『今日の出来心』

シンガーソングライター&作詞家“久保田洋司”の365日書き下ろし公開日記です
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いさなとり近江の海を沖離けて~。今日の出来心2017年3月3日(金)

2017年03月03日 09時09分04秒 | Weblog

昨日も、朝、楽しみにかよっている万葉集の講座へ。

巻二の挽歌。

昨日も先生のお話が素晴らしくて、ふるえました。

今日はその中から、

天智天皇挽歌群より、太后御歌。

***

いさなとり 近江の海を 

沖離(おきさ)けて 漕ぎ来る船 

辺(へ)に付きて 漕ぎ来る船

沖つ櫂(かい) いたくなはねそ

辺つ櫂 いたくなはねそ

若草の 夫(つま)の 思ふ鳥立つ

【万葉集巻二 153】

訳)

(いさなとり)近江の海を

沖から離れて漕いで来る船よ

岸近く漕いで来る船よ

沖辺の船の櫂もひどくはねないでおくれ

岸辺の船の櫂もひどくはねないでおくれ

(若草)の夫(つま)の君が

いつくしんでいらした鳥が

飛び立っているではないの

***

この歌の「鳥」、通説では、

夫の霊魂の象徴、夫そのものとして、悲しみを述べた、と。

思えば、ヤマトタケルが亡くなった時に、魂が白鳥になって飛んで行ったみたいなことで、

白鳥をヤマトタケルそのもののように書いたものがあったことを、前にも書いた気がしますが、

(古事記、日本書紀)

しかし、

「鳥と霊魂をめぐる古代的観想が発想の基底にあったとしても、それをそのまま解釈に持ち込むわけにはいかない」と、

身崎寿という国文学者。(身崎寿「倭太后の歌」セミナー万葉集の歌人と作品1)

生前なれ親しんでいた景物には死者のおもいがこもっており、死後のいまもそれはかわらない(身崎)

湖上の鳥には死者のおもいがこもっており、死後のいまもおもいつづけている。その意味で死者と生者たる<われ>とは視線とおもいとを共有しているという確信をもつことができる。そのよりどころとしての「鳥」がとびさって共有のよろこびがうしなわれてしまうかなしみを、このうたはうったえているのではないか(身崎)

挽歌的抒情。

長歌形式の枠組みの中で歌われているが、その展開は稚拙ともいえる。

それが、なぜ、我々の心を打つのか、などなど。

これ以上書ききれませんが、

名歌と言われるだけに、通説もある中、

そこにとどまらずに、我々にもわかるように、

いろいろな資料をあげてお話してくださる。

本当に、いつも感動しています。

 

話は、かわって、

昨日夜は、FM MOOV「鼓動は三拍子」公開録音。

ゲストに映画「ひかりをあててしぼる」の坂牧良太監督をお迎えしました。

映画を撮り始めたきっかけや、この映画への思い、

深い話も、とっても楽しくおしゃべりしてくださり、

大変盛り上がった公開録音となりました。

坂牧監督出演の放送は、3月24日です。

お楽しみに。

FM MOOV「鼓動は三拍子」(金曜夜8:00~8:30)

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ミニライブでは、

「鼓動」

「届きそうで届かない」

「ボイジャーは還れない」

「ピエロ」

を演奏しました。

ご参加くださった皆様、ありがとうございました。

 

今日も素敵な一日になりますように。

美しい明日へ心をこめて歌っています。

洋司