昼前起床。クリスマスカードを書いて郵便局で投函したあと、DHLの配送センターへ行って海外発送専門の通販サイトで注文していた日本の書籍を受け取り。『箱の産業―プレハブ住宅技術者たちの証言』と『建築―新しい仕事のかたち―箱の産業から場の産業へ 』。帰宅後、夕飯を食べたあとに一休みしていたつもりがそのまま寝てしまった。
終日現場のプロジェクトの作業。今週いっぱいで現場もクリスマス休暇に入るので、比較的静かな一日。ドイツでの予定を立てたりしながらのんびりと業務。夕方、今年のクリスマスディナー会場を前事務所時代に担当していた同僚より、コンペから竣工までをたどる簡単なイントロダクションのあと、タクシーに分乗して会場へ。決められた席順に従って着席し、全所員がパートナー同伴で参加する恒例のディナーが始まる。

今年の会場はザハ・ハディド設計のサーペンタインギャラリーサックラー分館併設のレストランである。
同僚のパートナーたちと話していて、普段同僚が僕のことを家でどう話しているのかがわかって面白かった。思っていた以上に評価されているというか頼りにされているというか。僕のようになりたいと言ってくれている若い同僚もいたり、なんか不思議な感じ。僕がもうすぐ辞めることを知ると泣き出してしまう同僚もいたり。右隣の席はディレクター夫妻で、僕がいつかディレクターに話した群馬で待つ父のことを家に帰っても鮮明に伝えてくれていたらしく、絶対に日本でも成功するよと奥さんが激励してくれた。席がはす向かいだったので、ホールデンともたくさん話せた。回りの席に集められていた最近加わったシニアアーキテクトたちとの会話の中で、僕がホールデンの元学生であることを何度も言及してくれた。僕の入所当時はほぼすべてTUMホールデン研のOBで構成されていた会社の中で、今も残る元教え子は僕だけ。後半になって席替えがあって、現場のプロジェクトで一緒に働く同僚の旦那さんとも長く話せた。タフな現場で僕にも身重の同僚にも負担がかかっていて、きっと旦那さんは同僚の負担を取り去りきれていない僕を恨んでいるに違いないと思っていたのだけど、むしろ逆で、奥さんを支えてくれてありがとうと感謝してくれていたことがわかって、なんだか心のつかえが取れた。心がぽかぽかし、7年弱働いてきてよかったと思えた夜だった。夜半前に帰宅。明日で今年の業務はおしまいである。

今年の会場はザハ・ハディド設計のサーペンタインギャラリーサックラー分館併設のレストランである。
同僚のパートナーたちと話していて、普段同僚が僕のことを家でどう話しているのかがわかって面白かった。思っていた以上に評価されているというか頼りにされているというか。僕のようになりたいと言ってくれている若い同僚もいたり、なんか不思議な感じ。僕がもうすぐ辞めることを知ると泣き出してしまう同僚もいたり。右隣の席はディレクター夫妻で、僕がいつかディレクターに話した群馬で待つ父のことを家に帰っても鮮明に伝えてくれていたらしく、絶対に日本でも成功するよと奥さんが激励してくれた。席がはす向かいだったので、ホールデンともたくさん話せた。回りの席に集められていた最近加わったシニアアーキテクトたちとの会話の中で、僕がホールデンの元学生であることを何度も言及してくれた。僕の入所当時はほぼすべてTUMホールデン研のOBで構成されていた会社の中で、今も残る元教え子は僕だけ。後半になって席替えがあって、現場のプロジェクトで一緒に働く同僚の旦那さんとも長く話せた。タフな現場で僕にも身重の同僚にも負担がかかっていて、きっと旦那さんは同僚の負担を取り去りきれていない僕を恨んでいるに違いないと思っていたのだけど、むしろ逆で、奥さんを支えてくれてありがとうと感謝してくれていたことがわかって、なんだか心のつかえが取れた。心がぽかぽかし、7年弱働いてきてよかったと思えた夜だった。夜半前に帰宅。明日で今年の業務はおしまいである。
