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ミュンヘンなんて、どこ吹く風

ミュンヘン工科大留学、ロンドンの設計事務所HCLA勤務を経て
群馬で建築設計に携わりつつ、京都で研究に励む日々の記録

誕生日+壮行会+打上げ

2006-09-20 02:38:21 | 帰国・修論+αな日々
19日 
TOEFLの申し込みをする。会場は御茶ノ水。夜は桜木町の“チャイナレストラン”山陽で木の歩道橋コンペの打ち上げ。学年学科問わずお手伝いしてくれた方々を招いて感謝の宴。ちょっとでも減ると容赦なく注いでくる給仕さんにノセられ、どれくらい飲んだのか覚えていない。皆楽しんでくれたようでよかった。かわしまくんこばやしさん僕の三人の間では、まじめな話も少々。でも帰りの電車はグダグダ。

18日 
携帯電話の調子が修理に出してもどうにもよくないのであきらめて機種変更した。
夜はかわしまくんのコンペの“様子を見る”つもりが結局朝まで付き合うことに笑

17日
今日はAUSMIPでドイツに留学する後輩たちの壮行会の日。企画側の我々は昼前に表参道に集合して、キディランドや東急ハンズを回りながら彼らへのプレゼントを選ぶ。ついでに紀伊國屋跡地でやっている「白の一週間」というインスタレーションを覗く。更地にした上に、砕いた白い大理石が敷き詰められている。それが、というよりそこがぽっかり明いたことで見えてくる周りの様子が気になる。三時からはbunkamuraでオペラ『フィガロの結婚』を観る。僕の高校の先輩が伯爵役を熱演。ちょっとしたところで面白い動きを入れちゃったりするサービス精神は前高生のサガなんだろうなあ。「伯爵とスザンナはかつて恋愛関係にあった」という演出上の新解釈はよくわからなかったけど、ストーリーがよくできてて、引き込まれた。 七時半に有楽町駅に集合し、バーデンバーデンにて三人の後輩たちを激励する。彼らの言葉の端々から留学生活に向けての高揚感が感じられてなんだかかわいい。プレゼントも料理も楽しんでもらえたようでよかった。僕らがドイツを訪れた際は、たっぷりお返ししてくれるらしい。三人仲良くがんばってくれればいいなと思う。なんだかうらやましいなあ!僕も来年の春からはまた…、と決意を新たにす。

16日
池袋をぶらぶらして、後輩たちへのプレゼントなど物色して廻る。

15日
僕の誕生日。楽しいひととき。大好物のオムライスを食べて、ケーキを食べて、ダスティン・ホフマンとミア・ファローの『ジョンとメリー』を観た。高校時代に観たときは登場する小物ばかり目が行って筋書きはうろ覚えだったのだけど。今回は。

14日
体調が戻ったので院生室で修論の作業再開。夜はレンタルビデオ店を廻る。探しているビデオがなかなか見つからず、結局渋谷のツタヤまで行ってしまった。
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一回休み

2006-09-14 00:58:14 | 帰国・修論+αな日々
体調がすぐれなかったので今日は一日部屋で寝てました。明日は復活予定。
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2006-09-12 23:25:40 | 帰国・修論+αな日々
朝までねばったものの気がつくと眠ってしまっていたらしく、昼過ぎに目が覚める。天気は断続的に雨。昨日までの真夏日がうそのように寒い。季節の変わり目。
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なすびのように貪欲に

2006-09-11 22:07:48 | 帰国・修論+αな日々
奨学金に応募するため書類をそろえる。教務課で成績証明書を請求し、保健センターで健康診断書を発行してもらい、すずきせんせいに推薦書を書いていただく。

せっかくなので先生に来春以降のことについて相談。大学間提携による交換留学よりも、政府給費留学生(研究)や在外研修員制度(就職)への応募を勧められる。

工学系研究科の国際交流課にも相談に行く。ロンドン大学との部局間提携は、研究者レベルでの話なので、学生の定期的な交流は行われていないらしい。でも東大として学生を先方に紹介することはできる、と。修士を出ない場合と出る場合の留学方法についてアドバイスをいただく。大学のホームページや、ブリティッシュカウンシル・JASSOの奨学金案内をみながら少し自分で考えて準備をしてみて、後日改めて1時間ほど時間をとってもらい作戦を練らせていただけることになった。

