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ミュンヘンなんて、どこ吹く風

ミュンヘン工科大留学、ロンドンの設計事務所HCLA勤務を経て
群馬で建築設計に携わりつつ、京都で研究に励む日々の記録

おばあちゃんと、いっしょ

2005-09-21 00:59:15 | 留学準備
家族が出払っているので、日中は家で祖母と二人きり。
母が残した「昼食はおばあちゃんの分もつくるように」との書き置きに従い、パスタをつくった(僕ができる唯一の料理)。書き置きのヒントを頼りに棚から未開封のパスタ束を見つけ、ありあわせの食材(キャベツ、にんじん、長ネギ、小松菜、オリーブの実、あぶらあげ、など)を使ってペペロンチーノ風味に仕上げる。けっこううまくできた。祖母は「パスタなんて食べるの7年ぶりくらいだわ」と言いつつおいしそうに食べてくれた。亡くなった祖父との思い出話や、ご近所さんの話などを聞く。僕は留学のことや、友達のことを話す。

食後は二人とも畳の上で昼寝。

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留学前のあわただしさ

2005-09-20 03:15:42 | 留学準備
昼間は留学関係の雑務。
湯島にある保険会社の代理店に留学保険を申し込みにいったり、渋谷にある信販会社の営業所にクレジットカードを受け取りに行ったりした。帰りに上野に寄って、丸井の地下にある無印良品でベッドカバー等を新調。

部屋に戻ってから、掃除のつづき。
埒が明かないので、部屋の中にあふれかえっているものをとにかく紙袋に詰めて物置に放り込む方針に変更(いっそ全部捨てたいわ~)。三時間ほど格闘し、ようやく五ヶ月前のすっきりとした部屋に戻った。

パソコンの修理を依頼するため、購入した家電量販店@群馬に電話。
過失による破損の修理も取り扱っているとのことだが、「どうせ今東京にいらっしゃるなら」とSONYの修理窓口@秋葉原の連絡先を教えてくれた。祝日は開いてないらしいので、明日以降に直接持って行くことになりそうだ。なんとか出発までには間に合うのではないか、とその方は励ましてくれた。「大手の量販店でも取り扱っていると思いますよ」と教えてくれたので、上野のヨドバシカメラにも持って行ってみることに。売り場にいた店員に声をかけて現物を見てもらう。「ああ、めり込んでますねえ(薄ら笑い)」「ええ、めり込んでますよお(対抗して冷笑)」「でも一ヶ月預けていただければ直りますよ」「い、一ヶ月!?」僕の反応を分かっていたかのように薄ら笑いを続ける店員。言っても仕方ないことは分かっているが、留学の出発までに直したい旨を伝える。でも店員は無理ですねえの一点張り。しょうがないのでそのままパソコンを持ち帰った。起動できないわけじゃないし。カードスロットがつぶれている以外は動作に異常があるわけじゃないし。…たぶん。

もしもに備え、インターネットでパソコンの修理業者を調べる。
本体修理でも「翌日お届け」してくれる業者とか、わりと見つかった。SONYの修理窓口に持って行って、それでも修理に長期間かかるようなこと言われたら、こういう業者に頼むことになるのだろうか。

とか言いながら、今日は実家に帰る(新潟から来てる祖母に会うため)。
天然な性格してる祖母を交えて(祖母は途中で寝てしまったが)夜通しいろんな話をした。

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寂しがりやは外側がすり減る

2005-09-18 23:55:47 | 留学準備
目覚めると枕元にノートパソコン。
昨夜パソコンをいじりながら眠ってしまったらしい。起き上がった拍子にパソコンがベッドから転げ落ちる。「おっとっと…あ!」運悪く側面から落下し、PCカードスロットに差し込んでいたAIR-H"モデムが中にめり込んでしまった。カードがスロットから引き出せない&パソコンがカードを認識しない。この期に及んでパソコンを壊してしまった…。
(なので、今日のblogは上野のネットカフェで書いてます)

(気を取り直して)
友達に案内してもらい、TX(つくばエクスプレス)に乗ってつくばに遊びに行く。
秋葉原駅で待ち合わせ。駅前に茨城の観光案内センターがちゃっかりできていたので、パンフレットを何種類か拝借。地下の改札口にエスカレーターで降りると、たくさんの人、人、人。平日はビジネスマンがまばらに乗っているだけだというが、休日は親子連れやら老夫婦やらいろんな人がつくばと秋葉原を行き来しているようだった。特に何か大きなイベントがあるわけでもなさそうなのに、これがTX効果か。

