小学生の頃には、自分の見えているものが、他の人に、同じに見えているんだろうか、いや違うだろう、とか、自分は、なぜ自分で、この友達ではないのか、一歩歩けば、友達のところまで行けるのに、この自分というものは、なぜ友達の中には入れないのか、とか、目をつぶっているときに、世界は存在しないのか、など、そんなことばかりを考えていたのである。友達に話せば、友達も同じようなことを考えていると言う。僕らは、すごいことを考えていると思いながら、どこかで、それは子供っぽい考えなのだと、思うようになる。そのうち、そういうことより、レコードやギターが好きになる。大人になって、まわりに、そんなことを言うと、ちょっと変な目で見られるような場面もあり、だんだん忘れるが、それらは、哲学でいえば、クオリアとか、独我論とか、神経的ゾンビとかそのようなこと、そのものである。ユングの言う集合的無意識のようなものかもしれない。輪廻転生にかかわることかもしれないし、それらとはなんの関係もないものかもしれない。しかし、そう、それだよ言いたかったことは、ということがあるかぎり、その一言を、探すのである。
洋司
洋司