昨晩はクリスマス会のあとの二次会三次会で朝まで飲み明かした所員もいたらしく、昨日と同じ服装の同僚もちらほら。先々週から加わったシニアアーキテクトのCは、二日酔いで青い顔をしながら「コミが一番いいタイミングで帰ったよ…」とぼやいていた。午前中、先日のミーティングの模型一式の回収でドックランズへ。昼過ぎに会社に戻ったあと、近くの印刷屋で奥さんとつくったクリスマスカードを印刷。会社の受付にクリスマスカードを置かせてもらってから、チェルシーの現場へ。担当者といくつかのディテールを検査したあと、年明けのスケジュールを確認してからクリスマスの挨拶をして会社に戻る。5時過ぎに戻ると、残っていたのは同僚LとシニアのCのふたりだけ。ドイツ人であるCから聞かれてTUM時代の教育者としてのホールデンの話をしたりしながら、同僚Lといくつかの雑務を処理。七時過ぎに一段落し、良い年越しをと声をかけて会社を出る。7時半にWarren Streetのギリシャ料理の店Vasisで石井くん南雲さんと待ち合わせて夕食。時々集まって近況を報告し合う会。Design&Buildの経験などについていろいろと共有させてもらったり、建築時事ネタを話したり、石井くんの新しい職場の話を聞いたりなどする。夜半前に解散。年末のせいか道が所々封鎖されていて、遠回りをしてからバスで帰宅。明日から12日間の連休。
火曜日
前日の夜にビリーから頼まれて、急遽水曜日のプレゼン用に担当外プロジェクトの1:100模型をつくることになる。担当しているプロジェクトのほうは現場への指示が一段落したところだったので、朝から作業を始める。幸いにもミーティングルームが終日空いていたので、ホールデンとふたりで模型材料を広げて一日中模型をつくった。
以前インターン生がつくった模型を補修し、ホールデンのスケッチをもとにパブリックスペースのディテールを加えていく。ホールデンはときどき僕のつくる模型の回りを歩き回りながら、つくった部分を壊したり、自分でもスチボを切って接着剤で貼付けたりしている。模型をつくるのは健康のためにも必要だよ、と言うホールデンと、さながら一緒にジョギングしているような気分。様子を見に来たビリーが「やっぱりね。コミの助けが必要だと思ったんだよね!」と言って出て行ったあとに、「そういえばイギリスを去るんだって?」とホールデンに話を振られる。帰国前にロンドンで計画しているレクチャー企画のこと、ミュンヘンにしばらく滞在すること、日本に帰ったらすること、いろいろと話させてもらうことができた。
夜、コントラクターとの飲み会が予定されていたのだが、そちらはキャンセルして同僚とディレクターに出席してもらい、僕は夜までホールデンとふたりで模型をつくり続けた。「つくってはじめてわかる発見がたくさんあったよね!一日でこんなに進むなんて!」とホールデンが言ってくれて終了、帰宅。
水曜日
朝早めに出社し、いくつか模型の気になっていた部分を修正する。9時半、ビリーが到着。「セットアップまで手伝ってくれ!会場で模型の補修も必要だし!」ということになり、現場の方も落ち着いているので大丈夫だろうと思い、僕もミーティング会場までタクシーで同乗することになる。
タクシーの中でクリスマス会の話などをひととおり話したあと、「この間のメールの件だけど…」と僕が退社する件の話になり、Practical Completionとそれに付随するSnagging List(やり残しリスト)の取りまとめまでをもって退社するのがよいだろう、とビリーも言ってくれた。日本への帰国航空券は早めに確定しなければならないが、間にドイツ滞在を挟むことによって離英のタイミングをフレキシブルにできるのは良いアイデアだと。「何年いた?4年くらいだっけ?」「7年弱です。振り返ってみれば長かったですけど、時間は早く過ぎました」「…」「最初にもらったタスクはコンペのための敷地模型づくりで、毎晩のように敷地に通って既存建物の写真を撮ったのを覚えてます」
行き先を指定するとタクシー運転手は一瞬「え?」という顔をしたあとに、正面玄関に停車してくれた。受付に到着するとビリーは、深刻な顔をして「今朝ショッキングなことがあったんだよ」と奥さんから送られてきた教会で聖歌を歌う娘さんの写真を見せたあとに、「本当は今頃娘の晴れ姿を見ているはずだったのに、ミーティングのせいでこれさ」とタクシーの座席から撮った渋滞の車列の写真を見せて先に到着していたメンバーを笑わせている。