一時ちょうど発の快速には乗り遅れ、15分後の区間快速に乗りこむ。
それでもつくばまではたったの54分。つくばの観光案内を見ながら電車に揺られる。東京を出るまでは地上に出たり地下にもぐったり忙しかったが、埼玉に入ったあたりからは地上を走る。外の景色がだんだん寂しくなってきて、気がつくとひたすら田園風景の中を電車は走っていた。ときどき白茶けた更地が目に入ったかと思うと、マンション建設中の立て札。特に駅前は再開発がこれから始まるらしく、妙に広々としてこぎれいな駅の割には駅前の風景は閑散としていた。ひらがなの駅名が何駅か続いたかと思うと、いよいよ茨城に到達。万博記念公園、研究学園と来て、電車は再び地下にもぐり、つくばに到着した。

まずはつくばセンタービルへ。
「あれがつくばセンタービルだっけ?」と指差したのは三井ビルで、本物のつくばセンタービルは意外とセンセーショナルに見えなかった。というより、複合する建築群を総称してつくばセンタービルというのだと初めて知った。悪いうわさばかり耳にしていたからもっと憎しみを覚えるほど傲慢な建物なのかと思っていたのだけど、子供たちは楽しそうにカンピドリオの水辺で遊んでいるし、親たちは石段に腰掛けながらそれを笑顔で見守っているし、広場を囲む半円状のレストラン街は人でにぎわっているし、ノバホールは今日はたまたま休演日だったけど普段は有効活用されているらしいし。ポストモダンがどうしたこうしたとか廃墟論うんぬんかんぬんはさておいて、普通に市民のために役立ってるじゃん、つくばセンタービル。

駅西側の公園を抜けて、つくばエキスポセンターへ向かう。
つくばは公園がたくさんあるらしい。だだっぴろい芝生がただあるだけだよと聞いていたが、それはそれで気持ちがよいもので、地元民らしき家族連れが何組も楽しそうに芝生の上を転げまわっている。ただ、周辺案内図を見ると、公園の周りはずらりと公務員用社宅が並んでいる。つくばには公的な研究所がたくさんあって、そこの研究者家族がそれらの集合住宅の中に住んでいるらしい(公務員を辞めると引っ越さなくてはいけないらしい)。一戸建てに住んでいるわけではないので、その分、都市の共用空間が充実してなければいけないのだそうだ。それでもこんな広々として明るい空間がこれだけ用意されているなら、つくばって素敵だと思った。

鯉がたくさんいる池をぐるりと回ると、つくばエキスポセンター。
85年の科学博の遺産が展示されている、のかと思ったら、子供向けの科学啓蒙&研究機関・電力会社のプロパガンダみたいな施設。第一展示室はデパートの屋上にあるゲームコーナーのようなノリだった。コインを入れたら動き出しそうなブースが所狭しと並んでいて、そのどれもが大盛況。子供たちが嬉々として遊んでいる様子は、大の大人がそれに混じるのは躊躇させられるほどだった。それでもちゃっかりバランスマシーンには乗ってみる。僕がバランスを保っていられたのは30秒中たった1秒で、当然ながら判定は最低ランク…。
科学博をミニチュアで振り返るコーナーに心躍る。星丸だ~!僕も幼いころに両親に連れられてこの万博に来ているはずなのだけど、まったく覚えていない。日本の万博歴史上からはごっそり抜け落ちている(厳密に言えば“万博”ではないからなんだろうけど)けれど、意外とエキセントリックな建物も多くてミニチュアを見ているのは楽しかった。でも会場計画はところどころで破綻しているようにも見えた。せっかくつくったモノレールとかゴンドラとかが、会場内の動線として機能してないみたいだし。
第二展示室の宇宙開発コーナーに心が躍る。アメリカとソ連の宇宙開発競争の時代をミニチュア模型で振り返るコーナーにかじりついてしまった。円錐型がどんどん巨大化していったアメリカの宇宙船開発に対して、ソ連は一貫して同じ大きさのこけし型宇宙船を作り続けた。どちらも宇宙空間での合理性を求めているのだから同じ結論に至りそうなものだけど(事実、アメリカのスペースシャトルと日本のそれは瓜二つな姿をしている)、アポロとソユーズはまったく違う姿をしている。それでも冷戦終結後にその二つの宇宙船が宇宙空間で歴史的ドッキングを果たした様子の模型は感涙ものだった。両者の間を取り持ったアダプターに感激。対立していた国家の異なる寸法体系をどうやって調整したんだろうな。
残念ながらウリのひとつであるプラネタリウムは来年春まで閉館中だった。ほかにも調整中の出し物が多くて、なんだかシーズンオフにきてしまったんだなという寂しさも少々…。鯉のえさを買って池にばら撒きながら、公園を抜ける。

