プルサーマル計画を憂慮する有志の会

原発問題に関して投稿します。

慰謝料打ち切り延期の検討

2014-09-23 10:11:31 | 日記
 原子力損害賠償審査会は、昨年12月の指針で、避難指示解除(当面)1年後に打ち切られるとした慰謝料の打ち切り時期について、避難生活の現状を調査した上で見直すかどうか検討するとのことです。(以下、参照・引用は『朝日新聞』)

 そのため原賠審は、既に解除されている田村市都路地区や10月に解除が決まっている川内村、来春にも解除が見込まれる樽葉町などを、明日訪れ、避難生活や避難による失業や転職による減収、農産物などの被害の状況の実態調査を行うとのことです。

 約半年後の来年3月に慰謝料打ち切りの方針となっている都路地区の住民からは、「1年では短すぎる」と打ち切り時期の見直しを求める声が上がっています。来春以降の帰還を目指す樽葉町の松本町長は、「少なくとも3年間ぐらいはないと困る」と述べています。

 修繕の必要な家が1,800世帯に及ぶ同町では、人手不足などにより工事が大幅に遅れる可能性が高く、川内村でも(二重生活によるものだと思いますが)交通費などの生活費が嵩むなど懸念されており、また事故までの主要な収入源だった農林業も再開は厳しい情況とのことです。解除後1年で元の生活を取り戻すには無理があると思います。

 そして(記事の最後に)避難指示解除後の「慰謝料が続けば、(同じ町民、同じ村民でも)避難指示を受けていない自主避難者らとの経済格差が広がり、『地域の分断が激しくなる』、「自立が遅れる」との懸念も地元にはある」とありました。(自分も多分賠償が貰えなければ不満を感じると思いますが)何故、そうなるのだろうと・・・。

P.S. 線量低くても、(帰還したくない方には)実質的強制的に帰還させられるのならば、被曝という被害を受け続けるわけですから、やはり賠償は必要になると思います。被曝をし続ける限り賠償することはできないとすれば、こうして「打ち切り」の時期が問題になります。3年なら良いのか、復興がなれば被曝の被害は無視されるのか、本来帰還させるべきなのか・・・地域の自立と復興のために、帰りたくない人まで、帰還せざるを得ない状況に追い込む、それで良いのか、避難先で何もすることなく、慰謝料を貰って生きているよりは、自宅に帰って暮らしたほうが良いのか、(私には)よく分かりません・・・

P.S.2 自主避難者に関しては、指示による避難者と同じだけの賠償が為されるべきだと思います。被っている被害に違いがなければ、当然同等の賠償を受ける権利があると思います。しかし、現在の「原賠審」指針では、殆ど賠償されませんから、やはり「裁判」ということになるしかないのかもしれません。いずれにしても、避難している全ての方々が、帰還する、しないにしても、厳しい現実に向き合わざるを得ないということだと思います・・・

P.S.3 今朝の「花子とアン」で、花子が子どもたちを戦場に送ったことを悔いるシーンで、蓮子は「時代の波に飲み込まれていたのは私も同じなの」と告げます。憲兵だった兄やんも、ラジオを通して戦争のニュースを読み続けた花子も、教師として教鞭をとった「あさいち」も、時代に抗った蓮子も(抗うという形で)、皆同じく時代の波に飲み込まざるを得なかったのだと思います。哀しいことだと思います。致し方がないことだとも思います。辛いことだと感じます。それは、いつの時代にも、言えるのだと思います。どのように生きても、逃れられないものがあるように思うのです・・・

by「プルサーマル計画を憂慮する有志の会」 (平成26年9月23日)

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