まだセットアップの時間に余裕があるということで、ビリーは受付に言付けして僕を大会議室に入れてくれた。そこにはこのエリア一帯の1:100の巨大な敷地模型が部屋いっぱいに置かれ、すでに開発が決まっている敷地には既存ではなくその提案の模型が置かれていた。僕が7年前に敷地模型をつくって立面図を描きコンペに勝ったビル、そして昨日ホールデンと模型をつくったビルが、並んで建っていた。それは、このエリアの開発を締めくくる最後のピース、絶好のロケーション。このエリアの将来のための重要な意思決定が行われるこの部屋で、僕らのつくった建築はすでに敷地のコンテクストとなってその他の意思決定に影響を与えている…。会議室を出ると、ビリーは模型の補修道具を受け取ってあっさりと僕を帰してくれた。狐につままれたような、少し興奮した気持ちのまま会社へ戻る。
午後は、現場のプロジェクトに戻り、いくつかの緊急ではない未決事項の処理。夜、クリスマスの挨拶に元同僚シャーマンが訪ねてくる。彼の勤務先に近い僕の現場をときどき見てくれているらしく、「順調だね!もうすぐだね!」と激励してくれた。同じく会社に残っていた古くからの同僚ジェームスと三人でしばし談笑。狐に襲われてしまったペットのウサギを守るためにジェームスが設計しているというシェルターを見せてもらったりして、少し懐かしい感じ。ほどほどで帰宅し、夜は部屋でのんびりする。
前日の夜にビリーから頼まれて、急遽水曜日のプレゼン用に担当外プロジェクトの1:100模型をつくることになる。担当しているプロジェクトのほうは現場への指示が一段落したところだったので、朝から作業を始める。幸いにもミーティングルームが終日空いていたので、ホールデンとふたりで模型材料を広げて一日中模型をつくった。
以前インターン生がつくった模型を補修し、ホールデンのスケッチをもとにパブリックスペースのディテールを加えていく。ホールデンはときどき僕のつくる模型の回りを歩き回りながら、つくった部分を壊したり、自分でもスチボを切って接着剤で貼付けたりしている。模型をつくるのは健康のためにも必要だよ、と言うホールデンと、さながら一緒にジョギングしているような気分。様子を見に来たビリーが「やっぱりね。コミの助けが必要だと思ったんだよね!」と言って出て行ったあとに、「そういえばイギリスを去るんだって?」とホールデンに話を振られる。帰国前にロンドンで計画しているレクチャー企画のこと、ミュンヘンにしばらく滞在すること、日本に帰ったらすること、いろいろと話させてもらうことができた。
夜、コントラクターとの飲み会が予定されていたのだが、そちらはキャンセルして同僚とディレクターに出席してもらい、僕は夜までホールデンとふたりで模型をつくり続けた。「つくってはじめてわかる発見がたくさんあったよね!一日でこんなに進むなんて!」とホールデンが言ってくれて終了、帰宅。
水曜日
朝早めに出社し、いくつか模型の気になっていた部分を修正する。9時半、ビリーが到着。「セットアップまで手伝ってくれ!会場で模型の補修も必要だし!」ということになり、現場の方も落ち着いているので大丈夫だろうと思い、僕もミーティング会場までタクシーで同乗することになる。
タクシーの中でクリスマス会の話などをひととおり話したあと、「この間のメールの件だけど…」と僕が退社する件の話になり、Practical Completionとそれに付随するSnagging List(やり残しリスト)の取りまとめまでをもって退社するのがよいだろう、とビリーも言ってくれた。日本への帰国航空券は早めに確定しなければならないが、間にドイツ滞在を挟むことによって離英のタイミングをフレキシブルにできるのは良いアイデアだと。「何年いた?4年くらいだっけ?」「7年弱です。振り返ってみれば長かったですけど、時間は早く過ぎました」「…」「最初にもらったタスクはコンペのための敷地模型づくりで、毎晩のように敷地に通って既存建物の写真を撮ったのを覚えてます」