つくば駅に戻ってバスで洞峰公園へ。
公園内をぶらぶらと歩いて、時々アスレチックの遊具を見つけては童心に返ってチャレンジ(でも体は大人なんだよね…うんていとか普通に足ついちゃうしさ)。公園を一周してから、中央の沼のほとりに座ってしばしの間ぼ~っと過ごす。目の前にアヒルの親子がひょこひょこ歩いてきたり、それを追いかけて子供が集まってきたり、それを追いかけて親が子供を捕まえに来たり、する。足を芝生の上に投げ出して、う~んと大きく伸び。「僕歩き方がおかしいのかな。靴底が変な風に磨り減ってさあ。そのせいで最近靴ズレするようになっちゃって」「そういうふうに靴の外側ばかりが磨り減る人って寂しがり屋らしいよ」「へえ、当たってる」

暗くなってきたので、バスでつくばセンターに戻る。
できたばかりのQT(ラクーアみたいなショッピングモール)を通り抜けて、筑波西武デパートへ。五階レストラン街に上り、ドイツ料理の店エルベで夕食。カタカナがふってあるけれど料理名見てもまったくわからず。ドイツ直輸入のオクトーバーフェストビールを頼むことにして、お勧めを参考にしながらソーセージ二種類とアイスバインを注文する。アイスバインは骨付き豚肉の塩漬け(を長時間煮込んだもの)。ドイツの家庭料理らしい。とっても柔らかい肉をナイフでこそぎ落としながら取り分けて食べる。とろけるくらいやわらかくてうまい!ソーセージも美味であっという間に平らげる。ドイツ料理は非常に僕の味覚にあっているようだ。ビールもうまい。ますますドイツに期待が膨らむ(むしろ心配なのは、料理が合いすぎてさらに太ってしまうんじゃないかということ…)。

「つくばで一番高い」三井ビルに上って展望台からつくばを見下ろす。
今日一日でつくばの好感度が急上昇した僕。夜景は控えめだけど、その奥ゆかしさがまたすばらしいではないか。「つくば、いいね」「いいとこしか見せてないから」「またまた」

せっかくなので帰りはJRバスで帰る。
TXに客を取られてしまったのか、乗客は僕らのほかに一人だけ。うとうとしながら揺られていると、二時間ほどで東京駅に着いた。渋滞していたせいもあるが、ちょうどTXの二倍の時間がかかった。値段はTXと同じ1150円(バス側が値下げして合わせたらしい)。でも途中駅でいちいち停車したりしない分、バスのほうが楽かもしれない。東京に入ってからは首都高ドライブも楽しめるし。

東京駅で丸の内線に乗り換え、後楽園駅で降りて家まで歩く。
つくば(というより筑波大学)に関しては、「退学者が多い」「自殺者が多い」「同棲率が高い(他に娯楽がないから)」という悪い噂ばかり耳にしてきたけれど、実際に見に来てみると、けしてそんなことが起こりそうな悪い街ではなかった。むしろ、とても気持ちよくて抑制が効いていて知的で統制のとれた暮らしやすい場所に思えた。でも公園を歩いていて感じた違和感が、人工都市つくばのもうひとつの顔を暗示する。「ホームレスが一人もいない…!」
住みづらい家には蜘蛛も巣を張らないように、つくばにもどこか普通じゃない・異常なところがあるのだろうか。でもそれがなんなのかは、人工物に囲まれてのうのうと生きているお気楽現代人な僕にはわからなかった。
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トバシスギ、な僕

2005-09-18 00:28:30 | 留学準備
NHKでサッカー中継観ながら、部屋の大掃除。
鹿島が神戸相手に快勝する一方で、そっちに気をとられて掃除の進み具合は惜敗といった感じ。

