RYT500のTT内哲学部門で、一番最初に習ったハタヨガ経典が『ヴィヴェーカ・マールタンダ(当時は『ゴーラクシャ・シャタカ』だと思われていた経典)』と『ゴーラクシャ・パダッティ』。そこに、『シヴァ・サンヒター』や『ハタ・プラディピカー』を織り交ぜながら伊藤武大先生に解説いただきました。
そこで、「何千年も前からこんなこと考えてたインド人の頭ってどうなってんの!?」とどハマりし、それからインド哲学の探究が始まったのでした。そりゃあ「0」を考え出した人達ですもんね、次元が違います。
ハタヨガの経典と言えば、『ハタ・プラディピカー』、『ゲーランダ・サンヒター』、『シヴァ・サンヒター』が三大経典とか呼ばれたりしますが、単にこれらが早くから英訳されて世に出回ったというだけで。他にも面白い経典はいっぱいあると思うし、
RYTでは、『ヨーガ・スートラ』と『バガヴァッド・ギーター』を経典としろと言われているけれど、勉強すれはするほどスートラは異質に思えて。むしろ『マハーバーラタ』というかヴェーダに興味が湧きました。
プラディピカーもシヴァ・サンヒターも終わった今、次のハタヨガ経典『ハタ・ラトナーバリー』へ進むか?それとも、いよいよ本格的にヴェーダに手を出すか?悩む…🤔
そこで、「何千年も前からこんなこと考えてたインド人の頭ってどうなってんの!?」とどハマりし、それからインド哲学の探究が始まったのでした。そりゃあ「0」を考え出した人達ですもんね、次元が違います。
ハタヨガの経典と言えば、『ハタ・プラディピカー』、『ゲーランダ・サンヒター』、『シヴァ・サンヒター』が三大経典とか呼ばれたりしますが、単にこれらが早くから英訳されて世に出回ったというだけで。他にも面白い経典はいっぱいあると思うし、
RYTでは、『ヨーガ・スートラ』と『バガヴァッド・ギーター』を経典としろと言われているけれど、勉強すれはするほどスートラは異質に思えて。むしろ『マハーバーラタ』というかヴェーダに興味が湧きました。
プラディピカーもシヴァ・サンヒターも終わった今、次のハタヨガ経典『ハタ・ラトナーバリー』へ進むか?それとも、いよいよ本格的にヴェーダに手を出すか?悩む…🤔