行き先を指定するとタクシー運転手は一瞬「え?」という顔をしたあとに、正面玄関に停車してくれた。受付に到着するとビリーは、深刻な顔をして「今朝ショッキングなことがあったんだよ」と奥さんから送られてきた教会で聖歌を歌う娘さんの写真を見せたあとに、「本当は今頃娘の晴れ姿を見ているはずだったのに、ミーティングのせいでこれさ」とタクシーの座席から撮った渋滞の車列の写真を見せて先に到着していたメンバーを笑わせている。
まだセットアップの時間に余裕があるということで、ビリーは受付に言付けして僕を大会議室に入れてくれた。そこにはこのエリア一帯の1:100の巨大な敷地模型が部屋いっぱいに置かれ、すでに開発が決まっている敷地には既存ではなくその提案の模型が置かれていた。僕が7年前に敷地模型をつくって立面図を描きコンペに勝ったビル、そして昨日ホールデンと模型をつくったビルが、並んで建っていた。それは、このエリアの開発を締めくくる最後のピース、絶好のロケーション。このエリアの将来のための重要な意思決定が行われるこの部屋で、僕らのつくった建築はすでに敷地のコンテクストとなってその他の意思決定に影響を与えている…。会議室を出ると、ビリーは模型の補修道具を受け取ってあっさりと僕を帰してくれた。狐につままれたような、少し興奮した気持ちのまま会社へ戻る。
午後は、現場のプロジェクトに戻り、いくつかの緊急ではない未決事項の処理。夜、クリスマスの挨拶に元同僚シャーマンが訪ねてくる。彼の勤務先に近い僕の現場をときどき見てくれているらしく、「順調だね!もうすぐだね!」と激励してくれた。同じく会社に残っていた古くからの同僚ジェームスと三人でしばし談笑。狐に襲われてしまったペットのウサギを守るためにジェームスが設計しているというシェルターを見せてもらったりして、少し懐かしい感じ。ほどほどで帰宅し、夜は部屋でのんびりする。
朝、直接現場へ。同僚と合流し月例の現場ミーティング。いくつかの事項を現場で確認したあと会社に戻り、図面のチェックとレポートの作成。昼休み、新谷さんから僕の離英を踏まえて2月のRISAの会の日程について相談を受ける。午後、ディレクターにHCLA退社のタイミングの相談をする。9ヶ月前に退社の意思を伝えたときはずっと先だと思っていたが、そのときはすぐそこに近づいている。現在担当しているプロジェクトの竣工(引き渡し)をもってプロジェクトの終わり&卒業とするのがよいだろうと考えていたが、ディレクターからも同意を得られた。ロンドン市内の比較的大きな新築物件に、プロジェクトが始まったその日から竣工まで通して関わらせてもらうことが出来たのはかけがえのない経験である。ディレクターからは、プロジェクトの終わりまで残ってくれてありがとう、あとは僕にとって最もよいタイミングを選ぶようにと言ってもらう。2月半ばの渡独が確定したので、TUMでお世話になったボック先生に相談のメールを送る。日本に帰国する前にドイツで1-2ヶ月、研究をして過ごしたいと考えている。夕方、トークイベントDについて先方よりSHARISHARISHARIのコンパクトとアダプティブをテーマとした企画案にゴーサインのメールが届く。講師として考えていた方々にさっそく連絡を取り始める。僕がイギリスを離れる前に実現できればいいのだが。帰宅後、奥さんの意見を踏まえてクリスマスカードに修正を加えたあと、最終版のPDFデータを送信。そのあとはコンペDの作業。
日曜日、街の中にサンタがあふれていた。クリスマスはもうすぐ。

日曜日
昼前起床。会社へ。コンペDの作業。A1のプレゼンテーションを4パターン印刷してから新谷さんの家へ。仙石さん新谷さんと3人で最後の仕上げ作業。フォントや絵の色合いなど細かな部分の最終調整をする。ほとんどの作業をその場で終えて解散。一時帰国などでバラバラになるので提出前に集まるのは今日で最後であるが、残された分担作業を進めて提出前にみなでもう一度最終確認することになる。
夜は8時に崎村くんの家へ。就職活動をしている彼にいくつか事務所を紹介してあげたりした縁で、もつ鍋でもてなしてもらう。プロダクトデザイナーの大城さん、建築家の菊池さん、竹山くんと5人でもつ鍋を囲む。それぞれの地元の話や、今まで働いてきたイタリア、ドイツ、フランスの話をしながら11時まで。解散後バスでセンターに戻り、会社へ。明日の現場ミーティングの準備で資料を用意。夜半過ぎに帰宅し、奥さんから送られてきた写真を取り込んでクリスマスカードの作成のあと就寝。
