『今日の出来心』

シンガーソングライター&作詞家“久保田洋司”の365日書き下ろし公開日記です
since 2000.3.7

2009年3月27日(金)

2009年03月27日 00時00分01秒 | Weblog
万葉の頃、都会というものが出現し、
都会人は、勤務をする。

ももしきの 大宮人は 暇(いとま)あれや
梅を挿頭(かざ)して ここに集へる

勤務があるから、暇という概念も生まれるのである。

役人たちは、朝、4時とか5時とかから、働いて、
お昼には、勤務は終わり。

午後は、私有のもののために、働いた。
田畑で、草刈などもするのである。
自分の土地に対するかかわりが、深かったそうである。

万葉集には、非常に都会的なものと、
土臭いものとがあるのは、当時の人たちの
そういう生活があったからなのである。

坂上郎女(さかのうえのいらつめ)でも、
大伴氏の私領の田庄(たどころ)に、
しばらくのあいだ出かけて、
働く人々を、束ねる、というようなことをしていたらしい。

田の近くに、庵を作って、そこで寝泊りしながら、
月をまたいで、働いたらしい。

そういえば、僕の曽祖父は、大工で、
家を建てに行くのに、泊り込みで行っていた、
という話を聞いたことがある。

今なら、車で、すぐの距離でも、
昔は、大工道具一式持って、
ま、それは、置いておくにしても、
毎日、行き来となると、
大変なことだったろう。

僕らから見れば、なんと不便な、と思ってしまうけれど、
昔の人には、
車やら、電車、飛行機なんか、ないのであるから、
それが、当たり前のことで、
あぁ、不便、などという思いや、
不便と感じるために、気分が悪くなる、というようなことすら、
なかったのであろう。

藤原定家が、
人は、その人の器でしか、ものを理解できない、と。

今、僕らが、心底、便利だなぁ、と思っていることも、
100年すれば、
なんと不便な時代だったのだ、などと、
言われているのであろう。

そう言われているところを、どこかから、
見てみたいところであるが。

洋司

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1 コメント

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メガロポリス 万葉の花 ♪ (ラピスラズリ)
2018-12-25 08:48:53
暇あれや梅を〜は、巻10の1883番ですね。

家持も大宮のことを歌にしています。
【巻4・691】
ももしきの大宮人は 多かれど
情に乗りて 思ほゆる妹

ももしき、桃敷?百敷?なんて思っていましたが、ももしきは、百石木の変化した語で、多くの石や木で造ってあるという意味なのですね。万葉の時代の、都会と自然が別々にあるのではなく、すぐ隣に繋がってある感じ、良いなあと思います。

大伴坂上郎女の歌、好きです。
【巻4・527】
来むといふも 来ぬ時あるを 来じといふを
来むとは待たじ 来じといふものを

女流歌人第1号のような方なのでしょうか。
知性とユーモア、そして粋を感じます。
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