顎鬚仙人残日録

日残りて昏るるに未だ遠し…

梅林の彼岸花…偕楽園公園

2024年10月05日 | 水戸の観光
梅で知られる偕楽園は、広さ12.7haで標高差約20mの水戸台地上にありますが、周辺の沖積層の水辺を含めた緑地は、偕楽園公園とよばれ約300haの面積を誇ります。これはニューヨークセントラルパークに次いで世界第二位の広さの都市公園といわれています。


その一画、窈窕(ようちょう)梅林の隅にヒガンバナが咲いていました。多分最近植えたと思われますが、群生を一ヵ所にまとめず散らして植えたのがいい味を出していました。


ちょうど秋彼岸頃に咲くのでヒガンバナ(彼岸花)とよばれますが、開花気温が20℃くらいのため残暑厳しい今年はどこも彼岸をはるかに過ぎての満開になっているようです。


彼岸花は別名で死人花、地獄花、墓花もいわれ、どちらかというと忌み嫌われてきました。しかし詩や歌によく使われる曼殊沙華(マンジュシャゲ)という別名は、サンスクリット語でmanjyusaka「天界に咲く花」を意味し、おめでたい事が起こる兆しに赤い花が天から降ってくるという仏教の経典からついた名前でもあるので、最近では庭に植えられるようになり、リコリスという名前で園芸品種も販売されています。


ちょうど咲き始めのいい時期でしたが(9月30日)、よく彼岸花を撮影するのは難しいといわれるように、花全部が赤一色で、それが光の影響で強く出過ぎて、細部が良く分かりません。


我が狭庭でも咲いていたので、白い紙を下に差し込んで撮ってみたら、花が浮かび上がりました。地面から伸びた花茎には通常6個の花が咲いています。




写真ではよく分かりませんが、花を構成する6枚の花被(花びらと萼が一緒になったもの)のうち、外側の3枚は萼が花びら状になった外花被で、内側の3枚が本物の花びらの内花被です。一つの花からは6本の雄しべと1本の雌しべが長く飛び出しています。


咲いている花茎の下の地面には葉が見当たりません。これは開花期には周りの植物が葉を茂らせて光合成するので、多くの植物が枯れる秋の開花後に地面から葉を出し、太陽光をしっかりと受け栄養を球根に蓄える自然界の仕組みだそうです。



さて、本園の偕楽園にも秋の訪れが感じられるようになりました。


萩まつりは9月で終わりましたが、まだ残り花が咲いています。暑い夏の影響でしょうか、今年は花付きもあまり良くなかった気がします。


園内には、このような萩の群生が約150群あり、開設当初に仙台藩から譲り受けたという宮城野萩を中心に、山萩、丸葉萩、白萩などが混植されています。



万葉集で多く詠まれた花の一番が萩(141種)、二番目が梅(119種)…この二つの花で春と秋を彩った水戸藩9代藩主徳川斉昭公は、花を愛でるだけでなく、萩の葉は軍馬の飼料にもなり、梅の実は行軍の保存食にもなると戦いの備えとしても考えていたようです。


なお、この萩は秋の終わりに地上部を刈り取って、その枝で作った柴垣(萩垣)は園内各所で訪れる方の眼を楽しませてくれます。和風庭園の垣根として珍重される萩垣、その希少な材料がここでは豊富に調達できるからです。


天保13(1842)年の開設から182年、激動の幕末を生きた斉昭公は令和の平和な偕楽園を雲上から眺めて感慨に浸っているかもしれません。

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