風邪薬を飲み、家で横になって過ごす。
BBCのドキュメンタリー『The Brits who Built the Modern World』を観る。「Brits」とはイギリス人のこと。のちに「ハイテック」と呼ばれることになる、1930年代生まれの英国人建築家世代のキャリアを追った建築ドキュメンタリーだ。今年の春にBBC Fourで放送された各回60分全三回のシリーズだが、ロンドンからの帰国直前の時期だったので見逃していた。

番組中ではNorman Foster、Richard Rogers、Michael Hopkins、Nicholas Grimshaw、Terry Farrellが一堂に会し、自らのキャリアと合わせて同世代のハイテック建築家たちとの邂逅を語る。2014年3月11日にはRIBAでこの5人とPatricia Hopkinsが揃った豪華なレクチャーが開かれた。
番組は全三回であるが、今日はその一回目「The Freedom of the Future」(1960-1970年代)を3回リピートして視聴してしまったので、残りの2回「The Power of the Past」(1980年代)、「The Politics of Power」(1990-2000年代)はまだ観ていない。
AA Schoolやアメリカ留学といった共通項によって出会った彼らは、「北部出身」「イタリア系移民」などそれぞれにある種の「アウトサイダー」であった。60年代当時建築学科を出た学生たちは公共機関の建築部門に就職することが一般的だったが、彼らは始めから在野で独立独歩の道を選ぶ。キャリアの初期は各々にパートナーシップを組みハイテックなビジョンの実現に共闘し(FosterとRogersの「Team 4」、FosterとHopkinsの「Foster and Associates(初期)」、GrimshawとFarrellの「Farrell/Grimshaw Partnership」)、やがてそれぞれのスタイルを確立し袂を分かつ過程が第一回では描かれる。彼らハイテック世代を魅了した建築体験のひとつとして、1951年の「Festival of Britain」(1851年の万国博覧会から100週年を記念して開かれた博覧会)の仮設建築物Dome of DiscoveryとSkylon、そしてアメリカで出会った新しい文化と資本主義社会いわば何もが”CAN DO”のダイナミズムが挙げられる。同世代の建築家・エンジニアとしてAnthony Hunt、Renzo Pianoらも時代の空気を証言する。番組のハイライトのひとつはポンピドゥー・センターで、RogersがPianoと組んで(「Piano+Rogers」)提案し「Unbuildable」とも言われたコンペ案が実現されるまでを追う。ときを同じくしてFosterのSainsbury Centre for Visual Artsも竣工するが、Willis Faber & Dumas社ビルを担当していたHopkinsはすでにFosterを離れ、妻Patriciaと合流してHopkins Architectsを興していた。その処女作とも言えるHopkins自邸を紹介する映像が美しい。
ホールデンから聞いた彼のキャリアを思い出す。Fosterのもとで70年代から80年代にかけて働きキャリアを形成した彼であるが、その前にはPiano+Rogers、そしてFarrell/Grimshaw Partnershipでも働いていたことがあるらしい。ポンピドゥー・センターの真っ白なパースを何枚も描いていたという話や、Farrellと仲違いして事務所を飛び出さざるを得なかった若き日の話を聞いたことがある。Future Systemsのヤン・カプリッキーも似た経歴をたどっている。ホールデンだけでなく、当時イギリスの若い建築家たちはハイテック建築家たちのもとへ集いそして渡り歩いたのかもしれないと思った。
夜、体調が戻ってきたので、今日資格学校へ行って自習するつもりだった製図の学習(宿題)をこなす。
BBCのドキュメンタリー『The Brits who Built the Modern World』を観る。「Brits」とはイギリス人のこと。のちに「ハイテック」と呼ばれることになる、1930年代生まれの英国人建築家世代のキャリアを追った建築ドキュメンタリーだ。今年の春にBBC Fourで放送された各回60分全三回のシリーズだが、ロンドンからの帰国直前の時期だったので見逃していた。

番組中ではNorman Foster、Richard Rogers、Michael Hopkins、Nicholas Grimshaw、Terry Farrellが一堂に会し、自らのキャリアと合わせて同世代のハイテック建築家たちとの邂逅を語る。2014年3月11日にはRIBAでこの5人とPatricia Hopkinsが揃った豪華なレクチャーが開かれた。
番組は全三回であるが、今日はその一回目「The Freedom of the Future」(1960-1970年代)を3回リピートして視聴してしまったので、残りの2回「The Power of the Past」(1980年代)、「The Politics of Power」(1990-2000年代)はまだ観ていない。
AA Schoolやアメリカ留学といった共通項によって出会った彼らは、「北部出身」「イタリア系移民」などそれぞれにある種の「アウトサイダー」であった。60年代当時建築学科を出た学生たちは公共機関の建築部門に就職することが一般的だったが、彼らは始めから在野で独立独歩の道を選ぶ。キャリアの初期は各々にパートナーシップを組みハイテックなビジョンの実現に共闘し(FosterとRogersの「Team 4」、FosterとHopkinsの「Foster and Associates(初期)」、GrimshawとFarrellの「Farrell/Grimshaw Partnership」)、やがてそれぞれのスタイルを確立し袂を分かつ過程が第一回では描かれる。彼らハイテック世代を魅了した建築体験のひとつとして、1951年の「Festival of Britain」(1851年の万国博覧会から100週年を記念して開かれた博覧会)の仮設建築物Dome of DiscoveryとSkylon、そしてアメリカで出会った新しい文化と資本主義社会いわば何もが”CAN DO”のダイナミズムが挙げられる。同世代の建築家・エンジニアとしてAnthony Hunt、Renzo Pianoらも時代の空気を証言する。番組のハイライトのひとつはポンピドゥー・センターで、RogersがPianoと組んで(「Piano+Rogers」)提案し「Unbuildable」とも言われたコンペ案が実現されるまでを追う。ときを同じくしてFosterのSainsbury Centre for Visual Artsも竣工するが、Willis Faber & Dumas社ビルを担当していたHopkinsはすでにFosterを離れ、妻Patriciaと合流してHopkins Architectsを興していた。その処女作とも言えるHopkins自邸を紹介する映像が美しい。
ホールデンから聞いた彼のキャリアを思い出す。Fosterのもとで70年代から80年代にかけて働きキャリアを形成した彼であるが、その前にはPiano+Rogers、そしてFarrell/Grimshaw Partnershipでも働いていたことがあるらしい。ポンピドゥー・センターの真っ白なパースを何枚も描いていたという話や、Farrellと仲違いして事務所を飛び出さざるを得なかった若き日の話を聞いたことがある。Future Systemsのヤン・カプリッキーも似た経歴をたどっている。ホールデンだけでなく、当時イギリスの若い建築家たちはハイテック建築家たちのもとへ集いそして渡り歩いたのかもしれないと思った。
夜、体調が戻ってきたので、今日資格学校へ行って自習するつもりだった製図の学習(宿題)をこなす。