さっそく文化庁の在外研修員制度を調べてみるも、来年度分の募集は夏までで締め切られていた。院生室の先輩に相談して、別の手段を紹介してもらう。失うものなど何もない!さっそく申請書類請求のため返信用封筒を添えて貪欲に投函。

9月の第三日曜日、ロンドンでは年に一度の大規模なオープンハウスが行われる。今年は9月17日で、フォスターのSwiss Reも公開されるらしい。今回も参加できないのは残念だけど、来年はいやというほど見れる予定だから別にいいのさ!

Open House London 2006 Guide


今夜は静かな院生室にこもり、たまっているRIBAの資料を読み進めようと思う。
“イギリス英語”の勉強にもなるかな?19世紀だからむしろ古語だったりして…
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停電の日/海の向こう

2006-09-11 02:03:08 | 帰国・修論+αな日々
工学部一号館が点検のため昼過ぎから停電。今日のような真夏日に空調の効かない院生室は無理なので、以前友達にもらったチケットで池袋に映画を観にいく。

夕方院生室に戻ると、他研の先輩が荷造りをしている。明日から研究調査のためパリに行き、そのまま留学生活に入るのでしばらく帰らないとのこと。あまり話したことはなかったけど、修論発表会の後に「君の発表を聞いて、久しぶりに建築って楽しいなと思えたよ」なんて言葉をかけてくれた方なので、なんだか寂しい。

研究室の先輩が「環境」をテーマにした懸賞論文に応募するらしく、昨日から助太刀を要請されていたので、夜はその方と二人で1200字を練る。1800字から600字削るのがつらい。以前書いておいた文章が使えそうな気がしたので、僕もそれを使って別に応募することに。今日の消印を得るため、本郷郵便局に持ち込む。

その先輩からイギリスの建築家さんを紹介していただけることになった。その方はもうおじいちゃんで、屋敷を一部貸し出して若い芸術家のパトロンのようなことをしているらしい。その先輩も研究で渡英する際はお世話になっているとのこと。

帰り際、事務室前の掲示板で奨学金情報をチェック。研究のための海外渡航や長期留学を支援してくれる団体が複数存在することがわかった。応募の締め切りはいずれも今月から来月にかけて。まずはこれらに応募することから始めてみよう。
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日本建築学会大会その2

2006-09-10 04:01:07 | 帰国・修論+αな日々
今日も学会大会に参加。全部門制覇を目指して少しずつ覗いてみることに。構造系や環境系は会場全体で論の前提が共有されているらしく、質疑応答も内容まで突っ込んだものが多かったが、「作家論・作品論」のセッションなどは「研究論文の体をなしていないのではないか、結局論者の個人的体験に過ぎないのではないか」といった元も子もない“質問”が目立った。計画系、材料系、構法系、環境系、歴史・意匠系、都市計画系とつまみ食いして回ったが、発表というより義務的な報告にとどまっているものは面白くなかった。印象として、材料系のプレゼンテーションからは“多くの人に伝えたい”との誠意を最も感じた。最後にまた構法系に戻り「海外建築・宇宙建築」のセッションを傍聴。海外とはこの場合中国・ASEANを差す。宇宙建築は、宇宙開発技術の地上建築への適用可能性を論じた友達の発表の、そのつづきが気になった。参加してみてわかったのは、似たような名前のセッションが部門をまたいで存在していたりするけれど、だからこそ発表する場を選ぶことが重要らしいということ。場違いな発表をしている人は傍聴席からの反応も芳しくなかった。どんな人に聞いてもらえばもっとも効果的な反応を得られるか。来年は自分も発表者の側に回りたい。帰りはせっかくなので横浜に寄り道して、大桟橋で芝生に寝転んでごろごろしたり、中華街で豚まんをほおばったりした。