中学時代からの友達に頼まれて、新宿で某社会人サークルのコンパに付き合う。
夕暮れ時のコマ劇前に集まったちゃらいメンツ(総勢50人ほど!)を見て、明らかに僕にはツイテイケナイ雰囲気が漂っていたのだけど、いざ始まってみると意外と楽しめた。トッシーとか、のぐ~とか、セバスチャンとか、気のいい人たち。盛り上がっていないテーブルを集中的に回ってピエロを演じていたら、変な友達ばかり増えた。宴は3時間以上も続いた。終盤疲れてぐったりしていると、「最初にトバシスギだよ~」と初対面のやつからまでからかわれる。最初にテンション上げすぎないのがコツ☆、とか知らないから僕。今日は飲み過ぎた。(留学直前にすることか?これ)

不摂生な体に喝を入れるべく、帰ってから家の周りを少し走る。まあ、焼け石に水。

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送信失敗

2005-09-17 01:56:39 | 留学準備
けっこう長く書いたのに送信に失敗して消えちゃった。
もう書きなおすのやだ。
おやすみなさい。
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not under-23

2005-09-16 09:30:42 | 留学準備
昨日は僕の23回目の誕生日だった。

日付が変わると同時に友だちから誕生日おめでとうメールが何通か来た。
朝は普通に起こされた。
朝食は秋さんまwith大根おろしに舌鼓を打った。
留学に備えてネットでクレジットカードの発行申し込みをした。
昼食は母が県立図書館前のSWANに連れて行ってくれた。
某保険の前橋オフィスに行ったがパスポートを忘れ加入手続きできなかった。
夜はうらしまの寿司樽とイタリア亭のケーキで家族がお祝いしてくれた。
今朝は弟が出掛けに自作の曲をMDに入れてプレゼントしてくれた。

僕はもうU-23ではない。
サッカーならオリンピックには出られません(オーバーエージ枠なら可)。
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自分でやってね

2005-09-14 18:35:41 | 留学準備
十時に表参道に集合し、表参道ヒルズの現場見学会に参加。
あんどうせんせいは相変わらずパワフルだった。「こういう行為は建築家の傲慢だなんて言われてますが…」とところどころ自分で認めながらも、それに対する明確な答えはあんどうせんせいの口からは出てこず。「それでもこうして現実に建築は建っているんだから、それが答えだ!」ってことなんだろうな。「100年後に同潤会と比べたいね」なんて友達と話したりする。通りの反対側からその長大な全体像を見て、解散。来ていたなんばせんせいから別れ際に留学に向けて激励の握手をいただいた。

一時半からNOVA。
テキストは旅先でのトラブルについて。こんなトラブルが無いといいけど、あってもそれはそれでいいかも。

大学に戻り、研究計画書を持って研究室へ。
すずきせんせいに時間をとってもらって、留学や今後の進路について相談。研究計画というよりまず今学期の活動報告をする。北京スタジオ、立原研究会、難波研読書会、太田バンハム読書会、DECo、+マンモス設計集団、AUSMIP…。すずきせんせいはいちいち面白がって聴いてくれていたので良かった。将来の進路については、設計の実務に就きながら大学で建築教育・研究評論活動にも携わりたい旨を相談すると、「それは茨の道だよね」と。でも「君のキャラクターはいいね。どこでもしぶとく生きていけそうな気がするもの。それ大事なんだよ」とも言ってくれた。「君はその目標に向かって一人で進んでいくしかないんだよ。いつでも相談には乗るけどね。「はい、時間切れですよ。さようなら」って言われるまでは頑張ってみなさい。用意されたレールの上を走る時代は終わったのだから、あとは、僕らは周りから君の事を見守っているよ」具体的なアドバイスももちろんたくさんいただいたのだけど、この「これから君は裸一貫、一人で生きていくんだよ」という厳しい激励のメッセージが心に突き刺さった。

事務に留学届けを提出。今度は無事受理。

玄関出たところでたまたま鈴木研の卒論生に会う。
「卒論でバンハム論をやろうと思ってるんです」と相談される。すずきせんせいに相談したところ「バンハムのことならM1のこみやまに聞け」と助言され、僕を探していたらしい。ちょうど良い機会なのでバンハム読書会に参加してもらうことにした。僕はすぐ留学してしまうのでどれだけ力になれるか分からないけど、バンハムに興味をもってくれる人がいたことが読書会幹事としてはうれしい。読書会で使っているテキスト本を無期限で貸してあげた。どんな卒論になるのか楽しみ。おおたさんにも後で彼を紹介するメールをしておこう。

