作品」の独立性が重んじられ、作者とか時代背景とかを作品の評価と結びつけるべきではないとされた。

 たとえば、この『寂しき春』という詩を鑑賞するにあたって、作者の犀星がどういうところに生まれ育ち、どういう人生を送っていたかなどということとは無関係に味わうべきだというわけである。すると、味わうべきは、言葉だけだということになる。いわば作者から解放された言葉は、読者の無限の想像を呼ぶ。その自由な想像こそ、文学の味わいだということだったのだろうか。ちゃんと勉強してないから詳しいことは知らないが、こうした考えかたはずいぶん新鮮に思え、ぼくもその線で作品を読もうとしたものだ。授業においても、この詩を扱うとしたら、犀星の生まれとか人生とか、故郷とか、朔太郎との交友とか、「余計な」ことは一切説明せずに、この詩の言葉だけを味わわせるようにしようと思ったわけだ。しかし、それも長続きしなかった。それでは、生徒の興味をひくことができないと分かったからだ。

 言葉は人間から発せられる。だから、言葉は、それを発した人間と切り離して考えることはできない。特に、詩は、それも感情の表現を目指した詩は、作者と密接につながっている。

 おなじ「さびしい」でも、犀星の「さびしい」と、朔太郎の「さびしい」では、まったく違う感情を内に含んでいる。その作者の感情を無視して、ただの「さびしい」という言葉だけをとりだしても、何の意味もない。少なくとも、詩を味わったことにはならない。
「さびしいぞ」と二回繰り返され、題も「寂しき春」となっているから、「さびしい」気持ちを表現した詩には違いないのだが、さて、「なぜ寂しいの?」って思うと、これがなかなか難しい。
情景は実に鮮やかに目に浮かぶ。だがその情景と「さびしさ」との関係は、そんなに理解しやすくない。「したたり止まぬ日のひかり/うつうつまはる水ぐるま/あをぞらに/越後の山も見ゆるぞ」、と「さびしいぞ」の間に「だから」を入れても、何にもならない。情景は、「さびしい」という心情の理由ではないのだ。こういうところが詩の難しさで、「だから詩は嫌い」という生徒が圧倒的に多い。特に男子はそうだ。

 詩は理屈じゃないよって言っても、じゃ、なんなの? ってことになって、そこをうまく説明できない。だから多くの国語教師は、詩を教えたがらない。ぼくは詩が好きだったから、教えたがったが、うまくいったためしがない。

 ここは、情景は心情の理由じゃなくて、情景の「中に」心情が埋め込まれているんだ、と説明すればよかったのかもしれない。

 「したたりやまぬ日のひかり」──この表現がすでに、きわめて心情的だ。光が「したたる」というのだから、これは比喩で、光を水にたとえているのだ。空から水がしたたるように、光がずっとさしている、という情景。水から涙を連想するかもしれない。そうなると、空が泣いている、という比喩になっていく。そこまで露骨な比喩として考えなくても、風景が濡れているというイメージでとらえてもいいかもしれない。この詩は最初から、湿度が高いのだ。

 「うつうつまはる水ぐるま」──「うつうつ」は、「うつろ=虚ろ」につながるのか、それともオノマトペなのか。いずれにしても、どことなく物憂げに、眠くなるような音をたてて回っている。その水車を回しているのは、現実的には川の水だろうが、空から流れ落ちる光の水かもしれない、という連想があってもいい。

 そして、遠くに「越後の山」が見えるのだ。ここで越後という具体的な地名が出るので、作者がいる場所が前橋だという実感が出る。前橋から越後の山が実際に見えるのかどうか確かめてないが、まあ、見えるのだろう。その越後の山の向こうには犀星の故郷の金沢がある、ということを思い浮かべる必要がどうしてもある。

 こう読んでくると、犀星の「さびしさ」は、故郷への思いがからんでいることが納得されるだろう。一見明るさに満ちた光景なのだが、作者の心は涙で濡れて、虚ろな思いにはるかな故郷を思っている、なんて考えることができるわけだ。

 こうした鑑賞のしかたは、やはり作品と作者を結びつけなくてはできない。作者と結びつけなければ、「越後の山」は、単なる地名以上のものではないわけだ。

 さて、第2連。こちらは、心情がかなり具体的になってくる。

 「一日もの言はず/野にいでてあゆめば」──朔太郎を尋ねてきたのだが、この日は、朔太郎に用事があって、犀星はひとりで過ごさねばならなかったのだろう。1ヶ月も滞在したのだから、そういう日があるのも当然なのだが、犀星は、ふと、どうしようもない孤独を感じたのだ、と思われる。

 それは、たまたま朔太郎に相手をしてもらえなかったから寂しかった、というのとは違う。もっと深い孤独感がここにはある。

 朔太郎はなぜ犀星とこの日付き合えなかったのか。何か用事があったのだろうが、その用事とはなにか。そんなこと、分かるわけないけど、最近ぼくはこんなふうに思うのだ。

 この日、朔太郎は、妹たちを交えてどこかに出かけるか、家族の行事があったか、とにかく、犀星を同席させることのできない用事があったのではないか。いくら親友でも、どこへでも連れて行くということはできない。といって、歯医者に行くとか、床屋に行くとかいった軽い用事なら、犀星が「一日もの言わず」野原を歩くことにはならない。一日がかりの用事に違いないのだ。

 ここで、犀星の「家庭」と、朔太郎の「家庭」の決定的な違いが問題となる。犀星は、生まれてこのかた「家族」とか「家庭」とかいうものを味わったことがなかった。もちろん「家族総出」の用事など一度たりともなかったのだ。それなのに、今日は、朔太郎は家族とともに過ごしている。たぶん、美人の妹たちも一緒だろう。マンドリンの演奏会かもしれない。その後は、しゃれた食事かもしれない。そこには当然、犀星の入り込む余地はない。朔太郎から離れて野を歩く犀星は、あらためて自分の孤独を実感した。情景は、あくまで明るい春の日だが、犀星の「さびしさ」は底知れないものがある。

 こんなふうな、作者に密着した鑑賞は、この詩の世界を狭くするが、同時に深くもする。いろいろな鑑賞の仕方があっていいのだが、特に犀星の場合は、このほうがしっくりくるのだ。




 

 


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