帰りの電車の中で、ここ数日読んでいた『砂の女』を読み終わる。もともとは借りた本だったのだけど、途中でこれは所有すべき本だと気づいて自分で購入した。主人公の男が女の家にとどまるという結末は予想できていたのだけど、終盤の脱走劇の際に自ら引き返すオチかと思っていた僕の読みは浅はかであった。男の求めていた自由とはなんだったのか、答えは冒頭の題辞にそのまま示されていたのである。謎解きとして純粋に引き込まれたし、洒落た日本語の言い回しに何度もうならされ、読み終わったとき無性に幸福感に包まれた。狭い電車の中とはいえ、ここまで耽溺できたのは久しぶりだった。そんな読後感のまま巻末の阿部公房作品リストを必死に目で追っていたら、車内アナウンスが東京駅への到着を告げた。

メーリングリストにまわした勉強会へのお誘いメールに先輩からも返事をいただく。毎週切磋琢磨し続ければ、よい修士論文が書けるでしょう、と。 え、毎週!?
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イギリス、イギリス

2006-09-08 23:33:46 | 帰国・修論+αな日々
去年もやっていたらしいのだけど、修士論文に向けてペースメーカー的な勉強会を自主的に開くことにした。助手の横手さんに時間のある日を教えてもらって、日程調整のためにさっそく鈴木研のメーリングリストにお誘いのメールを流してみる。

今日も図書室で資料収集。RIBA年報の19世紀分をカートでまとめ借り。資料保護のため、コピー機にかけるのはやめてデジカメ撮影に切り替えている。年報の扉には「王立英国建築家協会」の文字の下に「○○王何世の治世何年目」と書かれていて、その裏には毎回「王立協会構成員の利用のため、および、大英帝国全体と諸外国の関係団体、公的図書館、教育機関の利用のために、1750部が印刷されました」と記してある。肩書き“東大教授”のジョサイア・コンドルが日本の建築界をレポートしていたり、当時の学生が描いたと思しき和装の女性?の落書きがあったり、脱線するのも面白い。ページをめくっていると、手やシャツが茶色く汚れてくるし、鼻がむずむずするし、なぜか落花生の殻のにおいがするけれど。

トルコについて研究されている同じ修士二年の方(一年トルコに留学されていたのでひとつ先輩)は、来週から一ヶ月間、調査のためトルコに行ってくるらしい。

夜、ファミマの前でたまたま高校時代の同級生と会う。機械系の彼はすでに企業の技術開発部門に就職が決まっているらしい。僕は「まだ迷っている」と答える。

というわけで、修士課程は卒業するとして、来春からの留学について真剣に考えてみることにした。東大はイギリスの大学とは提携していないと思い込んでいたのだけど、ロンドン大学のUCL校と「部局間提携」(どんな提携?)していることがわかった。ロンドンに留学できれば、イギリス建築の研究を続けられるし、ロンドンの設計事務所にももぐりこみやすい(と思う。希望的観測だけど)。ただ学費はものすごく高いので、よい奨学金を見つけなければとても通えなそう。TOEFLってやつも受けなくてはならないし…。JDN/ロンドン建築留学記というサイトをみつけた。そこのQ&Aによれば、願書は前年11月から当年6月までの間に送付するものらしく、3月に日本でまとめて面接試験が行われるようだ。まだ間に合いそうなので少し安心。ともかく、週があけたら教務課の国際交流室に相談しに行ってみよう。 それとも、またポートフォリオ片手に裸一貫ロンドンに乗り込むべきであろうか?
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日本建築学会大会

2006-09-08 01:16:26 | 帰国・修論+αな日々
近頃周りで「ガッカイ」という言葉を聞くたびにうらやましくて仕方なかったので、自分は発表するわけでもないのに日本建築学会大会にお祭り気分で行ってきた。

