「福島人権宣言」が宣言されているそうです。同宣言は、福島で法律相談を行なっている東京の弁護士、野村さんが草案を書き、賛同者145人の方で発せられたものです。(以下、骨子をご紹介します。引用は『朝日新聞』)
「私たちは今、大いなる不安の中で生活しています。日々困難な選択を迫られ、精神的にも傷ついています。済み慣れた場所から避難している人も多くいます。原発事故により私たちは多くのものを失いました。もうこれ以上失いたくありません。」
(私たちは)
・健康な体を持ち、福島の自然を愛し、楽しむ生活を送る権利があります。
・財産が放射能汚染で侵害された場合は、完全な補償を求める権利があります。
・私たちが愛した元の福島を返して欲しい。そう主張する権利があります。
・元の福島に戻すことが無理ならば、納得のいくまで、その償いを求める権利があります。
・放射能被害について、納得いくまで情報を得る、知る権利があります。
・避難する、しないを自分で選択する自己決定権があります。
といったものです。
至極当然の権利の主張であり、(極めて困難ではありますが)その実現を強く願いますし、私たちも支援の声を挙げなければならないと感じます。実は同弁護士が、この「宣言」を書くきっかけとなったのが、仮設住宅の住民の方から、「自分らの被害を言ってはいけないと思っていた」からだそうです。被害を口にさえできない、言ってはいけないと思い込んでいる状況は、水俣をはじめとする公害や原爆症など、被害を受けた人々の共通した特徴だと思います。
言えないのです。だからこそ、こうした「宣言」が極めて重要になってくるのです。私なども、これだけ好き放題書いてはいますが、実際は、外で自分の考えや主張をすることは余りありません。(逆に人の言われるのを聞くことのほうが多いのです)被害を受ければ(尚更)ショックで論理的に冷静な批判などできるはずもありません。物言えず、抑鬱的な状況の中で、(私なら)鬱病になってしまうでしょう。ご本人が言えなければ、誰かが代弁することも非常に大事です。
(私なども、)自分のことは中々言えませんが、他人の苦しみや困窮状況なら、(痛みや苦悩が伴わないからではありますが)言えるのです。(逆に言って欲しくないという気持ちもあるかとは思いますが)そうした「代弁」を聞くうちに、(被害を受けた)ご本人自らの「言葉」も少しづつ出てくるのだと思います。そうした、寄り添いが大切だと思いますし、実際に傍にいて耳を傾ける人がとても必要だと思います。(色々な制約があって)私は現地には行けませんが、ほんの僅かでも現地の方々の気持ちになって、ほんの僅かでも代弁できればと思うのです。福島の、或いは被災された、避難されている全ての方々の「思い」が、多くの日本人の共通した「思い」になればと願っています・・・
P.S. 日本原子力学会は、1996年から教科書への提言を行なっているそうです。2003年、東京書籍の原発に関する記述で、「原子炉の解体、放射性廃棄物の管理費用は膨大なもので、これを算入すると、発電コストは他のものに比べてかなり高いものになる」という、至極理に適った記述が「問題」とされ、同学会は「間違っている」と提言、(同学会の会員であった)公明党の斉藤議員が衆議院文部科学委員会で質問をしています。その後の、2005年度の教科書検定で意見が付託され、同記述は削除されました。「本当」のことがまた一つ、子どもたちから隠蔽された経緯です。こうしたことがあらゆる分野で行なわれ続けている中で、真実は常に闇の中に隠されていくのでしょう・・・
P.S.2 柏崎・刈葉原発の再稼動の是非を問う「県民投票条例」の署名が、直接請求に必要な数の倍近くとなったそうです。署名集めに関わった方々のご苦労を思うと、条例制定をと思いますが、これまで東京、大阪、静岡と、住民の意思を聞くことを、行政は拒んできました。ただ、(確か)新潟ではこれまでに原発(MOX燃料でしたか、最近忘れ易くて自信ありませんが)の是非を問う住民投票は行なわれた過去がありますから、実施される可能性はあります。ただ、それを決めるのは議会であり、県知事ですから、余り大きな期待は持てませんが・・・