土曜日
9時起床。RIBA図書館へ。館内では建築学生の卒業設計を表彰するRIBAプレジデントメダル2013の作品展が開かれている。プレゼンボードには、学生の名前のあとに学年と大学名、その下に作品名で、四段目に指導教官の名前も入っている。ちなみにPart1(3年生)の卒業設計の最高賞は銅メダル。Part2(5年生)の最高賞は銀メダル。プロになったらその上の金メダル(RIBAゴールドメダル)を取ってくださいということで、段階的に全部つながっているのがいい。バートレットは今年、銅メダル銀メダル論文賞の3部門を独占したが、銀メダルの受賞学生の指導教官の一人は日本人の方である。
図書館ではコンラッド・ワックスマンの『The Turning Point of Building(建築の転換点)』を読み進める。(ちなみに本書は絶版中であり、英訳版は希少本扱いなのか高額。原書である独語版は比較的安価に古書が手に入るので、図版だけでも手元にと思いアマゾンに注文済み。)前回はPart 1を読み終えたので、今週からPart 2。自分がいま興味のある施工に関する章から読み始める。詳細は後日アップするとして、ワックスマンはデザインから生産を経て現場組み立てまでの一体的なアプローチが必要と説いている。クリスタルパレスの迅速で正確な施工と新しい空間の誕生を可能にした生産・構法デザインに彼が着目したのも納得である。
スペースフレームのUniversal Mero Systemを調べていて、タタ・スティールのサイトにスペースフレームの歴史のよいまとめを発見する。Architectural Teaching Resourceと題された膨大な鋼構造教材の一部である。1時半の閉館まで図書館にいてから、会社へ戻る。
3時からSHARISHARISHARIの大アップデート会。ハイチにいる山本くんとSkypeでつないだり、竹山くんのプロジェクトを紹介してもらったり、リスボントリエンナーレのキュレーションチームでインターンしていたエディから経験談を話してもらったり、UCLでソーラーデザインを学んだミルコからソーラーデカスロンの応募案を発表してもらったりする。最後に次回以降、僕がロンドンを去ってからのSHARISHARISHARIについて話してから終了。夜は酔い処でSHARISHARISHARIの忘年会。15人が集まる。日本から戻った堀田くんも合流し、博士論文の提出を祝う。夜半過ぎまで。
日曜日、街の中にサンタがあふれていた。クリスマスはもうすぐ。

日曜日
昼前起床。会社へ。コンペDの作業。A1のプレゼンテーションを4パターン印刷してから新谷さんの家へ。仙石さん新谷さんと3人で最後の仕上げ作業。フォントや絵の色合いなど細かな部分の最終調整をする。ほとんどの作業をその場で終えて解散。一時帰国などでバラバラになるので提出前に集まるのは今日で最後であるが、残された分担作業を進めて提出前にみなでもう一度最終確認することになる。
夜は8時に崎村くんの家へ。就職活動をしている彼にいくつか事務所を紹介してあげたりした縁で、もつ鍋でもてなしてもらう。プロダクトデザイナーの大城さん、建築家の菊池さん、竹山くんと5人でもつ鍋を囲む。それぞれの地元の話や、今まで働いてきたイタリア、ドイツ、フランスの話をしながら11時まで。解散後バスでセンターに戻り、会社へ。明日の現場ミーティングの準備で資料を用意。夜半過ぎに帰宅し、奥さんから送られてきた写真を取り込んでクリスマスカードの作成のあと就寝。
土曜日
9時起床。RIBA図書館へ。館内では建築学生の卒業設計を表彰するRIBAプレジデントメダル2013の作品展が開かれている。プレゼンボードには、学生の名前のあとに学年と大学名、その下に作品名で、四段目に指導教官の名前も入っている。ちなみにPart1(3年生)の卒業設計の最高賞は銅メダル。Part2(5年生)の最高賞は銀メダル。プロになったらその上の金メダル(RIBAゴールドメダル)を取ってくださいということで、段階的に全部つながっているのがいい。バートレットは今年、銅メダル銀メダル論文賞の3部門を独占したが、銀メダルの受賞学生の指導教官の一人は日本人の方である。
