Praise the Lord!

聖書のことばを通して、生活の中で示されたことやインスピレーションが与えられたことをつらつらと書き記しています。

羊の毛刈

2019年06月04日 | 日記
「メエーーー!」と毛を刈られるのを嫌がる羊が、悲痛の声で鳴いていると、夫が「よしよし、もう少しの辛抱だからね」と羊の頭をさすっていました。今日は、夫が務める幼稚園で飼っている羊たちの毛刈の日でした。この2匹の羊たちは園庭に飼われていて、園児たちが餌を挙げたり世話をしていますが、年に一度長く伸びた毛を先生たちが業務用バリカンで刈ります。園児たちもちょこっとハサミで毛刈体験が出来ます。刈られている間、時折暴れる羊を先生たちが3人がかりで抑えているのを横で見ていた私は、「やってみる?」と言われましたが遠慮しました。牧場で飼われてい羊は、もっとまめに毛を刈られ慣れていてこれ程抵抗しないかもしれませんが、この羊たちは一年に一度であり、時間もかかるのでしょう。まもなく、刈り終わってすっきり、きれいになった羊は、水と餌を安心して食べていました。

羊という動物は、人間により定期的に毛を刈ってもらう必要があります。もし長期間刈らないでおくと、その毛の重さで皮膚が剥離してしまい、動けなくなり、ついには死んでしまうそうです。古代から羊飼いという職業は存在し、羊は人間にいつも世話をしてもらわないと生きていけない動物です。羊飼いは通常、それぞれの群れを任されていて、オオカミ等の野獣が羊を襲いに来たら追い払い、場合によっては命がけで戦わなければなりません。当時は羊飼いは銃などの武器をは持っていないため、野獣と戦うには危険が伴います。羊は群れの中にとどまり、羊飼いの声に従って動いていれば守られ、安全に過ごせます。

 聖書に、イエス・キリストがご自分のことを「私は良い羊飼いである」と言われる箇所があり、羊が人間として例えられています。どのように良い羊飼いかというと、羊の為に命を捨てると言われています。ここでの「羊のために命を捨てる」というのは、イエス様が十字架で私たちのために死なれることを指しています。私たちの罪が赦されるために、代わりにイエス様が罰を十字架刑にて受けて下さったからです。そして、このイエス様による救いを信じた羊たちは、イエス様が死んで復活され、天に戻られてからも彼の声に聞き従って、地上での人生を歩んでいくということを意味しています。

ここでの「羊のために命を捨てる」というのは、イエス様が十字架で私たちのために死なれることを指しています。私たちの罪が赦されるために、代わりにイエス様が罰を十字架刑にて受けて下さったからです。そして、このイエス様による救いを信じた羊たちは、イエス様が死んで復活され、天に戻られてからも彼の声に聞き従って、地上での人生を歩んでいくということを意味しています。


キリストを信じた後も、各々自由意志があり、信仰の在り方、成長も一人一人異なるので、イエスの導きの声を無視してしまうこともあります。羊飼いの庇護の中にいれば安全なのに、自分の思いで行動を起こし、失敗し、人を傷つけてしまうこともあり、相変わらず頑固で弱い羊であるかもしれません。しかし、私たちがイエス様を信じている限り、たとえ彷徨ってしまうことがあっても、イエス様は決して私たちを見放さず、また立ち返って安全な羊飼いのケアのもとに戻るのを待っておられます。そのような優しい牧者である、イエス様に安心して、全てを委ね、聞き従っていけるよう、日々祈りたいと思わされます。

「わたしはよい羊飼であって、わたしの羊を知り、わたしの羊はまた、わたしを知っている。...そして、わたしは羊のために命を捨てるのである。」  ヨハネによる福音書10章14-15節