自 遊 想

ジャンルを特定しないで、その日その日に思ったことを徒然なるままに記しています。

亭主と女房

2013年10月21日 | Weblog

 時間をもてあそんでいると妙なことを考えてします。
 妻が自分の夫を主人と呼ぶのは封建制度の名残ではないか、とか。亭主と呼ぶのは、何処に由来するのだろうか、とか。そこで、ものの本で調べた。
 今の時期なら濃い青紫色のリンドウの花などを茶花に飾って、茶会が催される。亭主は茶道から出た言葉で、一間四方ぐらいの狭い茶室に客を招き、茶を供応する人のことであった。茶室には○○亭とか○○庵とか、名前がついていた。その○○亭の主というわけだ。
 一方、女房という言葉は、宮中に仕える女官の部屋のことを意味したが、それが転じて、そうした部屋を賜った高位の女官を意味するようになった。
 つまり、亭主は茶道に通じた趣味人であり、女房は宮廷で裳裾をひるがえす高貴の人であった。ところが、いつのまにか「うちの宿六」になり、「うちのカミさん」になってしまった。
 宿六を辞書で調べると、妻が自分の夫を卑しめたり、親愛の意を込めたりして言う語とある。卑しめられるのか、親愛の意を込められるのか、どっちなのか、僕としては個人的に気になった。「カミさん」の場合は、親愛の情をこめて妻のことをそう呼ぶ。
 日本語という代物は厄介ではある。一人称を表す「わたし」でも、方言などを加えると200ぐらい別の言い方があるそうだ。意味深長な日本語を達意の小説家は使いこなしているのであろう。