図書館ではコンラッド・ワックスマンの『The Turning Point of Building(建築の転換点)』を読み進める。(ちなみに本書は絶版中であり、英訳版は希少本扱いなのか高額。原書である独語版は比較的安価に古書が手に入るので、図版だけでも手元にと思いアマゾンに注文済み。)前回はPart 1を読み終えたので、今週からPart 2。自分がいま興味のある施工に関する章から読み始める。詳細は後日アップするとして、ワックスマンはデザインから生産を経て現場組み立てまでの一体的なアプローチが必要と説いている。クリスタルパレスの迅速で正確な施工と新しい空間の誕生を可能にした生産・構法デザインに彼が着目したのも納得である。
スペースフレームのUniversal Mero Systemを調べていて、タタ・スティールのサイトにスペースフレームの歴史のよいまとめを発見する。Architectural Teaching Resourceと題された膨大な鋼構造教材の一部である。1時半の閉館まで図書館にいてから、会社へ戻る。
3時からSHARISHARISHARIの大アップデート会。ハイチにいる山本くんとSkypeでつないだり、竹山くんのプロジェクトを紹介してもらったり、リスボントリエンナーレのキュレーションチームでインターンしていたエディから経験談を話してもらったり、UCLでソーラーデザインを学んだミルコからソーラーデカスロンの応募案を発表してもらったりする。最後に次回以降、僕がロンドンを去ってからのSHARISHARISHARIについて話してから終了。夜は酔い処でSHARISHARISHARIの忘年会。15人が集まる。日本から戻った堀田くんも合流し、博士論文の提出を祝う。夜半過ぎまで。
昼過ぎ起床。会社へ。コンペDの作業。夕方dropboxで共有し、コンペチームからのフィードバックを待つ。そのあと会社の仕事。月曜日の現場ミーティングに向けて図面の準備。22時前に終了し、ひととおり情報をメールで送信してから帰路につく。日曜日の夜は店が早く閉まるので食料調達が難しい。
家に帰ったら奥さんから絵はがきが届いていた。現代美術館で開かれていた吉岡徳仁の『クリスタライズ』展をみどりさんと観に行ってきたときのもの。奥さんの感想がハガキの裏にしっかり書かれていた。
家に帰ったら奥さんから絵はがきが届いていた。現代美術館で開かれていた吉岡徳仁の『クリスタライズ』展をみどりさんと観に行ってきたときのもの。奥さんの感想がハガキの裏にしっかり書かれていた。

昼過ぎ起床。週後半の疲労からすっかり寝過ごしてしまい図書館に行きそびれた。夕方から会社へ。Oxford Streetはクリスマスの買い物客でごった返していて横断に苦労する。コンペDの作業。パースペクティブとアクソメの図の製作とA1ボードのレイアウト。夜、新谷さんからSkypeがあり現状のボードを眺めつつディスカッション。石井くん久保田さんも協力してくれて大きく進展があった。夜半過ぎに終了。現状のボードを共有してからパソコンを置いたまま帰宅する。奥さんから打ち合わせ通りのクリスマスカード用素材写真が届く。僕も明日撮影せねば。
朝、直接現場へ。5階と6階の仮設足場が外されつつあり、上の方から建築の姿が徐々に現れてきた。クライアントチームに同行し、居室内装のインスペクション。昼すぎまで。その後、夕方まで建物全体を歩き回りながら昨夜つくったチェックリストに沿って詳細を確認する。ところどころで呼び止められいくつかの作業工程について確認のための話し合い。現場事務所に戻りコントラクターといくつかの事項を話し合ったあと現場を出て会社に戻る。キッチンで同僚と竣工間近の現場のことをしばし話す。インスペクションのレポートをまとめてから退社、クリスマスカード作成の参考にするためにいくつかデパートを回ってから帰宅。もう12月。日常の些細なこと、6年間何度も繰り返し同じことをしてきたような気もするが、今年に限っては、今やっていることのほとんどがロンドンでは最後のことになるんだ、とふと思った。move on。
