Praise the Lord!

聖書のことばを通して、生活の中で示されたことやインスピレーションが与えられたことをつらつらと書き記しています。

ネットによる礼拝

2020年03月18日 | 日記
 私の通う教会では、毎週水曜日午前中に教会に集り、聖書を学んで共にお祈りをしてきました。しかし、今月はコロナウイルス対策で暫くお休みとなり、個々人が家で、牧師の作成したレジュメに基づき、聖書を読んで、互いの為に、また今の状況の為に祈ることになりました。このことを自分独りで家で行うと、顔と顔を合わせて交流の時を持てる恵みの有難みを感じ、どんなに貴重な時間であるのかと改めて思わされます。

 国内外の教会は大勢集まる場所であるため、他の施設同様暫く閉鎖状態となり、ネットで礼拝の配信をしているところが多いようです。しかしネットができる環境にない人、そのような操作が困難な人々にとってはそれも利用できません。家で、一人もしくは家族と礼拝することになります。一方で、今回のことを通して、礼拝の基本的在り方が問われる時ではないかとも思います。結局、信仰とは自分と神様との間のことだからです。もちろん、信仰は本人が持ち続けるという側面と、他者と関わり、互いに愛し合うことを目指すことで信仰が成長させられるという面もあります。そうでないと独りよがりの信仰となってしまいますから、集まって、互いに仕え合うことは大切です。神様を礼拝することをまず信仰の基盤とし、他者との関係に愛が持たらされるよう、互いにキリストの教えに従うことを目指せればと願います。

しかし、基本は本人が神様に信頼を置いて神様に語り掛け(祈り)、心の中で平安な気持ちが与えられ、神様への感謝の思いが湧き、自ずと賛美の歌を口ずさむという、本人の心と思いによって礼拝がなされることだと思います。目に見えない神様との間のマンツーマン(God To Man?)の世界であっても、それを続けていくと、聖霊の働きにより神様の臨在を感じ、平和に満たされるかもしれません。いずれにしても、どこにいても、心を静め、神様と共に過ごす時間は必要です。

 今、家に独りでいる時間が与えられ、年度末の季節的な多くのことを余裕を持ってすることができ、何よりも、いつもバタバタ忙しくしている自分が、神様と静かに向き合える時間がたくさん与えられ、本当に感謝しています。特に、4月から新しい生活スタイルが始まり、今迄とはかなり変化があることを考えると、体力的にも精神的にもそれをこなしていけるだろうかという懸念もあり、その生活リズムに慣れるまで時間がかかることでしょう。しかし、イザヤ書に「あなたは全き平安をもって こころざしの堅固なものを守られる。 彼はあなたに信頼しているからである。 」*とあるように、神様が与えて下さる全き平安により心が守られるとあるので、先のことを思い煩わずに、神様より与えられた志に沿って前進していきたいと励まされました。

「何事も思い煩ってはならない。ただ、事ごとに、感謝をもって祈と願いとをささげ、あなたがたの求めるところを神に申し上げるがよい。そうすれば、人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るであろう。 」 ピリピの信徒への手紙4章6-7節

*イザヤ書26章3節