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ミュンヘンなんて、どこ吹く風

ミュンヘン工科大留学、ロンドンの設計事務所HCLA勤務を経て
群馬で建築設計に携わりつつ、京都で研究に励む日々の記録

すべてのみちは、

2006-10-31 01:49:32 | 帰国・修論+αな日々
ローマWS一日目。十時に大学に集合してガイダンス。グループが確定し、僕の入るグループは、あおきくん、ホセ(AUSMIP)、フランチェスカ、クリスティアーノの五人になった。ガイダンス終了後、グループごとに分かれて敷地見学。…の前に、キャンパス内のスタバでコーヒータイム。さっそく直面したヨーロッパ的時間の使い方に、留学時代を思い出す。敷地では、みなかなり興味を持って写真を撮りまくっていた。僕が知っているだけのありったけの情報を提供すると、感心しながら聞いている。さっそくインスピレーションが湧いたのだろうか、金曜日の中間講評に向けていつ準備を始めようか、と早くもやる気を感じさせる発言が聞けてむしろ戸惑った。昼飯は日本食の店を案内しようと思ったが、見つからなかったので近くのはなまるうどん(一玉百円からうどんが食べられるあれです)に入る。注文はカスタマイズ方式なので、説明にてこづってしまい混雑の元になってしまった。外国人には合わないと思うからやめたほうがいいと言ったのに、ローマ人が納豆を食べたがる。めかぶともども、やはり口には合わなかったようだ。それでも「うまい!ローマで食べたどんな日本食よりもおいしいよ!」と嬉々としてうどんをすするローマ人たちを見て、ものすごく申し訳ない気持ちになる。そして食後はまたしても、スタバでコーヒーブレイク…。代々木体育館と明治神宮を案内してから大学に戻る。五時から講評室でプレリサーチの結果をプレゼンテーション。僕らの班の発表は、建て替わりも含めた店の所有者の変遷についての部分に興味を持ってもらえたようだ。目を皿のようにしてゼンリン地図の細かい文字を読み込んだ甲斐があった。すずきせんせいからは、敷地割りや雰囲気、ビルの名前からその場所の成り立ちがいくらかは類推できるはずというお話。「石栄第二ビル」という名前だけからわかることを先生がすらすらといくつも述べられるのを聞いて思わず感動の嘆息。最後はウェルカムパーティでローマ人と触れ合う。明日は十一時に新宿に集合だ。

先週までの時点で、CVを送った6事務所のうちの2事務所からCV受け取りのメールをもらっていた。今日、無事届いているかの確認のため残りの4社にメールをした。そのうちの2社から、すぐに返事が届いた。デビッド・チッパーフィールドの事務所からは、「あなたのCVは10月24日に受け取りました。今届いたCVを順次吟味していて、返事には6週間ほどかかるが、採用でも不採用でも必ず返事をします」というような文面。そして、リチャード・ホールデンの事務所からは、「返事が遅れて申し訳ありません。今はこれ以上インターンを受け入れることはできません。四月以降についても何もお約束できません」との返答が届いた。体がこわばる。

聞きたくなかった知らせが、はやくも届いたことになる。一つ目の「No」である。

僕のポートフォリオの内容のせいではないこと、就活と研究が成功することを祈っていること、など、かなり気を使ってくれていることが文面から伝わってきた(気がする)。ホールデン事務所は同時に二人以上のインターンを受け入れることはない、と春に訪ねたときにすでに言われていた。今は人材よりも仕事を探している、とも言われていた。コンペには参加するもののなかなか実施までいけないんだ、とも。去年の夏に大量に人員削減したばかりだ、とも。だからなんとなく予想はできていた。今回もまた、インターンは受け入れられない、と言われることは。

それでもあきらめきれなかったので、ホールデンへの思いのたけを書き綴って、自分の考えと能力を最大限アピールして、インターンの期間は再考してもいいと譲歩して、もういちどメールで返信した。それへの返事は今のところ来ていない。相当しつこいと思われただろうか。でも失うものは何も無いはずなので、納得できるまで主張することにした。明日は電話してみよう。なりふり構ってはいられない。

でも本当はもうわかっている。最短距離でのみちは閉ざされてしまった。でもすべてのみちはローマへとつづいているはずである。どんなにまわりみちをしてでも、ホールデンに一歩でも近づける方法を考えよう。いつかはたどり着けるように。