終日現場のプロジェクトの作業。レポートの作成。明日の現場インスペクションのための資料確認。定時に退社しRIBAの図書館へ。『The Turning Point of Building』を読む。夜はイベントDの企画書製作のつづき。
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『The Turning Point of Building』。パラパラと読んでみての印象は、各章の本文中にはあまり固有名詞が登場せず、さらっとしている。そのかわり図版はどれも特徴的で情報量の多いものが選ばれている。たとえばフライ・オットーもバックミンスター・フラーも本書には登場するのだが、あくまで図版とそのキャプションにおいてのみで、本文中での言及は無い。ちなみにオットーの図版提供はオットー自身だが、フラーの図版提供はフラーではない。
今日は前回の続きで、全三章のうちの最初の一章(Part I)を通しで読んだ。ワックスマンから見た建築史的な章。(前回分はこちら)
「1. Introduction」結論を示すことではなく、問題へのアプローチの仕方を提起することがより重要であること。断片化している各方面の努力をひとつに結集することが本書の目的であるとの表明。
「2. Historical background」工業化によって、建設とは敷地外で製作された部品を組み立てることになったこと。それは今までのどの方法とも異なること。それにより、創造性を生み出す匿名のチームワークが重要になってきたこと。
「3. Decisive influence of the nineteenth century」短い章。19世紀につくられた建築の中に新しい時代の建築の萌芽が見える、という、このあとの章で語られることの予告。
「4. The crystal palace, London」前回触れたので省略。
「5. The firth of Forth bridge, Edinburgh」前回触れたので省略。
「6. The Eiffel tower, Paris」二次元的な部材の集合が三次元的なスペースフレームを形成していること。それ自体は平面であるガセットプレートの助けによって個々の部材が空間(スペース)に集中する多種多様な節(ノード)の存在に、そのスペースフレーム的性質は現れていること。
「7. Late gothic example, Prague」後期ゴシック建築であるプラハ城の複雑な交差リヴ・ヴォールトにも、同様の節または交差点が見られる。
「8. Alexander Graham Bell」ベルの開発した四面体ユニットを構成する丸鋼管のための、標準化され、普遍性を持った、三次元的な接合部。
「9. Brooklyn bridge, New York」接合された細い線材(ケーブル)が生み出す新しい建築の紹介としてニューヨークのブルクッリン橋(1883)が登場。
「10. The pont transbordeur, Marseille」同じく接合された細い線材(ケーブル)が生み出す新しい建築の紹介としてマルセイユのトランスポーターブリッジ(1905)が登場。エンジニアはFerdinand ArnodinとG. Jeinekugel le Coq。
「11. Development of the Chicago skyscraper」シカゴの摩天楼について。(特筆すべき言及は特に無し)
「12. Airship construction」ドイツのシュッテ=ランツ社の一連の飛行船プロジェクトに見られるスペースフレーム構造。
「13. The bicycle frame」すべてが流動的な技術の発展途上過程においても、自転車のホイールのように比較的早い段階で普遍的な完成形に至る場合もあること。建築もこの転換点においてそれを見つけるべきであること。