昨日自転車のチェーンが外れてしまったので、近くの自転車屋へ。
「すみません、チェーンが外れてしまったので直していただけませんか?」「今すぐかい?」「今すぐお願いします」「あのねえ、チェーンってこうすれば伸びるからすぐ直せるの。覚えといて、これからは自分でやってね」「あ、はい…」まるでマジックのようにチェーンが伸びて、あっという間にギアに収まった。

家に帰り大掃除。
これから何日か実家に帰るので、今のうちに片付けられるものは片付けておこう。

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同郷人/異邦人

2005-09-13 23:27:38 | 留学準備
11時からNOVA。
歯大生と二人でレッスンを受ける。フリートークで「今日はこれからどうするの?」という先生の問いに「実家に二週間くらい帰ります」と答えていたので、レッスン終了後「実家はどこなの?」と話しかけてみる。「群馬の前橋です」「へえ僕も群馬ですよ。高校は前橋だし」「え?修士一年ですよね。もしかして私と同学年?」「え、あなたさっき学部の二年生って言ってたような…」「私浪人しまくったから。ねえ敬語やめない?」その後お互いに共通の知人が多いことがわかる。世界は狭いなあ。「チョ~ウケルんだけど!今日私このあともレッスンあるから、またいつかレッスン一緒になったら話そうよー」次に会ったら、か。ううむ、日本にまた一つ未練が残ってしまった。

昼から東大病院。
散々待たされた挙句、包帯をほどいてバンドエイドに貼りなおして「お待たせしてすみませんでしたが、今日はこれで終わりです。お大事に」。自分でできるよ、こんなの!

大学に戻り、留学届けを事務に提出するも、不備があり再提出に。

三時半に友だちと待ち合わせて、上野の西洋美術館へ。
「ドレスデン 世界の鏡」展を見る。ザクセン公国時代の宮廷コレクション。お金のあるところにはなんでも集まるんだなあ。前半のトルコ工芸品のコレクションと、日本の磁器がマイセンに与えた影響の比較展示が印象に残った。オスマントルコはドイツにとって侵略者だったから恐怖の対象だったのだけど、裏腹にその装備や道具や風俗が憧憬の対象でもあったというのが面白い。1700年頃になると東アジアに興味の対象が移る。日本や中国から白磁が伝わるも、ヨーロッパでは白磁を焼く技術はまだ無かったので、なんとかそれらしいものを模倣してつくろうとしたらしく、そのイジらしい努力の成果がコレクションされている。他にもフランスの宮廷文化にはまっていた時代もあるようだ。どうしてこんなに外国のものばかり集めたがるのだろう?「異国のものを持ってるのはそれだけでステータスだったんじゃない?」そっか、そこまで自分の影響力は及んでるんだぜっていう誇示にもなるのか。

上野駅東でバイク店を物色したあと、ねぎしで晩飯食って、赤坂へ。
やましろさんから案内をいただいていたダンスフォーラムのプレゼンテーションを見に行く。「pointe to point」と題されたワークショップの最終成果物である。 “localism”という共通テーマでくくられた演目がつぎつぎと繰り出される。オープニングの「indivisual」では、参加ダンサーが次々と舞台上に現れて個々が好き勝手に踊る。「subject/object」と題されたダンスでは、抱き合ってキスをするペアの動きと、押しのけあい攻撃しあうペアの動きが、だんだん同化していってしまう。そのほか、日本の街の風景を戯画化したダンス、などなど。クラシック・コンテンポラリーにかかわらずダンスを間近で真剣に見たのは初めてだったけど、「もっともっと見たい」と思った(自分もダンスやりたいなあとさえ思った)。人間の体・筋肉ってこういう風に動くんだなあ。でも振り付け自体は日常の動きの延長上にあるような動き。恰幅のいい踊り手さんのほうが個性的なダンスをしている。照明効果もかっこいい。一番印象に残ったのは、演目の終盤、スポットの当たった舞台中央で踊り手が一人で息を切らせているという場面。「息を切らせている」という演技をするのではなく、舞台上をぐるぐる走り回って実際に自分の体を痛めつけてから、その姿をそのまま見せる。そうか、人間は、走ったら息を切らせてはあはあする物体なのだ。それだけは、localismを超えて万国共通のこと。そこから一気にフィナーレへとなだれ込んだ。