会場の神奈川大学の入り口で発表を終えた研究室の先輩たちに会う。「今もう19世紀だよお」みなさん発表は午前中だったのでちょうど帰るところだったらしい。もぐりこもうか一瞬迷ったが「会員・大学院生」の受付で素直に3000円払って入場。研究発表は建築計画、構造、環境、歴史・意匠、のように部門分けされていて、それがさらに内容ごとに細かなセッションに分かれている。部門ごとに会場の大きさはさまざまで、歴史・意匠系は定員71~120人くらいの教室だけど、構造系や環境系には300人くらい入る大教室で行うセッションもある。構造系や環境系はそれぞれ20教室くらい使うけど、歴史・意匠系は合わせて4教室で収まってる。

まずは「西洋建築史」の会場へ。歴史系の発表は時代順に行われる(個別の学会も「世紀」ごとに存在するらしい)。先輩方の言っていたとおり、セッションは「19世紀~20世紀の都市」。発表者も傍聴者も大学で教鞭をとる方が多いせいか、質疑応答では、「○○先生」と質問者が呼びかけたり、「私、その建築、中に入って写真取れましたので、後ほど…」とか、「授業で使おうと思うのですが、もう少し詳しく教えてください」とか。パワーポイントを使わない方も多くて、中にはスナップ写真を一枚一枚OHPで映していくだけでしゃべる方も。質疑応答の時間が余り、司会者と旧知らしき発表者が二人で雑談を始める。そのセッションで唯一学部生で参加していた発表者だけ質問されていないのがかわいそうだったので(京都から来たって言ってたし)、僕が手を挙げて質問をひねり出すことに。ヒトラー政権下のミュンヘンとベルリンの都市計画構想を比較して、ベルリンを担当したアルベルト・シュペーアの設計思想を抽出しようという論文である。「ヒトラー自身も建築の素養があったと思うのですがあなたが比較していたヒトラー政権下での二つの都市計画でむしろ共通している部分はどこなのでしょうか。あなたがその設計手法を分析したシュペーアにナチスの御用建築家としてではなく彼自身の建築としてその手法が発揮される機会はあったのでしょうか」司会者「まず所属とお名前を…」

一つ上の階の教室で行われていた意匠系の発表も聞きにいってみる。発表者の服装が“おしゃれ”になって、声もアクションもやたらとデカイ。「構成・都市」のセッションだったらしく、駐車場問題を絡めた郊外住宅地の街並み景の話がほとんどだった。塚本由晴さんも学生に混じって発表していた。質疑応答は「なぜそれを調べるの?」「どこに向かってるの?」といった研究の根本を問うものがほとんど。質問者も建築家が多いみたいで、イデオロギーがぶつかっている感じがした。歴史系は「なるほどー」と感心しながら聞いている傍聴者がほとんどのように思えたので、雰囲気の違いを感じる。「…ということでよろしいでしょうか」「よろしくありません!」すると司会者が笑顔で一言「それでは、つづきは後ほど…」。

勢いで構造系の発表も聞きにいってみる。歴史・意匠系の発表はキャンパスの北端にある20号館で、構造系はグラウンドを挟んで向かいにある23号館。入り口で、発表と司会を終えたいなやませんせいに会ったのでコンペのことを簡単に報告。受付でもらった案内を頼りに「鉄骨造柱梁接合部」のセッションへ。ちょうど激しい質疑応答が行われているところだった。「本当にそうなるんですか?私たちも試したことがあるんですけど」 会場内にはスーツ姿の企業人らしき人が多い。

明日は大学で研究して、明後日また計画系と環境系の雰囲気を観に行こうかな。

帰りの電車は小説を読みながらだったので一時間ちょいがあっという間だった。
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夏休みは実家で

