自 遊 想

ジャンルを特定しないで、その日その日に思ったことを徒然なるままに記しています。

二重被爆者・山口彊さん逝去

2010年01月07日 | Weblog
 昨年7月10日に記した、広島と長崎で二回被爆した山口彊さんが逝去された。
(新聞より)
 広島、長崎それぞれで直接被爆し、「二重被爆者」として初の公式認定を受けた山口彊(やまぐち・つとむ)さん(長崎市在住)が4日午前5時38分、胃がんのため長崎市の病院で死去した。93歳だった。密葬は近親者で済ませた。
 三菱重工業長崎造船所の設計技師だった山口さんは1945年8月6日、出張先の広島市(爆心地から3キロ地点)で被爆。列車で8日に長崎へ戻り、9日には再び爆心地から3キロ地点で被爆した。2回の被爆で左耳の聴力を失い、急性白血病や白内障などの原爆後遺症にも苦しめられた。
 非核や平和の思いを伝えようと、02年には短歌集「人間筏(にんげんいかだ)」を自費出版。05年、生後6カ月で被爆した次男をがんのため59歳で亡くしたことをきっかけに、それまで以上に積極的に被爆体験を語り始めた。06年8月には、米ニューヨークの国連本部を訪れ、自身が出演した記録映画「二重被爆」を上映し、核兵器廃絶をアピール。09年3月、長崎市から広島での被爆事実の認定を受けた。
 もう二度と被爆者を作らないで--。死の1カ月前まで病室で海外メディアの取材を受けるなど、平和のメッセージを発信し続けた。家族のきずなを何よりも大切にしていた。最期はその家族に見守られて、穏やかに旅立った。
 命の光が弱くなる中、12月7日には、病室でスイスのテレビ局の取材を受け、か細い声で必死に戦争の愚かさや原爆の恐ろしさを訴えた。
 12月22日には、来日中の米国映画界の巨匠、ジェームズ・キャメロン監督が病室を訪問。原爆をテーマにした映画の構想を聞いた山口さんは英語で「私の役目は終わった。後はあなたに託したい」と語り、固く手を握ったという。

(御冥福をお祈り申し上げます。

今日はちょっと遠出してきます。)

2 コメント

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Unknown (マライカ)
2010-01-07 18:31:03
原爆の恐ろしさを知る貴重な証人が亡くなったとは、残念です。彼の残してくれた記録を生かし、核兵器廃絶を実行することが戦後に生まれた世代の任務ですね。
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Unknown (理方)
2010-01-07 19:05:47
記録映画『二重被爆』を観る機会がないんだけど、観たいものです。
国連本部で上映って書いてあるけど、国連総会で上映すべきだよね。世界各国でも上映すべきだよね。
この映画のみならず、被爆の実態を視覚に訴える映画は、核兵器廃絶に効果的だと思います。
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