戦略を変える必要がある。狙い撃ちはほどほどにして、範囲を少し広げてみよう。
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ノーマン・フォスター

2006-10-25 23:57:07 | 帰国・修論+αな日々
ローマWS歴史マップ班で渋谷区役所に行き歴史資料をあたる。もともと戦後のどさくさにまぎれてなし崩し的に成立した場所だけに、公的な資料は残っていないらしい。のんべい横丁成立時の俯瞰写真一枚と、隣接する宮下公園の成立過程の資料を得られただけだった。民有地であるのんべい横丁の範囲も成立当初から変わっていないとのこと。隣り合う区立駐輪場も、もともと区の土地だった部分を利用したものらしい。過去の公図を閲覧したものの、のんべい横丁の敷地内での所有関係はわからなかった。大学に戻る前に敷地をもう一度見に行く。隣のビルの非常階段から見下ろすと、立ち並ぶ飲み屋には一枚の大きな屋根がかかっているのがわかる。色分けや外装材によってカモフラージュされているが、線路に並行する西側の一列は一棟の長屋なのだ。東側の一列は旧渋谷川に沿っていたものと考えられるが、屋根を見る限り、こちらは一棟一棟個別に建てられたようだ。

昨日から体調が悪いので午後は部屋で寝ていた。修論用に借りた本を読みながら、気がつくと眠ってしまっていた。そのまま断続的に眠りに落ちながら今に至る。

昨日のリッチーに続き、今日はフォスター事務所からCV受領のメールが来た。

「あなたの応募は現在、分類調査されています。 私たちは定期的にすべての応募を評価します、そして空席に応じて候補者は面接のためにリストアップされます。 通常、この過程は2~3週間かかります。 私たちが3週間後に再びあなたに連絡しなかったなら、それは私たちがあなたにとってどんな席も用意できないことを意味します。空席状況が変化した場合、私たちが再びあなたに連絡することができるように、あなたのCVはこちらで保管いたします。いずれにせよ、われわれの事務所に興味を持っていただきありがとうございます」昨日とだいたいおんなじ。

昨日のメールと照らし合わせてみると、どうやらどちらも一定期間分の応募をまとめて審査するという形式のようだ。ほかの事務所も同様だと思われる。ともかく、ロンドンに一手目を打つことはできたらしい。次の一手は直接電話かな。
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イアン・リッチー

2006-10-25 00:46:36 | 帰国・修論+αな日々
午前中、友達に会う。お茶しながら、ロンドンでの就活のことなど相談。午後はすずきせんせいの講義に出た後、ローマWS歴史マップ班の打ち合わせ。メンバーに今年のAUSMIP生がいるので英語で話す練習ができてうれしい。終了後、図書館で修論の資料収集。19世紀英国ヴィクトリア朝時代のエンジニア列伝みたいな読みやすい本を見つける。SDの古い特集もいくつか参考になりそうだ。森川食堂で夕食を食べた後、ピソコモド畳プロジェクトのフライヤー製作。十二時帰宅。

帰宅後にメールチェックすると、Ian Ritchie Architectsからさっそくメールで返信が。「CVとカバーレターを受け取りました。すぐに受け入れの可否をお伝えいたします。6~8週間たっても返事が無い場合は、改めてご連絡ください」6~8週間じゃ奨学金の申請に間に合わない。ポートフォリオのことに触れられてないのも気になる。事情がよくわからないけれど、改めて「11月10日までに返事をいただきたいです」とメールで返信。ともかく人事の担当さんがわかっただけでも収穫。

ロンドンで資料収集している先輩からメールで「イギリスでは就活は押しの一手」とのアドバイスをもらう。フォスター事務所は入れ代わりが激しいので意外にチャンスがあるかもとの情報も。でも僕の学歴はイギリス式に数えると働くには不十分なものらしい。「イギリスでは3年学部をやって、パート3。それから1(~2)年大学院+1年の実務経験でパート2。日本のいわゆる一級建築士にあたるRIBAの資格を得るためには、また 大学院で3年(パート1)をやって、ようやく試験を受ける資格があるのだそうです」とのこと。正式採用は実務経験がないと厳しいということか。いずれにせよ今回はインターンの申し込みという形で先方に手紙している。

googleにログインしていたらマックスからメッセージが入り、久しぶりに話す。僕はイギリスで就職活動していることを話す。マックスは今も大学生活を続けていて来年の夏にインターンするそうだ。にくたらしさはもう感じなかった。うれしかった。