次回はPart II。モジュール、接合部、建築生産、設備、施工に関する章。
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『The Turning Point of Building』。パラパラと読んでみての印象は、各章の本文中にはあまり固有名詞が登場せず、さらっとしている。そのかわり図版はどれも特徴的で情報量の多いものが選ばれている。たとえばフライ・オットーもバックミンスター・フラーも本書には登場するのだが、あくまで図版とそのキャプションにおいてのみで、本文中での言及は無い。ちなみにオットーの図版提供はオットー自身だが、フラーの図版提供はフラーではない。
今日は前回の続きで、全三章のうちの最初の一章(Part I)を通しで読んだ。ワックスマンから見た建築史的な章。(前回分はこちら)
「1. Introduction」結論を示すことではなく、問題へのアプローチの仕方を提起することがより重要であること。断片化している各方面の努力をひとつに結集することが本書の目的であるとの表明。
「2. Historical background」工業化によって、建設とは敷地外で製作された部品を組み立てることになったこと。それは今までのどの方法とも異なること。それにより、創造性を生み出す匿名のチームワークが重要になってきたこと。
「3. Decisive influence of the nineteenth century」短い章。19世紀につくられた建築の中に新しい時代の建築の萌芽が見える、という、このあとの章で語られることの予告。
「4. The crystal palace, London」前回触れたので省略。
「5. The firth of Forth bridge, Edinburgh」前回触れたので省略。
「6. The Eiffel tower, Paris」二次元的な部材の集合が三次元的なスペースフレームを形成していること。それ自体は平面であるガセットプレートの助けによって個々の部材が空間(スペース)に集中する多種多様な節(ノード)の存在に、そのスペースフレーム的性質は現れていること。
「7. Late gothic example, Prague」後期ゴシック建築であるプラハ城の複雑な交差リヴ・ヴォールトにも、同様の節または交差点が見られる。
「8. Alexander Graham Bell」ベルの開発した四面体ユニットを構成する丸鋼管のための、標準化され、普遍性を持った、三次元的な接合部。
「9. Brooklyn bridge, New York」接合された細い線材(ケーブル)が生み出す新しい建築の紹介としてニューヨークのブルクッリン橋(1883)が登場。
「10. The pont transbordeur, Marseille」同じく接合された細い線材(ケーブル)が生み出す新しい建築の紹介としてマルセイユのトランスポーターブリッジ(1905)が登場。エンジニアはFerdinand ArnodinとG. Jeinekugel le Coq。
「11. Development of the Chicago skyscraper」シカゴの摩天楼について。(特筆すべき言及は特に無し)
「12. Airship construction」ドイツのシュッテ=ランツ社の一連の飛行船プロジェクトに見られるスペースフレーム構造。
「13. The bicycle frame」すべてが流動的な技術の発展途上過程においても、自転車のホイールのように比較的早い段階で普遍的な完成形に至る場合もあること。建築もこの転換点においてそれを見つけるべきであること。
次回はPart II。モジュール、接合部、建築生産、設備、施工に関する章。
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朝、直接現場へ。ディレクターも合流しコントラクターと現場ミーティング。昼前に終了し会社へ戻る。午後はメールへの返信とレポート作成に追われる。定時に退社し帰宅。夜はイベントDの企画書製作。