by「プルサーマル計画を憂慮する有志の会」 (平成24年11月14日)
「私たちは今、大いなる不安の中で生活しています。日々困難な選択を迫られ、精神的にも傷ついています。済み慣れた場所から避難している人も多くいます。原発事故により私たちは多くのものを失いました。もうこれ以上失いたくありません。」
(私たちは)
・健康な体を持ち、福島の自然を愛し、楽しむ生活を送る権利があります。
・財産が放射能汚染で侵害された場合は、完全な補償を求める権利があります。
・私たちが愛した元の福島を返して欲しい。そう主張する権利があります。
・元の福島に戻すことが無理ならば、納得のいくまで、その償いを求める権利があります。
・放射能被害について、納得いくまで情報を得る、知る権利があります。
・避難する、しないを自分で選択する自己決定権があります。
といったものです。
至極当然の権利の主張であり、(極めて困難ではありますが)その実現を強く願いますし、私たちも支援の声を挙げなければならないと感じます。実は同弁護士が、この「宣言」を書くきっかけとなったのが、仮設住宅の住民の方から、「自分らの被害を言ってはいけないと思っていた」からだそうです。被害を口にさえできない、言ってはいけないと思い込んでいる状況は、水俣をはじめとする公害や原爆症など、被害を受けた人々の共通した特徴だと思います。
言えないのです。だからこそ、こうした「宣言」が極めて重要になってくるのです。私なども、これだけ好き放題書いてはいますが、実際は、外で自分の考えや主張をすることは余りありません。(逆に人の言われるのを聞くことのほうが多いのです)被害を受ければ(尚更)ショックで論理的に冷静な批判などできるはずもありません。物言えず、抑鬱的な状況の中で、(私なら)鬱病になってしまうでしょう。ご本人が言えなければ、誰かが代弁することも非常に大事です。
(私なども、)自分のことは中々言えませんが、他人の苦しみや困窮状況なら、(痛みや苦悩が伴わないからではありますが)言えるのです。(逆に言って欲しくないという気持ちもあるかとは思いますが)そうした「代弁」を聞くうちに、(被害を受けた)ご本人自らの「言葉」も少しづつ出てくるのだと思います。そうした、寄り添いが大切だと思いますし、実際に傍にいて耳を傾ける人がとても必要だと思います。(色々な制約があって)私は現地には行けませんが、ほんの僅かでも現地の方々の気持ちになって、ほんの僅かでも代弁できればと思うのです。福島の、或いは被災された、避難されている全ての方々の「思い」が、多くの日本人の共通した「思い」になればと願っています・・・
P.S. 日本原子力学会は、1996年から教科書への提言を行なっているそうです。2003年、東京書籍の原発に関する記述で、「原子炉の解体、放射性廃棄物の管理費用は膨大なもので、これを算入すると、発電コストは他のものに比べてかなり高いものになる」という、至極理に適った記述が「問題」とされ、同学会は「間違っている」と提言、(同学会の会員であった)公明党の斉藤議員が衆議院文部科学委員会で質問をしています。その後の、2005年度の教科書検定で意見が付託され、同記述は削除されました。「本当」のことがまた一つ、子どもたちから隠蔽された経緯です。こうしたことがあらゆる分野で行なわれ続けている中で、真実は常に闇の中に隠されていくのでしょう・・・
P.S.2 柏崎・刈葉原発の再稼動の是非を問う「県民投票条例」の署名が、直接請求に必要な数の倍近くとなったそうです。署名集めに関わった方々のご苦労を思うと、条例制定をと思いますが、これまで東京、大阪、静岡と、住民の意思を聞くことを、行政は拒んできました。ただ、(確か)新潟ではこれまでに原発(MOX燃料でしたか、最近忘れ易くて自信ありませんが)の是非を問う住民投票は行なわれた過去がありますから、実施される可能性はあります。ただ、それを決めるのは議会であり、県知事ですから、余り大きな期待は持てませんが・・・
by「プルサーマル計画を憂慮する有志の会」 (平成24年11月14日)