最近また夢を見るようになった。なんだかあまり寝覚めのよくない夢ばかり。
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自分を売り込め

2006-10-19 04:09:09 | 帰国・修論+αな日々
ブログを更新していないのは、頭の中が整理できていない証拠だったりしますが。
ここのところ取り組んでいるのは、就活とIFFTの畳プロジェクト(と修論)。

TUMに留学している後輩からホールデンのスタジオを履修することになったとの連絡。構法系の彼女にはTUMとホールデンスタジオがぴったりだと思っていたので、よかったよかった。今期のテーマは南極とのこと。やはり局地建築だったか。そういえばおととしは北極じゃなかったっけ?去年はアフリカだったような?

そして僕は今日ポートフォリオがようやく完成。最近の作品を中心に5作品紹介してみた。あとは履歴書(CV)にカバーレターを添えて発送。春にホールデンに紹介してもらった9つの事務所と、ホールデン事務所に売り込もうと思っている。

この秋からfoaに就職する鈴木研OBの方を先生から紹介していただく。労働ビザを取得する目処がたったので留学先のオランダから帰国したらしい。すぐ日本を発つものの、以後もメールで相談にのってくださるとのこと。僕もあとにつづきたい。
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15pixel の大胆細心

2006-10-06 00:36:28 | 帰国・修論+αな日々
5日
昼過ぎからポートフォリオ製作。夕方からはIFFT畳プロジェクトのモックアップスタディとミーティング。15ピクセルの構成が決定する。十時過ぎに解散し、以降はTOEFLの模試と勉強。製図室の窓を伝い落ちる大雨を院生室から眺めながら。

4日
午後から東京出張中のピソコモドの方を交えてミーティング。終了後、夕方まで引き続き僕らは会場構成のスタディ。八畳半の畳をどう構成するか、15ピクセルの繊細な設計。解像度が低い分、わずかな操作が全体の印象を劇的に変えてしまう。夜は友達と一緒に学食でゴハンを食べて、その後はTOEFLの模試と勉強。

3日
休憩がてら、ピーター・ライスの自伝を読んでいる。修論・就活のヒントが見つかりそう。『英文履歴書の書き方ver2.0』を買って履歴書を書き始めた。自分を振り返るよい機会になれば。コンドル賞報告会を聞いて刺激を受ける。発表内容はもとより、その後の質疑におけるはっきりとした受け応えに、うわべではない“自分の言葉”を感じる。すずきせんせいが会議を終えるのを待って、修論・就活・ワークショップについて相談。鈴木研MLにワークショップと修論勉強会の案内を流す。夜はTOEFLの模試と勉強。借りていた『オペラハット』『エデンの東』を観てから就寝。
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新学期の一歩目

2006-10-03 03:15:41 | 帰国・修論+αな日々
今日から新学期。大学院生としては最後の半年間。ゆるゆるいきますが。

チカチカしていて気になっていた院生室の蛍光灯を交換し、応募しようと思っている研修助成制度への推薦をすずきせんせいにお願いし(お留守だったので秘書さんに)、採用が決まった奨学金団体から小論文の提出フォーマットを学生課で受け取り(分量的に修士論文の序論にちょうどよさそうだ)、鈴木研も参加しているローマ大学との共同ワークショップへの関わりかたをやましろさんに相談し、もらったチラシで院生室にいた研究室の後輩にワークショップを宣伝し、フライ・オットーの高松宮記念文化賞受賞記念講演会にFAXで参加申し込みし、図書館で『世界の建築家521人』を読みながら就職活動先をピックアップし(たいていは、以前ホールデンからも推薦してもらった人たちであるが)、あとはインターネットで英文履歴書の書き方を調べたり、ロンドンの建築家のホームページを見たりしていた。

僕らの『森の歩道橋』が載った今月号の新建築が生協の書籍部で売り切れてた。昨日ちらりと近所の本屋で立ち読みしたのだけど、そこも今日には売り切れていたらしく。昨日買っとけばよかった。せっかくだから手元にほしい。今は入荷待ち。