2006-09-05 13:19:00 | 帰国・修論+αな日々
4日
九時起床。朝ごはんを食べてから渋川駅まで送ってもらう。およそ三時間高崎線に揺られながら、野沢尚『魔笛』を一気に読み終える。長い通学時間を読書に費やした高校時代を思い出した。ルオーで昼飯を食べてから、午後は図書室で修論の資料収集。書庫に出入りさせてもらい、RIBA年報のバックナンバーに目を通す。あまり長時間いじっているとボロボロになりそうで怖かったので、目次はひととおりコピーしておくことにした。関係のありそうな記事は全文コピーをとり、まずはファイルにストック。夜は有楽町ガード下のバーデンバーデンで飲む。来週末にAUSMIPでミュンヘンに留学する後輩たちの壮行会を開こうと企画しているので、その下見を兼ねて。運ばれるドイツ料理を平らげ、ホーフブロイのジョッキを傾けるうちに、自分がドイツに戻ったような気分になってすっかり酔ってしまった。料理は日本風にアレンジされているけれど、雰囲気は懐かしい。このお店が好きな人には、ぜひ本家ミュンヘンのホーフブロイハウスも訪れてほしい。家に帰ると隈事務所でバイトしている居候さんのふくはらくんから電話。彼が携わっていたプロジェクトが今日で完結したとのことだったので、アルコールとつまみ類を用意して迎える。一ヶ月間にわたる居候生活も終わるということで、ビールを飲みながら、青木淳のDVDを観ながら、梅干をつまみながら、味噌汁をすすりながら、いろいろな話をする。彼は明日朝早くから妻有のトリエンナーレに行ってくるらしい。僕は気がつくと寝てしまっていて、彼からのお礼のメールで目が覚めると、テーブルの上には貸し出していた合鍵がそっと置かれていた。

3日
九時半起床。家族三人でそろって朝食。午後まで新聞を読んだりしながら過ごす。夕方、新里村のぐんま昆虫の森へ。閉館間際だったので展示はゆっくり見れなかったが、安藤忠雄の昆虫観察館を観る。近くで見たときはガラスの屋根がゴツく思えたが、帰り際駐車場から振り返ると、大屋根の緩やかな稜線が、背負った赤城山の森の稜線にふわりと重なって見えた。夜は父の事務所を訪ね、パッチ君(♀)と再会。今年で10歳になる老犬なのだが、今でも元気に飛びついてくる。

2日
昼前起床、昨夜の残りのカレーを食べる。午後は母とDVDで映画『ステイ』を観る。映像の雰囲気は面白かったけど、結末は肩透かしされたような。夕方から群馬テレビの中継でJ2草津対水戸の試合を観る。引き分けさえできなかった昨季と比較して、今年は「負けないザスパ」として地元では盛り上がっているらしい。晩飯は前橋の中華料理天檀大食堂へ。父と紹興酒を飲みすぎて久しぶりに酩酊。

1日
十時過ぎ起床。昼前、大学へ。院生室に宅配で届いていたコンペ模型がだいぶ壊れていたのでかわしまくんと二人で復元。ホワイエに展示する。大学では大学院入学試験が終わり、最終日の面接が行われていた。今日の夜には試験の合否が判明する。二年前のその日の夜、玄関で出くわした僕らは互いの結果を報告し合い、くやしさをぶつけるためにマンモス設計集団をスタートさせたのであった。昼飯は、青森から帰ってきたくまいくんと万定でカレーを食べる。弘前の前川國男建築の話や青森美術館の話を教えてもらったり、修士論文のテーマをどうしぼるかなど相談しあう。修論に備えて院生室の自分の机を整理してから、夜、コンペのプレゼンボードを持って実家に帰る。母の手製カレーを心配されるほどバクバク食って、案の定おなかが痛くなる。北海道出張から帰ってきた父を藤岡の高速バス乗り場まで迎えに行って、朝まで三人で話す。コンペ、修論、将来の話。いわば父による人生エスキス。この春に主がいなくなったばかりの弟の部屋で就寝。
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資料の下線

2006-09-04 17:04:27 | 帰国・修論+αな日々
RIBA会報の1874年号でピッタシの資料が見つかってしまった!記事名「構造材料としての鉄について」「新しい材料と建築に関する最近の発達について(時期的にみておそらく鋼のこと)」の二件。 …と思ったら、すでに下線が引いてある。誰かがすでに注目済みらしい。ともかく、コピーして読んでみよう。ほかにも、セントパンクラス駅の詳細図面(当然、接合部も)なども見つかり、少々興奮気味です。
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