こういうダンスは地下深く潜らないと見ることはできないのかと思っていたのだけど、友だちによれば「外国ではこういうダンスも市民権を得てるから、怖がらなくても大丈夫だよ」とのこと。ドイツ行ったら建築そっちのけでこういうのをひたすら見続けてもいいな。会場出たとこのプロントで飲みながら、友だちにダンスのことをいろいろ教えてもらって、ドイツへの期待がまたいちだんと膨らんだ。
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靴ひもエクストラタイム

2005-09-13 01:51:00 | 留学準備
お互いの仕事がひと段落し、白糸でかわしまくんと最後の打ち上げ。
焼き鳥のタレと塩を一人前ずつ頼み、生ビールを二杯飲む。なんだか落ち着かない。早々に切り上げて大学へ戻る。

院生室に戻り、掃除機をかける。
テーブルクロスを買ってきておいた新品のものにこっそり張り替えた。ささやかなお礼(と謝罪)のつもり。東急ハンズで買ったグリーンのつた模様のクロス。スチノリやら何やらが付着していた僕らの“作業台”が、元のダイニングテーブルに戻った。二ヶ月お世話になった院生室の方へ正直な思いをつづり、二人で置き手紙を残す。かわしまくんは明後日タイへ飛び立つ。僕は来月ミュンヘンへ旅立つ。

「やっぱり最後はここだな」
買っておいた缶ビールを開けて、きれいになったテーブルの上であらためて乾杯。これから半年間の過ごし方について、今日二人でつくったホームページの生かし方について、飲みながら話す。コンペの成果物をCDRに焼いて共有し、この夏のコンペはすべて終了した。「結果が出るのをミュンヘンで楽しみにしてるよ」「へんな時間に俺から電話がかかってきたら期待していいから」

玄関で別れる。
「じゃあまたね」「え、ちょっと待って、これでもう最後なんだっけ?」確かに、言われてみれば次に会うのは半年後だ。「…靴ひもちゃんと結ぶまで待って」それはお互いきっと万感の思いが込められた、最後の付け足し数十秒間。固く握手をして、半年後の活動再開を誓い合った。

「半年もあれば、なにが起こるかわからないからさ」両足の靴ひもを丁寧に結び直しながら、何度もかけられた言葉。コンペやらなんやらに追われて留学のことを頭の隅に追いやっていたけれど、自分は二週間後にはミュンヘンにいるんだ、と現実に引き戻された気がした。

そうか、たった半年の別れだけど、これからの二週間、僕は人に会うたびにこうやって別れを告げていくことになるんだ。そういえば今日高校時代の友達から久しぶりに電話がかかってきた。「食べ放題って興味ある?来月なんだけど…」「ごめん、僕来月日本にいないんだ」書類上はだいたい手続きは済んだけど、こういう“留学準備”は間に合うのだろうか?明治時代の海外留学じゃないんだからそんなに大げさに考えるようなことでもないんだろうけど、それでも、靴ひも結ぶような時間が僕にはもっと必要かもしれない。
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Back in the...1968

2005-09-10 15:59:42 | 留学準備
歴史系院生室で資料製作。
昨日買った赤盤&青盤をさっそくMDに録音したので、もれる音量に注意しながら可能な限り最大音量でウォークマンを聴く。気になった曲はそれが製作された時代背景などをインターネットで調べたりする。ビートルズは『HELP』と『1』しか聴いたことなかったので、特に中期~後期を扱った青盤の曲が新鮮。今まで知らなかったけど気に入ったのは『Back in the U.S.S.R』(ビーチボーイズの「Back in the USA」をもじっているらしい)。これは青盤の一曲目であり、初出はいわゆる『ホワイトアルバム』(1968)のこれまた一曲目らしい。心が騒ぐ感じなんだけど、どこかけだるい感じが、今の自分のBGMに合ってる。曲の前後に入ってるジェット飛行機の効果音が旅立ちを予感させるし。

訳している本の中でも舞台はちょうど1968年頃。
ヨーロッパで激動の60年代後半を過ごした主人公は、疲弊し、楽観的な希望を胸にアメリカへと旅立っていってしまった。
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