先月観たオペラ『フィガロの結婚』に出演されていた高校の先輩から手紙をいただいたので、僕も自分の研究内容とかを添えて返事を返す。その方もドイツ留学されているので、分野はぜんぜん違うけど僕はなんだか少し親近感を持っている。

太宰治の『人間失格』がとても面白かったので、つづけて『斜陽』も借りて読み始めた。いまさらながら古典の美しい言葉が読みたくて仕方がない。「不良でない人間があるだろうか。(中略)不良とは、優しさのことではないかしら」今日は主人公がそうつぶやくところまで読んだ。『人間失格』もそんな優しい男の話だった。
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森の歩道橋が『新建築』に

2006-10-01 02:10:02 | 帰国・修論+αな日々
僕らがこの夏につくった『森の歩道橋』が、『新建築』10月号に掲載されました。


「五条×堀川 木の歩道橋デザインコンペ」提出作品
『森の歩道橋』 川島範久 小見山陽介 小林研治 +マンモス設計集団

僕らもDECoとして施工に携わらせていただいた『五月祭ドーム』について、稲山正弘先生自らが解説されている記事の中で、僕らの案をドームの「今後の展開」として紹介してくださりました。ほかにも、DECoが製作したテーブルや、施工時の様子なども写真で紹介されています。稲山先生、本当にありがとうございました。
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立山黒部アルペンルート

2006-09-30 23:51:57 | 帰国・修論+αな日々
25日~27日までで修論の勉強会とシェルターコンペの提出が一区切りつき(コンペは印刷でトラブり、提出は結局相方のかわしまくんに託してしまいましたが…)、27日朝からは二泊三日で立山黒部アルペンルートへいってきました。

長野側からルートに入り、黒部ダムへ。同行者の希望もあり、ずっと行きたかった場所でした。僕がその圧倒的な量感と美しい曲線に見とれる一方で、彼女には、それが溜め込むエネルギーの嵩(かさ)と建設に携わった労働者の手の数が心に迫ってきていたようです。観光放水として擬似的に放出される水は、噴出したそばから細かな粒子となって空気中に撒き散らされ、僕らのほほを湿らせます。湖畔を散策してからケーブルカーでさらに富山側へと進み、その夜は弥陀ヶ原の天望立山荘(吉阪隆正設計)に宿泊。“大胆な増築”の結果、建物全体が相似変形的に拡大されていましたが、窓の意匠の細やかさに新旧の違いが見てとれました。翌日は早朝から弥陀ヶ原、美女ヶ原、立山をそれぞれ散策し、アルペンルートを制覇。夜は富山地方鉄道の終着駅である宇奈月温泉へ。三日目は黒部渓谷鉄道のトロッコ電車で黒部川をさかのぼり、終点欅平から歩いて秘境名剣温泉で入浴。最後は富山から夜行バスで東京に帰ってきました。

山頂付近では標高的に雲の中なので天気はめまぐるしく変わったのですが、大観峰を抜けてからは天候に恵まれ、新緑→紅葉のちょうど中間くらいの景色がきれいでした。

弥陀ヶ原の湿地帯を源流とする黒部川の流れが、美女ヶ原の森をぬけ立山の称名の滝を経て宇奈月温泉まで流れ込むさまと、一方では、宇奈月ダムに始まり、徐々に川の流れをさかのぼれば『黒部の太陽』黒部第四ダムへといたる電源開発の歴史を、二泊三日かけて北から南から見てきたことになります。ダイナマイトで発破をかけて岩盤を粉砕し400万トンのコンクリートを流し込んだ圧倒的な人工物黒部ダムの轟音と、わずかな刺激でもすぐに崩れてしまうため人が触れることさえ許されない弥陀ヶ原の幻想的な餓鬼田の静寂が、共存するアルペンルート。その最下流には一泊五万円の高級温泉旅館があるかと思えば、その源泉をたどれば自分で勝手に川原を掘って入浴する秘境の露天岩風呂にまで至るという、黒部渓谷の温泉群。右へ左へ大きく揺り動かされながら、いろんな感情を揺さぶられた三日間でした。夏休みと紅葉シーズンの谷間だったせいか混雑もなく、中高年の団体さんや日帰り旅行者は訪れないような場所までゆっくり足を伸ばしたので、随所で“貸しきり状態”が発生し 堪能できました。

旅行中に思い出したのですが、昔僕の実家の裏には「わくたま」と呼ばれる水の湧き出る小さなつつみがあって、周りの家(といっても田舎だから数件ですが)はみんなそのあたりの地下水脈から湧き出る水で井戸を引いていたのです。小学校に上がる前の僕はよくそこでメダカやタニシを採ったりして遊んでいたのですが、中でもお気に入りの遊びは、水の湧き出るポイントを見つけることでした。砂を巻き上げないようにそっと水の中に入り砂底に目を凝らしていると、砂がわずかに動く場所があるのがわかります。そこを両手でそっと一掻きするとボコボコと水泡が上がりだし、砂が水とともに噴出して湧き上がる様子が見える、という遊びです。しばらくほっておくと噴き上がった砂がつもり、ポイントを再び隠してしまうのでした。いつしか、僕の村にも上下水道が通るようになり、わくたまからは水が湧かなくなり、僕もそんな秘密の遊びをするような年齢ではなくなっていました。今では、農業用水が湧き出すところだからといってわくたまをつぶすことに反対していた地域の長老的存在の方もすでに亡くなり、まもなく道路を延長する工事が始まるとのこと。黒部に、同行者の言葉を借りれば“エネルギーが生まれるところ”を訪ねて、僕も“生まれるところ”を夢中で探していたときのことを思い出したのでした。

なお、宇奈月温泉の料理屋「河鹿」の釜飯&おでんと、富山市内の割烹「つくし」の酒菜づくしが、格別に安くおいしかったことを感謝をこめて記しておきます。

そして酒は、二級酒「立山」(青ラベルの方)の冷(燗じゃなくて)と、宇奈月のドイツ風地ビール三種がおすすめです。 河鹿でたまたま隣り合った僕らに「立山」をおごってくれた某温泉旅館の営業さん、あらためて、ごちそうさまでした。


もしこれから黒部ダムを訪れる方がいましたら、ぜひ『プロジェクトX』第九集の「シリーズ黒四ダム 前編後編」を予習してから行ってくださいね☆
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30

2006-09-24 12:17:54 | 帰国・修論+αな日々
23日
十時半に大学へ。MOKUBAの毛糸を“織り機”で織る。だんだん三人の息が合ってきて、二巻き50m分をあっという間に織り終わる。安い材料ではないので、いかにコストを抑えられるかも考えなければならない。そのあと池袋の東急ハンズで床材用の緩衝シートとライオンボードを買って大学に戻る。夕方からは修論エスキス用の資料づくり。夜はスーパーで野菜を買い込んで久しぶりに自炊。野菜スープ。

22日
先学期分の成績を反映した最新の単位修得状況がウェブにアップされているのを教えてもらいチェックしてみる。僕がこれまでに修得した単位は22単位で、今学期に修論と研究で取れる8単位と合わせれば晴れて卒業条件を満たすことに。先学期、岩にかじりついてもぎ取った6単位が大きかった。申請していた研修助成の応募用紙が届く。応募期間は来月から再来月にかけてで、研修先の受け入れ許可が無いと出願できない。つまり、それが研修先(就職先)決定のデッドラインに。
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押しの一手あるのみ

2006-09-22 04:08:03 | 帰国・修論+αな日々
25日に修論の自主勉強会第一回を開くので、基本的にはその準備をしている。

21日
夕方から日暮里の繊維街にタコ糸を買いに行って、そのあとピソコモドのモックアップ製作。三人で試行錯誤しながら、ようやく毛糸畳を織るための“織り機”ができる。縦糸を切り替えるのが難しかった。多少ヒントはあったものの、もはや発明である。11時過ぎに解散し、その後は無人の院生室で音楽聴きながら修論作業。

20日
午後からピソコモドのモックアップ製作。夜は、就職した友達を交えて久しぶりに呑む。学部時代によく一緒に遊んでいたメンバーだけど、こうやってまた集まるのは久しぶり(特に僕は)。神楽坂の隠れ家居酒屋からマックへハシゴして、まったり。お互いいろいろ変化しながらも、こうして続いている関係っていいなと思う。


先週メールをさせてもらったイギリスの建築家バーナードさんから返信が届いた。僕がロンドンでハイテックを学びたいという熱意は伝わったらしく、就職活動に協力してくださると。 ポートフォリオとCV、早くつくって各方面に送りまくってみよう。
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